01
どうして世界は時々脆い 自分でも理解し難い憤りを抱え、すたすたと気配を押し殺すような足取りで日向が廊下を進む。
その光景は反って“激情を押し込めています”と看板を下げているようなものだった。
「おーっ!陽、帰ってたんだな!」
朝餉に向かおうと部屋を出てきた七松が、日向を見つけてぶんぶんと手を振る。
「親父殿の事は大変だったな」
きゅっと顔を引き締め、そう続けた。
そこに同情めいた雰囲気は一切無く、割り切った潔さが七松らしい。
「…お悔やみ申し上げる」
後ろに続いて来た中在家もぼそりと、だけれどしっかりとした口調で悼みの言葉を述べた。
「…あぁ、先生から聞いたのか?無事、葬儀も滞りなく相済ませられたよ。ありがとう」
話題が話題なだけに、どこかおごそかな態度の三人。
そこへ立花と潮江もやって来た。
「お父上のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げる」
と、立花が粛々たる美しいお辞儀をする。
続いて潮江も「ご冥福をお祈り申し上げる」と頭を下げた。
それを受けて日向がぎゅっと唇を噛む。
「気を遣わせて悪かったな。もう大丈夫だから」
へらっ、といつもの情けないような笑顔を浮かべて眼前で手を振る。
「それより皆、飯に行って来いよ」
日向が何でも無い事のようにそう告げて、四人の横を通り過ぎようと足を進める。
しかし七松に「陽も行こう」と、ガシッと腕を取られた。
「…飯、食えているのか?顔色が悪い」
と、中在家も心配そうに顔を覗き込む。
ばちり、と瞳がぶつかった。
この寡黙な男は、口よりもその瞳が雄弁に語りかけてくる場合の方が多い。
今もまた、その瞳に映るのは日向を心配している慈悲。
それはいつもだったら有り難く感じる事なのに、今は煩わしいとしか思えず内心で舌を打つ。
「大丈夫だって」
七松の腕を払うように日向が身を翻した。
そんなぞんざいな態度を気に掛ける風もなく「お前が倒れたら親父殿が心配するぞ。一杯飯食って、寝て、元気になってまた遊ぼう!」と、今にもいけいけどんどーん!と走り出しそうな快活さで笑った。
「煩ぇな!大丈夫だって言ってんだろうがッ!」
思わず荒げた声。
今まで友に対して向けた事の無い苛立ちを露わにした自分に、日向自身が一番驚いて茫然とする。
「…悪い、小平太。やっぱちょっと疲れてんのかもしんねぇ」
ぐしゃっと前髪を掴み、取り繕うように「ははっ…」と乾いた声を落とす。
その言葉が文字となって輪郭を顕わにし、喉に張り付いたような気がして不快になった。
それを引き剥がそうと喉元に当てる。
指先が爪を立ててジリッと痛んだ。
決まりが悪く俯きかけると
「気にするな!」
と、バンバンと豪快に笑う七松に背を叩かれ
「陽、皮膚が痛む」
と、無意識に力を込めていた喉元の手を、やんわりと中存家に退かされた。
「…どうかしたの?」
不意に障子戸が開き、中から夜着姿の善法寺が目を擦りながら出てきた。
失念していたが此処は六年長屋の廊下。それも日向が自室に向かっていた途中だった為、い組の部屋とろ組の部屋の間の辺り。
善法寺たちのいるは組の部屋からもそう遠くはない距離だった。
このくらいの距離では先程の怒鳴り声も聞こえていたのだろう。
不穏な空気を察してか、善法寺も起き出してきた様子だ。
「伊作たちも実習から戻って来ていたのか」
「おはよう!いさっくん!」
立花と七松が善法寺の方を向く。
「あっ、うん。おはよう」
顔に疲労や怪我の処置跡があるものの、いつもの穏やかな笑顔で善法寺も挨拶を返す。
「…おい、アヒル野郎はまだ寝てんのか?」
潮江がぐいっと顎をしゃくって食満の所在を尋ねる。
びくっ、と日向の肩が揺れた。
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