第十一話「排他の結界2」


「パトリック」

久しい声色に、入荷したばかりの武器の手入れをしていたパトリックと武器修理をしていたニーカが顔をあげた。
声のする方を見るなりパトリックの顔いっぱいに笑顔が浮かぶ。パトリックが営む武器屋に彼にとって久しい旧友が突然現われたのだった。パトリックは手入れをしていた武器を机の上に放りなげると、店の玄関先でその旧友を向かい入れた。

「おお!アスカ!元気にしていたか」

武器屋の玄関先には、色白の銀髪の女が立っていた。その懐かしい姿を見るなり、パトリックはアスカの手を持って、ぶんぶんと振り回すように堅く握手を交わす。
パトリックがアスカと最後に顔を合わせたのは、アスカがクラウスの前から姿を消す以前だった。だから5年以上になる。
パトリックはアスカの手を握りながら感慨深そうに上から旧友を見下ろした。

「いつからヘルサレムズ・ロットに居たんだよ!」
「ほんの数日前からだよ」

アスカは長い銀髪を靡かせつつ、嬉しそうに喜ぶパトリックの横をすり抜けると、店の中央のソファにどかりと座った。席に座るなり、アスカはコートの内ポケットから巻煙草を取り出すし、ライターで巻煙草に火をつけ、ふうっと天井に向けて煙をいた。アスカの巻煙草はどの煙草の臭いにない、独特な香りがする。
煙草を吸う仕草の中、アスカの瞳に睨むニーカが映るが、気には留めていない。

「今まで何をしていたんだ?」

アスカと向き合うようにして、パトリックもテーブル越しのソファに腰を降ろす。そしてじっとサングラス越しに目に焼き付けるようにアスカの姿をじっと見つめた。パトリックの中でも今までアスカは行方不明の女だった。それが目の前で、煙草を吹かしながら座っているのだ。驚きや嬉しさが入り混じった感情を複雑な心境を胸に押し込めていた。

「世界旅行だよ。いろいろな国を見て回ったよ。そして世界旅行最後の街がこのヘルサレムズ・ロット」

アスカは、静かに吸っていた煙草の煙をふうっと吐き出した。アスカの金色の瞳は大きく見開かれ、真っ直ぐにパトリックに向かう。彼女の金色の瞳に見つめられていると、パトリックの大きな体は、小さな野ねずみが怖気づくような感覚に襲われる。そんな力強い眼差しを持つ彼女は、パトリックには昔から何ひとつも変わっていないように思えた。差して違うといえば、巻煙草を吸っているということと、痛んだ銀髪だろう。

「インドにも行ったし、日本にも行った。仕事を忘れて旅をするのも悪くはないさ」
「なるほど!俺らも行きたいものだな!!なぁ、ニーカ!」

カウンターより奥に居るはずのニーカにパトリックは気前良く声をかけるが、ニーカの返事はない。マイペースなニーカが返事を返さないことは日常茶飯事であるので、何一つ気にかけることなく、パトリックはアスカと会話を続けた。

「―とまあ、本題に移ろうや。ここは武器庫の俺が仕切る武器屋だ。この街用の武器はいくらでも揃ってるぜ?」

とパトリックは自慢げにアスカに言うと、最新式の対異界人向けの武器を紹介しはじめた外殻の堅い異界人でも、パトリックの紹介する拳銃は、通用するらしく、人間では即死級の武器だろう。
しかし、アスカはパトリックの言葉を、煙草を横に振って遮った。

「確かに武器屋に来て武器の話をしないのは野暮だ。実はもう目星はついているんだ。パトリック」

アスカはパトリックにメモの走り書きを差し出した。そのメモを見るなりパトリックの表情は固まり、息を飲んだ。差し出されたメモに自身の目を思わず疑ってしまったからだ。
それだけ驚かせることをアスカは平然と、ましては確信すら秘める表情を浮かべながらパトリックを見つめる。

「―アスカ・・・!」

驚きを隠せないまま、半信半疑でパトリックはアスカを凝視する。パトリックが思わず、メモの走り書きを読み上げようと口を開くのを、アスカが人差し指を口元にあてて、パトリックの言葉を遮った。

「悪いが読み上げないでくれよ。パトリック。君は信頼している。そりゃそうさ。武器屋というものは昔から中立だからな」

不穏な様子を察知して、ニーカがカウンターから出てこようとするのを、アスカは横目でちらりと見つめた。アスカの冷静な眼差しを受けながらパトリックは、テーブルに手を突いて、顔を埋める。そして押し潰したような磨り減らした唸り声をあげながらパトリックは口を開く。

「お前がこの街に来ていたことは、既に知っていた。ヘルサレムズ・ロット中の武器商人から武器を買い漁っているのも、武器庫の俺の耳に入らないわけがない。・・・だが、お前が求めるこの武器は―」
「パトリック」

被せるようにアスカはパトリックの名を呼ぶ。彼が何を言おうとしているのか、アスカにはよく分かっているのだ。

「このメモのとおり、武器の用意をしてくれ。パトリックにしか頼めないんだ。この武器は。」

パトリックはテーブルに顔を埋めたまま、起き上がらない。アスカは淡々と言葉を発しているはずであるのに、まるでパトリックにとっては、自身の頭に拳銃を当てたられているような気がしてならなかったからだ。
彼女は何もしていない。だけれど、彼女に反したらただでは済まない。

「ならば、なぜこの武器が必要なのかを教えてくれ」
「・・・それはできない」

冷たくあしらうアスカにパトリックは再び言葉を詰まらせた。
アスカは顔を埋めたままのパトリックの手元にメモを添えると、煙草を加えたまま武器屋の入口ドアに手を差し伸べ、一呼吸吐いてドアを開いて武器屋を後にした。
残されたのはテーブルに顔を埋めたままのパトリックである。アスカが居なくなった後、ニーカは小走りでパトリックの横について、アスカの残したメモを改めて読んだ。
電話の呼鈴がけたたましく鳴り響く。その呼鈴に反応したパトリックは顔をむくりとあげて、通話ボタンを押した。
相手はスティーブン・A・スターフェイズである。

「・・・お前が言った通り、アスカが来たよ。」
『ああ、なんて?』

まるで想定内でしたと言わんばかりに、スティーブンはパトリックの言葉に返事をした。

「・・・悪いが、今回ばかりは答えられない。」

パトリックの言葉に電話越しのスティーブンが少し苛立ったのを息遣いで感じる。しかし、パトリックの決意は堅く、埋めていた顔をあげながらパトリックは会話を続けた。

「武器屋は常に中立でなければ、商売ができん。俺はライブラである以前に武器屋だ。」
『ハハッ!これは、かなりの金額をつかまされたな?』

受話器越しにスティーブンが皮肉めきながら笑ったのが伝わる。スカーフェイス、冷血漢。スティーブンという男を揶揄する言葉なら、今のパトリックはいくらでも思いつくことが出来た。しかし、彼の武器屋としての心意気が商売人としての心に火をつけたのだ。パトリックの意思は堅い。

『パトリックの店にまでアスカが来たということは、彼女がヘルサレムズ・ロット中の武器商人から武器を買い上げている噂は確かだったということか』
「スティーブン」

通話をしながらパトリックは、アスカとの最後の記憶を思い出していた。彼女と会った5年間の記憶だ。あの頃のアスカは今の彼女とは程遠い、誠実さも聡明さも持ち合わせていない。まるで別人のような印象があった。似て非なる。

「アスカはどうして、武器をどうするつもりなんだ・・・!」

沈黙。パトリックの言葉にスティーブンは押し黙り、言葉を選んでいるようだった。そして、溜息混じりにスティーブンはパトリックの問いに返事をする。

『そんなの、僕だって知りたいさ』

思いも知らないスティーブンの返答に拍子抜けしたパトリックは、業と肩を落として落としながら、店の天井を仰ぎ見た。

「悪いが、もう二度とこんな真似事はしないからな」

と言うとパトリックはスティーブンとの通話を切った。そして大きな溜息をつきながらソファに凭れかかる。一部始終見ていたニーカは、じっと立ったまま横でパトリックを見つめたまま動かない。そうしていると、サングラス越しのパトリックの目がニーカと合った。

「どーするの?」

初めてニーカが言葉を発した。目が合ったままのパトリックは、ニーカの視線に居た堪れなくなり、店中に響き渡るほどの大きな雄叫びをあげた。

「ああ!そうだとも!用意するさ!なんたって、俺は武器庫(アーセナル)だからな!」

まるで、自分の言葉で自身を奮い立たせるパトリックを尻目に、ニーカはアスカからのメモを再度、見つめた。アスカがパトリックの武器を求めて店にやって来た理由が良く分かる。メモに記されたアスカの要望は、牙狩り御用達の武器庫でなければ、揃えることはできないだろう。


***

何かの気配がする。ずっと後ろをひたひたとついてきて、背中にべったりと視線をあててくるのは、業とだろう。
繁華街の雑踏に身を隠し歩きながらアスカはその気配に注意を注ぐ。尾行されていることに気づいたのはパトリックの店を出て直ぐのことだった。その視線は店を出てからアスカに対して変わらぬ距離間を保ちつつ、ずっとひたひたと後ろをついてきた。
雑踏の中に居れば、その視線は距離間を破ることなく眺めるだけだろうとアスカは思い、あえて明るい繁華街を歩くが、ずっとついてくる後ろの視線に苛立ちを感じてしまう。
視線の距離は約3メートル。
繁華街の雑踏はさまざまな人種の人間や形態が異なる異界人が多く行き交う。アスカはそのひとりひとりに目を凝らし、瞬間を待った。
一際、大きな異界人がアスカの後ろを横切る瞬間を。
それを合図に、アスカは雑踏の細い路地に向かって走りだした。その間に、何人もの人間と異界人にぶつかったが、お構いなしだ。アスカが走り出したのを合図に、淡々としていた視線との間合いが崩れ、その視線は振り切られまいとアスカの後を追う。
薄暗い細い路地に駆け込むとアスカはそのまま走るスピードを落とさずに、路地を右往左往と進む。溝臭い腐臭がする路地に入ったとしてもアスカは走ることを止めない。それは後を追う視線がまだひたひたと後を追ってくるからだ。アスカは走りながらも振り返り横目でその視線の持ち主を確認した。
それは『人影』だった。
目や鼻もなければ口も無い。人の骨格を持った人の形をした黒い影。アスカには黒い影として見えるが、普通の人間であれば、その影は『人間』として認識され、能力を持った人間には『影』と見える。だから雑踏の中でその視線は紛れることができたのだ。

「密偵型か」

アスカはその視線を巻こうと路地の道なき道を走り続けるが、その影はしつこくアスカの後をついてきて、なかなか巻くことができない。その影はしつこくその対象物の後を追うようにできているのだ。
アスカは走る。
適当に走りすぎて、今自分がどこを走っているのか、定かではない。ニューヨークの街は何度も訪れたことはあるが、大崩落後の再構築された街、ヘルサレムズ・ロットは初めてだ。見覚えあるニューヨークの看板や標識を走り通り過ぎたが、ここが記憶に残る場所だとは限らない。
アスカは走る。
細い路地の先に人が居た。さすがヘルサレムズ・ロット。欲望と暴力の街。裏路地に入ればあたりまえのように、暴力が垣間見える。アスカの先に、人間が異界人に襲われていた。人間のか弱い生命が摘まれる瞬間がすぐ目の前にあるが、アスカもその足を止めたのなら、影に追いつかれてしまう。
アスカはとっさにその障害物を避けるべく、高く上にジャンプして飛び越えた瞬間。空中で、襲われている人間と目が合った。
ライブラの少年。

「君は!」

思わず、アスカは声を零した。ライブラの少年もアスカに気づき、顔面デコボコの顔をアスカに向ける。
舌打ちをつくと通過した少年の元にかけよってアスカは、少年の腕を引いた。

「ついて来なさい!」

そして再び走り出し、すぐに人ひとり通ることすらままならない、細いビルとビルの間に、レオナルドと自身を押し込んだ。少年は異界人によって殴れ、腫れた顔をアスカに向けてとても驚いていた。

「どうして―!?」

少年がアスカに声をかけるのを手で口を覆い制止する。そして自身の口元に人差し指を添えると、肩で息をしながら「静かに」と消えそうな声で少年に向かって言った。
物影に身を隠しながら、アスカは周りに注意を向ける。
少年を襲う異界人が、突然、連れ去られた少年を探して辺りを見回している。中型の筋肉で全身できているような異界人だ。知能はそれほど高くないようだ。その異界人は少年を探しているが、アスカたちの元に行き着くこともなく、困惑しているようにも見える。
そろそろ。
アスカを追う影が追いつく頃。異界人は突然、少年を探すことから別のことに意識を削がれた。
影が追いついたのだ。
異界人には影は人間に見えている。異界人の標的は人間に見えている影に変わったのだ。異界人は大きな拳を影に向け、振りかざした。
アスカは息を飲む。
影は振り降ろされた拳を顔あたりで受け止めると、ずるずるとその異界人を拳から影へ侵食しはじめた。影に飲み込まれる、それに表現は近い。異界人は絶叫する。けたたましい悲鳴が辺りに響く。

「飲み込まれた!?」

アスカの後ろから覗いていた少年が声を震わせながら、呟いたのをアスカは聞き漏らさなかった。
影が中型の異界人を飲み込むのに時間はかからない。拳から腕、肩と飲み込み、最後はつま先。影は異界人を跡形も無く飲み込むとふらふらと辺りを見回す。そして脇目も振らずにアスカらが隠れる物影に再び歩みを進ませる。
異界人が影に飲み込まれる瞬間を見た少年は恐怖で怯えきり体を震わせていた。アスカも少年の身体を奥へ押しやりながら、冷たい汗が頬を伝うのを感じた。
影が迫る。
人の形をした影がアスカの銀髪に手を差し伸べようとした動きが突如、止まる。そして、差し伸べた手を引き戻すと、アスカたちに背中を向けて走って迷い込んだ街路地を戻って行ってしまった。
なにが、どうしたか、アスカにも理解が及ばないが、ビルとビルの間の物影に残された二人の危機を脱したことに胸を撫で下ろすと、少年の腕を再び引っ張って、外へ出た。
薄暗いこの路地に人の気配はもう無い。先ほどまでのアスカに対しての視線ももうどこにも無い。アスカは辺りの安全を確認すると、膝に腕をついて脱力感から地面に座り込みたいのを必死で我慢した。

「た、助けてもらってありがとうございます」

すると後ろから少年に声をかけられた。恐る恐る声をかけてくる少年の顔にアスカは見覚えがあった。

「助ける・・・ああ、そう、ね。―君は、ライブラだね」
「ええ」
「会うのは、三回目」

最初にアスカが会ったのは武器庫での商談の時だった。あの商談でライブラの介入もあり、すべてが泡と消えたのだが、その時に少年もあの場所に居た。
アスカは記憶を遡りながら、先日の少年との記憶を思い出していた。

「武器庫で上から落ちてきた子だ」
「レオナルドって言います。レオナルド・ウォッチ」
「わたしは、アスカ。」

と言うとアスカは手差し出した。レオナルドはそれに一瞬、躊躇するが握手を交わす。異界人に撲られ、腫れ上がった顔をアスカに向けながら、レオナルドは先ほどの現象を半ば混乱しつつアスカに問いかける。

「なんだったんですか!?影が異界人を飲み込む・・・取り込まれたようにも見えた・・・あの影は・・・」
「君にはあの影が『影』として見えていたのかい?」

アスカの問いにレオナルドは疑問符を浮かべる。アスカの金色の瞳がぎらぎらと輝いているように見える。アスカはレオナルドの反応に口角をあげ、なにか確信めいたものを胸に秘めているようだった。

「ここで立ち話は難だ。悪いが、大通りまで案内してほしい」

影に追われて街をめちゃくちゃに走り回ったアスカは、迷子だ。
アスカはレオナルドを連れて歩き出した。








to be continued...






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