※学パロ
ほんのり肉体関係を匂わせる表現があるのでご注意下さい。


「おお、すげえなぁ」

心からの感嘆の声音に、ハオはするりと視線を滑らせた。
片割れの関心と感心の向こう。零れた前髪から覗く飴色の瞳の先。
吐き出す息すら溶け出しそうなほどの熱気から切り離された硝子越しの視界へと滑り込む、艶かしさとあどけなさのない交ぜになった華奢な脚。円い柔らかさの太ももから上を視線でなぞれば、たっぷりとした布地のトップスが瞳を彩る。ときおりゆらりと体が小さく揺らぐ様は、少女の身に付けている衣服と薄い硝子を隔てた外界との温度差も合間って、さながら熱帯魚のようだ。

母の茎子に頼まれた、買い出しの帰り道。

うだるような暑さを避けて逃げ込んだ喫茶店の店内は、汗が引いてきたいま少し肌寒いくらいだ。それとは裏腹に滴るほど汗をかいたグラスが、テーブルに水溜まりを作っている。

「ああいうのが、好きなの?」

カラン、と氷が音をたてながらグラスの中で踊る。
何気なさを装って吐息へと混ぜるように呟いた言葉だけが、やけに高い温度を冷えた空気に落とした。
靴底に当たるコンクリートの硬い感触が、奇妙な程不釣り合いに感じる。
瞬きにも満たない、僅かの沈黙。片割れが答えを探す数瞬。いやに長く感じたそれを、葉はハオへと瞳を向けることもなく淡々と飛び越えた。

「ん?いや」

別に。
淡白に続いた声音に、僅かな安堵が胸へと沈む。
共に過ごしてきた時間だけは人一倍だ。隠し事のないまっすぐな言葉に緩く吐息をつき、ざわめいた胸の内は口許に添えた掌で覆い隠す。今ハオが手をどければ、不機嫌に歪んだ唇が顔を出すのだろう。

「なんか、ただ、すげえなぁって」

そんなハオのことなど気づきもせず、のんきな片割れはあっけらかんと同じ言葉を繰り返した。
ずず、と葉が隣でストローからカフェラテを啜る音が、肩透かしを食らうほど間抜けに響く。
うつむいた拍子に、夏の気配でしっとりと重みを増した黒髪から淡く色づいた耳が覗いた。
日に焼けた小麦色の肌を滑り落ちていた雫は、なりを潜めている。けれど、ほんのりと色づいた肌が熱の名残を匂わせた。日焼けした肌特有のさらさらとした手触りを思いだしながら、ハオはその滑らかさを視線でなぞる。

乾いた肌を掌で撫でたときの、くすぐったそうな顔が好きだ。
くしゃくしゃになった表情が綻んで、歯を見せて笑うその瞬間が好きだ。
そしてその乾いた肌が徐々に汗ばんで、しっとり手に吸い付いてくるのが、そのときの甘く濡れた瞳も含めて、もっと好きだった。

すっきりと通った顎と、丸みを帯びた柔らかそうな頬、そして耳や頬と同様にまだ淡く色づいた鼻先。無防備に晒された首筋と、グラスの雫で濡れた武骨な指先。
どこでもいいから今すぐ噛みつきたいなと、ハオはぼんやり思った。

「スカートの短さが?」

少しだけ意地の悪い気持ちになりながら、悪戯めいた軽口を叩く。
絹糸のように滑らかに紡いだ言葉とは裏腹に、その裏側は酷くざらついていた。
葉も、一応年頃の男だ。異性に興味もあるだろう。現に、いつもつるんでいる友人たちとの話題のひとつは、「この雑誌の中のアイドルなら誰が好みか」だ。
ハオの問いかけにきょとんと見開かれたまんまるの瞳と、ストローを咥えたままのすぼめられた唇が幼い。
それでも、じわりと傾いた機嫌はなおらなかった。

「…それもだけど」

アレが。
そう片割れがこっそりと指差すその先。華奢な脚の更に下。
太陽に向かって咲く向日葵にも劣らない、レモンイエローと白いタイルのコントラスト。目眩がするような高さのハイヒール。その鮮明な瑞々しさが、少女の踵を地面から十数センチほど押し上げていた。

「あんなに踵高いと、階段とか降りるの怖えだろうなーって」

尊敬と感心を多大に含みながら続けた葉に、ハオは口許を手で覆ったままため息をつく。数拍の沈黙を挟んで吐き出したそれは、酷く拍子抜けしたものだった。

───そこか。よりによって。

女性特有の、若さと柔らかさとなだらかな円さのある、あの魅惑的な脚をつかまえておいて。あまりに色気のない発想だ。

今ハオが手をどければ、上機嫌につり上がった口許が顔を覗かせるだろう。

我ながら単純だ。けれどこの片割れだけに関しては、そう嫌な部分でもない。態々見せてやる気は毛頭ないけれど、恐らく、見せなくてもばれてはいるのだ。きっと。
目まぐるしく上下するハオの機嫌など知りもしない葉は、視線を上にあげながら「あー」だの「うー」だのと、なにやら呻いて記憶を辿るような仕草をした。
動きに合わせてひょこひょこと軽く跳ねる結い上げられた毛先が、淡い幼さを覗かせる。
反射的に指を伸ばしかけたけれど、寸でのところで引っ込めた。
ハオと葉の座っている席は窓際だ。此方から人通りが見える位置にある。逆もまたしかり。不用意に触れることは避けた方がいいだろう。
本当は、その髪を捕まえて頭を掻き回したかったけれど。

「あれだ、んーと。じいちゃんちにあるやつ」
「竹馬?」
「そうそう」

年頃の少女のハイヒールと、祖父の家に昔からある年期のはいった竹馬。どう頑張っても普通ならば並びもしないそれを、この片割れは当たり前のように不可解な回路で繋げてみせる。あいかわらず、理解はできても共感は出来ない。経験則から内容を察して応えられることと、意味を理解して同調できることは必ずしも並立ではないのだ。
レモンイエローの少女のハイヒールと祖父の家の竹馬が、ハオの思考では並びもしないのと同じように。
けれど「ハオは話が早くて助かるなぁ」とのんきに笑うその横顔は、嫌いではない。些か腹は立つし、今も昔もとんと理解はできないけれど。ざわついた胸の内側も、口許を覆う掌も、たぶん。伸ばせなかった指先だって、裏を返せば、好意の現れだ。
厭うのと同等の質量でもって、好ましい。むしろ、その天秤の傾きは常日頃から明らかだ。
だから、正直なところどっちもどっちなのかもしれなかった。

「女子はすげぇよなぁ」
「ハイヒールが?」
「それもだけど、色々」

うんうんと無駄に頷いて見せる。たぶん、この片割れはよくわかっていない。
そんな会話の最中、件の少女がかくりとよろめいた。

「あ」
「お」

思わず声をあげる。
しかし、彼女は隣を歩いていた友人に支えられ、なんとか持ち直したようだ。大人びた外見から綻んだ、あどけない笑顔が年相応の幼さを覗かせる。
思っていたよりも、ハオや葉と年が近いのかもしれない。
体の揺れる様が熱帯魚のようだと思ったけれど、それは不馴れな足元の裏返しだったようだ。
華やかに飾り付けられた髪に、淡く色づいた頬。鮮やかな目元や唇。暑さの中でも美しさへの妥協を許さない矜持。
女を匂わせながら、ほころぶ予兆を感じさせながらも、あどけなさと危うさの混じる不馴れな足元。
自分のこの胸のざわつきは、背伸びした彼女たちの靴擦れのようなものだ。

「……男子も、大変なんだよ」
「うん?」
「色々」

うーん、と首をかしげて考える、その困り顔は結構好きだ。
似ているようで異なる思考を、試行と施行で埋めていく。

「あ、お揃いだ」
「うん?」
「髪」

葉がなんらかの回答を出すまでの間に、片割れの頭と同じ髪型の、目についた別の少女を指差す。
ぴょこぴょこと跳ねるポニーテールが快活な印象だ。
その後ろ頭を指差しながら、葉のそれへと視線を投げる。とびきり甘い笑みを見せたハオとは裏腹に、今度はストローを咥えたままの葉の唇が尖る。
思考を強引に中断させた、不満そうなその顔はとても好きだ。

「ああいうのが、好きなんか?」
「うん?」
「なんでもねえよ」

ぶっきらぼうに応えて、溶けた氷で随分と薄まったカフェラテを啜る。「何拗ねてるのさ」と呆れ混じりのふりをして柔く問えば、「別に」と先ほどと同じ答えが返ってきた。ただし、少しだけ声音が甘い響きに変わっている。こういうところはいじらしくて可愛らしい。自然と緩む口許は、やはり掌で覆い隠した。
椅子が固定されているカウンター席なんかじゃなくて、もっと近くで腰かけられる席に座ればよかったなと、ハオはせんない事を考えた。隣にいても撫でられはしないのだから、いっそ向かい合わせの席でも良かったかもしれない。
そうしたら、葉の顔を正面から見ることができたのに。
そうつらつらと考える間も、口許に添えられた掌は、相変わらずハオの秘密を頑なに守っている。

本当にお揃いなのは、別のもの。

少女たちの身に付けたハイヒールと、ハオの口許を覆う掌だ。
少しばかり大人なふりをして、余裕があるふりをして、背伸びをしていることをひた隠しにして笑って見せる。

「なぁに。やきもち?」
「ちげぇ」
「あはは」

先に妬いたのはお前だろ。
小さなその声は、聞こえなかったふりをした。その通りだ。
固い蕾を綻ばせ、花開こうとする少女たち。
その先駆けの、背伸びのハイヒール。背伸びした分だけの靴擦れと、痛みと、それから。

「ねえ」
「あん?」
「キス、しよっか」

わざとゆっくり、音にする。
そう、ハオのこれもハイヒールのようなものだ。
望んだ分だけ、先にありたいと願う。純粋で、垢抜けない、靴擦れを伴う野暮なハイヒールだ。全くもってスマートとは言いがたい。
けれど、そう。靴擦れの痛みを覚えてもそれをおくびにも出そうとしないのは、彼女たちの幼いながらの矜持だろう。

「ねえ」

大丈夫。誰も見てないよ。
そう囁くのと同時に口許の掌を外し、距離を詰める。ひくりと震える片割れの体に吐息が絡む。甘怠い熱が空気に滲む。
これは、半分嘘だ。人通りの多い道に面した硝子の仕切りは、他人の目が途切れることはない。店内の人は疎らだけれど、それでも気づかれてしまえば目立つだろう。そして、「する」の割合は決して高くない。彼女たちの華やいだ虚勢と同じだ。

「っ、」

だからこそ、一瞬だけ掠めるように触れた唇に目を見開いた。
濡れた飴色の瞳がすぐ傍にある。唇へと絡む吐息にひくりと喉がすくむ。視界の片面いっぱいに広げられたメニューの「夏の定番!クリームソーダ!」の弾んだ文字と濃く片割れの額に落とされた影が、妙に頭に残った。
どちらかと言えば珈琲の方が好きだなと、頓珍漢なことをこんなタイミングで思う。

「ばーか」

ざまあみろ。
そう悪戯が成功した子供のように笑う朱色の乗った顔に、自分の頬へも同じように熱が競り上がるのがわかった。硬直した思考が緩んで、漸く理解する。
キスされたのだ。
ドラマのように開いたメニューで通行人からは見えないようにして、店内の人間が見ていないその一瞬を狙って。

そう、これは、ハイヒールのようなものだ。

大人ぶって見せるのも、嫉妬をみせたくないのも、不安や寂しさを隠すのも、余裕があるふりをするのも、わざと煽ってみせるのも、何もかも。
全部。

「……………………よう」
「あん?」
「はやく、かえろ」
「なんで」
「もっと、やらしいやつ、したい」

告げた瞬間、例えようもないほど葉の頬が赤くなった。

ああ、脱げてしまった。

自分のハイヒールも。片割れのハイヒールも。
精一杯の虚勢と背伸び。大人ぶって、平気なふりをして、なんでもないことのように、手を伸ばしたのに。
伸ばしたつもり、だったのに。
口許を覆っていた掌はとっくに外れて、片割れのそれに重なっている。絡む指先にじわりと体温が滲む。中指の腹でするりと手の甲を撫でると、葉の肩がびくりと跳ねる。
さらさらとした肌が、今は違う熱にしっとりと濡れている。

「───ねぇ」

絡む吐息が甘い。ねだる声音が別の温度を孕む。後頭部がじわじわと熱をもって痺れる。きっといま、自分は情けない顔をしているのだろう。
だって、せっかく履いていたハイヒールは脱げてしまったのだから。

「……ばか」

なんつーかおしてんだよ。
そう焦れたような声で告げられるのと同時。
乱暴に伝票をつかんだ手とは反対側の手で、茹だるような暑さの中へと連れ出されていた。



きっかけはひとつでいい



格好つけたい相手ほど、どうにも上手くいかないものなのだ。

===

お題「ハイヒール」でした。
7周年有難うございます。
ハオ葉ちゃんはこの後でろっでろになるまでいちゃこらちゅっちゅすればいいと思います。

2018.08.09

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