第7話

 私の初陣を飾る相手は予てより大和帝国が睨み合ってきた、大陸の大国ジパング帝国であった。当時隣国との間の緊張は徐々に高まっており、難しい状況であった。私の任は相手の戦艦を牽制する船の指揮で、最悪の想定でも小競り合い程度にしかならぬと言われていた。故に私に命の危険はなく、婚約者の悲しみは些か大袈裟であったのだ。然し、戦の事は何も分からぬ飛鳥様であらせられる。本気で、私が死ぬとお考えになっていたのだそうだ。私が船で国を発ってから毎日、教会にて必死の思いで祈っておられたと聞いた時には、流石に嬉しくないとは思えなかった。かくして私は史上最年少の指揮官となったが、軍役は苦にならなかった。もう暫く飛鳥様から離れていられると考えてしまうと、多少の緊張は意味を為さなかったのだ。
 だが、誰の予想も上回って戦局は芳しくなかった。小競り合いどころか、人の血が流れる事態に陥ったのだった。ジパング側は我が国の沿岸地域に挑発を加えており、本来それを止めさせるのが目的だったのである。然し大和国の戦艦を前に逆上した敵国は暴走を開始した。火器が火を噴く状況になると、流石の私も恐慌状態に陥った。戦地での想定外の出来事は、妙な話起こって当然なのである。然し、初陣故に私は大きな恐怖を味わって大胆な行動に出てしまった。事態の収束でなく、相手への反撃の為に猛烈に攻撃を仕掛けたのである。それは、経験のない若き軍人の過ちであった。
 然るにそれは最終的に良い結果を齎したのである。我が戦艦の猛攻はジパング軍を撤退に追い込ませた。勝利を収めた大和帝國は、隣国の弱みを握ったのだ。指揮官であった私は、若いにも関わらず大胆な行動で祖国を勝利に導いた英雄として扱われた。それに加えて公爵令嬢の婚約者という肩書きは、更に私の名を知らしめることとなったのだ。
 無事に帰港すると、やはり飛鳥様は号泣して私をお迎えなすった。そのお顔は出航前より幾分か痩せており、相当な心配をお掛けしてしまった事を知ることになる。だが不思議な事に、どうしても有り難いとは思えなかった。彼女の本性を知る私には、飛鳥様が私に向けてくださる愛情すらも、陳腐に思えてならなかったのだ。
 天皇陛下より勲を賜る事が決まった時は驚きに言葉が出なかった。まさか、初陣で陛下のお褒めに預かるとは考えもしなかったのだ。宮中を訪れた際足が震えたのは、皇居の絢爛さが理由ではなかろう。飛鳥様とのお付き合いの為、高位貴族が如何に豪奢な生活をなさっているのかは既知であるのだから。
 私の胸に輝く旭日章をご覧になった飛鳥様の喜び様は、私のそれをも勝っていた。その年の十一月に落成されたばかりの鵲鳴館で、受勲を祝う舞踏会まで主催された程である。 新たにできた社交の場で、既に公爵令嬢は女性達の上に君臨した若き女王となっていたのだ。祝いの言葉を述べる高位貴族達の中で、私の心は暗かった。貴族達の興味は財産と地位ばかりで、私に声を掛けることで飛鳥様の関心を得ようと必死だったのだ。そもそもその様な争い事に参戦する程高位でもない高倉家の人間として、そこは驚きの世界であった。権利欲の渦巻く鵲鳴館で、私は飛鳥様の道具でしか無いのではないかと勘ぐりたくなった。得意気に私を紹介なさる彼女の様子は、嘗て私にお気に入りのフランス人形を自慢されるそれと重なった。愛が欲しい訳ではない。ただ私は憤りを感じていた。彼女の世界と私のそれは、あまりにも遠いのだ。
 十七になり、いよいよ結婚が秒読み状態に入っていることは私にも理解出来た。私の両親は当然私の結婚に希望を持っていたが、公爵殿も既に諦められて、ただただ娘の幸せを願っておられた。よってとうとう、自分の結婚を邪魔するものが無くなってしまったのである。私は密かに公爵殿に期待をかけていたのだが、それも終には破られたのだ。
 世間でも、公爵令嬢と若き海軍の英雄との結婚は話題の種であった。日を追う毎に私の溜息は数を増し、重苦しくなっていった。飛鳥様のお人柄はどうしても好きになれなかった。二面性のある性格も信用できなかった。私へ向けられる愛情も笑顔も全て偽りであるように思えた。全身を纏う豪奢な装飾品も、至極滑稽であった。
 だが、その時の私に自らの運命から逃れる術はなかった。それどころか、逃れようなどとは微塵も思っていなかったのだ。私の全ては他者の思惑によって動かされており、幼い頃よりそれは当然のことであった。されば成長したところで、自らのその生き方を疑問にも思っていなかったのである。今思えば、当時の私は至極悲しい生き物であった。私という存在は両親の操り人形でしかなく、婚約者にとってはフランス人形と変わりないのかもしれなかった。人格というものは大した意味を為さず、人生というものも私の所有物ではなかった。
 だが、そんな私にある時変化が訪れた。旧約聖書のモーセが紅海を割った様に、私の運命を割って見せた。それの為に、私は人に操られぬ幸福の生き方を知ったのだった。それは当時の私にとってあまりにも非現実的で不可思議な出来事に思えたが、ヘブライ人である私はただその恩恵を預かり、絶大な愛情を感じたのだ。そして遂に、自らの人格と運命を取り戻したのである。葵との出会いは、冬の始まりのある日のことであった。



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