昔々の言い伝え。
誰が言い始めたのか、誰が伝え広めたのかも解らない。
古い古い言い伝え。






◆◇◆◇







見上げた空は憎らしいほどの晴天。
別段、風情を求めて天候に肩を落とすようなロマンチズムは、男には存在しない。
しかし、微かなりとも期待を抱いていたとて罰は当たらないだろう。
微かな舌打ちを零した男の頭上では、雲に頭を覆われた月が堂々と鎮座する。
今宵はクリスマス・イヴ。
見も知らない聖人の復活を祝し、誰も彼もが浮かれはしゃぐ年に一度の聖夜。


「──俺の隣で舌打ちなんて、いい度胸してるじゃん」


不意に傍らからかかる邪気溢れる無邪気な声に、男の視線が天を離れ転がり落ちる。
見下ろした先にある容貌は幼げな少女のソレ。
細められた琥珀の人はジトリと音を付けるに遜色ない。


「なに?雪が降らなくて拗ねてんの?」

「……貴様の目は節穴か」

「アンタって意外にロマンチストだったんだ」


フゥとわざとらしく肩を竦めて見せた少女へ、ジロリと一睨み。
この少女がこちらの話を完全に右から左へ聞く耳持たない事は、重々承知。
躍起になって否定する事がただの労力の無駄遣いであるのだと、この男は過去の経験から嫌というほど学ばされているのだ。
吐き出した溜息が白く色付き、冷たい空気に溶ける。
天気予報やニュースで暖冬だ温暖化だといくら騒いだところで、日々を過ごすうえでは今年の冬も十分に寒い。
雪が降らなかったとて、コートがなければ凍える寒さであることになんの変わりもない。
それぞれのポケットに突っ込まれたお互いの手は、冷気に触れる事を拒んだまま。


「クリスマスだね」

「……そうだな」


少女の吐いた吐息が、視界をよぎる。
軽快なメロディが何処からともなく流れ込んだ。


「……なんで俺達こんなとこいんの?」

「………………さぁな」


吹き抜ける冷気の中、少女がブルリと肩を震わせた。
遮蔽物のない吹き抜けの空間に座り込むには、この季節は些か厳しすぎる。
取り残された遊具たちは一様に色褪せ、その年期を饒舌に語らい寒々しさを助長した。
古ぼけた遊具たちが夕闇の中に佇み、身を切り裂く風の冷酷さに虫すらも息を詰めている。
冬のただ中に沈む夜の公園とはかくも寂寥としたものなのかと、ベンチに座したリョーマが白い吐息を空へ投げた。


「……寒いんだけど」

「冬だからな」

「……用がないなら俺帰るよ?」


不機嫌を雄弁に語る瞳が手塚を睨める。
白いダッフルコートに包まれた華奢な肢体が、キィとベンチを鳴かせた。
夜の公園に二人、ただ何をするでもなく並んで座り、早十分。
芯まで染み込んだ冷気に背筋がフルフルと痙攣を起こしているよう。
なぜ二人がこんな場所に座り込んでいるのか?
答えを知るのは手塚のみ。
リョーマはただ、手塚に呼び出されただけなのだから。
けれど手塚が口火を切ることはついになく、痺れを切らしたリョーマの心は瞬時に暖かな自室へと傾いた。
呼び出された理由も、話もなにもないのなら大した用ではないのだと結論づけて。
しかし、リョーマの足が進めた帰路は僅か一歩だけだった。


「……なに」


自宅へと向かった体は、囚われた腕一本によって目的の遂行を阻まれる。
荒々しく問い掛けるリョーマの視線は、自らの腕を捕えた無作法者へ。


「用ないんでしょ。あんなら電話にしてよ。寒い。俺帰る」


男の手を振り払うように二、三度リョーマの腕が揺れたが、その度に指先を掠める冷気にジリとした痛みが走りすぐに脱力。
矢継ぎ早に男へまくし立てれば、腕を掴む手が強まった。
常より揺らぐ事の極少ない手塚の表情は、その心情をなかなか語ってはくれない。
寒さに苛立つ視線を突き刺してくれるリョーマにすら、その表情筋は揺らがない。
けれど。


「──明日、だったな」

「は?」


ポツリと漏らされたのは、言葉というよりは単語と言うに相応しい。
脈絡なく唐突に齎された単語は咄嗟に意味を掴みかねるもので、リョーマの瞳が零れんばかりに丸くなった。
困惑に開かれた琥珀が、まじまじと手塚を見つめる。
瞬間、少女が息を呑んだ。


「……知ってたんだ……」

「当たり前だ」


短いやりとり。
リョーマの唇からは先の苛立ちが失せ、代わりに立つ色濃い苦笑。
手塚は、ただジッとリョーマを見詰める。
──明日には異国に旅立つ、恋人を。


「誰から?」

「さぁな」

「……乾先輩か不二先輩……もしくは仁王さんとか真田さんあたりか……。みんなどっから調べあげてんだか」


つらつらと上る知己たちの名前。
少女がフと視線を持ち上げれば、薄い雲に揉まれて消える月が見えた。
リョーマは、明日アメリカへ帰る。
次に日本にくる予定は、皆無。
言葉通り、“帰る”のだ。
プロになることができれば、世界を飛び回る事になる。
その際に日本に立ち寄ることはあれど、生活の拠点にする事はもうないだろう。
そう理解していたからこそ、リョーマは帰国のことを誰ひとりとして伝えず出立を明日に控えた。
湿っぽい別れも好まなければ、騒がれるのも好きではない。
ならば黙ったまま帰国するが最善だと。
恋人の手塚にすら、告げずに。
国を跨いだ遠距離恋愛など、自然消滅が常。
殊、身勝手な手塚のこと。
リョーマを忘れて他の女へ向かうことなど、想像するだに及ばない未来。
ならば告げようが黙秘しようが同じだと、少女はそう結論づけた。
未練がましく待っていろなど言うつもりもなく、別れようと告げる気もない。
ならばこのまま自然消滅することが一番だと。
しかしリョーマの思考は、手塚によって覆される。
常の彼から、想像もつかぬ所作によって。


「──……え……」


唐突に引かれた腕。
咄嗟の反応が追い付かず、リョーマが倒れ込んだ先。
冷たい空気が、一瞬にして消え失せた。
そして、唇に触れた感触。


「……行ってこい」

「ッ……」


囁かれた言葉は、送る言葉。
別れではなく、送り出すための。
帰ってこいと、篭められた言葉。
声なく驚愕を漏らしたリョーマへ、手塚の指が滑る。
投げ出された左の指先に。


「貴様は、俺の女だろう」

「……なに……かってに……」


囁かれる言葉が、腕が、鼓動が、あまりに温かいから。
冷え切った四肢がジンと痺れ、少女の涙腺を緩ませる。
じわりと滲み始めた視界に慌てて歯を食いしばるけれど、ポロリと一粒瞳を零れた。


「貴様は、俺なしでは耐えられんだろうからな」

「……人を根性なし呼ばわりすんな。少なくともアンタよりは我慢強いから」


零れた一粒を見てみぬフリ。
吐く悪態は、いつも男の余裕げな嘲笑に消えてしまう。
けれど、手塚は知っている。
手塚の言葉が、真実であると。
別れを惜しんで少女は幾度も嗚咽を零した。
別れを拒絶できない子供には、ただ泣くしか出来なかった。
だからこそ、手塚の言葉はリョーマの胸を揺さぶった。
行ってこいと、自分の元へ帰ってこいと。


「……アンタなんか……大嫌い」


零れた雫は冷気に晒されてなお温かく。
少女の唇が、男のソレへと触れた。
葉を無くした桜に芽吹く別なる蕾。
宿り木の芽吹く下、聞こえた祝福は二人だけの秘密。






◆◇◆◇







昔々の言い伝え。
誰が言い始めたのか、誰が伝え広めたのかも解らない。
古い古い言い伝え。
きっと君は知らないのだろうけれど。
伝承の成就は、きっと────


“宿り木の下でキスをした二人は、永遠に幸福に──”




-END-


1/2
prev novel top next
template by crocus
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -