がたん。背中にドアが当たった。近づいてくるブン太に対して少しずつ後ずさりしていた私だったけど、それももう終わりらしい。
ブン太は、明らかに怒っていた。それも、今まで見た時のない程に。
「そ、そんなこと思ってないってば!」
ドアとブン太に挟まれた私は、私よりも高い位置のブン太の目を見上げながらもう一度反論する。ブン太のことがどうでもいい?…そんなこと、私は一度だって思ったことは無い。
「……」
「本当だもん!ブン太がどうでもいいなんて、私全っ然思ってない!」
ブン太に怒られるのも、責められるのもたぶん初めてだと思う。だから、はっきり言って怖い。…でも、負けない!
「……」
ブン太の目が冷たくて、目を逸らしたくなる。どうしてこんなことになったんだろう。ただ、言わなかっただけじゃんか。言ってもブン太の機嫌が悪くなるし、それに進藤くんと一緒に来るのなんてきっと今日までだもん。夏休みが終わったら、ブン太と学校に行くんだって思ってたんだもん。
「じゃあどう思ってんの?」
「え?」
「どうでもよくないなら、どう思ってんだよ」
「俺のこと」。ブン太の右手が私の顔の横を通り過ぎて、ドアにつく。ドアはまた、がたんと音を出してと揺れた。
でもその音は、私の耳には届かなかった。
「どうって…」
私を見るブン太の目から逃げるように、目を逸らす。しかし、私の顔の横に伸びる腕を見てすぐにそれを後悔してしまった。
ブン太と私は、幼馴染。それは疑いようの無い事実であり、この先も変わらないこと。そしてそれが、私達の全てだ。私がもし幼馴染でなかったら、ブン太と仲良くなることもなかったしきっと関わり合うこともなかった。今のような関係になることは、絶対になかっただろう。…そんなことは、私が一番わかってるんだ。
「まゆこ」
ブン太に名前を呼ばれて、胸が飛び跳ねたような感覚になる。瞬間的に頬が熱くなるのを感じて、私は慌てて顔を下に向けた。
ブン太は幼馴染であり、それ以上でも以下でも無い。でもそんな私の考えとは逆に、心臓はどんどん煩くなっていく。それは息をするのも苦しい程で、目の前のブン太に聞こえてしまったらと思うと尚更口を噤んでしまう。
「悩むようなことじゃねえだろい」
私を急かすような声の後、下がっていたブン太の手が動いて私の顎を掴んだ。上を向かされそうになって、でも今顔を見られたら困る私は必死に下に向ける。
「……や、だっ」
私は、やっとの思いで言葉を口にした。だって、こんなに赤くなった顔をブン太に見られたら…だ、だめだめ!そんなのは絶対困る!今の私の頭じゃあ、言い訳も弁解も何にも思いつかない。
一生懸命力を込めて下を向いていた私だったけど、いきなりブン太の手が離れた。そのまま、力無くぶらんと下がったブン太の腕。…ああ、良かった。私はゆっくり、そして静かに息をつく。
「…んでだよ」
横にあったブン太の腕も無くなったと思ったら、ブン太がぽつりと呟いて。
「……ふー」
その後すぐにと大きく息をつくのが聞こえてきて、私は俯いたまま目だけ動かしてブン太を見る。ブン太も、下を向いていた。
そのまま、何にも言わないブン太と顔を上げられない私の間で流れた沈黙。しかしそれを破ったのは、ブン太だった。
「まゆこ」
「…ん?」
「悪かったな、こんなところまでわざわざ連れてきて」
「う、ううん」
ブン太の言葉に、私は今だ下を向きながら首を左右に振る。
「別にいいよ。学校来んの、別に約束してた訳じゃねえもんな」
「……」
「これからは別々に来るか」
「……え?」
…別々?
「ま、これからって言っても夏休み明けからだけど」
「ちょ、ちょっと待ってよ!なんでそうなるの?」
「元から別々に来たらこんな問題無くなんだろ」
「いやだからそれは、」
「……はあ」
突然のブン太の発言に、あんなに拒んでいたのに思わず顔を上げてしまった。でも、顔を上げたところで急展開にはついていけなくて。
そんな私の言葉は、ブン太の大きなため息によって遮られた。
「だからじゃねえ。もう決めたんだよ」
「もう毎朝俺のこと待たなくていいし、俺もまゆこのこと待たねえから」
ブン太が私の目を見て、そう、断言した。真っ直ぐなその目が、その言葉が私の胸に突き刺さる。「じゃ、教室戻るわ」。それからすぐに目を逸らしたブン太は、そう言って教室から出ていった。
遠ざかって行く足音を追いかければすぐに追いつくのに、少しも足が動かない。私の目には、さっきまでブン太が立っていた教壇が映って。
…私、本当にそんなつもりじゃなかった。ブン太は自分でわからないかもしれないけど、言ったらブン太、絶対機嫌悪くなるんだもん。それがわかってて、言いたくないって思うのは普通でしょ?わざわざ言う必要無いって思ったらいけないの?
「……なんでよう」
思わず口から漏れた言葉に、目の前の教壇が滲んでいく。
…言わなくてごめんって、謝ったら良かったのかなあ。そしたらブン太、別々に来ようなんて言わなかった?俺も待たないなんて、言わなかった?
気がつけば何年もずっと続けてきたブン太との登校。それが無くなるのが、私はこんなに悲しくて辛いんだ。
ぽたぽたと落ちる涙が私にとってそれがどれくらい辛いのかを表している。でも私は、涙が出るまでそのことを知らなかった。
何事もなく修了式が終わり、夏休み前最後のホームルームも終わり。他の生徒が部活に向かったり帰ったりする中、私はというと。
『今日、ホームルームが終わったら、2年の空き教室に来て欲しいんだ』
朝に教室へ戻った時に来ていた進藤くんからのメッセージの通り、再び空き教室へと向かっていた。
一体なんだろう。まさか…いやいや、そんなはずはない!でも、それじゃあ…。修了式の途中もそう1人頭の中でひたすら掛け合いを続けながら、本日2度目の空き教室に辿り着いた。教室のドアを開けると、外を見ていた進藤くんはこちらに振り返った。
「あ、その、お待たせしました」
「…良かった」
「え?」
「来てくれなかったらどうしようかと思った」
俯きがちに進藤くんはそう言って、小さく息をついた。
「まゆこちゃん」
「…はい」
真剣な表情の進藤くんと目が合う。こ、れは…。
「俺、まゆこちゃんが好きです。だから夏休みも、ずっと会いたいんだ」
「まゆこちゃん、俺と、付き合って下さい」
ゆっくりと頭を下げる進藤くんを、ただ、見ている私。どうして…なんで、進藤くんが私を…。今日1日、何度も考えたことが頭を埋め尽くす。
でも、その度に、同じ数だけ出てくる男の子がいる。気がつけば逞しくなっていた腕も、変わらない私を呼ぶ声も、朝からずっと頭から離れなくて。
どうして、今まで気づかなかったんだろう。進藤くんと歩いているところを見られたくなかったのも、それを言いたくなかったのも。私はきっと、心のどこかで思っていたんだ。
隣りにいるのが、ブン太じゃなきゃ嫌だって。