今から5年前。
血界の眷属戦で負けたクラウスは、アスカに救出されてそのままルーマニアの国立病院に運ばれた。
重度の負傷および貧血で彼は集中治療室に運ばれ、こん睡状態のまま1週間を過ごした。
その後、意識を取り戻したクラウスは一般病棟に移され、そこで6週間の治療とリハビリを受けることになる。
意識を取り戻して初めて読んだ新聞の一面に、工場爆発事故として血界の眷属戦の記事が掲載されていた。
一般人には、ただの工場の爆発事故であるが、牙狩りにはこの事件が血界の眷属と牙狩りの戦闘によるものだとすぐに分かる。
新聞を読むに、幸い大きな被害は無く、死者も居ないようではあるが、ベッドの上でクラウスは当時現場に居たアスカの存在が気がかりでならなかった。
見舞いにきたスティーブンにそれとなく、アスカについて問いただすのだが、はぐらかされてしまうばかりだった。
純粋にアスカに会いたいと思った。
彼女が繋ぎとめてくれた命だから、とにかく礼を言いたいと思った。
クラウスは自身が救急車に運ばれるまでの朦朧とした意識を思い返す。
手にべっとりとついたアスカの赤い血。
彼女も怪我を負っていたはずだ。
アスカの容態がとても気がかりだった。
しかし、入院中に誰一人もアスカについてクラウスに話す人間は、ついに出てこなかった。
退院してルーマニアを出国するときに、ギルベルトからクラウスは初めて聞かされる。
アスカが事件後から行方不明だと。



第五話「親愛なる幼馴染へ」



早朝のライブラの事務所は昼間の喧騒が嘘のように静寂につつまれている。
日課の植物への水遣りを終えるとクラウスは自身の机に就いて、事務書類にサイン書いていく。
いつもならばそれとなく終える業務なのだが、今日は思うように手が進まなかった。
狩人狩りを名乗る男が事務所に乗り込んできたからだ。
狩人狩りの存在することは知っていたが、本物を見るのは、クラウスは初めてだった。
狩人狩りの伝聞は古くから存在していて、どれも牙狩りを狩る牙狩りとして伝えられている。
化物を退治するためには、人道を見いだす必要があった。
強さを追い求める牙狩りにとって、人道という道を踏み外した先にあるものが深淵、闇。
つまり牙狩りが化物に堕ちるということ。
深淵堕ちした牙狩りを誰かが退治しなければならない。
それを己たちの領分として引き受けているのが「狩人狩り」という組織だった。
その狩人狩りにアスカは追われている。

「坊ちゃま」

ギルベルトに声をかけられてクラウスは、顔をあげた。
あまりにも集中していたために、クラウスはギルベルトが紅茶を持って机の横に立っていることに気づけなかった。

「アスカお嬢様のことを考えられていたのですか」

紅茶を差し出しながらギルベルトは静かに言った。
ギルベルトはアスカのことをお嬢様と呼ぶ。
それはギルベルトが幼い頃からのクラウス就きの執事であったために、名家の令嬢であるアスカを知っていたからだった。

「お嬢様がこのライブラに来た日のことをお話しましょう」

その日、急に入った化物退治でクラウスをはじめメンバーは皆出払っていた。
残ったギルベルトは食料調達のため、外出をしようとしていた時に後ろから聞きなれた声で名前を呼ばれた。
振り返るとそこにアスカが居た。
ギルベルト自身も5年ぶりに見た彼女の変わりようにはとても驚いた。
吸っていなかった煙草を咥え、杖をついて、美しかった銀髪も少し痛んでいるように見えた。
しかし、唯一変わっていなかったものがあった。
瞳の奥に宿った情熱と炎。

「私は彼女の強い眼差しを見て、彼女が大切な決心をしてこのヘルサレムズ・ロットに居るのだと思いました。」

だから、ギルベルトはクラウスへの面会を許した。

「坊ちゃま。坊ちゃまならば、アスカお嬢様のことが分かるでしょう」

ギルベルトはクラウスに優しい眼差しを向ける。

「お嬢様はとても自己表現が苦手なお方だ。本当の窮地に立たされたとき、お嬢様はどうしても気持ちを奥に仕舞い込んでしまうお方だ。」

なぜ、5年間も音沙汰がなかったアスカが突然、クラウスの元に戻ってきたのか。
なぜ、会いにきたのか。
なぜ。

「どうしてアスカが坊ちゃまに会いにきたのか、よく考えてあげて下さい。」

ギルベルトの言葉が優しくクラウスの上へ降り注ぐ。


***


クラウスとアスカの付き合いは牙狩りとしての修行が始まった頃も順調に続いており、二人で魔道書や歴史的文献を読み漁ったり、修行と称して山の中を走り回ったり、いろいろと行動を共にしていた。
とはいえ、会えるときはほんの一瞬で、期間がすぎれば二人はそれぞれの母国へ帰っていく。クラウスにとってアスカは何でも一歩先を行く大切な友であった。
彼女を女性として初めて意識をしたのは、彼らが14歳の頃だった。
アスカはルーマニアの名家の令嬢であったのだが、母親はアスカを生んですぐに亡くなっていた。
だからアスカの父親は一人娘であるアスカを溺愛していたし、アスカも父親のことを何よりも必要にしていた。
しかし、ある日突然、アスカの父親は病魔に侵され床に伏せるようになった。
病魔とは血界の眷属の呪いだ。
呪いはアスカの父親の体を蝕んでいく。
アスカの父親は病魔に侵されながら一年と経たずしてこの世を去った。
残されたのは一人娘のアスカだけ。
クラウスは葬式中にアスカが涙ひとつ零さずに、しくしくと儀式を一人で取り仕切っている姿にとても驚いた。
そんな姿を見て誰もがアスカのことを哀れんだ。
早くに母親を亡くし、父親までも亡くす、哀れなお嬢様。
墓地へ埋葬を終え、参列者が散り散りに帰っていく中、ぽつりと墓地に残るアスカにクラウスは駆け寄った。

「アスカ」

横に佇んでアスカの横顔をクラウスは静かに見つめた。
アスカの顔は強張ったまま、父親が眠る墓地を眺める。

「クラウス」

アスカがクラウスの手をとって握った。
血の気の引いた白い手がクラウスの手をぎゅっと握る。

「わたし、ひとりになっちゃった。」

と言うアスカの手をクラウスは強く握り返した。
心の中で言葉に出来ない言葉を呟きながら。
アスカの金色の瞳には、涙が溢れるように零れ出していた。
実父の葬式は、子どもである彼女を無理やり大人にさせてしまうほどのプレッシャーだったのだろう。

「おかしいよ。クラウス。こんなのおかしい。」

葬式が終わって、幼馴染だけに見せられる顔、言葉。
クラウスの前だけ等身大のアスカでいることができる。
一度、こぼれだしたアスカの涙は、もう止めることはできなかった。

「どうして、お父様はさっきまで生きていたんだよ。さっきまで寝ていたんだよ。それなにどうしてみんなで埋めちゃうの。こんなのひどいよ、おかしいよ。」

アスカにかけたい言葉は山ほどあるのにも関わらず、声をあげて泣くアスカの手をクラウスはただただ黙って握ってやることしかできなかった。
そして、心の中で言葉にできない言葉を何度も繰り返す。

大丈夫、僕が君の傍に居るよ。








to be continued...




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