酸素不足で頭が回らない。
血が足りない。


別に、好きにすればいいんじゃない?

選択肢を与える言葉が薄い唇から放たれると、相手は困惑と安堵の表情を見せた。
研磨の鋭い目は、依然自分を見つめている。しかし、その口から断罪の言葉は出てこない。
最初はその、日頃纏うのとは違う空気に腰を抜かしそうにもなったが、落ち着いて考えればこの小柄な少年に為せることなどほんの一握りにすぎない。
何を怯えていたのだろうか。
安堵は、慢心に。相手の口の端が緩むのを、研磨は見逃さなかった。
そういえば、と口をひらく。

「妹、いるよね。」

唐突に、あまりにも唐突に切り出され、相手はぽかん、と口を開ける。不吉の予兆になど、気づいてはいない。
ざり、とスニーカーが砂利を踏んだ。相手と研磨の間には十分な距離があったが、その声は、呟くように小さくても何故だか相手の耳にはっきり届いた。

「随分大事にしてるみたいだけど、今どこにいるかな」

含みのある、言葉。風が僅かに音を立てて木々を、それから研磨の金髪を揺らす。
日頃は見せない、うっすらと弧を描く色のない唇に、相手の少年は戦慄した。
それは、一体。

「どういう、意味だ…っ!」
「さぁ?」

知らないね、と言いながら、ポケットに収まっていた端末をおもむろに取り出す。
ロックを解除、画面を指先で操る。待ってね、今電話かけてるから、と悠長な事を言いながら滑らせる指は細く、白い。
あ、かかった。そう言って研磨は端末を指でつまむようにしてこちらにずい、と向ける。
有名な、リンゴのマークが刻まれた背中。その端末の小さなスピーカーから迸る、悲鳴。

聞き覚えがある、これは、彼女の。妹の。

お願いやめて、もうやめて、ゆるして。
そんな声がヒステリックに響く。足元から一気に寒気が駆け上り、鳥肌が立つ。
はぁ、うるさい妹さんだね。と、この状況がさも当たり前かのように研磨はぼそりと言った。
目を見開いて呆然とする相手。頭の中で何を描いているかは知らないが、きっと悪い想像が脳を食い散らかしているに違いない、何たって顔が真っ青だ。
この分ならば直に発狂気味にすがり付いてくるだろう。引き換えにするものはもう決めてある。

ああ、落ちたな。
冷めた目で、崩れ落ちる相手をただ、見た。






やったことを細かく自白させた。録画録音もきっちりとった。
後悔するだろうなあのひと、と思いながら先程悲鳴を上げてくれた彼の愛しい妹さんにメールを送る。
人芝居、打ってもらった。成り行きは想像にお任せするが、研磨のとった手段は冷酷で、非情だった。
しかし。暇潰し以外にも随分役に立つもんだな。ぺらい端末を弄びながらそう思う。
情報の塊だ。上手くやれば良い武器になる。今日だって予想以上の効果を発揮してくれたのだから。
新しい武器を手に入れた事に上機嫌になりながら保健室に足を運んだ。別に、意味も無く人を陥れてきた訳ではない。
ここに。一番会いたい相手が、いる。

「クロ」

ベッドに横たわる幼馴染み。サボりで保健室に来ていると言うがばれてないとでも思っているのか。
知っている。本当はその身体中傷だらけで、最近は練習中もよく顔をしかめるのを見ている。
無駄に観察眼がある訳ではない。いくら近しい相手だろうと、隠し通そうとしていようと、見えるものは見えるのだ。
元を辿れば自分のせいだ、ベッドに腰かける研磨の表情が険しくなる。

自分を庇い続けたから、代わりに黒尾が目をつけられた。生意気だと疎まれていたのは、自分だけだったのに。
たったひとつふたつ年が違うだけで、何をそんなに偉そうな顔が出来るのか。
生意気だなんて、言われる筋合いはないのに。

きっと同学年と後輩の部員に気を使わせないように、黒尾はこれからも言わないだろう。
体中にある傷だって、無理にでも隠し通してしまうに違いない。
本当に、とんだ痩せ我慢だ。
3年生が卒業するまでにまだ随分ある、このままでは先に黒尾の心身が壊れてしまう。

「そんなこと、させないよ」

前髪を撫でる。硬い黒髪、ワックスで立てるには便利だとか何とか言っていた気がする。
男子然としたその感触が好きだった。
筋の通った鼻梁と切れ長の目、閉じられたそれを縁取る睫毛、凛と美しい顔は悪夢でも見ているのか苦しげに歪む。
それでも頭を撫で続けてやれば、眉根に寄っていた苦悶の皺が僅かに緩んでいった。
昔の面影を残す寝顔は平生の彼よりも幾分か幼く見えて、懐かしむように研磨はふっと微笑む。

それから、誰もいないし良いだろう、と研磨は黒尾の唇を同じもので、塞いだ。

ひどく安堵する匂いと体温。
固めた決意を実行する為の、トドメ。

「大丈夫、すぐに終わらせる、から」

今まで守られてきた。ずっと手を引いて、ここまで来てくれた。
だから、今度は自分が。握りしめたシーツに皺が寄る。
今度は自分が彼を傷つけるものを全部、ころしていく番だ。弱味を握って。言質をとって。
彼から、引き剥がさなければならない。邪魔なものを。傷つけるものを。
ゲームとおなじで、誰にでも攻略必勝法はある。焦らないで一つずつ、確実に、潰していけばいい。
彼を傷つけるものを、許しはしない。



血液が回らなきゃ、脳は動けないけど
血液を回すのは、心臓だ。




[シナジー]







あとがき
黒尾以外に容赦ない研磨カッコいいとおもうよ




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