一体何を間違えてしまったのだろう。あの日から私は、何度も何度も自分にそう問いかけてきた。遠い遠い過去まで記憶を探って、全ての始まりを思い出して。私がうまく立ち回っていれば、あの悲劇は起こらなかったのだろうか。私があの子達をちゃんと見ていてあげていれば、もっと早くに異変に気づくことができていたのだろうか。知らなかった娘の顔。知らなかった娘の闇。私は何も知らなかった。知ろうともしていなかったのかも知れない。
 カーテンの隙間から外を覗くと、飽きもせず家の周囲に集まっている野次馬とマスコミが見えた。ざわざわと喧騒が聞こえる。カーテンの端が揺れたことに気づいた何人かが、フラッシュを炊く。窓越しに眺めても、部外者のはずの彼らの怒りが見て取れる。私は最早何を感じる事もなく、窓辺から離れることもしないで彼らを見ていた。怒りも、悲しみも、すべてあの日に棄ててきてしまったのかもしれない。庭にはこれでもかというほどの生ゴミと、小動物の生々しい遺骸。娘のしたことになぞらえて、皮肉を込めて嫌がらせをしたつもりなのだろうか。その娘も、もういないのに。
 夫はあれ以来部屋に閉じこもって出勤することさえなくなった。外がこの調子なら仕方もないだろう。職場でもきっと質問攻めだ。彼には衝撃だっただろう、手塩にかけて育ててきたはずの子供を一度に失ったのだから。それは私とて同じだが。何が起きたのか正直良くわからない。それが当面の感想だ。あの地獄のような日からしばらく経っても。事実を理解しても、頭で受け入れることができないとはこのことだ。ただ、有坂花澄という人間が事態を飲み込んだだけ。私という母親は、何も分かっていない。考えることが、受け止めることが、感じることが、あまりにも多すぎて。
 家族の中だけで済む話ならまだ良かった。子供たちを一度に失った悲劇の母親面が出来たかもしれない。私は一生懸命育ててきたつもりでしたのに。どうしてこの歳になってこんな孤独に突き落とされねばならないのかしら。云々。然し、残念なことにことは身内で収まらなかった。息子の友達――――もしくは恋人――――の少女を巻き添えにしてしまったのだから。私は、被害者の母親であると同時に加害者の母親として、あらゆる方面に頭を下げねばならなかった。まだ悲しみも怒りも心に抱くことが出来無い内から。夫は付き添ってくれなかった。空っぽの心で、空白の表情で、謝罪をする。誰も助けてはくれないし、守ってもくれない。
 悲しむことも出来てはいなけれど、怒りを覚えることもできていないけれど、何が起きているのか、まださっぱりわからないけれど。母親として、一人の人間として、我が家で何が起きたのか知りたい気持ちはあった。この数週間の新聞を漁れば、大抵一面に我が家の出来事が掲載されていた。黒い活字に目を凝らす。でも分かるのは、その日何が起きたのか、詳細な時間と共に起こされた文字列だけ。彼らがどんな状態だったのか。その日どんな行動をとったのか。娘がこれまでの人生でしてきたこと。学校での彼らの関係。そんなことは警察から嫌というほど聞かされてきたし、知っても何にもならなかった。あの子達が何を思って生きてきたのか。私たちの教育が、愛が、なぜ届かなかったのか。どこで間違えてしまったのか。何をきっかけに娘が壊れたのか。知りたいのはそういうことだった。新聞も、テレビも、それを伝えてはくれなかった。
 あの日から私は、生きる気力が沸かなかった。それでも毎朝日の出とともに目覚めて、篭もりっぱなしの夫と私の二人分の朝食を作って……と人間らしい生活をしてしまうのは、何故なのだろうか。子供たちを失った今、生きていたくないと思う反面、変わらない日常生活を送ってしまう。心のどこかでは、死ぬのを恐れているのかもしれない。
 そんな風に惰性のまま数年を生きた。私たちの周りは何も変わらなかった。庭先から腐臭が消え、喧騒が消え、フラッシュが消えただけ。ワイドショーは我が家を忘れ、紙面はまた別の事件を追い始めた。でも、私達家族――――今や二人きりだけれど――――は、あの日から何も変わらない。出席するはずだった卒業式、入学式。見るはずだった振袖姿、袴姿、スーツ姿……花嫁姿。それらは全て、叶わない夢と化して、消えた。
 かつて世話になった警察官がある物を携えて訪問してきた。若手だった刑事も、数年の時を経て大分皺を蓄えたように見える。きっと彼から見た私も、そうなのだろう。あの事件の担当刑事――――津山といった――――の顔を見ると、辛かった日の景色や感情がありありと思い出されてしまう。けれど、だからといって無碍にあしらうこともできなかった。
「これを、お返しに参りました」
 ダイニングに腰掛けた彼は、湯気を立てるマグカップの隣にそれを置いた。A5サイズの、黒い革表紙の本だ。厚さは約5cm。誰がこんな分厚い本を読むのだろう。
 知らぬ間に、捜査の為に押収されていたそれはあの子の持ち物なのだという。家にこもって読書ばかりしていた子だったから、まぁこんな分厚い本を持っていても不思議ではない。調書は書き終わったから、遺族に返却されるのだと刑事は言った。こんな本が捜査に何の役に立ったというのだろう。あの子の心に悪い影響を与えた悪書とでも言うのだろうか。
「ご存知ありませんでしたか」
 意外そうに刑事が呟いた。静かに頷く。彼は、おもむろに表紙に手を伸ばすと、その本の適当なページを開いて見せた。



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