ささやかな幸福。
ささやかな幸運。
それはささやかな非日常の中に。






◆◇◆◇







「凄いですね」


ワヤワヤと行き交う人波。
都心に鎮座する神社の膝元。
石畳が敷き詰められ、普段は閑散とした静謐さを有すその参道。
夏特有の暑さの中であっても寒々しい空間を見せる某かの神を奉る道筋は──今やただの娯楽の場へと変貌を遂げている。


「どっから沸いて来てんねやろなぁ」


右手を瞼に翳した忍足がわざとらしい仕種で周囲を見渡した。
何処からか陽気な音が聞こえ、参道の両脇には淡いオレンジを発する提灯。
提灯の下には煌々と電球を光らせた屋台が所狭しと軒を連ねている。
ガヤガヤと絶えず聞こえる人いきれの音は、そのいずれもが楽しげで陽気な響きを隠さない。
活気溢れる呼び込みの声とはしゃぎ回る子供の声。
カラコロと聞こえる涼しげな靴音。
今日はお祭り。
夜にも明かりを燈して騒げや歌えの無礼講。


「姫。逸れないように気を付けるんだよ」

「手、握ってあげようか?」


人波の始まり──鳥居の下に佇むキングダムの中心には、やはり彼等の宝と言えるリョーマ。
にこやかに注意と僅かな下心を見せる幸村と不二が、少女に華やかな微笑み。
優しげなそれは善意の塊かと見紛うけれど、その九割は良からぬ思考であろうことは想像に難くない。
けれど世は無常にして無情なもの。


「大丈夫です。手塚さんと一緒にいますから。幸村さんも不二さんも楽しんでらしてください」


“ふんわり”という擬音の似合いそうな、華も綻ぶ愛らしい微笑みが手向けられ、幸村と不二の時が凍り付く。
リョーマは自分になど構わず気兼ねなくお祭りを楽しんでください、と。
しかも手塚がいるから大丈夫だと。
下心満載な親切が、百%純粋な善意に打ち砕かれた瞬間だった。


「邪は正に勝たず、とはこの事だな」

「うむ」


ウフフ……クスクス……。
雑踏に塗れて聞こえる怪しげな二つの微笑み。
背中にそれを聞く柳と真田は淡々と傍観を貫く。
今の二人に巻き込まれればただでは済まないと知っているからこそ、関わりを持たない。
賢明な判断と言えよう。


「しっかしよくオマンが来る気になったな」

「こういった場は苦手とされていたのでは?」


その柳の右隣には仁王と柳生の双子が並び立ち、その視線は忍足の隣に佇む青年へ。
うんざりと眉を寄せるその顔は、世辞にも祭を楽しんでいるようには見受けられない。


「リョーマがいなきゃ来るわけねぇだろ。……貸し切りにでもしてやろうか」

「そら祭ちゃうわ」


忌ま忌ましげに人混みを睨む跡部の呟きに、後ろから白石のチョップ。
関西人ならではのキレを発揮する白石のツッコミは、跡部を唸らせるに十分な威力。
後頭部を抑えて苦悶を浮かべる跡部に、仁王と柳生に加え、白石までもがヤレヤレと肩を竦めた。


「皆さん楽しそうですね」

「…………………」


はんなりと微笑むリョーマが、彼等の一連の様子に楽しげに目許を綻ばせる。
隣に佇む手塚は、腕を組んだままに切れ長の瞳を静かに細めた。
多くを語らぬ口とは裏腹に、その怜悧な視線は雄弁に語る。
曰く、何処をどう見てそんな感想が生まれるのかバカ女の思考は甚だ理解出来ない、と。
常人とは些か──軽く200°は違っていそうなリョーマの見解に、これまた一般人とは言えない手塚ですら疑念を抱くのだ。
天然なのか故意なのか馬鹿なのか。


「…………馬鹿か」


天然でありかなりズレた見解を持ち合わせた彼女を横目で見下ろし、手塚が弾き出した答えは三番。
手塚の呟きにキョトンと大きな瞳を丸めた少女。
ピーヒョロロと気の抜けた笛の音が高らかに聞こえて、手塚の足はさっさと祭の中へ。
慌てて後を追った少女が艶やかな京友禅の袖を揺らし、その逞しい腕に縋った。













祭の空気が、奇妙に変容した。
道行く少女や女性が挙って同じ場所を見詰め、また振り返っては頬を朱に染める。
彼女達の視線の先には──滅多に目に出来ぬイケメン御一行。
それぞれにタイプの異なる美男子たちが揃い、少女たちは口々に誰がタイプかを赤い頬のまま囁き合うのだ。
中でも硬質な美貌を湛えた手塚や眉目麗しい跡部などは微かな悲鳴すら聞こえるほど。
けれど同時に、手塚の腕に白く細い腕を絡めて寄り添い歩く少女を見付けては涙混じりの落胆が響くのだ。
長くたわわな睫毛に縁取られた大きく愛らしい目。
艶やかな黒髪。
白く肌理細やかな肌。
チェリーピンクの愛らしい唇。
最高のパーツを絶妙に配置したお人形のような麗しさ。
そして目を奪われるように鮮やかな紺の浴衣には牡丹が咲き乱れ、艶やかに少女を飾る。
もはや粗を探すにも見惚れるばかりな絶世の美少女。
聞こえる嘆きは敵うはずがない、という落胆と感嘆。
手塚の腕に寄り添い歩くその姿は、まるで一枚の絵のよう。


「賑やかですね」

「……喧しいだけだ」


降り注ぐ憧憬や落胆の吐息を一身に受ける集団の、その中心。
硬質な美丈夫に寄り添うリョーマが、フンワリと相好を綻ばせる。
カランコロンと足元から聞こえる涼やかな音。
億劫げな舌打ちを零す手塚は、自由な右手で煙草を一本。
人波が出来るほどのこの参道だ。
手塚一人が煙草を銜えていたところで見咎められる事はまずないだろう。
手塚に見惚れる女たちとて、まさか手塚が中学生とは思うまい。
くゆる紫煙が人いきれの中に揺れては消える。
見知らぬ誰かの髪に絡み、揺れて、消える。
活気溢れる参道は酷くリョーマの心を昂揚させた。
忙しなくキョロキョロと周囲を見渡しては、他人が行う遊戯に目を輝かせる。
かき氷やトロピカルジュースなどが夏の夜に涼を招き、香ばしいソースの香が空腹を擽った。
ただ見ているだけで、心が踊るようだ。
──であればこそ、必然だったのかもしれない。


「……あれ?」


気がつけば、寄り添っていたはずの姿はなく。
リョーマは行き交う人混みの中にポツリと一人きり。
慌てて周囲を見渡してみても、見覚えのある顔は一つもない。


「手塚……さん……?」


頼りない呼び声は、行き交う人々の肩に背に弾かれ霧散する。
返答は、ない。


「ど……どうしよう……」


途端に沸き上がる不安と寂寥感。
見渡す限りに人はいるのに、取り残された孤独感。


「手塚……さん……」


愛しいばかりの人の名を呼んでみても、振り返る鋭利な視線も不機嫌そうな声も返っては来ない。
そうして、一歩。
また一歩と進む。
けれど求めた人は見付からない。


「手塚……さぁん……」


連絡を取ろうにも、荷物は到着とともに柳生が受け持ってくれた。
手元には携帯は愚か財布すらもない。
人の群れの中に取り残された恐怖感。
渦巻く不安に瞳が揺れ、手塚を呼ぶ声が震え始めた。
座り込んでしまいたい衝動に駆られ、ポロリと瞳が雫を一つ落とした頃。


──クィ


浴衣の袖が、微かに引かれた。
僅かな抵抗感を腕に感じ、リョーマが俯いた顔をハッと弾いた。
振り向いた先には、けれど手塚の姿はなく。


「…………」


リョーマの袖を掴んだまま大きな目を真ん丸に見開いた、小さな子供が、そこにいた。
ダークブラウンの髪にポップな狐のキャラクターお面を引っ掛け、髪と同色の甚平。
見開かれ過ぎてこぼれ落ちそうな瞳は鈍色。
見覚えのない子供。
あまりに突然の事で、思わず数秒見つめ合う。


「……?」


パチパチと瞬く少年は硬直したまま。
少年より早く回復したリョーマが、涙を拭いながら少年に振り返った。
怖がらせないよう殊更にゆっくりと膝を折れば、子供と同じ視線。
リョーマの袖を握ったまま微動だにしない子供、未だ瞳は見開いたまま。
けれど小さな手から擦り抜けた布の感触にか、ピクリと手が跳ねたのが解った。


「………………まま……?」


消え入りそうな言葉が、子供のプックリとした唇を零れる。
そして、そのたった一言で少年の立場が容易に知れた。


「ママと……間違えちゃったの?」


似たような色合いの浴衣でも着ていたのだろうか。
少年の頭を優しく撫でながら、リョーマの眉が困ったように垂れ下がった。
この人混みの中、顔も知らない少年の母親を捜すというのは難しい。
かと言って小さな子供を一人放っておける筈もない。


「まま……ままぁ……」


グスッと鼻を啜る音が聞こえた。
ハッと思考から意識を引き戻してみれば、幼い顔をクシャクシャに歪めた子供。
ヒックヒックとしゃくりあげ、何度も何度も手で涙を拭う。


「ま……まぁ!うぁーんッ!」


弾けたように泣き出した子供。
大粒の涙をボロボロ零しながら母親を呼ぶ。
その様があまりに痛々しくて。

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