・「-2cm」の続編。
・とある騎士皇帝の日常。
・切な甘。
±0 プラスマイナス、ゼロ「陛下、失礼します」
コンコン、と規則正しいノック音。
そしてその後、扉が静かに開く音が続く。
大き過ぎるドアの向こうから現れたのは、第99代皇帝直属の騎士。
ナイトオブゼロの衣装にその身を包んだ、枢木スザクだった。
「そろそろ、会議のお時間になります。お支度を始めませんと…」
はらりとワインレッドのマントを床に這わせて、その場に跪く。
片腕を地面と平行に曲げ、その顔の前で恭しく拳を握る。
主に対して忠誠を誓っているという構えだ。
決して間違ってはいないのだけれど、俺はその姿を見て、なんとなく面白くない気分になる。
「もう、そんな時間か。皇帝というのもなかなか暇じゃないな」
だらしらなくソファの上に寝転がっていた自分の体を、仕方なしに起き上がらせる。
手に持っていた分厚い本を栞も挟まずに閉じ、そのまま隣へと放り投げた。
そして立ち上がった俺の姿をちらりと見たスザクは、一瞬のうちにその堅い表情を崩す。
「陛下…!まだそんな格好でいらっしゃったんですか!もう他の者はすでにホールに集まっていますよ?」
「だから、お前も着替えを手伝ってくれ。今から支度をするから」
俺はまだインナーと下着だけという、とてもラフな格好だった。
欠伸をしながら、後頭部を軽く片手でかく。
のんびりしている俺の様子とは正反対に、スザクは慌てて走り出す。
無駄に広い皇帝の自室は入り口の扉すらもやたらと遠くにあったが、そんなことは関係なしにかつかつとブーツを鳴らしながら俺のもとへ急いで駆け寄ってくる。
俺とスザクの距離が、一気に縮まった。
衣装タンスから皇帝服を取り出して、それをスザクに渡す。
機能性よりもデザインを重視した衣装なため、着用するにはそれなりに時間がかかる。
だから、時間がない時は人に手伝ってもらった方が早かった。
かさばる衣装を腕いっぱいに抱えたスザクの前に、向き合うように立つ。
今までも何度か着替えを手伝ってもらったことはあったので、要領が全くわからないということはなかった。
「じゃあ頼んだぞ、スザク」
「イエス、ユア・マジェスティ」
皇帝ただ一人に対して使う、最高敬意の言葉。
現在は自分だけに使われるその敬称に、俺はさっきからひっかかていた違和感がなんなのかようやく気付く。
「おい、スザク…」
「はい。なんでしょう、陛下」
「二人きりの時は、敬語。やめろと言っただろう」
「あ、そっか…。ごめん」
後ろを向いて袖を通してもらいながら、その不満を口にする。
バツの悪そうな声で謝る恋人に、思わずほっとする自分がいた。
「ルルーシュ」
スザクが、俺の名前を呼ぶ。
今となってはその名で俺のことを呼ぶ人間は、数少ない。
「ごめんね。つい、癖になっちゃって…」
服を着せる手を休ませずに、スザクは困ったように眉をよせて笑った。
もう一度スザクの方を振り向いたときには、さっきまでのような騎士の顔ではなく、懐かしい恋人の顔に戻っていて。
そんな彼の様子に、俺も嬉しくなってくすりと笑う。
「それにしても、皇帝ともあろう君があんな格好でうろついてちゃダメだろ。誰かに見られたらどうするの」
「この部屋にはどうせお前かC.C.くらいしか入って来ない。ジェレミア卿は恐れ多くて入れないとか言っているし、ほかの者にもギアスをかけてあるしな」
「そう…。ならいいんだけど」
「俺は別に、人にどう思われようが構わないがな」
「僕が嫌なんだよ。君の綺麗な体を、ほかの奴に見せたくなんかないからね」
だから早くこのぎっしりした服で隠さなくちゃ、とせっせとスザクが手を動かす。
いくつも並んだ袖口のボタンに手をかけるも、不器用だからか、そこからなかなか進まない。
俺は急かすこともせず、ただ黙ってその指の動きを眺めていた。
「あぁ、くそ。やっぱりどうしてもここだけは早くできないや」
ぶつぶつと、スザクが悪態をつく。
「焦ってやるからだよ」
「そもそも僕がこうやって焦っているのは、君のせいなんだからね」
「だから、悪かったって」
「本当は着させるよりも、脱がせる方が得意なんだけどな」
スザクがぼそりと呟いて、ちらりと俺の方に視線だけを向ける。
俺はその不意打ちの言葉に、思わず赤面する。
昨日の夜のスザクの手つきを思い出してしまって、顔を俯かせた。
ちょっと騎士の任から外すと、すぐこれだ。
上下関係もどちらが上かわかったもんじゃない。
だけど、優劣のないそんな俺たちの関係は嫌いじゃなかった。
…たまにこうやって調子に乗るのは、少し困るけどな。
「でもせっかくこうして頑張って着させても、また後で自分で脱がせるんだと思うとなぁ…」
「お、お前…!また今日もするつもりなのか……っ!」
はあ、と大きなため息をつくスザクに、俺は更に顔が熱くなる。
昨日、あれほど俺を抱きまくっておいて…!
「今日は会議の後は特にご予定もありませんので、終わったらまたお迎えにあがりますね。陛下」
「…………っ、」
にっこりと、スザクが微笑む。
こういう時だけ、わざと敬語に戻して…。
そして悔しいことに、断れない自分がいる。
まったく。
神聖ブリタニア帝国の皇帝をこんなにも振り回すのは、世界でお前一人だけだよ。スザク。
ひらりと純白のマントを肩に羽織らされて、最後に、頭の上に帽子を乗せられる。
「はい。できたよ、ルルーシュ」
全身白に包まれた皇帝が完成し、スザクが満足そうに息をふうっと吐いた。
この服は、黒がベースのスザクの騎士服とは対になっている。
それはまるで、光と影。
そう。
お前は、俺と離れられない運命なんだよ。絶対に――…。
「ありがとう、スザク…」
俺は顔を上げて、スザクの顔を見た。
思ったよりもそれが近くにあって、心臓が躍るように跳ねた。
あれ?
こいつ…。
――こんなに、背が高かったか?
「どうかしたの、ルルーシュ?」
じっと見つめる俺の視線に気付いたスザクが、目をくりっと丸くさせている。
「あ、いや……。お前、少し背が伸びたんじゃないかなって、」
前は俺の方が少しばかり高かったけど、今は同じくらいになっているような気がした。
気のせいだろうか?
「え、そうかな?最近身長測ってないし、伸びたのかどうか全然わからないけど…」
スザクがきょとんとした顔をして自分の頬をぽりぽりと指でかいた。
あれから1年。
前に身体測定をした時は、こいつはすごくその数値を気にしていて。
たった2cmという、俺との差を頑張って埋めようとしていたのが嘘のようだ。
「…お前、変わったな」
「え?」
「前はあんなに、身長ばかり気にしていたくせにな」
くすくすと笑って、俺は目を細めた。
よかった。
もう、つまらないことで悩むのをやめたみたいだな。
俺はたかだか数センチの誤差なんて、まったく意識していなかった。
スザクが小さかろうが大きかろうが、スザクがスザクでいてくれるなら、俺はそれだけで十分だったんだ。
「あー…。確かに、そんなこと気にしてた時もあった…かな」
恥ずかしそうに、スザクが視線を逸らす。
そしてもう一度、その瞳をゆっくりとこちらに向けて。
「けど、ルルーシュが気にするなって言ってくれただろ?僕だから好きなんだ、って…。だからあれから僕は、ちょっと自信を持てた」
ありがとう、ルルーシュ。
そう言って、俺の騎士は微笑んだ。
「別に…。俺はそんな、大したことは言ってないし」
俺はただ、思っていたことをそのまま伝えただけだ。
だけどこうして改めてお礼を言われると…。
なんだか、こっちまで照れてしまう。
「…でも、そんなに伸びたかな?」
スザクが、自分の頭を手で押さえながら呟く。
「なんとなく、だけどな」
「伸びてるなら嬉しいんだけどなぁ。やっと、君と対等になれたみたいでさ」
「お前…。まだそんなことを……」
「あ。いくら身長が同じになっても、君と僕は皇帝陛下とその騎士に変わりはないんだけどね」
むしろ前よりも差がついちゃったかな、とスザクが軽く落ち込む。
まったく、こいつは何が不満なのか。
俺たちは恋人同士。
それ以上でもそれ以下でもない。
それだけでいいだろう?
いつまでもくだらないことを気にしているスザクに少しイライラして、俺は身を翻して扉の方へと足を向ける。
くるりとスザクに背を向ければ、両肩にかけていた細長い装飾布がひらりと宙を舞った。
「…会議に出ればいいんだろう?さっさと行くぞ」
大理石の床の上を、こつこつと足音を響かせて歩く。
前より少し長くなった黒い前髪が、歩くたびに視界の中で揺れた。
「ルルーシュ、」
数歩進んだところで、後ろからスザクが俺のことを呼びとめる。
まだ何か用なのか、と一瞥すれば。
「…………っ」
急に腕を引っ張られ、スザクの体に身を寄せられる。
すっぽりとスザクの腕の中に捕らえられて、わけがわからず俺は困惑する。
「スザク、何を…!」
彼の顔を見上げてその腕に抵抗するや否や。
一瞬のうちに、唇を奪われる。
「ん、ぁ…っ」
ちゅ、と軽くキスの音が耳を掠めた。
少しだけ唇を味わうように吸ったあと、なぞるようにその輪郭を舐められる。
そしてゆっくりと、スザクの顔が離れていった。
俺は呆然とその若草色の瞳を見つめる。
自分の唇が、唾液でしっとりと濡れているのがわかった。
「やっぱり、少し背が伸びたのかもしれないな」
今俺にキスしたばかりの唇が、言葉を描きながら動きだす。
「前よりも、君にキスしやすくなった気がする」
そう言って、満足そうにスザクは目を細めて微笑んだ。
ばか。
そんな身長の測り方なんてあるか……!!
俺は真っ赤になった顔を隠すように、手の甲でその口元を覆った。
「スザク…。ちょっとこっちに来い」
手招きをして、スザクを呼び寄せる。
何の疑いもなしに、嬉しそうにスザクが近づいてくる。
そしてその胸を、俺はどん、と強く押してやった。
「うわっ…!?なにするの、ルルーシュ」
スザクは情けない声を出して、そのまま後ろのソファに座るように倒れた。
わけがわからず、驚いた表情でこちらを見上げている。
俺はそんなスザクの様子を見て、鼻でフンと笑う。
それからその体の上に、乗っかるようにもたれかかった。
先程置いたばかりの本が、ばさりと床に落ちる音がした。
「る、ルルーシュ…?」
「少し、ここで休んでから行く」
そう言って、被っていた帽子をぽいとその辺に放り投げた。
スザクの胸の上に頭を寄りかからせ、足もソファの上に投げて横になる。
スザクの体に被さるようにしているその光景は、まるでスザクをソファにしているようだった。
「えと、ルルーシュ。本当に、そろそろ行かないと……」
「だから、少し休むと言っただろう」
「で、でも。ルルーシュを連れていかないと、僕が後でジェレミア卿にぐちぐち小言を言われるんだけど…」
「ジェレミア卿には、後で俺から言っておくさ」
「もうみんな、下でルルーシュが来るのを待ってると思うけど…」
「待たせておけばいい。何しろ俺は、悪逆皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアなんだからな」
ふっと消え入るような笑みを浮かべて、俺はそうやって皮肉を言う。
ようやくスザクも観念したのか、それ以上催促はしなかった。
しょうがないな、と小さくため息をつく音が聞こえた。
それからスザクは俺の体に自分のマントをかけてくれる。
なんだかんだで、スザクは俺には優しい。
俺もスザクには弱いけれど、スザクも俺のわがままには逆らえないんだ。
ほら見ろ。
俺たちは結局、どちらにも対等でしかないんだよ。
俺の白装束が、スザクの色に包まれる。
重なっている体が、そのまま融けてしまいそうだった。
「ねぇ、ルルーシュ」
ずっと静かだったスザクの声が、すぐそばで聞こえる。
ん?と少し顔の向きを変えてスザクの方を見れば、慈しむような眼差しをこちらに向けているスザクがいた。
「君と同じ高さで見た、僕の世界は。君が見ている世界と、同じになれたのかな」
スザクが、ぼそぼそと掠れた声で呟く。
「ちょっとだけ、君のやりたいことが…。前より理解できたような気がするよ」
そう言って、俺の髪をスザクの手が撫でる。
手袋をしたままなのが少し残念に思った。
早く、直接触れ合いたい。
そしてスザクの瞳が少し、哀しそうな色に染まったような気がした。
そう。
俺はこれから、優しい世界を創る。
いや、俺たちは…か。
そのために、一度世界を壊さねければならない。
つまり、俺とお前が――…。
俺を見つめるスザクの顔を、ぼんやりと眺める。
身長だけじゃなく、こいつは前よりも大人っぽい顔つきになったような気がする。
会う度に成長した相手に戸惑って。
記憶が追いつかないのは、むしろ俺の方じゃないかと思った。
これからまだ身長も伸びるのかとか。
もっと今より格好良くなってしまうんじゃないかとか。
そんなスザクの未来を、色々と想像してみるけど。
俺は、もう。
それを知ることはできない。
「スザク……」
愛おしそうに触れるスザクの手が気持ち良くて、本当に眠ってしまいそうになる。
スザクのマントの襟元をぎゅっと握って、もっと体を近くへと手繰り寄せる。
「なに、ルルーシュ」
名前を呼べば、スザクはすぐに返事をしてくれる。
「もう少しだけ。このままで、いさせてくれ…」
命令ではなく、お願いをする。
こういう時くらい、甘えたっていいだろう?
「イエス…。ユア・マジェスティ」
スザクが、形だけ皇帝に対して使う言葉で返す。
さっきとは違い、優しいスザクの声だった。
そうだな。お前は俺には逆らえない。
俺もそれがわかっていて、スザクに聞いたのかもしれない。
俺がそっと頬をほころばせると、スザクも柔らかい笑顔を見せた。
窓から静かに差し込む午後の陽光が、少し眩しく感じた。
ゼロレクイエムまで、あと――…。
end.
text menuに戻る