・まだ付き合いだしてない頃の、じれったい二人。









ひやりとした空気と、水の匂い。

薄暗くなるにはまだ早すぎる午後の空。

不規則なリズムで踊る、濡れた音。


次々と五感から情報が伝達していって。
やがて、それはひとつの答えに到達する。






























「夕立か。……まいったな」

ルルーシュは小さく息を吐き、うんざりとした表情で灰色の空を仰いだ。

アッシュフォード学園の正面玄関。
広く開放されたその空間に、黒髪の少年が一人佇む。

少し遅い放課後。校舎の中には、もうほとんど人が残っている気配はなかった。
壁際にある傘立てに視線を送ってみるが、期待していたものの姿は見当たらず。
今日の天気予報は、くもりのち晴れ。
わずかに残っていた忘れ物の傘は、あっという間に売れてしまったのだろう。



「雨、降ってるね」

遅れてスザクが、後ろからぽつりと声をかける。
ルルーシュは目線だけで振り返り、そしてまた降りしきる雨へと戻す。

「あぁ。そうみたいだな」

簡単な返事だけして、再び無数に落ち続ける雨の雫を黙って見つめる。
水が弾ける音はあちこちに跳ね返って反響し、サラウンドとなって耳に届く。
まるで鳴りやまぬ拍手喝采かのように、ぱらぱらと地面に打ち付ける雨音が辺り一面を包み込んでいた。


「……ごめん、ルルーシュ」

「?」

「僕が、日直の仕事手伝わせちゃったから。その……、」

「別に、スザクのせいじゃないだろ。俺の方から手伝うって言ったんだし」

気にするな、とルルーシュは優しく微笑んでみせる。
スザクもそれにつられてほっと息をつき、かたくなっていた表情を緩めた。



「あ…あの、さ。ルルーシュ」

軒下の雨宿り。
少しの沈黙が流れた後、スザクがぎこちなく言葉を切り出した。

「実は僕、ロッカーに置き傘してあったんだけど……」

そう言って、ルルーシュの前に一本の傘を出した。
雨の日のコンビニで売っているような、安物のビニール傘だった。

そして。



「送っていくから、一緒に入ろうよ」

子犬のような人懐っこい笑顔で、さらりと言い放った。





「ちょ、ちょっと待て!それって、まさか相合…」

「うん。相合傘だよ」

「……お、俺と、スザクが?」

「うん。僕と、ルルーシュで」

「…………、」

にこにこ顔のスザクの前で、ルルーシュは顔を強張らせる。
しとしとと降り続けていた雨足が、少しだけ強くなったような気がした。


「いや、でも。もう少しここで待てば、もしかしたら雨も止むかも……」

「そんなの、いつ止むかなんてわからないだろ?今だって、また強く降り出したみたいだし」

「だ、だったら、俺はこのまま走って帰るから。クラブハウスまで、数分あれば着くし――」

「ダメだよ。それじゃルルーシュが風邪ひいちゃうよ」

「っ、だけど……」


そんな押し問答を二人でしばらく繰り返していると、やがて、スザクが力なく微笑った。


「……そんなに、僕の傘に入るのが嫌なのかい?」

「――、そういうわけじゃ……」


スザクが少し寂しそうな顔をしているのを見て、ルルーシュはその場で俯く。

違う。
嫌なんじゃない。
傷つけたいわけじゃない。

そう思って、固くつぐんでいた口を、ゆっくりと開いた。


「お前が、困るだろ」

「……え?」

「男と仲良く二人で相合傘なんて、その……」

「変な噂がたつ?」

「…………」

返事はなかったが、スザクにはルルーシュの言いたいことがなんとなくわかっていた。
いくら生徒会メンバーになったとはいえ、未だに日本人であるスザクのことを疎ましく思っている人間も少なくはない。
ルルーシュは、そのことを気にしているのだろう。


「もし誰かに見られたりしたら、きっとスザクに迷惑――」

「僕は平気だよ、そんなの全然気にしてないから。……でも、ありがとう」

優しいんだね、ルルーシュは。
そう言われて、僅かにルルーシュは頬に熱が集まったのを感じた。


「……本当に、いいのか?」

遠慮がちに、ルルーシュがスザクの顔をうかがう。

「そもそもこの時間じゃもう、ほとんどの生徒も残っていないし。見られる心配なんて、ないんじゃない?」

スザクがちらりと外に目をやる。
見渡してみると、確かに人の姿はどこにも見当たらなかった。
確認したルルーシュの顔から、緊張の色が消える。



「さ、どうぞ」

スザクはそれまで持て余していた傘をようやく開いて、ルルーシュの頭上へと差し出した。
ルルーシュは目の前の傘を見てまだ何か迷っているようだったが、


「……少し、世話になるぞ。スザク」

少し照れくさそうに、その隣へと身を寄せた。










クラブハウスへ続く並木道を、文字通り、二人並んで歩いていく。

雨の音以外は静かなもので、まるで自分たち以外の生き物は眠ってしまっているのかと思わせるほどだった。

普段見慣れたこの風景も、晴れやくもりの日に見るそれとは違って。
雨に閉ざされた、幻想的な世界に迷い込んだような。
そんな、錯覚さえ起きてしまう。



ぽつぽつ。ぽつぽつ。
雨が小さな傘を叩く。

頭の上の透明なビニールはすでにたくさんの雨の色に染まっていて、つい先程まで乾いていたのが嘘のようだった。

雨粒が落ちては滑り、落ちては滑り。
雫の通った跡のラインや大小不規則な水玉が綺麗に模様となって、無地だった傘布を次々と彩っていく。





歩き始めてからまだ、二人の間に会話はなかった。
お互いが同じ方向を向いているので、隣を向かなければ相手が今どんな顔をしているのかもわからない。

ひとつ、同じ傘の下。
右側にスザク、左側にルルーシュ。
真ん中の軸を境目に、それぞれ半分ずつ入る。

しかし、傘の手元を持っているのはずっと持ち主であるスザクだったので。
居候させてもらっているルルーシュは、持ち手の交替を申し出ることにした。


「スザク。傘持つの疲れただろ、替わるよ」

そう言ってルルーシュが傘の柄に手を伸ばすが。

「ううん、大丈夫だよ」

あえなく却下されてしまった。


「……いいから、俺に貸せ。俺の方が世話になってるんだから、そのくらいの仕事させろって」

「これは僕の傘なんだから、僕が持つのは当たり前だろ」

「違うなスザク。傘は普通、背が高い方が持つものだろう」

「ひどいよルルーシュ!こんな時に身長の話を持ち出すなんて……っ!」

「いや、俺はただ論理的な話をだな……」

「雨の日はクセ毛が強くなるから、今は僕の方が丈はあるはずだよ!ルルーシュ」

「だから、そういう問題じゃなくて……」


子供のように譲らないスザクを見て、ルルーシュは深いため息をつく。
ルルーシュが傘を持つと言い出したのは、もうひとつ別の理由があったからだ。


「……お前、さっきからずっと俺の方ばかり傘に入れようとしてるだろ。ほら、右肩が完全に濡れてるじゃないか」

自分とは反対側にあるスザクの肩を覗いてみれば、案の定制服がぐっしょりと濡れてしまっていて。

「ん、別に大したことないよ。ルルーシュがびしょ濡れになるよりかは、全然いいから」

くすぐったくなるような笑みを浮かべて、スザクが言う。

一瞬、鼓動が大きく跳ね上がるとともに。
なぜか、胸の奥がちくりと痛むのをルルーシュは感じた。

「……ばか。そういうのは女に言う台詞だろ」

そんな自分を誤魔化すかのように、冗談を言って視線を下へと落とす。
自分の言った言葉で更に落ち込む自分がいることに、気付かないふりをしながら。


「言わないよ」

「…え?」

「そもそも、女の子とは相合傘なんてしないと思うし」

「は?」

思いもしないスザクの言葉に、ルルーシュは顔を上げる。

男と相合傘はしても、女とはしない?
どういうことだ?


「それじゃあ。もし今日の俺みたいに、傘がなくて困ってる女の子がいたら。お前はどうするんだ?」

「うーん。その時は、傘を貸してあげて自分は走って帰る、かな?」

スザクが真面目な顔をして、そう答えた。

「じゃあ、相手が男だったら……。例えば、リヴァルとかだったら、」

「その時も、僕だけ走って帰るよ」

「ふうん。そうなのか?」


……。

じゃあ、なんで。


なんで、今日は二人で一緒に傘を差しているんだ?





「――僕の隣は、ルルーシュ専用だから」


え?


「だから、傘は貸せても、この半分のスペースは誰にもあげられないんだ」



一瞬。
雨音の中に紛れて、そう聴こえたような気がした。

もう一度、耳をすませてみる。
しかし、スザクの声はそこで終わってしまっていて。

ルルーシュの耳に届くのは、うるさい雨のノイズだけだった。


「スザ、ク……?」

ルルーシュが、スザクの顔を覗き込む。
しかし、スザクはただいつもと同じように、穏やかな表情を浮かべているだけだった。


「……なんでもないよ、ルルーシュ」

そう笑って。
またスザクは無言に戻った。

ルルーシュは記憶の中からもう一度スザクの言葉を拾おうとするけれど。
水たまりを踏む音や自分の心臓の音が邪魔をして、うまく取り出すことはできなかった。





「あー、ルルーシュ。もし、僕の右肩を気にするならさ、」

ふと、スザクが申し訳なさそうに声をかける。
なんだ、とルルーシュが振り向くと、

「もうちょっと、こっちに寄ってくれると助かるんだけどな」

スザクと、目が合った。

「な…、」

「あ、その。嫌なら、無理しなくていいんだけど。僕は我慢できるし」

ルルーシュが小さく声をあげると、慌ててスザクが眉毛を八の字にして謝った。
しかし、狭い傘の中まだ二人の間に距離があるのは事実で。

「わかった。……これで、いいか?」

できるだけ協力しよう、とルルーシュはスザクの方へと体を寄せた。

「…うん。ありがと」


離れすぎているわけでも、かといって密着しているというわけでもなく。
前よりもっと寄り添って、歩く。

これが、友達として正しい距離なのかは。
二人にも、わからなかった。





やがて、クラブハウスが見え始めてきた頃。

雨が、あがった。

木の葉っぱが、宝石のように輝く。
雲の隙間から光が差し込み、地上に残された水滴がプリズムとなって乱反射し始めていた。


「……にわか雨だったようだな」

空を見てルルーシュが呟いた。

「スザク。雨、止んだみたいだけど……」

そう、雨はもう止んでいる。
だけど。

「…………」

スザクは、傘を閉じようとはしなかった。

もう傘を差す必要もないんじゃないかと言おうと思ったが。

「ルルーシュ。もう少しだけ……。このままで、いいかな?」

傘の持ち主がそう言うので。
そのまま、送ってもらうことにした。


日傘でもないのに太陽の下で雨傘を差す光景は珍しいけれど。
ビニールの上に乗った水玉が歩く度に揺れて綺麗に光るので、もう少しだけこうしていてもいいかなという気持ちになった。

相合傘のまま、二人で雨上がりの小道を歩く。

そして、間もなくして目的地であるクラブハウスへと到着した。







「それじゃ、ルルーシュ。また明日」

「あぁ。ありがとな、ここまで送ってもらって」


入り口のドアの前で、ルルーシュはようやく傘の下から出る。
広がった視界が、やけに眩しかった。

短い間だったけれど。
二人だけの雨宿りが終わったのだと思うと、少し寂しさすら感じた。


それからスザクはくるりと振り返って、今来た道へと戻っていく。
傘は、まだ差したままだった。

しかし、数メートルほど進んだところで突然スザクが立ち止まり、ルルーシュの方へ向き直る。

「あのね、ルルーシュ。今日、僕の日直の仕事が遅くなったせいで、急な雨の中帰ることになったけれど」

一度そこで言葉を区切り。
そして少し躊躇ったあと、続けた。

「……わざと、日誌をゆっくり書いてたんだ。ほんとは、夕方雨が降るのを知っていたから」

「…………」

ルルーシュは何も答えなかった。
ただその瞳を、まっすぐ目の前のスザクへと向けている。

「騙して、ごめんね」

バツの悪そうな顔で最後に一言だけ謝って、スザクは今度こそ帰ろうと身を翻す。

が、今度はルルーシュがそれを呼び止めた。


「――スザク。俺も、お前に言っていなかったことがある」

そう言って、ルルーシュは持っている自分の鞄の中から何かを取り出して、

「え?」

それを見たスザクが、目を大きく見開いて驚いた。

「実は、俺も本当は折り畳み傘を持っていたんだ。悪かったな、嘘をついて」

呆然と立ち尽くすスザクの前に、不敵に笑ってそのコンパクトな携帯用の傘を振ってみせた。
思いもしないルルーシュの発言にぽかんと口を開けていたスザクだったが、やがて、嬉しそうに笑みをこぼした。

「そっ、か。あはは」

それにつられて、ルルーシュも小さく笑いだす。
お互い、それぞれの目的が同じ理由だということに気付いたからだ。



そう。
二人とも。

ただ、雨の日を一緒に帰りたかっただけなんだ。





「スザク。また、傘を忘れた時は。お前の隣を借りてもいいか?」

「……僕の隣は、いつでもルルーシュのために空けてあるよ」

雨の日も、晴れの日もね。


そういうと、ルルーシュはどんな雨上がりの空よりも綺麗に微笑ってみせた。



それから、スザクは傘を静かに閉じた。
きっとこれはもう、しばらくは必要ないだろうから。





だけど、また雨が降ったら一緒に出かけよう。



君と、二人。

傘はひとつだけあればいい。
















end.



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