第八話「予兆―その2―」


武器商人という人間は誰も彼も皆似たような笑みを浮かべる。
ヘルサレムズ・ロットという街に措いても例外はなく、アスカの目の前に立つスーツ姿の男は淡々と商談書を読み上げつつ、薄ら笑みの下に男の商売人としての下心が見え隠れしていた。
アスカは商談書にサインを書き込むと、肩の荷を降ろすように巻煙草の煙をふうっと吐き出した
立ち昇る煙を眺めつつ武器商人は張り付いた笑みに嫌気を感じていると、街の遠くで爆発音と共に黒煙が上がり、地響きと共にビルがかたかたと揺れた。
雑居ビルから望む街が騒がしい。
子どもの頃にテレビ画面で観たようなヒーローショーが街中、どこでも起こるヘルサレムズ・ロットでは、爆発だの銃声だのは日常茶飯事の出来事であるが、アスカは関心深そうに煙草を咥えながら窓の外を眺めた。い

「この街はいつもこうなのかい?」
「ええ。有象無象の集まりの街ですから」

と武器商人は嬉しそうに答えた。
アスカはあえて、武器商人にも聞こえるように大きな舌打ちを打つ。
異界基準の武器の外界取引は、国連によって禁止されているが、それらは表向きだけですでに多くの異界基準の武器が外界で売り叩かれ始めていた。
アスカはビルの窓から外を暫くじっと眺め、目を細くすると窓際から三歩横に外れた。
その次の瞬間、爆音とともにアスカの居たフロアの天井から上が吹き飛び、アスカの立っていた窓際は、アスカから数歩逸れた辺りで綺麗さっぱり木っ端微塵に残骸と化していた。
吹き飛んだ鉄筋コンクリートと土煙の中に得体の知れない影。
このビルを吹き飛ばした張本人がそこに居る。
奴はモンスター、化物、怪物。
外界でそう呼ばれてきたものに違いない。

「おい、武器商人。生きているかい?」

巻煙草を咥えながらアスカは瓦礫の中で埋もれている武器商人に声をかける。
武器商人は瓦礫の中で確かに生きていた。
大量の血が流れているようだが、深手を負った傷口を良く見れば、彼は人間ではないようだった。
武器商人は、人間に良く似た異界人だった。

「ええなんとか・・・」
「ひとつ、聞く。貴様が死ねば、先ほどの商談はどうなる?」
「私が死ねど、署名した契約書が残っていれば、商談成立の事実は曲がりません。我々にとって契約は何よりも大切なものですので」

アスカはテーブルの上の書類を取り上げ、埃を払いのけると着ていたコートの内側のポケットに綺麗に畳んで仕舞った。

「そうかい。なら安心した。」

アスカは両手のグローブを嵌めなおすと姿勢を低くして、アスカの金色の瞳を鋭く輝かせ、にやりと犬歯を出して口角をあげた。


***


怪物騒ぎと秘密結社ライブラの登場で、ヘルサレムズ・ロットの街が騒がしくなっていたことにアスカは既に気づいていた。
崩落しかけたビルの瓦礫の山の頂上でアスカは、自身の何倍もの大きさの怪物の死体を背負いつつ、秘密結社ライブラのリーダー、クラウス・V・ラインヘルツと対峙する。
アスカは金色の瞳を細めると、咥えていた巻煙草の煙を肺の奥深くへ流し込むように吸い込んだ。
そして白い煙を吐く。
アスカは無言のまま、怪物の死体をクラウスに投げつけた。
クラウスはそれを軽々といなすように受け取ると真っ直ぐとアスカを見つめなおす。

「アスカ」

その声色はとても懐かしいものだった。
ずっと昔から知る透き通った穢れをしらないクラウスの声色だ。
しかし、アスカは奥歯をぎりりと噛み込むと、銀髪を掻き上げ、クラウスをまるで敵対するように鋭く睨みつけた。

「ほんと、この街は広いようで狭い街だな」
「牙狩りが集まるような場所は皆一緒だ」

5年間、音信不通であったはずなのに、アスカが久しく再会したクラウスは、彼女が知っていた最後のあの日と同じ熱い炎を瞳に灯したまま変わっていなかった。
翡翠色の瞳の奥には単純な感情と思想を語り続けたまま。
己の正義と信念を曲げない世界にとって善意なる彼の意思が瞳の奥にあの頃と変わらず、秘められていた。
最後に彼と会ったあの頃から大きく変わってしまったのは、自分の方かとアスカは心の中で悪態をついた。
何かが変わるには充分すぎる歳月と時がアスカを通り過ぎて行ったのだ。

「アスカ」

クラウスに名を呼ばれる。
その度にアスカはこの場から逃げたくなる感情が腹の底からふつふつと芽生えて、無意識に一歩ずつ引いてしまう。
今のアスカにとって、クラウスはただの毒でしかない。
彼は、アスカが最も清らかで純粋で、今となってはもう戻ることを許されない一瞬を知っているのだ。
アスカは金色の瞳を細めて、腹の奥で湧き上がる感情を捻り潰した。

「―――いやあ、アスカ。」

クラウスとアスカの張り詰めた空気に割っては入ったのは、彼らの友人であり、ライブラの副官であるスティーブンだった。
クラウスの前に立ち塞がるかのようにスティーブンはアスカと対峙する。

「怪物の討伐に協力してくれて助かった。礼を言う。報酬金はどこへ振り込めばいい?」

とスティーブンはきらきらと微笑みながら言うと、笑顔とは裏腹にスーツのポケットに手を突っ込んだまま、じりじりとアスカに歩み寄った。
スティーブンが歩く足元の革靴からは、白い煙があがり、それが冷気だということは、この場に居る誰もが分かっていたことだった。
エスメラルダ式血凍道。
今にも一戦アスカと交えてもおかしくないほどに殺気を放つスティーブンを、アスカは冷ややか見下ろしつつ、鼻を鳴らしてスティーブンに向かって口角を上げた。

「貴方は頭がいい。貴方の後ろに立っているデカブツより何倍も頭脳が立つ。」

アスカは両手のひらをぱんっと叩き合わせると、手のひらから赤い血が意思を持つように伸び、その血は少しずつ白く変色すると、みるみるうちに血液は凝固して杖となった。
杖で瓦礫の山を叩けば、カツンっと乾いた音が鳴る。

「だが、ライブラ。わたしの前で「狼」の臭いを漂わせるな。」

と言うとアスカは軽々と瓦礫の山を降りて、二人の前から姿を消した。


***


ヘルサレムズ・ロットの霧は、19世紀のロンドンを彷彿とさせる。
19世紀のロンドンの濃霧は大気汚染が主な原因であるが、この街は違う。
ヘルサレムズ・ロットの街中は異界と現世が交じり合う境界線上にあるがために、濃霧と言う名の瘴気に街は包まれていた。
濃霧で夜は街灯などほとんど役に立たず、見上げる先は暗がりでしかない。
フェリオル・ヘムハッドは高層階ビルの屋上、誰も踏み入ることの出来ない場所に居た。
屋上は、轟々と唸るように風は吹き荒れ、髪とトレンチコートを靡かせる。
地上からは上を見上げても濃霧で何も見えないヘルサレムズ・ロットの街だが、不思議と高層ビルの屋上からは眼下に街を望むことができた。
夜の街に灯る明かりのひとつひとつに人間と異界人の生活が広がっている。

「お前を逃がさない。」

月下に照らされるフェリオルの影から無数の蜂が暗がりから生まれるように飛び立つ。

「―――アスカを必ず見つけろ。」

それは主から使い魔に対する命令だった。
フェリオルの言葉を合図に羽音を立てながら無数の蜂は散り散りに飛び去っていく。

「安心しろ。お前を牙狩り(人間)として殺してやる」

それは、狩人狩りフェリオル・ヘムハッドの彼女に向ける慈悲だった。


***


ライブラの事務所に戻るとクラウスは自身の席の椅子に腰掛けたまま、微動だに動かなくなってしまった。
それは考えに耽るクラウスの悪い癖で、クラウスは街中から事務所まで戻ってくる間、ついに、誰とも一言も喋らず事務所へ帰ってきた。
その様子にはメンバーの誰もが困り果ててしまい、特に副官スティーブンに多くのしわ寄せが寄って来た。
月がすっかり昇りきったクラウスとスティーブンの二人しか残っていない事務所で、スティーブンはおどけながらクラウスのデスクに寄りかかかった。
クラウスが何を考えているのか。
そんなものは特に悩むことなく、明白なことである。
アスカについて。
それ以外に何があるというのか。

「悪いがクラウス。もうアスカに関わるな。」

スティーブンは、重苦しい空気を放つクラウスに水を差すべく口を開いた。
思いも寄らないスティーブンの言葉にクラウスは思わず、「なぜ」と口走ってしまう。
その表情はとても焦っているようで、彼がアスカを会いたいという気持ち半ばまで思っていたことは顔を見るだけで充分に分かった。

「状況が変わった。アスカは狩人狩りに追われている。狩人狩りに追われるということは、何を示しているか。君だったら分からないはずないだろう」
「だが、君がアスカを今すぐに見つけるべきだと言っただろう?それをなぜ、今更、覆すのだ」

分かりやすく苛立つ立つクラウスに対して、スティーブンはとても冷静だった。
温厚なクラウスがこんなにも苛立ちを露にするのは、アスカという幼馴染を大切に思っているからに他ならない。
しかし、既にスティーブンの中でアスカは違う者になっていた。

「それは、彼女はもう僕たちの知っている彼女ではなくなったからだよ。僕らが最初に思って居た以上に彼女の措かれる状況は180度と変わってしまった。」
「スティーブン」

クラウスは頑固であり強情な男であるという事は、古くからの友人であり戦友であるスティーブンが一番良く理解していた。
しかし、アスカという「元・牙狩り」がヘルサレムズ・ロットへ踏み入ったとき、既に彼らもとい、秘密結社ライブラという組織の立ち位置は、決められたようなものだった。
アスカは牙狩り本部に狙われている。

「狩人狩りの標的(けってい)は、牙狩り本部の標的(けってい)だ。秘密結社ライブラにとって、牙狩り本部の援助は何にも代え難い重要なものだ。僕は君を支える者として、その「決定」から反することはできない」

スティーブンのその言葉を聞いたきり、再びクラウスは思案するように何も喋らなくなくなり、黙りこくるクラウスをスティーブンは置いて行くように事務所を後にした。









to be continued...







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