第十二話「排他の結界3」


彼女は杖をついて歩く。その杖は見たこともないとても堅い素材で出来ていてまるで、石膏のような石にも見える時もあれば、ふとした瞬間に人の骨にも見えてしまうこともある。杖をつきながら歩くアスカの横をレオナルドは、ヘルサレムズ・ロットの街を案内しながら歩く。アスカはとても街に興味があるようで、歩きながら気になるものについて一つずつレオナルドに質問をしていた。
アスカが迷い込んだ路地裏からレオナルドの案内で大通りに戻って来られたのは日が暮れかけた夕方だった。街中の小さな広場に差し掛かった時、ベンチにアスカは腰をかけた。だいぶ疲労が溜まっているように見える。杖に凭れながらアスカはレオナルドに礼を言った。

「案内をしてくれてありがとう。ここまで来られれば、ひと安心だよ」

と薄ら笑みを浮かべるアスカに力はない。レオナルドは突っ立ったまま、アスカを見下ろしていると少し困ったような表情を浮かべてアスカは、ベンチの空いた隣のスペースへ彼を座らせた。

「少し動くと、その反動で動きが鈍くなるんだ。許しておくれよ」
「い、いえ」

アスカは、レオナルドに自身の手のひらを開いて閉じてを数回繰り返して見せた。アスカはレオナルドが見たこともない黒いグローブをしている。両手のひらには十字のマークが施されており、このグローブが彼女の血闘術の道具なのだろうと、ライブラの戦闘を最も近くで見てきたレオナルドは悟った。

「君はどうして、この街に居るの?」

金黄色の瞳と目が合うと、その瞳に意識も何も吸い取られてしまう気がする。それほど美しい瞳なのか、それほど澄んでいる瞳なのか、少年・レオナルドにその魅力は語れないが、アスカの金色の瞳を間近にして、レオナルドは怖気づいてしまう。
真っ直な視線を向けられたまま、レオナルドは躊躇しつつ口を開く。

「もともと新聞記者をしていて、ヘルサレムズ・ロットの歩き方って記事を書くつもりで来たんです」

これは建前としての理由。決して嘘ではない。だが、レオナルド自身がヘルサレムズ・ロットに来た本当の理由は、レオナルドの判断でアスカに言うべきでないと直感的に感じた。つまり、レオナルドは彼女をまだ信頼していない。自身の両目に関わることは、この街内外に関わらず、レオナルドの命に直結する問題である。だからこそ言うべき相手を見定める必要があった。

「なるほど」

レオナルドの言葉にアスカは喉を鳴らすように頷く。

「それでは、質問を変えるよ。君はどうして、ライブラの一員なんだい」

アスカの問いにレオナルドは言葉を詰まらせる。アスカは秘密結社ライブラという組織がどういうものなのか知った上で、レオナルドに問いているのだ。牙狩りばかりで組織された秘密結社。それぞれの分野のプロフェッショナルが集まる秘密結社。レオナルドはそれのどれにも当てはまらない。

「君は至って普通に見える。武器庫で会った時も、今日もまた。路地裏で異界人に殴られ続けた君は、至極普通の人間だ」

大きな金色のアスカの瞳に、彼女の言葉に戸惑うレオナルドが映る。アスカが何を言おうとしているのかレオナルドには察しがついた。
神々の義眼。
この両目があるからこそ、レオナルドはこのヘルサレムズ・ロットで生きていける。そしてこの神々の義眼こそがレオナルドを世界の均衡を保つ天秤の上へ追いやった原因だった。
それらすべてをアスカに話すべきなのか、レオナルドは考えるが、しかし、浮かんだ思惑を瞬時に否定した。
アスカはクラウスの知り合いとスティーブンは言っていたが、いくらクラウスの知り合いだとは言え、両目の秘密は易々と教えることは出来ない。ならば、アスカにどう言い返せばいいのか、レオナルドは考える。
レオナルドを真っ直ぐに見つめたまま、アスカはレオナルドの言葉を待つ。

「−悪い。突然、踏み込みすぎたね。誰にだって言いたくないことのひとつやふたつは、あるもんさ。ましては秘密結社ライブラに関してのこと。簡単に言えるはずがない」

困った表情を終始浮かべていたレオナルド気づいたアスカは、突然考えを翻して、レオナルドに謝った。怖いほどのに真っ直ぐな視線は、もうレオナルドから外れてヘルサレムズ・ロットに向かっている。
それでも、困惑しているレオナルドにアスカは笑顔を向けると言葉を続けた。

「もともと牙狩りっていう職業の人間は変わり者が多いんだ。だのに、君のような真っ当な人間は見たことがないと思ってしまってね」
「僕は、それほど真っ当じゃないですよ」

とレオナルドは苦笑いを浮かべる。浮かべた苦笑いにアスカは首を左右に振る。

「何よりわたしは君にお礼を言わなければいけない。この迷路のような街の道案内をしてくれた君にね」

アスカの長い銀色の髪が風に揺らぐ。色白の肌と銀髪はまるで雪を連想させる。こういう雰囲気を持つ人間は案外、雪が多く降る国に生まれたのだろうとレオナルドは思わず想像してしまった。
助けられたのは、レオナルドもアスカと一緒だった。路地裏で地獄の片鱗を覗いていたレオナルドをどういうわけかアスカが助けてくれたのだ。

「僕も貴女にお礼を言わなきゃならないです。一度でなく、二度も助けて貰って―」
「いや、違う」

レオナルドの言葉をアスカは遮った。

「助けた、と言うとそれは違うよ。わたしは、誰かを助けるなんてことは、出来ないんだ。」
「え?」

思わず聞き返してしまったレオナルドの言葉に、アスカはヘルサレムズ・ロットのビルの合間に望む空を見上げて、思案する。
どんな経緯はあれ、結果を見ればレオナルドは、アスカに助けられた。それなのに、違うと言うアスカがレオナルドには理解ができない。

「クラウスの仲間だからかな」

消えそうな声でアスカが呟いたのをレオナルドはしっかりと聞いた。


***


ザップ・レンフロは娼館ジェナザハードを立ち去ってから、腹の虫の居所が悪いようで、辺りに喧嘩を振りまきながらスクーターを走らせていた。目当てだった娼館に向かったところ追い返され、やり場の無い憤りと持て余した時間は彼を無闇な八つ当たりに走らせていた。葉巻を口に加えながらスクーターのハンドルを持つ彼が、動物園の猿山の猿に見えてしまうほど。

「あの糞ババア・・・!」

葉巻の煙を吐きながら、ザップは娼館ジェナザハードのロビンとのやり取りを思い出しては、憎まれ口を吐く。
娼館でのザップの扱いはとてもいい加減だ。ひと悶着起こそうとしたザップだったが、ロビンに手の甲をひらひらとさせて『閉店』と言われ一方的に追い返されてきたのだ。いくらザップという男が金を持ち合わせない客だとはいえ、自分も客なのだと大手を振って言ってやりたかった。しかし、そんなことも言えず、ザップは一方的に追い返されてしまった訳である。
やり場の無い苛立ちを抱えながらヘルサレムズ・ロットの大通りを、スクーターに乗って走る。すると横目で見覚えのある天然パーマの少年がベンチに座っているのが目に入った。ザップは急ブレーキをかけ、スクーターを路肩に止めるとその天然パーマの少年を後ろから蹴り飛ばした。

「よぉ、陰毛頭!辛気臭い背中させているんじゃねぇよ!」
「挨拶代わりに蹴るの止めてもらえます!?」

背中を後ろからザップに蹴り飛ばされたレオナルド・ウォッチは、前のめりに倒れそうになるのを堪えながら、反射的に振り返り声をあげた。しかし、ザップはさらに腕を伸ばし後ろからレオナルドの首へ、ヘッドロックで固める。挨拶とはいえ、なかなか激しい。
レオナルドの首を腕で締め上げているとザップは、やっとベンチに座る隣の女の存在に気づいた。

「てめぇは!?アスカ!」

まるで、お化けでも見たかのようにザップは目をまん丸にしてアスカの姿に驚いた。しかし、そんな表情もすぐにいつもの憎たらしい顔つきに戻り、今度はアスカに絡むようにザップは捲くし立てる。

「なんで、てめぇがここに居るんだよ!?」

アスカに絡みだすとレオナルドの首を絞める腕についつい力が入り、首がますます絞まる。すると、レオナルドはザップの腕をぱちぱちと手のひらでたたき始めた。

「レオナルド君に道案内をして貰ったんだよ」
「そうじゃねぇ!!」

ザップはレオナルドにヘッドロックを決めたまま、アスカに今にも殴りかかかるのかと思うほど、目に角をつくりながら正面から迫った。ザップの瞳にアスカの姿が映っているのがしっかりと見えるほど近い。人差し指をアスカの鼻擦れ擦れに突き立てる。

「てめぇ、狩人狩りに狙われているな」

娼館ジェナザハードでのことだった。ロビンの言った『狩人狩り』の存在。あの娼館でそれに狙われる存在はザップの中で一人しかいない。
アスカだ。
用心棒としてアスカを住まわせていると言うのは、ロビンたちの偽りであるとザップは確信している。ロビンたちはアスカを匿っているのだ。ヘルサレムズ・ロットの掃き溜めが集まる娼館を隠れ蓑にして。
そうでないと、あの娼館を囲うよう大きな魔方陣の説明がつかない。今の娼館ジェナザハードは臨界体勢、戦闘態勢が相応しい。

「狩人狩り?」

ザップの言葉に思わずレオナルドは、聞き返してしまう。

「狩人狩りって言うのはな。闇落ちした牙狩りを始末する事を請け負う奴らのことだ」

ザップはアスカから視線を逸らさない。

「本部に所属する、牙狩り専用の殺し屋。」

ザップの言葉にアスカは口角を上げる。金色の瞳が大きく輝いた。

「そんな奴等に追われる者は、牙狩りでも何でもない。ろくな人間ですらない。」
「お前に『ろくな人間ですらない』なんて言われるのは心外だな」

アスカは口角をあげた表情を変えずにザップに言い返す。ザップに暴言を吐かれているのにも関わらず、アスカはまるで蝋人形のように表情を変えずに、ザップと向き合っている。何を考えているのか思っているのか、表情や態度を見ていてもアスカからは読取ることはできない。
ザップにヘッドロックを決められながら、レオナルドはビルとビルの合間の空に黒い鳥のような群れを見た。その黒い群れは少しずつ大きくなっているように見える。否、あれは大きくなっているのではない。近づいてきている。

「ザップさん!ザップさん!」

レオナルドは声をあげて異変をザップに教える。その黒い群れは轟々と幾重の羽音を響かせながら、近づいて来た。

「―っなんだ!うわあああ」

ザップが異変に気づいたときは、既に遅かった。3人を覆うように黒い群れに襲われる。幾重にも重なる羽音。目を開いて居ることすら難しい。

「おんどりやぁぁ!」

ザップの叫び声と共に、糸状の血液が黒い群れの四方を網状に囲む。それは彼の血法だった。カチャリとライターを開く音がする。

斗流血法・カグツチ
七獄

ザップの血法によって、3人を中心に小規模の爆発が起こる。赤い炎とともに黒い群れは焼け焦げて、無数の灰になって地面に落ちていく。ザップは辺りを見回すと、黒い煙に咽ながらなんとか生き残るレオナルドと、白い防壁に身を隠して七獄の爆発をやり過ごしたアスカが居た。
白い防壁はアスカの能力だろう。何事も無く至近距離で七獄の爆発をいなす能力者であるアスカに、ザップは若干の腹立たしさを感じてしまう。
苛立ちながらザップは舌打ちをつくと、辺りに散らばる黒い群れの正体である灰に目を向けた。

「蜂・・・?」

辺りで灰になっている死骸は、蜂だった。無数の大型の蜂が3人を襲いったのだ。蜂の死骸には毒針がついている。一匹ならまだしも何百匹もの蜂の集団に刺されたのなら命の保障はないだろう。七獄で焼き払って正解だった。
ヘルサレムズ・ロットの街に似つかわしくない蜂の群れの存在にザップは驚いていると、空の異変に気づいたレオナルドが再び声を上げた。

「まただ!!」

また羽音と共に無数の蜂が黒い群れとなって飛んでくる。先ほどより群れが大きく、黒い塊となって飛んできていた。

「あれは、わたしを狙っている」

冷静な声色でアスカはまっすぐと黒い塊を指で指しながら言った。

「はあ!?」
「だ、か、ら、あれの狙いはわたしだ。」

混乱するザップらとは正反対にアスカは至って冷静で落ち着き払っていた。人形のような表情はちっとも崩れない。彼女に動揺が感じられないどころか、彼女の佇まいには、この事象もすでに自身の中で織り込み済みのように感じられた。
黒い塊となって先ほどの倍以上の数の蜂が、羽音と共に3人に向かって飛来する。その光景は、どこかで見たホラー映画のように絵空事のように思えてしまった。しかし、確実に大群はすでに幾重の羽音が重なって轟音と共に飛来する。

ブラッドフォーミング式血戦武器
城壁の大盾(マーレ・スクゥトル)

アスカはグローブを嵌めた両手の平を擦り合わせ、離すと両手から血液がまるで意識を持ったように、白色に変色し、たちまちアスカの背より高く積み重なる。それは、瞬く間に白い防壁となり、彼女の目前に聳え立った。そして、防壁が出来上がると同時に蜂の群れが、白い壁に毒針を向けて衝撃と共に次々と突き刺さる。無数の蜂が壁に突き刺さったために、蜂がびっしりと張り付いて、うねうねと強固な壁が波立って見えるほどだ。
3人の目に公園の横の大通りを通過しようとする大型トラックが見えた。

「この糞アマ。待ちやがれ!俺の話は終わってねーぞ!?」

ザップは咄嗟にアスカに対して怒鳴る。彼女が何を考えているのか察しがつくからだ。蜂の大群の波はまだ収まらない。アスカの技が作り出した防壁には次々と亀裂が入り、防壁が蜂の勢いを防ぎ続ける限界が近いことを印していた。
ザップの鬼のような形相に、アスカはにこりと笑みを浮かべ、自由自在に変化する血液を横切る大型トラックへ器用に伸ばした。

「悪いが、君たちには囮になってもらうよ」

壁が砕け散る。それと同時にザップとレオナルドは再び蜂の大群に襲われ、アスカは自身の血液を自在に操って通過するトラックの荷台へ飛び乗り離脱する。
ザップは蜂に視界を塞がられる瞬間に、満面の笑みで移動するトラックの荷台からアスカが「じゃぁ!」と手を振ったのを見た。

「ザップさん!?」

蜂の毒針が残されたザップとレオナルドに向かう。

斗流血法・七獄

「くそぉアマぁぁぁぁ!!!」

ザップの雄叫びと共に蜂の大群を瞬殺するほどの爆発音が響いた。炎が天高く一瞬立ち上がり、すぐに黒煙がもくもくと地面から立ち込め、灰となった蜂がひらひらと宙を舞った。
黒煙を背にザップは、黒い煙を吐いて生きた心地がしないレオナルドの足を持って引きずり歩く。

「ザップさん、びょ、病院連れて行ってく、ださい」

レオナルドが口を開けば、言葉と同時に黒煙が小さく立ちあがる。

「あん?ざけんな。追うぞ!あの女を!」
「ええええ!?」

レオナルドは瀕死であることを忘れて起き上がった。

「あの女はマジもんのやばい奴だ」

レオナルドはザップの言葉に思わず、耳を疑った。彼が時々見せる真剣な顔をしていたからだ。

「狩人狩りに狙われるってことは、そう言うことなんだよ!」

それがどうして、寄りにもよって『旦那の女』なんだ。
ザップはレオナルドをスクーターの後ろに乗せると、アスカが乗ったトラックを探すためにエンジンをフルスロットにして走らせた。








to be continued...






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