ここ数日、学園の姫と名高いリョーマの様子がおかしい。
しきりに周囲を気に掛けたり、不安そうに瞳を曇らせる。
何か心配事でもあるのかと何人も──それこそ親衛隊は勿論、キングダムの者たちも、果てはあの手塚までもが問い掛けたが、リョーマはただ何でもないと弱々しく微笑むのみ。
エスパーではないのだから、本人が伝えてくれなければ何に心を乱しているかなど、解る筈もない。
幸村は呪い専門だし、不二の占いもどんな副作用があるか解らないため却下。
恋人である手塚すらも解らないとなれば、周囲の人間には完全にお手上げ状態だ。


「本当に何も聞いてねぇのかよ、手塚」

「くどい」

「ホント。ふん反り返ってる割に役に立たないな」

「そういう台詞はリョーマから現状を吐かせてから言え、幸村」


ソファに脚を組んだ跡部の問いに、不愉快げに眉を顰めた手塚の返答。
それに対して幸村が茶々を入れれば、間髪を入れずに反撃が返る。
ここ数日で見慣れたやり取りだ。


「だが、確かに越前の様子はおかしいな」

「あぁ。何か頭を抱えるべき事でもあったか」

「ヒロ。どう見る?」

「……断定は出来ませんが、怯えているように見えますね。不安を抱えていると言うには、限定条件が妙ですから」


柳、真田の呟きを拾った仁王が柳生の意見を仰ぐ。
柳生は父──仁王の実父でもあるのだが──が心理学の名医である事から、柳生自身も心理学に長けている。
過去にプロファイリング──犯罪心理学に基づいて犯人の心理状態やその特性などを読み解く捜査方法──によって高い評価を得ている。
噂によればFBIからも熱烈なアプローチがきているとまで囁かれる柳生は、正に心理学に於いての天才児と言える。
そのため、人の精神状態についての意見を求めるにあたり、これ以上適切な人間はいない。


「限定条件?何やの?それ」


柳生の言葉の中に紛れた耳慣れない単語に、白石が身を乗り出す。
柳生が神経質な様でカチャリと眼鏡を押し上げた。


「限定条件とは、その名の通り精神に何らかの影響を与える条件の事です。例えば……そうですね。身近な例を使わせていただけば、蜂に一度刺されて痛みを体感した人間は、蜂とよく似た羽音にすら過敏に反応して軽度の恐慌状態に陥る場合があります。これは、“蜂”という痛みのキーワードによって恐れや恐怖が誘発される、典型的な限定条件のケースと言えます。同じように、過去に一度犬に噛まれた事があるからと犬を嫌う。これも限定条件です」


サラサラと朗読でもするような様で齎される新たな知識に、白石を含め幾つもの感心の頷きが生まれる。


「ま、せやけど今の例は命の危険があるからっちゅうモンやろ?蜂やったらアナフィラキシー、犬やって狂犬病やらボツリヌス菌やら発症しよるしなぁ」

「えぇ。ですから限定条件に関わる事例の大概がそういった生物本能による防衛です。個々個人の性格、免疫効果によってその頻度、度合いは変化しますが」


柳生の説明に挟み込まれたのは、忍足による意見。
忍足自身も医学に於いて中学生と言うには有能過ぎる程であり、医学論文が世界的に認められた経歴がある。
主に外科の知識に偏っているのだと本人は言っているが、内科の知識に於いても通常の医師と比較してなんら遜色はない。
柳生と忍足はキングダムに於ける有能な主治医と言える。


「で?その限定条件とやらが妙って言うのは?」

「えぇ」


話が脱線しかけたところを、不二が軌道の修正に掛かる。
思い出したように不二に向き直った柳生が、再び眼鏡を持ち上げた。
これは、考えを纏める時に彼がよくする癖だ。


「先にもご説明いたしましたが、本来限定条件は痛みや不快感と言った本能的な感覚が関わってきます。しかし、越前さんが心を乱される条件は不安を抱えると言うには妙なのです」


本来、人間が不安を抱えた際の行動は、挙動不振や陰欝などの行動が目立つ。
例えばテストに不安を抱えた学生などは出来るだけ答案を誰の目にも触れないようこっそり隠蔽したり、または動悸が激しくなり気分を悪くしたり。


「不安を抱える人間の限定条件は、主に人に向けられる場合が殆どです。これを言ったら怒られるだろうか、これをしたら危険だろうか、などが最も身近な“不安”を抱く事柄です。つまり、挙動不振と言えどその注意は人混みや人が多くいる場所に向けられます」


人の反応や、もしくはそれに伴った環境の変化を恐れる事。
それが不安という精神状態であるのだと、柳生は語る。


「しかし、越前さんの心を乱す限定条件は……不安の状態とは全くの対極です」

「対極?」

「えぇ。越前さんが注意を向けているのは人混みではなく、むしろ人気ない場所に集中しています。例えば、我々とともにいる時でも彼女が気に掛けていたのは、窓の外でした。それはつまり、人気のない場所、または死角が彼女にとっての限定条件であると言う事です」


不安を抱えているならば他人の様子を伺ったり、または自身の思考に沈み込んで無口になったりするもの。
けれどそのどれもが人の反応に過敏に反応する。
しかし、リョーマが過敏な反応を示すのは、何故か人気の全くない場所。


「これは、動物本能による警戒衝動と酷似しています。気配のない木の陰などに獰猛な肉食動物がいるのではないか、との心理からくる行動ですね。よって、彼女は不安や悩みを抱えているのではなく、何かに怯え、更にはそれを警戒しているのではないか。私はそう推測しています」

「成る程ね」


柳生の説明が締め括られ、聴き入っていた面々が各々にソファや椅子に身を沈める。
一概に柳生の説明を鵜呑みにする事は適当とは言えないだろうが、しかしその信頼に足るだけの頭脳と経歴が柳生にはある。
よって、現状としては柳生の意見が最も信憑性が高いと言えるだろう。


「しかし、仮に怯えているのだとして、それがいったい何であるのか……」


柳の呟きは皆の疑問である。
いったい、リョーマに何があったと言うのか。
思案に落ち始めた面々が一様に口を噤み、数瞬の沈黙が訪れた。
刹那、ハッと不二と手塚の瞳が窓を弾き見る。
そして。


「跡部君!伏せて!」

「忍足!カーテンを引け!」

「はっ?」

「え?」


唐突に叫んだ二人に、全員の視線が集中する。
手塚が短く舌打ちし、傍らに立っていた幸村を突き飛ばした。
そして、幸村が寄り掛かっていたデスクを右足で以て跡部と忍足に向けて蹴り飛ばす。


「っ!」

「うわっ!」


見事なまでの反射神経によって飛びのいた二人。
それが着地もしない内に。


──ガシャーンッ!


「何だ!?」


けたたましい音とともに、窓ガラスが砕け散る。
バラバラと床に落ちていくガラス片が、放射状に散らばった。


「何処!?」

「西棟だ。……もういない」


ガラス片を踏み締めて窓へ駆け寄った不二を、起伏のない手塚の声が制する。
何が起きたのかと唖然と目を剥く面々を尻目に、手塚がゆっくりと床へと手を伸ばした。


「何だってんだ、オイ!」

「いきなり何さらすねんな!」

「反応の鈍い貴様らが悪い」


体制を崩した二人が口々に声を荒げれば、手塚がガラス片の中から何かを拾い上げた。
それは。


「矢……か?」

「あぁ。恐らく、ボウガンの類だ」


長い柄の先に丸いゴムボール弱の小さな石。
ビービー弾を少し大きくしたような物だ。


「音が聞こえたから、一番危なかった二人に声掛けたんだけどね。咄嗟だったから説明なんて出来なかったし」


苦笑混じりに不二が跡部と忍足を振り返る。
聴覚、というよりは音を聞き分ける能力が常人よりも遥かに優れた不二は、このボウガンが飛んでくる際の風切りの音を瞬時に察知した。
手塚は、恐らくその視野の広さと動体視力の賜物だろう。
しかし、驚嘆すべきは手塚の判断の的確さ。
あの状況であれば、カーテンを引く事が最も正しい。
学校指定のカーテンは厚手で、通常の物よりも重い。
ならば、割れたガラス片は全てカーテンに阻まれて窓際に留まり、更にはボウガンの矢もその勢いを失って落ちる。
矢先が鋭利であればカーテン際の者が被害を被る可能性が高い愚策であるが、あの判断を下した事から手塚は矢先に殺傷力がない事を瞬時に看破したのだろう。
しかし、二人が動かないと判断するや、直ぐさま次の行動に移った。
デスクという大きな物が投げ付けられれば、反射的に避けてしまう物。

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