第十話「排他の結界1」


ヘルサレムズ・ロットで放映される番組は外界と大差はない。映画・ドラマ・ニュースなどの番組。様々なテレビ番組を合衆国民と同じ環境下で視聴することができる。それどころか、ヘルサレムズ・ロット独自のチャンネルが、大崩落後から新設され、街で見られるテレビ番組はどんどん増えていく。街の独自チャンネルでは、至極当然のように異界人がテレビ画面の中で賑やかしをしている。
また、家電量販店のテレビ売り場に行けば、合衆国内で見られる番組とヘルサレムズ・ロット独自の番組が売り場のテレビ画面を彩り、異界人の販売員が異界人の客に高品質かつ高級なテレビ機器を売りつけるのだ。

「・・・お客さま。困ります・・!」

さまざまな人種が家電量販店には訪れ、陳列される商品を人間と異界人らが品定めする真っ昼間に、体の小さな異界人の店員が声を震わせながら、恐る恐るテレビ売り場で一人の男に向かって声をあげた。
男は家電量販店の売り場には不釣合いと言える程、異様な立ち姿をしている。トレンチコートに中折れ帽。微かに男から溢れる殺気は売り場の店員に恐怖を与え、異界人である店員を震え立たせた。男が食い入るように魅入る矛先は、展示用に陳列されたテレビ画面。男は無数のテレビ画面を、店員の静止を振り切ってそれぞれのリモコンを使い、チャンネルを換えてしまう。無数の展示テレビの画面はどれもニュース番組を映していた。

『それでは、本日の天気予報です』

一つのテレビ画面が天気予報に切り替わったのを合図に、みるみるうちに他チャンネルもニュース番組の合間の天気予報に変わっていく。合衆国大西洋沿岸の地図を背景に予報士が天気予報をはじめる。

『本日の天気予報は、以下のとおり。各地の天気はとても安定しており、ワシントンとボストンは気持ちのいい一日となるようです。それでは、ヘルサレムズ・ロットの天気はこちら―』

大きな環境変化も3年もあれば、平然と人は受け入れてしまう。大西洋沿岸地域の地図のニューヨークシティがあった場所は、至極当たり前のようにヘルサレムズ・ロットという呼び名に変わり、予報地域の一部になっている。天気予報士の女性は、愛らしい笑顔を浮かべながらヘルサレムズ・ロットの天気を天気図のCGと共に、器用に説明していた。
別のテレビ画面では、また違った天気予報を放送している。スーツ姿の男性が大西洋沿岸と海洋をスティックで指しながら、説明していた。

『現在、カリブ海沖に発生している熱帯低気圧は、普段、今のような時期では絶対に発生しないものだと思われていました。つまり前代未聞の異常気象なのです。なお、このカリブ海沖に発生した熱帯低気圧は明日の夜には、ハリケーンに変わる模様です。』

テレビ画面の天気予報を眺めていた男の目がギラリと鋭く輝いた。口角はみるみるうちに釣り上がり、テレビ画面の天気予報を睨むように見つめる。まるで画面の向こう側に手を伸ばし、予報士やキャスターを引きずり出して、採って喰ってしまいそうに見えるほど殺気立っていた。
一方、未だに展示用のテレビを勝手に操作する男を制止しようと、店員は声を震わせながら男に話しかけるが、残念ながら店員の声は、男にまったく届いていない。
テレビ画面の天気予報では、スーツ姿の天気予報士にキャスターの女性が質問をした。

『この比較的安定した今の時期の熱帯低気圧の発生は、やはり海水温の上昇などが原因なのでしょうか』
『そうですね。今年はカリブ海沖の海水温が5度ほど高く、世界的に観測しても平均して3.5度海水の温度が上がっています。海水温の上昇が今回の異常気象の発生原因のひとつと考えていいと思います』
『それでは、そのハリケーン。今後はどのような進路を辿るのでしょうか』

大西洋沿岸とカリブ海沖の地図を背景CGに天気予報士はスティックを使って説明していく。

『現在、熱帯低気圧のこの塊は、米北東部へ北上する模様です。ただし、勢力はそれほど強くなく、カテゴリー1。勢力は比較的小さいハリケーンです。』
「厭、違う。そうじゃぁない。」

画面越しに向かって男が始めて言葉を発した。男の声はとても低く狼が唸るような声をしている。ギラギラと鋭く輝く瞳を三日月型に歪ませると男は、喉の奥を鳴らすように天気予報を流すテレビ画面に向かって笑った。

「クククク。喜べ。喜べ。アスカ。お前たちの思惑どおりだぞ。」

いつの間にか、男の足元にぴったりと寄り添うように大きな黒い犬が居る。否、それは犬ではなく、狼だ。狼は主の足元で腰を下ろし、綺麗なガラス玉のような眼差しを真っ直ぐ男に向けていた。
狼の存在に気がついた男は、にたりと口角を上げる。

「―見つけたか。」

男の言葉に応えるように、狼はむくりと立ち上がり、家電量販店の通路を行き交う人々を避けながら男より先に歩き出した。男は満足げな表情を浮かべると、トレンチコートをまるでマントのように翻しながら狼の後を追うように歩き出す。

「お客さま・・・」

取り残されたのは家電量販店の店員だった。
怪しい男に展示用の全テレビチャンネルを天気予報に勝手にチャンネルを変えてしまったうえに、突然現われた狼に導かれるようにその男は去っていく。唖然としながら目を丸くして、震えるしかなかった。
あの男は何者だったのか、怪しい男なのだから以降の来店時には気をつけなければならない、と店員は思うのだが、ふと気がつくと、つい先ほどまで怯えながら凝視していた男の顔を思い出せない。思い返せば返すほど、記憶は途端に曖昧になっていくのだ。
あやふやな存在に変わってしまった男顔と立ち姿を、店員ははっきりと思い出すことは二度と無いだろう。
店の去り際に男は最後、振り返る。困惑する店員を横目で見つめ、その先のテレビ画面を最後にもう一度見つめた。

『このハリケーンの今後の動きを我々は注意深く観察する必要があります』

トレンチコートの男。フェリオル・ヘムハッドは、狼を連れてヘルサレムズ・ロットの街へと繰り出す。すると、石畳を歩む彼の革靴がこつこつとリズムを刻み始めた。
ヘルサレムズ・ロットの天気は晴れ。濃霧の先に晴天が見えるのだろうが、霧の街ヘルサレムズ・ロットでは、その晴天は拝めない。


***


ザップ・レンフロは鼻歌を歌いながら、ヘルサレムズ・ロットの路地をご機嫌に歩む。彼の機嫌がいいのは、彼の貧しい懐に臨時収入が入ったからだった。臨時収入が入ればザップがやることは一つ。ギャンブルか娼館の女たちに貢ぐことか。レオナルドやツェッドが居れば嫌悪を抱くようなことをザップは、札束を握って企てるのであった。
ザップは路地裏に入る。ザップの向かうその娼館はヘルサレムズ・ロットでも治安の悪い場所に立っている。娼館ジェナザハード。
とりあえずザップの思惑としては、その娼館の出勤中の女たちに軽く挨拶し、目当てが居なければ、別の娼館か賭け事ができる酒場に行こうと考えている。
そんなことをご機嫌に考えて歩いていると、突然、躓いて体勢を崩しそうに、前のめりになってしまった。
何に躓いたのかと見てみれば、足元には白いペンキの缶が転がっている。気づけばペンキの独特な臭いが鼻腔を刺し、辺りを見回せば路地や外壁を白いペンキでまるで落書きのように描かれている。

「なんだ!これはよぉ!」

ザップが向かっていた娼館ジェナザハードは、外壁という外壁、そして敷地内の地面を白いペンキによって、落書きで塗りつぶされているではないか。また単に適当に描かれた落書きではなく、秩序だったラインとマークで描かれている。
ザップは足の踏み場に困ってあたふたとしていると、その姿をきゃっきゃと声をあげて女に笑われてしまった。

「ザップ!その汚い足で、絵を踏み消さないでよね」

笑いを堪えながらエミールは言った。彼女の手に白いペンキ缶と刷毛が握られていることから、この落書きを書いたのはエミールだとすぐに察しがつく。ザップは、エミールを睨むと捲くし立てるように続けた。

「んだよ!お前がやったのかよ!これじゃぁ店に辿り着けねぇよ!」

下着が透けるほどに薄いワンピースの上に、ぶかぶかのスタジャンを着込む、エミールは器用に白いラインを避けながら、ザップに近づくと業とらしく大きな溜息をついた。

「悪いけど、当分の間はうちのお店はお休み、休業。だから、若い子たちはもう居ないわよ」
「はぁ!?」

驚きのあまり、ザップは思わず声を裏返してしまう。
今までいろんな娼館で遊んできたが、娼館丸ごと休業宣言するような店は初めてだ。ましては、娼館ジェナザハードが店を休むなど、初めてである。しかも既に女たちは帰らせたと言うのだから、目の前に立つ緑頭の女は正気であるのかと、ザップはついつい疑ってしまう。
一方、エミールは至って本気のようで、ザップが踏み消してしまった絵の一部を刷毛で修復をし始めた。

「言っておくけど、この絵を描かせたのは、ロビンだからね」

あたしじゃないからね、とエミールは刷毛でぺちぺちと地面を叩きながら言う。すると娼館の古びた簡素なドアから、色白の女が出てきた。昼間だと言うのにウィスキーの入ったグラスを手に持って、ゆらゆらとドアから一歩一歩とザップの元へ歩いていく。

「もう店じまいしている。悪いが帰ってくれ」

その女はロビンだった。ロビンは栗色の髪を掻き上げながら、玄関先のドアからザップに声をかけた。酒やけしたような低い声は、娼館の主としての威圧感をさらに増倍させている。
しかし、ザップはロビンの言葉を鼻で笑い飛ばした。

「わーかったよ。しかし、突然、休業するなんざぁ、お前ら、何か悪いことでもやらかしたんじゃねぇの?たとえば、マフィアのボスの寝首切ったとか」

ザップの言葉にエミールが反論しようとするのを、ロビンが首を横に振って静止する。そのロビンの仕草にザップは口角をあげ、ズボンのポケットに両手を突っ込みながら彼女に向かって、何か確信めいた不敵な笑みを浮かべながら仁王立ちした。

「じゃぁ、何でこんな娼館を囲むように魔方陣なんか、緑髪にかかせているんだ?」

娼館ジェナザハードを中心に取り囲むように白いペンキで魔方陣が描かれている。牙狩りとして修行を積み、一流の集まりであるライブラの構成員であるからこそ、一見適当に描かれた落書きのような絵をすぐさまに魔方陣だと気がつくことができたのだ。
ロビンはザップから視線を外すことなく、手元のグラスのウィスキーを口に流し込む。気づけばエミールはロビンの後ろに回りこみ、彼女の後ろから顔を覗かせて頬を膨らませながらザップを睨んでいた。

「お前には関係ないことだよ。ザップ」
「―そりゃ、そうだ。だが、大そうなこの魔方陣、どんな効果があるかはしらねぇけど、・・・ババア。てめぇはいったい、何者だ?」

娼館の主である女。それがロビン。それは、ザップが持ちえる唯一の彼女の情報であったが、まさか彼女が魔方陣を操るなど知りもしなかった。世界各国の有象無象の輩が集まるヘルサレムズ・ロット。ただの女が娼館の看板を背負いきれると思っても居なかったが、魔道に精通しているのでは、話は違ってくる。

「この街に狼が入った。お前も一応は、牙狩りなのだから、狼には気をつけなさい。」

狼と言う言葉をここ最近よく聞く。誰が言っていたのかと思い返すとあの女が言っていた。クラウスの知り合いという女、アスカだ。ザップは先日の怪物退治の事件に構成員として居合わせていた。クラウス、スティーブン、そしてアスカ。彼らの険悪な雰囲気が恐ろしくて割ってはいるなど出来なかったが、アスカがスティーブンに向かって『狼の臭いがする』と言っていたのを思い出した。

「狼?」
「牙狩りを狩る狩人のことよ」

牙狩りを狩る狩人『狩人狩り』については、ザップも師匠に教え込まれたために、良く知っている。牙狩りにとって恐れる存在である狩人狩りという存在は、ザップの師匠にとってはなんら問題のない話であったようだ。
それは牙狩りを狩る狩人の役目は『人道を踏み外した牙狩りを狩る』と言う、それのみであったからだ。人道を踏み外しさえしなければ、恐ろしくも無い小さな勢力と言う事らしい。

「どうして、狩人がこの街に・・・」

ライブラメンバーの構成員の大半が牙狩りである。その一人ひとりの顔を思い出して、狩人狩りに狙われるような人間が居たかと思案するが、いくら思案しても、そんな人間は思い浮かばなかった。
牙狩りが人道を踏み外すということは、その牙狩りは人間の脅威になるということ。
人間の脅威になるような人間は、ザップの知るライブラには居ない。

「ババァ。いったい何を考えて居やがる―」








to be continued...






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