優しい香りと温かい温もり。
それは、とてもよく似ている。






◆◇◆◇







コトコトコト。
静かな音。
フワフワフワ。
優しい香り。
火にかけたポタージュが出来上がるまで、後五分程。
ミキサーで牛乳と混ぜれば出来上がり。
オリーブオイルで香りづけしたトマトサラダは、自家製ドレッシングでお色直し。
そして本日のメインディッシュ。
バジルを挟んだグリルチキンは、オーブンでこんがり日焼け中。
今日は年に一度の記念日。
だからいつもより気合いを入れて。
カチャカチャと背に聞こえる陶器の音。
ポタージュの具合を確認しながら音を振り向けば、本日の主役が皿を丁寧に陳列中。
お玉を握る少女の手に、ピシリと青筋。


「ちょっと侑士!大人しく座っててっつったじゃん!」


ビシリと突き付けたお玉の先。
端正な面立ちの男が、皿を片手に苦笑した。


「しゃあないやん。なんやジッとしとるん性に合わへんねん。姫さんだけにやらしたるんもなんや悪いし」


困ったように笑う男──忍足と、お玉を突き付ける少女──リョーマ。
微笑ましくも奇異な光景が広がるここは、都心のマンションの一室。
忍足侑士の自宅とされている一室だ。
本日、10月15日。
この部屋の持ち主たる忍足の誕生日。
そして、リョーマの恋人たる男の誕生日でもある。
普段からして、誰かに献身的に尽くすなど一切念頭にないリョーマの事。
日常であればキッチンに立つのはいつも忍足の方だ。
リョーマも忍足も、双方ともに料理の腕前は中々。
けれどテニス以外に関してさしたる意欲を発揮しないリョーマは、滅多な事では腕を奮う事がない。
よって、自然キッチンに立つ頻度は圧倒的に忍足へ軍配が上がる。
それ故、夕食にリョーマが腕を奮ってくれるということは、忍足にとってまたとない幸運だった。
しかしそれとともに日頃の癖か習慣か、夕食時にゆっくり座って出来上がりを待つという事が、忍足には慣れないのだろう。
とにかく、落ち着かない。
それこそ初めにリョーマがキッチンに立った頃、何か手伝えないかとソワソワ歩いていた程。
しかしそれでは何の意味もない。
祝われるべき人が自ら食事を準備するなど、本末転倒だ。


「いいから黙って座ってて!ほら行った行った!」


シッシッとお玉で追い払う仕種を。
オーブンからチンッと甲高い抗議が追い撃ちをかけた。
苦笑を引き連れてキッチンから撤退していく恋人の背。
大きなそれを見送りながら、リョーマの肩から大きな吐息。


「ったく」


コトコトコト。
静かな音を止める。
フンワリフワフワ。
優しい香り。
一緒に作りたくないわけじゃ、ない。
ただ普段甘やかされている分、今日は目一杯甘やかして上げたいだけ。
甘やかされるのは、嫌いじゃない。
子供扱いされるのは大嫌いだけれど、何故か──忍足に甘やかされるのは嫌いじゃない。
むしろ好きなのだけれど。


「たまには……ね」


そうたまには。
こんな特別な日にぐらい彼を甘やかしてあげないと、罰が当たる。
開いたオーブンから、芳しいバジルの香り。
柔らかなその香りの中、いつも忍足が使うキッチンミットを手にチキンをオーブンから救出開始。
こんがりと日焼けしたチキンを皿に盛り付け、手製のソースで薄化粧。
後はポタージュの仕上げだけ。
小さな小さな幸福を詰め込んだ誕生日パーティの、始まり始まり。













「ホンマ、姫さん料理上手やねんなぁ」


並べられた料理を前に、伊達眼鏡の奥が丸く見開かれる。
リョーマに促されるまま席に着いた忍足は頻りに感嘆を口にしては甘やかなその美貌を綻ばせた。


「……そんな褒めても……もう何も出さないからね」


悪態とともにフイと明後日を見遣る少女の顔。
逸らした耳が色付いているのは、隠しようもなかったけれど。


「あ……あぁそうそうchampagne!」


そうしてごまかすように慌ただしく冷蔵庫に走り寄る。
その様が可愛くて堪らないと、忍足の喉が穏やかな笑みに震えた。
冷蔵庫から持ち出されたのは、シャンパン。
勿論、ノンアルコール。


「……ノンかいな……」

「当たり前っしょ。未成年」


殆ど炭酸ジュースと変わらないだろうに、なんて。
残念そうな忍足にリョーマがベッと舌を出して見せた。
二人分のグラスにシャンパンを傾ける。
ノンアルコールといえど、色合いは鮮やかなゴールド。
そして微かな金粉が見て取れる。
中々に凝っているものだ。


「んじゃ初めよっか」


グラスを片手に。
目の前の忍足へ腕を伸ばす。


「誕生日、オメデト。侑士」

「おおきに。リョーマ」


カツンと頭を触れ合わせ、グラスはそのままそれぞれの唇へ。
炭酸と仄かな甘みが芳しい。
ゆっくりとグラスをテーブルに戻せば、既にグラスから離れた忍足がニコニコと秀麗な容貌を綻ばせている。
誰が見ても、上機嫌と解る。


「なんや、意外やな」

「なにが」


両手を組み、その上に顎を預けながら、忍足は終始嬉しげに目を細める。
言葉の意図を汲み取れず、問い返すリョーマがナイフに手を伸ばした。


「ん?せやって姫さん、イベントっちゅうんにあんま興味あらへんかと思うとったから」


ピクリと、リョーマの手が止まった。
そうして数秒、僅かな硬直に陥っていた少女が決まり悪げに視線を床に。
手持ち無沙汰に彷徨う手が、ナイフをチキンに定めた。


「……アンタのじゃなきゃ……興味ないよ」

「ん?なん?」


小さすぎる呟きは忍足の鼓膜には届かず。
瞬いた忍足の疑念の声は、リョーマの顔を更に俯かせるに十分過ぎた。


「……だって……アンタから告られて、アンタを独占して、アンタに甘やかされて。……こんだけの幸運一気に使ってんだし……俺このまんまじゃ……罰当たるじゃん」


だから少しでもそれに見合うだけの事を。
顔から発火でもするのではないかと危惧するほどに、小さな顔は熱く火照っている。
手持ち無沙汰にチキンに当てたナイフがギィコギィコと肉を切り、芳しいバジルの香りを高く広げた。
もはやリョーマの顔は持ち上げる事も出来ないほどに熱く。
目の前で気配が揺れたことにも、気付ける筈もなく。
フワリフワリと立ち上る優しい香りの中、唐突に回された腕に体が捕われてしまえば抵抗など出来はしない。
──初めから抵抗する気など、少女には微塵もないのだけれど。
抱きしめる男の胸に顔を埋めてしまえば、胸いっぱいに広がる柔らかなコロンの香り。
幸せの香り。


「アカン……なんで自分……そないに可愛ぇねん」


体すべてが忍足に沈み込むほどに抱き込まれて、息苦しさと愛おしさにリョーマの瞳が細められる。
頬の熱さは、もはや忍足には見えない。
だからリョーマは笑った。
クスリと、悪戯な笑みを。


「今更気付いた?まだまだだね」


ドクドクと皮膚を押し上げる鼓動は、少女か男か両者か。
緩やかに、けれど性急に降り落ちた唇を受け入れてリョーマの身はダイニングへ。
横たえられたソファは程よい柔らかさ。
見上げた先には、愛欲を宿したグレーの瞳。


「ご飯より、俺にする?」


挑発的に笑って。
スルリと広い背に回った細い腕は、好意と愛しさの証。
微かに香るバジルやオリーブの香り。
優しい香りに瞳を細めて、少女の頬が忍足に擦り寄る。
優しい香りと、幸せの香りを胸の中へと招き入れるために。






◆◇◆◇







優しい香りと温かい温もり。
それはとてもよく似ている。
包まれただけで酩酊してしまう。
貴方に出会えた幸運に、感謝を。
貴方に愛された幸福に、歓喜を。
愛おしさを告げる声と指先で、慣れない贈り物。
年に一度、特別な日にだけ贈る、特別言葉。






『──大好き』




-END-


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