生徒の大多数が帰路に着いた学校。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返ったその中で、一つの野望が蠢いた。


「ふ……ふふふ……ふははははは!出来た!出来たぞ!」


薄暗い室内に木霊する哄笑。
フラスコやビーカーが安い照明をチカチカと受け、怪しく煌めいた。


「ふふ……ふふふ……」


そして、男は歩き出す。
白衣を翻し、眼鏡を怪しく光らせながら。
己の野望の成就を、確信して……──。






◆◇◆◇







その日、学園始まって以来の大事件が勃発した。


「…………」


無言で腕を組み、不機嫌を空気にまで拡散させて怒りを表現する男が一人。
──否、正確には男の“子”が一人。


「……おい。どういうことだこれは」


男の子は現在自らに出来うる限りの低音で以て低く唸る。
が、舌足らずで子供特有の甲高い声では迫力などあるはずもなく。
周囲から押し殺した笑いを誘った。


「こたえろ!いぬい!」


激昂を篭めた怒声は、しかし子供特有の声にしかならず。
ブハッと堪え切れぬ笑いが何処からともなく漏れた。
忌ま忌ましげに笑いの音源を睨みつけた子供。
そこに迫力など欠片も存在せず、むしろ可愛らしい。
しかしながら、本人にその自覚は皆無。
射殺すばかりの眼光を突き刺しているつもりらしい。
それがまた微笑ましい。


「ふふふ……やはり俺の研究は正しかった……正しかったのだ!」


その傍らで、何やら悦に浸る白衣の怪しげな男。
蹲る子供を見下ろし、酷く満足げな様子は何処からどう見てもただの変態だ。
しかも蹲った子供の衣服は乱れに乱れている。
──というのは語弊があるが、正確には大き過ぎる服に埋もれている。
袖も裾も長すぎ、子供が腕を上げる度に袖半分がヘロンと力無く床に寝そべる始末だ。
それもそのはず。
子供が身につけているのは青春学園中等部の制服。
更に言えばサイズはL。
しかし子供自身の年齢はどう見ても三、四歳程度。
何をどう考えたとて着用は不可能であろう。
では何故そんな小さな子供がそんな物を身に纏わり付かせているのか。
ちなみに子供と白衣の男、そして先から笑い声を響かせている周囲の人間たち。
彼等がいるのは青春学園中等部の生徒会室──つまりはキングダムの本拠地。
なぜそんなところに子供がいるのか。
答えは、白衣の男が握っている。


「やったぞ蓮二!俺はついにやった!」

「あぁそうだな。流石だ、貞治」


興奮覚めやらぬ男が嬉々と振り向いた先には、無表情のまま奇異な光景を(つぶさ)に眺める男──柳。
コクリと小さな首肯とともに賞賛を口にした柳の先で、貞治と呼ばれた男──彼の幼馴染みである乾が歓喜に眼鏡を光らせた。


「時に、貞治。手塚がこのような姿になっているのはどうしたことだ?」


しかし柳は何処までも冷静だった。
視線に蹲る子供を示しながら冷静に、淡々と、誰もが抱いた疑念を明瞭簡潔に口にしてくれた。
さすればどうか、乾は乾でよくぞ聞いてくれたとばかりに眼鏡を煌めかせる。
いちいち光られると、眼鏡といえど眩しい。


「これは人間の細胞に於ける活動を薬によって左右した結果だ。人間の細胞にはその数を一定──またはある規定数に留めるための自己破壊プログラムが存在する」

「あぁ知っている。アポトーシスだろう」

「その通り。その細胞の自己破壊プログラム──アポトーシスを早め、細胞の規定数を変化させる。他にも諸々と作用はあるが、まぁ大まかに説明するならばこんなところだ。そうすればどうだ!人類はついに若返りを果たせるようになるのだ!」


ンバッ!と蹲る子供を指し示して見せる乾。
つまり、制服に埋もれている子供こそが学園のキングと誉れ高い、あの手塚なのだという。
どうやら薬の実験のために手塚を使ったらしい。
命知らずにも程があろう。


「ふむ。なるほど。原理は理解した。見事だ、貞治。……それで?手塚はいつ戻るのだ?」


悦に浸る乾へ、やはり柳は冷静。
流石はキングダムのブレーンである。
気味の悪い笑みを響かせる乾は、しかし柳の問いに明快に、爽快に、快活に、はっきりと答えた。


「解毒を作っていないので解らないな」


──その日、青春学園から生徒が一人消えた。










「……しかし、弱ったな」


乾を始末し終え、改めて集合した面々。
その中心には、ブカブカの衣服に埋もれたまま会長用の椅子に踏ん反り返る小さな手塚。


「……いぬいは、ちまつりにあげたんだろーな」

「あぁ。ルーシー君がお迎えに来てたから大丈夫だ」


舌足らずな手塚の口調は、常の暴君と名高い姿からは想像もつかない。
ニコリと殊更優しげに答えてしまった幸村もまた、手塚の姿に絆されたのかもしれない。
現在の手塚を一言で表すならば、『小生意気な子供』。
会長デスクに踏ん反り返り、偉そうな事この上ないがそれさえも微笑ましく見えるのだから、視覚のマジックとは不思議だ。


「しっかしエラいことンなったなぁ」

「姫に知れたら大変ですね」


白石が頬を掻けば柳生がため息。
そう、当面の問題は手塚が小さくなってしまった事自体ではない。
むしろキングダムの面々からしてみたなら小さくなっていてくれたほうが嬉しい。
色々と。
しかしそうは言っていられない理由がある。
それが、学園の姫と名高いリョーマ。
手塚の恋人でもある彼女が手塚のこんな姿を見てどう感じるか。
溺愛する少女の悲しむ顔を見たくないのは誰とて同じ。
どう説明すべきか、どう対処すべきか。
彼等の優秀な頭脳を悩ませる一番の要因は、そこにこそあった。
しかし、運命とは常に非情なもの。


「──失礼します」


頭を悩ませる面々の背に、丁寧な挨拶が響いた。
そうして、重厚な扉から滑り込む華奢な体躯の少女。
反射的に振り向いた面々の視線の先で、学園の姫たるリョーマがフンワリと微笑んだ。


「おはようございます。皆さん」


花も綻ぶ極上の微笑み。
一度目にすれば視線を奪われずにいられない。
向けられただけで幸せを感じる笑顔など、この世にどれだけあるのだろうか。
鮮やかな桜のように愛らしい笑顔を前に、彼等の思考は完全に手塚から脱線。
そうなれば。


「……あの……?その子は……」


全員が全員、扉へ振り向いていたがために見事なまでに開かれた中心空間。
モーゼの海割りのようにパックリと手塚の眼前だけが人垣が取り払われ、デスクに踏ん反り返る子手塚の姿がリョーマに晒された。
気付いた時には、後の祭り。
リョーマの愛らしい容貌がコトリと傾き、不思議げにデスクへと歩み寄る。


「あ……いや……これは……」


詐欺師と名高い仁王が一番に口を開きはしたが、上手い言葉が生まれない。
欺瞞を何より得手とするはずの仁王の頭脳を以てして、咄嗟な言い訳が生まれないとあれば他の人間の誰が言葉を紡げただろうか。


「…………」


何を言うべきかと逡巡するキングダムの元へ歩み寄ったリョーマが、中心を見詰めた。
そうして数秒。
小さな子供と美少女が数秒の見つめ合いを交わした。
ゆるりとした瞬きが、少女の琥珀を隠す。
そして。


「──……かわいい……」

「…………へ?」


間の抜けた声を上げたのは誰だったか。
子手塚と見つめ合ったかと思えば、リョーマのまろく白い頬はうっすらと薄紅に染まり、瞳はウルウルと揺れている。
細い指先は胸元でリョーマ自身の指と絡められ、握られている。
そして、リョーマは彼等の予想の悉くを打ち砕く行動を起こしてくれた。


「可愛い!」


胸に組まれた腕を解き、それは迷う事なく前方の子手塚へ。
そして感極まる感嘆の声とともに、小さな子供は少女の胸に。


──ムギュッ


「んなッ!」


奇声を上げたのは、跡部だった。
が、誰が上げたとて不思議ない光景。
目の前には、手塚を愛しげに抱きしめるリョーマ。
その顔は、とても嬉しげ。


「手塚さんの弟さんですか?」


そのうえ愛でるように手塚の頭を撫でる始末。
リョーマの腕の中に埋まる手塚が、フルフルと震えているのが解る。
無知とは、かくも恐ろしい。


「き……さま……ッ!この……ばかおんな!」


かくして。
けして長くなど絶対に有り得ない手塚の堪忍袋が音を立てて引き千切れ、甲高い子供の怒声が反響した。






◆◇◆◇







「……ごめんなさい……」


手塚の身に起きた現象の説明がリョーマへ為された後、不機嫌も露な手塚へと消え入りそうな謝罪。

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