ここでキスして
恋人が消えてしまった。
こんな世界に価値はない。
消してしまおうと思う。
世界を壊す決意の日
価値のない世界だけど、それでも大切な人はいる。
手紙をしたためることにした。
届くころには世界は消えてしまっているだろうから、なんの意味もないかもしれないけれど。
内容はお礼と謝罪だ。
自分のような人間を人間として受け入れてくれたことへの感謝と、そんなあなた達を慮ることなく消えた恋人のために世界を終わらせる非礼を綴り続けると、それだけで一日は終わってしまった。
世界が消える三日前
恋人といっしょに歩いた街を、ひとりで歩いてみる。
なんの気配もしない。なんの匂いもしない。
まるでここにはなにも存在していないみたいだ。
立ち止まればぶつかるほど、人間で溢れた街だと言うのに。
世界が消える二日前
恋人が住んでいたマンションに向かう。
合鍵は最後までもらえなかった。
『いい加減、鍵あけるの面倒になってきたな』
と笑っていたから、もう少しで絆されてくれると思っていたのだけれど。
思い出すと涙が出てくる。
ああ、だめだ。今日はもういい。
何度も喧嘩をしたエントランスの
傷跡を撫でて蹲った。
世界が終わる前日
ポストに手紙を投函した。
心からごめんなさいをした。
ごめんなさい、でももう決めてしまったんです。
みなさん、さようなら。
恋人が愛用していたナイフが、郵便受けに届いていた。
世界が終わる日
最初に彼と会った場所。
短ランを着た彼を、気に入らないと殴りつけた場所。
あの時から彼はこのナイフを使っていた。
こんなことになるなら、エントランスなんかじゃなくて自分の身体に傷痕のひとつでも遺してくれればよかった。
天を仰ぐ。
あいつの声が聞こえそうなほどの青く澄んだ空。
ナイフの切っ先を心臓に向ける。
苦しくたって構わない。
これをお前に捧げるから、
だからどうかお願いだから
「俺を、捨てないで」
消えてしまった恋人。
好きだと、ちゃんと恋人になりたいと告げた翌日に。
本当は知ってた。
伝えたら全部終わってしまうと。
自分の価値はなくなってしまうと。
心臓が熱い、指先が冷たい。
『ばかだなぁ、シズちゃんは』
うん、知ってる。
でも、そうやって笑う顔が好きだったから。
手を伸ばす。
触れる、重なる、震える。
いつも冷たかったはずの手がひどく熱い。
なんて素晴らしい最後だろう。
自分の世界が消えるこの瞬間にこの刹那に、
彼に愛される夢を見られるだなんて。
「縦に刺したら、心臓に届かないっつーの」
一度も重ならなかった唇が、
息ができなくなるほど永く重なったような気がした。
End
(2013/09/12)
りんごちゃんのでした。
わしゃもじさんに捧げます。
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