それはそれぞれの想い。






◆◇◆◇







日も地平に沈み、暫く。
茜も既になく、濃紺に染まる絹が数多の宝飾を纏って艶やかな白銀を彩る頃。
昇りかけの未熟な月はほどよくぽってりと膨れ、満月まであと僅か。
差し掛ける淡い月光は青白く、ほろほろと静かに夜に染みた。
都内某所に佇むとある高級マンションでは、さしかける月光をふんだんに取り入れる天窓が設置され豊かな明かりが室内を照らしてくれる。
フローリングに映り込む少しいびつな青い月溜まり。
その中に新たな影が差し込んだ。
夜よりも尚艶やかな漆黒。
フワリと靡いて揺れる黒髪と、月光に浮かび上がる白磁の肌。
大きな琥珀の瞳が天窓を仰ぎ、眩しげにたわわな睫毛を細めた。


「綺麗……」


天窓から差し掛ける月光の中、佇む少女。
天窓からは月こそ見えないものの、青白く柔らかな明かりは十二分に室内を照らしてくれる。
休日を目前控えた金曜日。
翌朝の朝食の仕込みや昼食のメニュー、本日の夕食の片付けや簡単な掃除などなど。
少女──リョーマの日々はなかなかに忙しい。
恋人である手塚宅に宿泊する事の多いリョーマの、日々の日課のようなもの。
いつも手塚より後に風呂を借り、手塚より遅く寝室に向かう。
けれど、月も僅かに高さを増している今日は、いつにも増して遅い。
原因は手塚にあるのだが、よくある事。
性欲に忠実な彼の男が、リョーマの都合お構いなしにコトに及ぶなど日常茶飯事だ。
ただ今回は、手塚に体を求められた後にリョーマが軽く意識を飛ばしてしまった。
その分のロスが響き、入浴を終えたリョーマが見上げる時計は、深夜の一時。
淡い光の中に佇み月光浴を楽しむ少女の姿は、いっそ一枚の絵画のよう。
目を奪うような美観は、しかし天窓を離れた少女の瞳が終わりを告げる。


「いけない。早く寝なくちゃ……」


名残惜しげに天窓を仰ぎ、そうして瞬きを一つ。
白いネグリジェがフワリと羽のように揺らぎ、少女の軌跡を綴る。
ゆるりと翻した踵が向かう先は、寝室。
ガチャリとドアを開けば、視界に広がる壁一面のガラス。
その向こうに見える人工の星空。
大きなキングサイズのベッドが横たわるそこは、大地と天空の天体観測地点。
大きな月が半分だけ顔を見せては室内に淡い光を運んでくれる。
そして、その部屋にいるのは────。


「手塚さん……?」


キングサイズのベッドに横たわる、この部屋の主。
規則正しい上下を繰り返す逞しい肩と、閉じられた切れ長の瞳。
名を呼んでみても、応えはない。
音を立てぬよう気を配りながら、ベッドに近付く。
まだ気付かない。
そうして、ベッド脇で立ち止まる。
閉じた瞳は開く気配もない。
完全に寝入っているのだろう。
普段ならば気配や音に敏感な手塚のこと、必ず目を開ける。
しかし今回にその傾向は微塵もない。


「…………」


起こさないようにと緊張すれば、自然と息を潜めてしまうもの。
無意識に止めていた息を意識的にゆっくり細く吐き出し、胸を空かせてみる。
そうしてゆっくりと、身を沈めた。
ベッド脇に座り込めば、端正な男の寝顔が間近。
ドクリと心臓が一瞬の不整脈を起こした。
意外に長い睫毛。
引き結ばれた薄めの唇。
スッと通った鼻梁。
枕に散る、触れれば柔らかい鳶色の髪。
見慣れているはずの、恋人の顔。
なのに、疾走する心臓と過熱する体温。
一斉に高まる熱がリョーマの頬をフワリと薄桃に彩った。
早鐘を打ち鳴らす胸へと無意識に握った手。
閉じた鳶色の瞳を見詰めていれば、少女の小さな胸がキュウと疼く。
寝苦しいのか、はたまたそう見えてしまうだけなのか、眠っている時にも緩まない眉間の皺。
その下で、引き結ばれ閉じられた手塚の唇。
トクリと新たな鼓動がリョーマの胸を叩いた。
いつも、手塚からだった。
キスも抱擁も、抱き合うことだって、いつも手塚から求められた。
リョーマから求めることも、仕掛けることもなかった。
その必要もなかった。
けれど今は。
今、無防備な寝姿を見せる恋人の前では。


「っ……」


無意識に、息を飲む。
ゆっくりと、起こさぬように、音をたてぬように、ベッドへと片手を乗せる。
キシ……と微かな音。
心臓がはち切れるばかりに激しい。
息苦しさすら齎すソレに、胸に握った拳を強める。
ほんのりと色付いた頬とともに、羞恥か緊張か、俄かにリョーマの視界がジワリと滲んだ。
ゆっくりと、上体を倒す。
サラリと黒髪が一房、華奢な肩を滑り落ちた。
負荷の増したマットレスが、もう一度だけキシリと鳴いた。
手塚の容貌が、僅か数センチに迫る。
見慣れたはずの端正な容貌を間近に、リョーマの瞳がキュッと瞼を閉じた。
フルフルと震える睫毛が、滲む涙に絡んだ。
そうして、ゆっくりと。
フワリと、羽のように。
手塚の唇に、柔らかな口づけを。
触れたのは、一瞬だけ。
その温もりと感触を知るや、リョーマの体が離れてしまったから。
まろい頬を薄紅に染め、自らの唇を左手で覆って。


「……っ」


羞恥か、歓喜か、その両方か。
フルフルと震える少女が、覆う手を外しゆっくりとその指を自らの唇へ。
確かな感触。
初めて、自らの意思で触れた口づけの記憶。
キュウと疼く胸。
唇をなぞる指を握り、胸の上に。
溢れ出しそうな想いの奔流を、せき止めるように。
けれど、一度勢いを増した激流は留まることを知らず。
震える唇は、静かな音を紡いだ。


「……好き……です」


とても今更で、とても陳腐な言葉。
けれど。


「手塚さんが……好き……です」


言いたくて、堪らない。
眠っている相手に言うだなんて、卑怯だけれど。
けれど、だからこそ言えた言葉。
手塚は、相変わらず微動だにしない。
規則正しい呼吸だけが聞こえ、静寂に染みる。


「…………」


頬は、まだ熱い。
けれどそろそろ眠らなければ明日に響くのも理解っている。
ゆっくりと体を起こし、手塚の反対側へと回る。
胸はまだ早鐘を打っている。
鎮まる気配もない。
苦しいほどに高鳴る胸を抑えたまま、手塚の隣へと身を滑らせた。
上質なシーツが素肌を滑り、そして手塚の温もりが間近。
トクリと大きく鳴る鼓動。


「……好き……」


もう一度、小さく呟く。
手塚の傍らに身を縮め、その温もりを感じながら。
やがて訪れる睡魔に身を委ね、愛しい腕に包まれる明日を待ち望んで。













規則正しい吐息が、傍らに。
スゥと、切れ長の瞳が開かれる。
現れた鳶色は酷薄に細められ、夜闇を睨めた。
そうして、数秒。
ゆっくりと上体を起こす。
シュルリと滑り落ちたシルクのシーツが、傍らの少女の上へと落ちた。
それを追うように身を起こした男──手塚の瞳が、傍らへと落ちる。
手塚の傍らで猫のように丸くなるリョーマへ。
愛らしい琥珀は閉じられ、ゆっくりと上下する華奢な肩。
そして緩やかな吐息を繰り返す、薄く開かれた薄紅の唇。
シーツを抜け出した手塚の指先が、ゆっくりと少女の唇をなぞる。
柔らかな弾力と、指先にかかる微かな吐息。
閉じた瞳の中、唇に感じたそれと同じ。


「……バカ女が」


狸寝入りをしていたつもりはない。
ただ目を開けるのが億劫だっただけ。
近づくリョーマの気配に気付きながらも身を起こさなかったのも、必要性を感じなかったから。
サラリと、艶やかな黒髪を白い頬から払う。
ゆっくりと上体を傾ければ、薄闇よりも尚濃い影が少女に落ちた。
静かに、ノイズすらも響かぬほどに。
緩やかに触れては、離れた。
触れ合うだけの口づけ。
それは暴君と名高い男にあるまじき穏やかさを以て。


「…………」


見下ろした少女の穏やかな寝姿。
その幸せそうなこと。
再び男の上体が傾き、黒髪の生え際へ。
微かなリップノイズを響かせ、離れた男の影。
大きな手が、艶やかな黒髪をクシャリと乱した。
そのとき。
暴君と呼ばれ、傲岸不遜を地で突き進む彼の男の瞳が和らいだ事を、知るものはない。
切れ長の瞳が穏やかに細められ、酷薄な唇が緩やかな笑みを形作る。
たった一人の少女にだけ向けられた、無二の笑み。
それは、一瞬で消えてしまったのだけれど。
ギシリと軋むスプリング。
静かに立ち上がった手塚の手が、ベッドサイドに投げ置かれた煙草を掴む。
向かうはベランダ。
煙草を一本くわえ、夜風の中へ。
カラリと開いた窓の向こうで、紫煙が上る。
静かな眠りに包まれた少女は、シーツに包まったまま。
シンシンと降る月光に絡んでは消えていく、細い煙たち。
見上げた先に、白銀の肥えた月。
睨めるように細められた瞳の下、細い煙が月に向かって吐き出された。






◆◇◆◇







color lips。
それは、それぞれの想いを乗せた、それぞれの色。




-END-





→後書き

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