※学パロ


「ハオ、あーん」

そう唐突に言われたハオは、半ば反射的に唇を開いた。
途端、口の中にセピア色の塊を放り込まれる。甘い。

「……なんだよ、急に」

口内のミルクチョコレートを咀嚼しながら、ハオは葉に疑問を投げ掛けた。
バレンタインデー当日、昼休みの生徒会室。女子からのプレゼント攻撃を避けるのと、放課後の会議の為に資料を揃えていたハオの元に、突然葉がやってきたのだ。ふらりと、何の前触れもなく。否、別にそれは構わない。得に忙しい訳でもなかったし、弟であり恋人でもある葉の来訪は、ハオにとっても嬉しいものだった。
しかし、そんな葉が不意打ちでハオの口にチョコレートを放り込んできたのである。一欠けら程のミルクチョコレートだったからまだ食べられたけれど、正直ハオは甘いものが得意ではない。たまに口をつけても、ビターチョコレートを少し食べるくらいだ。葉もそれを知っている。それなのに、どうしてこんなことをするのか。
そんな不満も込めて、ハオは葉を睨みつけた。
怒っているというよりは、拗ねているというのが正しいかもしれない。

「んー?」

しかし、葉にとってはそんなハオの態度もどこ吹く風だった。
不機嫌も顕なハオに対して、睨まれている筈の葉はむしろ酷く上機嫌でさえある。そんな片割れに、ハオは訝し気に眉を寄せた。葉はと言えば、今に鼻唄でも歌い出しそうな程なのである。
そんな片割れは、手に持った板状のミルクチョコレートを、満足そうに見つめている。口をつける様子はない。セピア色の一角だけが、いびつに欠けている。それがまさに、ハオの口へと放り込まれたあの甘い塊なのだろう。

「……なんでもないんよ」

葉は、そう小さく呟いた。ちっともなんでもなくなさそうではない。亜麻色の瞳は、愛おしげに細められている。声音もどこか嬉しげだ。

「じゃあ、オイラそろそろ教室戻るな」

あんま無理すんなよ。
そう柔らかい声音で小さく囁き、葉はハオの目尻に軽く口づけてきた。
された方のハオはと言えば、片割れの予想外の行動にピシリと硬直する。普段校内でキスをされることがない分、余計に驚いた。
ハオが固まっている間に、葉の背中が扉の向こうへと消えていく。
その手の中では、銀紙に包まれた甘い塊が、ひっそりとこちらを見つめていた。

「………」

それが、今から凡そ数時間前。昼休みの出来事である。
そして、日も暮れはじめた現在。
ハオがどこにいるかと言うと、自宅の玄関の前だった。
しかし、ハオは引き戸に手をかけたまま、ぴたりと動きを停止している。何故か、家の中から甘い匂いが漂ってくるのだ。
昼間と同じく、ミルクチョコレートの甘い甘い匂いが。

「………」

それを認識した瞬間。ハオの脳裏を真っ先に駆け抜けたのは、「自分は何か葉を怒らせる様な事をしただろうか」という、身も蓋も無いものだった。自分が気づかなかっただけで、昼間のアレも甘いものが好きではない自分に対する嫌がらせか何かだったのか。そう数分間とっくりと考えて、ハオは小さく呻いた。
しかし、これといって思い当たる節がない。
あるとすれば、先日の夜。葉と肌を重ねた時に、少しばかり無茶をしたくらいだ。けれど、それについてはとっくの昔に葉からお叱りを受けている。それに無茶をしたとは言っても、葉を無理矢理抱いた訳でもなければ、嫌がられるようなことをした訳でもない。ただ、ちょっとばかりハオの歯止めが効かなくなって、普段なら手加減するところをし損ねただけだ。だって仕方ないじゃないか、葉可愛かったしと、ハオは心の中で誰にともなく言い訳をした。瞳を潤ませて頬を染めたとろとろの顔で、先をねだる様に抱きつかれたら我慢できる訳がない。その時は余りにも呆気なく、ハオの頭の中で何か色々なものが切れる音がした。結果的に葉を甘い意味で散々泣かせて、ハオは愛して止まない片割れにお叱りを受けたのである。
しかし、アレに関してはハオも反省したのだ。だから後で散々葉を抱きしめてキスをしてベタベタに甘やかして、炊事洗濯等の家事当番なんかも肩代わりして、たっぷりとご機嫌取りをしてある。葉からもきちんと許して貰った。そもそも、葉も驚いただけで本気で怒ってはいない。行為自体を嫌がった訳ではないのだ。葉に好かれているという自覚はあるし、片割れが自分と肌を重ねるのが好きなことも、ハオはちゃんと知っている。
けれど、そうなると他に全く原因が思い当たらない。
ハオがそうして悶々と思考を巡らせている間にも、甘いチョコレートの匂いは絶え間無く鼻孔を擽ってくるのだ。

「……ただいま」

結局何の策もないまま、ハオは玄関の扉を潜った。
取り敢えず葉がいるだろう台所へと足を進めていく。中へと進んでいく度に、甘い匂いはその存在感を増していった。

「……よう?」
「んー?」

恐る恐る声をかけたハオに向けられたのは、気が抜けそうな程のんびりとした声だった。

「お、早かったな。おかえり」
「ただいま。……よう、何してるの?」
「ホットチョコレート作ってるんよ」

問い掛けたハオに、葉はふにゃりと笑いながら答える。随分と機嫌がいい。

「あ、ハオもなんか飲むか?」
「え、じゃあ…コーヒー。あったかいやつ」
「ん。すぐいれるから、服着替えたら居間で待ってろ」

ハオに満面の笑みで応えた葉は、片割れのリクエスト通りにコーヒーの準備を始める。花を飛ばしながら鼻歌でも歌いだしそうな様子の弟に、ハオは内心首を傾げた。肩透かし半分、疑問半分の気分でその姿を見つめる。しかし、このままでいても何も変化はない。
そう頭を切り替えて、ハオは着替える為に自室へと向かった。
制服を脱いで私服に着替えながら原因を考えてみるものの、良くも悪くも該当する項目は見当たらない。
悶々とした気分のまま着替えを終え、ハオは居間へと足を向ける。

「お、ナイスタイミング」

入口をくぐると、笑みを浮かべた葉がそう声をかけてきた。その手には、温かそうな湯気の上がるカップがふたつ握られている。その内の一つを席についたハオへと差出し、葉はその向かいに腰掛けた。コーヒーの香りと、チョコレートの甘い匂いが緩く混ざり合う。
しかし。そこで漸く、ハオは今日の葉の行動の意味に気がついた。

「待って」
「ん?」
「僕が飲む」

カップに口をつけようとしていた葉を、ハオはそっと止めた。
片割れの言葉に、葉は小さく首を傾げる。そんな葉の手元へと指を伸ばし、ハオはそっとカップを取り上げた。

「だってこれ、僕のでしょう?」

葉はハオの言葉に瞳を見開いた後、数瞬の沈黙を挟んでから、困った様に笑った。

「……バレたか」

そう告げる声音は、どこか嬉しげだ。葉は苦笑を浮かべたまま、ハオの前に置いたコーヒーのカップを自分の方へと引き寄せる。それは、ハオの言葉を言外に肯定する動作だった。
そんな葉に小さく鼻をならしてから、ハオはわざと不満げに応える。

「むしろ、回りくどくてうっかり気づかないところだったよ。……素直にくれればいいのに」
「お前甘いの好きじゃねぇだろ。それに…」

そこで、葉はふと口をつぐんだ。
ハオが首を傾げると、葉はもごもごと口ごもる。

「……なんか、いや、うん」

耳まで赤くした葉に、ハオは甘く笑った。
チョコレートよりもよっぽど甘そうなその耳朶に口づけたいなと思ったけれど、それは後の楽しみに取っておくことにする。
代わりに、温かいセピア色の液体に口をつけた。

「……甘い」

小さく呟いたハオにつられる様に、葉もコーヒーに口をつける。けれど一つ瞬く間に嫌そうに顔をしかめ、葉はうんざりした様な口調で告げた。

「オイラは苦げぇ」

そう言いながらコーヒーに砂糖とミルクを次々と放り込む片割れに、ハオは甘い笑みを浮かべた。



ショコラ・レッフェル



一口分の甘さをおすそ分け。

===

去年あげそこねた、今更過ぎるバレンタイン小話でした。

2013.02.14

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