再会

 私は口をゆすぐと、再び客間に戻って刑事と相対した。
「奥様、具合は大丈夫ですか」
 若かった刑事が私を気遣うように、顔を覗き込む。大丈夫なはずがない。あの日記は墨花のものだ。刑事が開いたページには、娘が怜二を殺したその瞬間の描写がはっきりと描かれていた。最愛の娘が、大好きだった兄を憎んで、残酷なやり方で殺害する。それをあまりにも克明に見せつけられたのだ。大丈夫なはずがない。
「まだ少し気分が悪いです」
 口元を押さえながら言うと、刑事は申し訳なさそうに謝ってきた。
「すみませんでした、もう少しきつくない内容のページをお見せすべきでした」
「いえ、悪いのは、こんなものを書いた娘ですし」
 数年前、私の娘である有坂墨花は兄である有坂怜二と、その学友である野宮伊代さんを殺害した後、自らも命を絶ってしまった。墨花は内向的な子供で、兄と伊代さん以外の人物に心を開くことはなかったそうだ。その為、なぜ彼女が犯行に及んだのか誰にもわからないはずだった。
「どうして、今まで教えてくださらなかったのですか」
 私が問うと、刑事は更に申し訳なさそうに俯いた。
「詳細な捜査が完了するまで、外に漏らしたくなかったのです。それに、かなりプライベートな内容ですし、マスコミに知られてしまうのも……」
 本当は、私は少し嬉しかった。愛する子供たちを訳も分からず失って、理由を求めて数年間、死んだように生き続けてきたのだから。私は、そっと日記の表紙を撫でた。娘の日記だ。あの子は、こんなふうに化け物みたいに分厚い本が大好きだったっけ。久しぶりに娘の髪を撫でたような気分になって、懐かしさで泣けてきた。
「ありがとうございます、返していただいて」
 震える声で囁くと、刑事は頷いた。
「こちらこそ、長らくお貸し頂いてありがとうございました。どうぞこの先は、お一人でお読みください。私は、これで失礼いたします」
 ひとつ頭を下げると、刑事は去っていった。玄関まで見送ってから、私は自分の心がどこか浮かれているのに気づいた。数年ぶりに、娘と再開できたような、そんな気分だ。客間に戻って再び日記を手に取ると、少し迷ってから、墨花の部屋でこれを読むことにした。ずっしりと重い本を小脇に抱えながら、ゆっくりと階段を登ってゆく。階上には墨花の部屋と、隣り合う怜二の部屋しかない。数年間人が立ち入らなかった空間だ。
 墨花の部屋の扉の前に立つ。「すみか」というネームプレートは、あの子が小学生の時に授業で自作したものだった。しばらく目にしていなかったそれを見ただけで、なんだか懐かしくなる。ドアノブにも埃が積もって、しばらく人の出入りがなかったことを示している。あの日ふたりがいなくなってから、私は彼らを避け続けてきたのだと思う。彼らの気持ちが知りたかった、何があったのか正確に知りたかった、そんなことを思いながら、ふたりの部屋に入ることすら拒否していたのだから。怖かったのかもしれない。私の知らない娘たちを知るのが。だが、刑事が持ってきたこの日記がきっかけになった。今こそ、あの子のことを知るべき時なのだ。
 ゆっくりと扉を開けて中に入ると、むわりと漂ってきたのはカビと埃の匂いだった。部屋のすみずみまで埃で汚れている。だがそれ以外は全て、あの日のままだった。
「墨花」
 あの頃と同じように娘に呼びかける。今からあの子と話をするのだ。何があったか、あの日まであなたが何を考えて生きてきたのか、教えてちょうだい。
「久しぶりね」
 私はベッドの上の埃を少し払うと、その上に腰を下ろし、重い日記の最初の一ページを開いた。



- 3 -

| →




人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -