ついに、球技大会最終日がやってきた。


「ブン太!」


珍しくウキウキした様子の担任によるホームルームが終わり、女子バレーの時間までは予定も無し。
俺はいつもの席でいつものように風間達と暇つぶしのゲームをしていたんだけど、そろそろ女子バレーも始まりそうな時間になり。トイレに行こうと1人、廊下へ出た所で声が掛けられた。


「ん?」


さっき俺が閉めたばかりのドアから出てきたまゆこは、周りを確認するように見渡してから俺の所へ駆け寄ってきた。

「どした?」
「あー…っと、えっと…」
「……」
「……あっ、そうそうおにぎり!おにぎり、ブン太、美味しかったかなって」

そう言って心配そうに俺の顔を覗き込むまゆこ。

ホームルームが終わってすぐに今野サンに呼ばれたまゆことは、朝におはようをしてから話せていなかった。

「ああ、美味かったよ。…相変わらずデカかったし」
「そ、それはっ!ブン太が大きいのって言ったから!」
「そうそう、俺の注文通りの美味しくてデカいおにぎりでした」
「…ほんとに?」
「うん、ほんとに」
「……えへへ、そっか。なら良かった」


そう、照れたようにまゆこは笑って。


「何、美味かったかどうかそんな気になってたの?」


…って、まゆこに聞いた俺だけど、正直言って俺の中で味は二の次だった。いやだって、普通に考えてそうじゃね?まゆこが俺の為に作ってきてくれたおにぎりが、美味くない訳ねーだろい?


「あー、まあ、うん。それもあるけど」
「それも?」
「……」
「……えっ?」


曖昧な返事をしたのは自分のくせに、俺の問い掛けを無視して再び周りを見渡していたまゆこ。しかし何を思ったのか突然俺の手を掴むと、俺の手を引いて勢い良く歩き始めた。

…え?は?何、俺なんかした?前だけを向きながら歩くまゆこに手を引かれて困惑しながら、俺も周りを見渡す。

実際であれば、今は授業の時間。でも球技大会である今日は、俺達のようにこの後に試合があるクラスの生徒達や試合の無い生徒達が自由に出歩いていた。偶々すれ違い、何事だと振り返った人と目が合って。……確かにこれ、周り気になるわ。



そんなこんなでまゆこに手を引かれて来たのは、夏休み前にまゆこと来た、あの空き教室だった。


「……」


中に入ってからすぐにまゆこはピタリと歩みを止め、手を離した。…しかし、未だに背中を見せたままのまゆこに、俺は疑問が募るばかり。
まさか怒ってる…んじゃねーよな。さっきまで笑ってたし。つーか怒らせるようなことしてねーし。……ウン、絶対してねえ。


「ブン太」
「うおっ」


いきなり振り返ったまゆこが、両手を差し出してきた。


「…あのさ、手、貸して」
「……え?手?」
「うん」

「手」と再度付け足され、俺は訳もわからず右手を差し出す。「左手も!」。……いやいや何なの、マジで。そんなことを思いながら左手も差し出して。

そして次の瞬間、俺の手は、まゆこの手に包まれた。


「……」


……って思ったけど、包まれるってかこれ、たぶん握りしめられてるって言った方が正しいわ。ふんわりとかじゃねーもん。ぎゅーって感じ。
でも、目を瞑って力いっぱい俺の手を握るまゆこの手は、暑い部屋の中なのにも関わらず、何故かひんやりと冷たかった。


「ブン太のシュートが全部入りますように」

「ブン太のパスが全部通りますように」

「ブン太が怪我をしませんように」


ふっと力を緩めたまゆこが小さな声でそう呟いて、もう一度だけぎゅうっと握り、そしてそっと手を離した。
それから1人頷いてから顔を上げたまゆこは、どこか嬉しそうで。


「今日の私のパワーと運、ブン太にあげたからね!」

「私は今日はもう、いらないから。だからブン太が思う存分に使って下さい!」

「運とパワーくらいならさ、私のでも使えるでしょ?」



「……」



そう言って恥ずかしそうに笑うまゆこが、堪らなく愛しいと思った。



「って言ってもバレーの2人にもあげちゃったから半分くらいかもだけど……わっ」


離された手を、今度は俺が掴んで引き寄せる。小さな悲鳴を上げて俺の胸に飛び込んできたまゆこを俺は抱き締めた。


「……」
「……」
「……ブン太?」



これはもう、好きだけじゃない。



「手だけじゃ足りねーよ」



さっきのまゆこに負けないくらい腕に力を込める。こんなんするの、いつ以来だ。小学生?幼稚園?……わかんねえ。でも、その時とはたぶん、全然違う。



「もっと欲しいんだけど」



腕を緩めて、まゆこにそう告げる。

まゆこは少しの間顔を伏せていたけど、恐る恐る、ゆっくりと顔を上げる。鼻と鼻がくっつきそうな距離でまゆこと目が合って。

背も伸びて身体つきも変わって、そのくせ顔だけは全然変わらねえんだよな。
昔から変わらない所も変わった所も、全部がまゆこ。だから全部が好きで、全部が愛おしくて、全部が欲しい。


顔を逸らされないように、まゆこの頬に右手を当てる。ふわりと甘い香りが鼻を擽った。



キーンコーン…


「うわあっ」
「……!」


突然のチャイムにびっくりしたまゆこの声は、至近距離の俺には大きすぎた。
自分の声に驚いて思わず動きが止まった俺を見たまゆこと、改めて目が合う。ボン!と音が出るくらいに頬を紅くしたまゆこが、俺の腕の中から逃げ出して。


そして俺の横を通り過ぎてドアに向かったまゆこは、


「……もう何にも無いから!ね!」


そう言い残して、教室から去っていった。





タンタンと遠くなっていく足音を、俺は1人聞いている。


「……」


まゆこの髪の香りが、触れそうな程に近づいた顔が頭から離れない。


「……やべー、な」


俺の独り言は、蒸し暑い教室に溶けていった。

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