それは、ほんの些細な日々の一コマ。






◆◇◆◇







フルリと、長い睫毛が震えた。
昇りはじめて久しい日が、閉じたカーテンの隙間を縫っては室内へと差し込む。
瞼裏が赤く照らされ、ユルリと白い瞼が持ち上がる。


「ん……」


微かな声ととともに起き上がる意識。
パチ……パチ……と静かな瞬きを数度繰り返せば、睡魔にけぶる瞳が壁時計が九時を指し示しす様を捉える。
窓の向こうには、軽やかな鳥たちの声。
モゾリと微かに布が波打てば、愛らしい少女がその容貌を覗かせた。
漆黒の黒髪をたゆたわせ、半身を起こしたリョーマの肩からシュルリとシーツが落ちる。


「ん……ご飯……」


こぼれ落ちたのは、やるべき仕事。
手塚が目覚める前に朝食を用意する事が、この手塚宅に宿泊したリョーマの日課だ。
寝ぼけ眼にフニャリと容貌を崩しながら、リョーマは責務を真っ当すべく温かな寝具から身を起こした。
そして、毎度の事ながら目の前に広がる光景に短い悲鳴。


「きゃっ!」


身を起こしたリョーマの傍ら──つまりは今の今まで目の前にあったその存在に、少女の肌がフワリと色付く。
リョーマの目に飛び込んできたのは、半裸の手塚。
眼鏡はなく、逞しい上半身が惜し気なく朝の日に照らされる。
布団に隠れていた下半身には、昨夜身につけていた黒のスラックス。
朝日に浮かぶ美丈夫の寝姿は目に美味しいものではある。
しかし、リョーマには──毎度の事ながら──些か刺激が強すぎるというものだ。
そして何より、リョーマが羞恥を感じたのは。
リョーマ自身の格好そのもの。


「手塚さぁん……」


抗議を篭めて恋人を呼ぶが、手塚の意識は夢の奥底。
睫毛も揺れてはくれない。
キュウとシーツを握り、薄紅の頬をそのサラリとした肌触りに隠した。
ペタリとベッドに座り込む少女の足は剥き出しのまま。
そして上半身には──明らかにサイズの大きすぎるワイシャツ。
論ずる必要もなく、間違いなく手塚のものだ。
大きすぎるワイシャツは細い腕を覆い隠し、第三ボタンまでが留められた胸元は酷く際どい場所までずり落ちている。
長すぎる裾は太股の半ばまでをスッポリと覆い、白い肌が眩しい。
その上、リョーマが羞恥に震えている理由は他にあった。


「んっ……」


モゾリと、リョーマの腰が揺れた。
胎内からトロリとした粘液が流れる感触。
フルッと震えた細腰は、昨晩散々に揺さ振られた名残だ。
胎内から流れ落ちて来る感触は、昨晩手塚が幾度も吐き出した精の残滓。
堪えるように唇と瞳を噤むリョーマだが、その脚はきつく閉じられたまま。
それもそのはず。
零すわけにはいかないのだ。
何故なら──今のリョーマはワイシャツを一枚着ている“だけ”なのだから。
下着も何も纏ってはおらず、リョーマの肌を守っているのは頼りないシャツ一枚だ。
そんな状況で胎内のソレを零してしまえばどうなるか。


「ふ……」


先とは意味合いを別にした熱がまろい頬を染め、唇からは同じく熱を篭めた短いため息が零れた。
あえかな吐息を零しながら腰を揺らめかせるその姿は、艶やか。
えも言えぬ色香と淫らさ、そして愛らしさが混ざり合い、えも言えぬ淫靡さを醸し出す。
この場で手塚が目を開ければ、間違いなく昨夜の続行と相成っただろう。
だが手塚に目覚めの兆しはなく、閉じられた瞼は揺れる気配すらない。


「……したぎ……」


このままでは非常にマズイ。
白いシーツは昨夜の名残に微かに湿っているが、それを更に恥液に濡らす事になってしまう。
それならばせめて、と周囲へ瞳を走らせる。
が、見渡した床やベッドにはそれらしいものなどなく。
それどころか昨夜手塚に剥ぎ取られたはずの服すら見当たらない。
そうなれば、リョーマはただ羞恥と闘いながらモゾモゾと腰を揺らすしか出来なくなった。
トイレや風呂場へ赴ければ一番なのだが、今下手に立ち上がれば間違いなく、零れる。


「てづか……さん……」


救いを求めるべく、惰眠を貪る男へとか細い呼び声。
元より手塚がこの事態の元凶なのだが、リョーマには手塚を責める・怒るという選択肢が存在しない。
故に、元凶に救いを求めるという奇異な行動を疑いなくやってのける。
その少しズレた天然ぶりが手塚の絶倫を助長しているのだが、リョーマがそれに気付く事は恐らくないのだろう。
涙まじりに手塚の肩をユルユルと揺らしてみるが、目覚めの気配はなく。
結局は再びペタリとシーツに座り込むしかない。


「…………」


太股をキュッと閉じ、胸元のシャツを緩く握る。
こうなれば、リョーマが出来る最良の方法は──ひとつ。
ゆっくりと振り向いた先は、トイレ。
胎内を流れる情交の名残を拭うには、そこしかない。


「ん……」


トロ……と胎内で流れ落ちる新たな精。
微かな声ととともに吐かれた吐息は、甘い。
急がなければ零れるのは時間の問題。
一度不安げに眉尻を下げ自らの尻を振り向いたリョーマだったが、意を決したようにソロリとベッドから足を下ろした。













少女は、困っていた。
困窮していた。
あの後、なんとか無事にトイレに辿り着き昨夜の処理を簡単に済ませる事が出来た。
そこまではいい。
しかし、そこからが問題だった。


「下着……どうしましょう……」


そう、リョーマが下着を身につけていないという現状は、変わらない。
処理を終えた後、覗いた脱衣所に昨夜身につけていた下着は発見できた。
しかし、身につけられる状態では到底なかった。
クシャクシャに丸められたショーツは、どちらのともしれない体液でグショグショ。
ブラに関しても体液のシミが見て取れた。
いつもなら手塚宅にも下着や着替えのストックが置いてあるリョーマだが、時期が悪かった。
ここ数日は生憎の天候で、洗濯もまともにできていない。
故に、ほぼ毎日のように手塚宅に招かれては宿泊している──ある意味で半同棲のような生活をしているリョーマには最悪の状況下であると言える。
リョーマの眉が力を無くし、ヘナリと形のいい眉尻を落とした。
しかし、洗濯機を稼動させる事は忘れない。
せっかくの数日ぶりの晴天なのだ。
溜まってしまった洗濯物を全て干しきってしまわなければ、と。
完全に新妻的な思考回路を巡らせて洗濯機の稼動を確認した後、リョーマはその足でキッチンへと向かった。
そうして、壁にかかった時計を仰ぐ。
時刻は十時少し前。
そろそろ朝食の準備をしなければ手塚が目を覚ましてしまう。
手塚に空腹を味わわせるわけにはいかない。
しかしこんな格好で料理をするという事態は、出来れば避けたいところだ。


「どうしましょう……」


キュウとワイシャツの胸元を握り、時計を見上げる。
そうして次に寝室へ。
時計と寝室を交互に数回見遣り、キュッと薄紅の唇が引き結ばれる。


「とにかく朝ご飯、ですよね。手塚さん起きちゃいますし」


小さく呟きながら自身を激励。
そうして結局、裸ワイシャツの少女がキッチンに立つという何処ぞのAVのような光景が出来上がったのだった。






◆◇◆◇







体が浮遊する感覚。
意識はあるにも関わらず体の筋肉という筋肉が些細な運動をも拒み、微動だにしない。
意識が覚醒と夢の狭間で浮き沈みを繰り返す、不可思議な浮遊感。
音も匂いも解るのに、やはり体は動かぬまま。
普通の男よりも体力があると自負する手塚だが、彼とて人の子。
運動によって心拍も上がれば息も切れるし、頭を使えば精神力を削られる。
昨日は諸事情により手塚の起床時間は朝方四時。
それからコチラ一睡もせず、夜中まで活動していたのだ。
殊、夜中に人間の本能による運動──性行為を五回も連続で行えば、それこそ心身ともに疲労困憊でもおかしくはない。
いくら化け物と称される手塚と言えど、疲れは存在するのだ。
まるで水の中をたゆたうように、夢と現実を彷徨う意識。
微かに聞こえるのは、鳥の歌声、沸き立つ水の音。
そして────。


『…………か……ん…………づか…………さ……』


キシリと沈むスプリングと、聞き慣れたアルトヴォイス。
遥か遠くに聞こえていたそれらの音が、急速に近付いて来る錯覚。
それは、目覚めの兆し。


『手塚……ん…………手塚さん……』


徐々に浮き上がる意識の中、クリアになる音。
脳が睡眠から醒め始め、ゆっくりと筋肉へも目覚めを促していく。
まずは指先。
ピクリと跳ねた指先。
そして一つが動き出せば一気に拡散する覚醒物質。
水中にたゆたう意識は、ゆるりと開いた切れ長の瞳に断ち切れた。

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