第六話「娼館ジェナザハード」


スティーブン・A・スターフェイズは、出勤前にカフェテラスで朝食をとっていた。
朝食はブラックコーヒーとトースト。
新聞片手にそれらを食しながら出勤時間まで時間を潰す。
旧ニューヨークタイムズ社が作るヘルサレムズ・ロットタイムズはどの記事も血生臭いものばかりで三面記事すら血や金の臭いが香ってくるほどだった。
スティーブンは読み進めていた視線を新聞から引き離す。
いつの間にか正面に男が座っていた。

「昨日ぶりですね。スティーブン・A・スターフェイズ」

フェリオル・ヘムハッドが薄ら笑みを浮かべながらそこにいた。
スティーブンは再び新聞に視線を落とす。

「貴方と一度、じっくりと話してみたいと思っていました」

新聞越しのスティーブンにフェリオルは嬉しそうに言った。
敵対する意思はないのか、フェリオルの醸し出す雰囲気はとても穏やかに感じる。

「こちらは貴方と話すことはありませんが」

一方、スティーブンは敵対心を露に新聞を読みながら言う。
そっけない態度も想定内と言わんばかりにフェリオルは嬉しそうに話を続けた。

「貴方たちは勘違いされているかもしれませんが、私は牙狩り本部の命令によって動いている貴方たちと同じイチ組織人です。仲良くしましょうよ」

狩人狩りという組織は牙狩り本部の幹部直属の精鋭部隊と聞いたことがある。
言うなれば牙狩り組織としての図式上では、ライブラより彼らのほうが上であり、持っている権限階級も上。
フェリオルはライブラに圧力をかけるつもりか。
それとも干渉するつもりか。
スティーブンは考えを巡らせる。

「気になりませんか。貴方たちのボスの幼馴染である女が、どうして、我々狩人狩りに追われるようになったのか」

その言葉に思わず、スティーブンの思考が止まる。
フェリオルは卑しく口元を綻ばせて微笑んだ。

「ラインヘルツが知る前にスターフェイズ、貴方はボスより先にその理由を知りたいと思う、思っている。ライブラを守るために。それは君の役目だ。誰も否定はできない。」

スティーブンは眉間に皺を寄せながら新聞を閉じ、コーヒーをひとくち啜った。

「―――まどろっこしい。」
「そうそう。少し、話をしましょうよ。アスカについて」

細く鋭い眼差しを三日月型にしてフェリオルはにたりと笑った。


***


女どもの悲鳴でアスカは眠っていた目を覚ました。
小さな窓から差し込む日差しの高さでまだ早朝間もない頃だとアスカは理解する。
日が昇らない明け方にこの娼館へ戻ってきたアスカは、まだ眠りについて数時間しか経っていなかった。
眠気眼を擦りながらアスカはもう一度古びた布団の中に潜った。

「アスカ!助けて!」

と叫ぶように部屋に飛び込んできたのは下着にバスローブ姿の娼婦エミールだった。

「うるさいうるさい。わたしの睡眠の邪魔をしないでおくれよ」
「あんたそれでも、ここの用心棒でしょ!ロビンに言いつけるわよ!」

とエミールはアスカに金切り声をあげながらアスカが潜る布団を引き剥がしてしまった。
この娼館を追い出されると行く当てのないアスカは、眉間に皺を寄せながらエミールを睨む。
エミールはこの娼館のリーダー的存在で、ロビンが不在のときは彼女が変わりに娼館を取り仕切っていた。
そして忘れてはいけないのは、彼女はロビンの「女」でもある。

「この用心棒!仕事をしろ!仕事!」

アスカの根負けである。
エミールの前でアスカは大きな溜息をついて肩を落とした。

「どうしたのさ。」
「隣地区の娼館から女どもが来て、うちの若い子と結託して、客を取り立てているのよ!」
「は?」

エミールの口から想像を超えた発言にアスカは、思わず間の抜けた返事をしてしまう。
柄の悪い男が娼婦を泣かせているのかと思ったのだが、どうやら違ったらしい。
エミールは眠気眼のアスカの手を取ると、ずいずいと狭い廊下を連れて歩き出した。
引きずられるように歩くアスカをエミールは、騒ぎが起きている個室に放り込んだ。
個室では女どもの姦しい声が響き渡り、この男は屑だの、金返せだの、双方の娼婦が客の男に取り立てている。
娼婦が怒り狂いながら取り立てる男はどんなものかとアスカは興味心身で覗き込むと、見た顔にアスカは声をあげ、その男も驚いたように顔をあげた。

「あ、昨日の倉庫の黒猿」
「てめえ、クラウスの旦那の―――!!」

女どもに挟まれて嫐られているのは、ザップ・レンフロだった。


***


「いい?次、別の娼館の女連れてくることがあったらアンタを出入り禁止にするからね!」

娼館のキッチンでエミールはパンツ一枚のザップを床に正座させながら怒鳴りつけた。
その光景をアスカは年季の入ったダイニングテーブルに頬杖をつけながら、椅子に腰掛け眺めている。
ザップ・レンフロが引き起こした娼婦たちの争いは、アスカの仲介でなんとか収束することができたが、この出来事はロビンの代わりに娼館を取り仕切るエミールの癇に障ったのかずっとザップを怒鳴り散らしていた。

「あれは俺の責任か!?」
「はあ!?口答えする気ぃ!?」
「へいへい。わーかったよ。この緑髪女」

しかしザップは、慣れたようにエミールの怒りを逆撫でしつつやり過ごしている。

「んなことより、おめえが何でこんな娼館なんかに居るんだよ」

突然、ザップに話しかけられてアスカは巻煙草を作る手を止めた。
気づけばザップはアスカの正面の椅子に腰掛けている。

「居たらわるいのかな」

と答えるとアスカは止めた手を再度動かし、器用に煙草の葉を紙で包み煙草を作っていく。
先日のアスカとクラウスの事務所でのやりとりを知っているザップは、まさかクラウスと幼馴染という女がスラム街の娼館に居るとは思わず、目を丸くして驚いた。

「クラウスの旦那は知ってんのかよ。アンタがここに居ること」
「彼が知ろうが知らないが関係ない話だね。それは」

と言うとアスカは出来上がった巻煙草を咥えると持っていたマッチ棒で煙草に火をつけた。
険悪な雰囲気を察知してか、エミールがアスカに後ろから抱きつきつくと、ザップに対して唇を尖らせた。

「アスカはここで用心棒をしているの!アンタなんかと違うんだから!」
「てめえに言われたかねえよ!」

二人のやり取りにアスカは喉を鳴らして笑うと咥えていた煙草を口元から離し、煙を天井に向かって吐き出した。

「ザップ。君は面白いね。ライブラっていうのは面白い人間が集まっているのかな」
「はあ?」

ザップは怪訝そうに声をあげてアスカを見つめる。

「昔を思い出すよ」

と口角を上げながら言うアスカにたいして、ザップは悪態をつくために口を開いたとき、ザップのスマートフォンの着信が鳴った。
パンツ姿のザップはじたばたと慌てながらスマートフォンを探していると、エミールはザップの着替えを顔面に向けて投げつけた。
すると着替えから足元にスマートフォンが転がった。
慌ててザップはスマートフォンの通話ボタンを押す。

『私だ。緊急招集、事件だ』
「りょーかいっす。今向かいます」

ザップが着信に出ると相手は彼の上司であるクラウスだった。
普段なら構成員の緊急招集の号令は副官であるスティーブンがおこなうはずなのだが、リーダー自ら、構成員に電話してくることはとても珍しい。

『今どこにいる?レオナルドを連れて現場へ向かって欲しい』

クラウスの質問にザップは素直に答えようとして、辺りを見回すとアスカと目があった。
思わず、言葉に詰まってしまう。
娼館に入り浸っていることはいつものことなのに、なぜかザップはクラウスに自身が措かれた状況を説明しづらかった。
それはここにアスカという女が居るからだろう。

「――ああ今、メシ食ってたところです。すぐに向かいます」

適当にクラウスをはぐらかしてザップは電話を切った。

「気を使わせたね。悪いね」

と言うとアスカはそれっきり煙草を吸ったまま、ザップとは目すらも合わせなくなってしまった。
しかし、ザップが娼館の裏口から出ようとしたとき、背中越しにアスカに「ありがとう」とお礼を言われて、クラウスとアスカの奇妙な関係に心の中で溜息をついて娼館を後にし、現場へ向かうため走り出した。


***


「参った。」

カフェで一人、頭を抱えながらスティーブンは呟く。
ライブラの副官としての優秀な彼の頭脳が、フェリオル・ヘムハッドと会話してからずっと頭がショートしかけ続けていた。
そのお陰で彼が去った後、数時間が経過していたが、スティーブンはその場から動けずに居る。
フェリオルが言っていたことが、すべて本当だとすると考えると、ますますスティーブンの頭は思考を停止させた。
5年前、ルーマニアで起きたあの事件。

「スティーブン」

頭を抱えていたところを振り返ると、そこに黒塗りの車の後部座席から顔を出すクラウスが居た。

「――どうした?事件かい?」
「ああ。急ごう。」

クラウスは妙なところで勘が鋭い。
だから、クラウスに今のスティーブンの表情を絶対に読取られてはならない。
スティーブンは必死に動揺する気持ちを笑顔の仮面の下に隠して、クラウスが乗る車に乗り込んだ。
そして心に強く思う。
クラウスとアスカを再会させてはいけない。
ライブラのために。








to be continued...




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