“あとべーっ!”



跡部家の大豪邸はまるで絵に書いたようなものだった。それに加え最新のトレーニングマシーンや、広い敷地に何面ものテニスコート。運動後の絶品のスイーツ。俺はすっかり虜になってしまい、クラブメイトの特権で毎日のように遊びに出掛けた。

でも、いつの間にか。

テニスよりもスイーツよりも、虜にされていた。
跡部の無駄に広い(本当に広い)部屋の無駄に広い(絶対シングルじゃない)ベッドに2人でなだれ込んでキスをする。日毎に回数は増えていった。
「今日もお勉強ですか?」と使用人に跡部の部屋に通されるとき訊かれて、なんだか気まずかったよ。それは恋人同士の密会に変わっていた。


(会いたいと思えば会いに行ける距離だった。
手を伸ばせば、届く距離だった。
離れたのはいつかな?)








「何してんのジロー」
「…手のひらを、太陽に、かざしてる…」
「見りゃわかるけどさ。血潮流れてる?」
「わからない」



屋上に寝転がって、空を仰ぐ。
手のひらをかざす。
広がる空は、掴めそうなのに。
(、届かない)


「最近よく来るなーお前。屋上」
「んー」
「いや、別に来るなとか言わないけどさ…うん、まぁ」
「あ、飛行機」
「え?」
「高ぇー」
「お前俺ん話聞いてないな」


遠い空の彼方へ飛んでいく鉄の塊の行方を、俺は知らない。でも、もう少しだけでも、低く飛んでいてくれたならば、その端にでも掴まって、ここから連れ出してもらうのに、なんて思う。
(それはなんて人頼りで、独りよがりなんだろうか)



「なんや、お二人さんお揃いで」
「…あ、侑士」
「最近よくおんなぁ、ジロー」
「それ誰かにも言われた気がするCー」
「俺さっき言ったから!」

「うん、かえる」
「そうか?」
「…自由な奴……」



立ち上がり、パンパンと簡単にズボンをはたいて入り口へ向かう。
ちらり、と横目に残した2人を見れば、忍足が岳人の髪の埃を払ってあげていた。



(人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ、ってね。)



俺が人様ならぬ岳人様の恋路を邪魔してまで屋上に上がる理由は、空が近いから。
一番、空が近いから。





「そーらをじゆうにー、とーびたーいな。はい、タケコプター」


階段を下りながら、懐かしいかの有名な国民的アニメのオープニングをワンフレーズ歌ってみた。
ポケット一つで空も飛ばせてしまうあのロボットは本当にすごい。未だに頭にポンと乗せる装備だけで人間が空に飛び立てることはないのだから。




“ねぇねぇ跡部。ドラえもん始まるからテレビつけていい?”
“ジロー、話がある”
“なに?ねぇあと2分で始まる、”
“イギリスに行く”









世界で一番大嫌いな金曜日。

遠くで19:00の時計の鐘が響いていた。あの音が、延々と頭の中で鳴り続けている。



彼はもういない。どこにもいない、自分の手が届く距離に、走って行ける距離に。
俺はガキで、だいすきなものは常に自分の近くにないと落ち着かなかった。こわかった。

(だから、手放した)






「お前こんな点数取ってどうすんだよ。へたすりゃ進級できねーぞ?」
「だってわかんねーんだもん」
「ここまで成績ひどくなかったじゃねーか、英語」



机に突っ伏す俺の前に座る宍戸が盛大な溜め息を吐いた。
次に教科書を開いて、
「どこがわかんねーんだよ」
と。


「……」
「おいジロー起きろアホ」
「英語なんて大嫌い」



俺は一生日本で暮らすから、国外旅行もしないからいいんだもん。海外に友達だって作らないもん。

だからいい、いいんだこれで。



「ただの八つ当たりじゃねーか、激ダサだな」


冷たい呆れ言葉といっしょに、頭に降ってきた手のひらは泣けるほど優しかった。

(だって、だってりょーちゃん。言い訳がほしいんだ)




本気を出せば空だって飛べるはずなんだ、本当は。
でも度胸がなくて、弱虫で。だからどこにも行けない、俺だけが。

つらつらとプリンタ用紙に並ぶアルファベットの並列。俺はいつか理解できる日が来るのだろうか。

あの日「バイバイ」しか言えなかった俺が、彼にもっと伝えられるものが、(あれば。)







「忍足、」
「おう、ジロー。休み時間に寝てへんなんて珍しいな」
「英語おしえてほしいんだけど」
「あぁ、宍戸から聞いたわ。追試やって?範囲は?」
「跡部に会いたい」





“あとべー!きたよーーっ!”
“また来たのかお前”
“うれCくせにっ”
“かえれ”
“す、ストップストップストップ!”
“どうせまたプール入りにきたんだろ”
“ちがうよ、跡部に会いに来た”




一瞬だけ呆けた顔をした彼の頬が赤く染まっていたんだ。
俺はあの時気付いたの、(ああ、きみがいるから、ここにいる。)




(“会いに来た”)


君はまた「ばーか」って照れ隠しに毒づくだろうか。


空は快晴、風はゼロ。
さぁ行こう。




I want to meet you.

最愛に会いに。






(20110927)
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