愛しいと思う事。
それは幸福への道標。






◆◇◆◇







日の入りが随分と早くなった昨今。
寒暖の差異も激しく、季節の変わり目を如実に語る。


「もう秋っスね」


沈みかけた太陽を眼前に見据えながら、歩く帰路。
その手塚の傍らを進むのは、少年臭さの滲む少女の呟き。
横目に少女を確認するまま、手塚の脚は自宅へと向けたまま淀みなく。
気紛れな秋の風が少女のスカートを微かに揺らし、艶やかな黒髪を撫でた。


「そういえばアンタ、明日誕生日だっけ」


フと、リョーマの瞳が手塚を仰ぐ。
淀まぬ足音が、一度止まった。
カラリと温い風が、互いの頬を撫でる。


「とりあえず、ご愁傷様」


悪戯な笑みを乗せる唇が告げる、憐憫の言葉。
その不似合いな事。
そしてなんとも嫌味な事。
リョーマの言葉を正確に汲み取り、手塚の眉が皺を作った。


「跡部さんにトラックでも調達してもらえば?聞いた話じゃ、紙袋三個じゃ足りなかったんでしょ?」


誕生日は恋する乙女の一大イベント。
学園で一、二を争う人気を博す手塚の誕生日は、毎年戦場だ。
ちなみに二番は不二。
テニス部では手塚vs不二でプレゼントの獲得数で月跨ぎの賭けが行われているとか、いないとか。
リョーマが乾から仕入れた昨年の情報では、手塚の圧勝だったらしい。
理由は、不二自身が手渡し以外は受け取らないと公言したから、だ。
持ち帰るのが面倒だとの理由らしい。
故に不二に対するプレゼント数は手塚に僅かに劣り、哀れにも手塚の勝利と相成ったわけだ。


「今年もアンタの圧勝かな。受け取るも受け取らないも言わなかったし」


言わなかったのではなく言えなかったの間違いだ。
手塚の鳶色の瞳が物言いたげにリョーマを睨めるが、少女は何処吹く風。
昨今の手塚はといえば、文化祭や生徒総会、更にはジュニア選抜の呼び声と。
とにかく多忙を極めた。
故に誕生日などという行事自体、手塚の頭にはなかった。
それぐらいの事、恋人であるリョーマが解らないはずがない。
だというのにこの言いよう。
根性の曲がり方は不二といい勝負だと、手塚の口が小さな舌打ちを漏らした。


「……それで」


そうして漸く、手塚の唇が音を発する。


「そんな下らん事を言うためにわざわざアメリカから来たのか。お前は」


強めの風が、木々を揺らした。
リョーマの唇には笑み。
履き慣れていないだろう白地にレースがあしらわれたプリーツスカートが、フワリと風に揺れた。


「まさか。俺そんなに暇じゃないよ」


風に揺れた髪を左の耳に引っ掻け、リョーマが笑う。


「親父に呼ばれたから来ただけ。引っ越しの手伝いしろってさ。明日の朝の便で向こう戻んなきゃいけないんだけどさ」


苦笑未満の微笑を見せ、リョーマの脚がゆっくりと進む。
そしてその脚は静かに手塚をすり抜け、その先へ。
リョーマが立ち止まったのは、小さな交差点。


「じゃ、俺行くから」


それが二人の家路を隔てる分かれ道。
クルリと振り向いたリョーマが朗らかに笑う。
そうして一歩、脚を手塚へ。
ジッとリョーマへと向けられる視線は、真意を探るためか無意味な視線か。
クスリと一度笑んだ少女の手が、今一度己の黒髪を撫でた。


「……ほんっと……ムカつくぐらい変わんないね」


ポツリと零れた音が、空気に乗るよりも速く。
手塚の襟が奪われた。
そして、目を剥くより声を上げるより早く。
今度は手塚の唇が奪われた。
皮膚と皮膚が触れただけの、キスとも呼べないお粗末な触れ合い。
フワリと聞こえた甘い薫りは、リョーマから。
触れただけで離れた唇に名残を残さず、少女の踵が反転。
向けられた背が、リョーマの自宅を示した。


「じゃあね。明日、圧死しないように気を付けて」

「……吠えてろ」


悪態に悪態を返され、リョーマから新たな笑い。
そうして、黒髪が微かな軌跡を残して──走り出した。
残された手塚の元に、三度吹き抜ける秋風。
それは微かに甘い薫りを乗せて。













翌朝。
憂鬱に重くなった頭を持ち上げながら制服を纏った手塚が自室を出れば、朝の鈍い活気が階下に聞こえた。


「あら。おはよう国光」

「おはようございます」

「今朝食の準備をするわね。顔を洗っていらっしゃい」

「はい」


家族の前や公の場では優等生を貫いているため、恒例の堅苦しい朝の挨拶にも違和感を感じなくなってきた昨今。
眼鏡を傍らに置いて冷水で顔を濯ぐ。
季節柄か、少し水が冷たくなった気がした。
顔を拭いてリビングに戻れば、香ばしい味噌と魚の匂い。
並べられた理想的な朝の和食風景。
ふと、この食卓を大層羨ましがっていた少女が脳裏に浮かんだ。


「今日は国光のお誕生日ね。国光に予定がないのなら家族でお祝いしたいのだけれど……」

「今日は生徒会がありますので少々遅くはなりますが、それ以外は特に何もありませんので」

「そう?ならお母さん腕にヨリをかけるわね」

「ありがとうございます」


いつまでも子供のように無邪気な母は穏やかな容貌をフワリと綻ばせて喜ぶ。
誕生日と言われても手塚本人にさしたる興味もなく──むしろ鬱陶しい贈り物に圧殺される忌まわしい日だ。
黙々と朝食を咀嚼しながら形ばかりの礼を口にすれば、母はニッコリと花やいだ微笑みをくれた。
そうして、不意に鼻孔を擽る甘い薫りに気付く。
フワリと柔らかな、それでいて濃く甘い薫り。
何処かで聞いた覚えのあるソレ。


「……この香りは……」

「あら。そうそう国光」


手塚の呟きを聞いてか聞かずか、パンと手を叩いた母がいそいそとリビングと玄関を結ぶ廊下へ消えた。
そうして僅か数秒で戻ってきた彼女の手には、一通のエアメール。


「これが国光宛に来てたの。……でも、差出人のお名前がないのよね」


書かなくても送れたのかしら?
不思議そうな母からエアメールを受け取れば、甘い薫りが一層強く広がった。
薫りの主は、コレらしい。
ゆっくりと開封すれば、その度に穏やかに薫る。
開かれたその中には──小さな枝に咲いた数粒の金木犀。
そして。


「……暇人が」


堪え切れず上がった口端。
エアメールの中身を静かに戻し、金木犀を母へ。
秋を示す甘やかな薫りに頬を綻ばせた母はそのまま和室へ。
残り香に包まれた部屋で一人、手塚は同じ薫りを思い出す。
触れ合った唇、その華奢な体から聞こえた、甘い秋の薫り。
時計を仰げば、登校時間間近。
ゆっくりと立ち上がり、エアメールを鞄へと放り入れた。






封筒の中には一枚の紙。
質素な紙に印字された無機質な文字の中。
少女らしい些か乱雑な円が“参加”を縁取る。
『全国U-17Jr.選抜合宿 推薦状』の文字が踊る、その下で。






◆◇◆◇







愛しいと想う事。
それは幸福への道標。
誘うのは、季節を告げる甘く優しい薫り。
会える約束が、何よりの贈り物。




-END-


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