いいかい。
鏡を向けて映らない相手ともし出会ってしまったのならば、何があっても逃げるんだ。
奴らは君を欲しがっている。



That's Life!!!



昔、モロスに忠告された言葉をアスカは思い出した。
鏡を向けても映らない相手。
血界の眷属。

「まったくもって、何も映っていないじゃないか」

車のサイドミラーにその殺意の姿は映っていない。
しかし、眷属はアスカの前に居る。
びりびりと身体が痺れるような殺意を向けられながらアスカは口角をあげた。
拳銃を眷属に向け発砲する。
左目上の頭蓋に命中し、血しぶきをあげるが、まるで動画を逆再生しているかのように、肉体はもとの姿に戻ってしまう。
横目で確認したスティーブンは車中で寝息をたてたままだ。
拳銃の音でも起きないスティーブンに違和感を覚えた。

「結界?」

スティーブンとアスカの間に魔術式の結界がはられている。
結界が張られてしまっている以上、スティーブンはアスカの状況には気づけない。

「わたし、鏡に映らない奴らと出くわしたら、すぐに逃げろと言われているんだ」

彼女の措かれている状況は絶望的だ。
アスカの能力では到底、眷属に太刀打ちできないことは、彼女自身が一番分かっていた。

「だけれども、この結界を破らなきゃ、家にも帰れない」

拳銃を構え、眷属に向けて放つ。
しかし、そのすべてを避けて眷属は、アスカの目の前に仁王立ちし、左手でアスカの首を絞めた。
アスカの身体が宙に浮き、声にならないような、押しつぶした声が漏れ出す。
眷属はアスカをじっと見つめ、仄暗い穴の瞳で興味深くアスカを観察した。

「初めて見た」

眷属は感嘆の声を上げると首をしめる腕にさらに力を込める。
アスカはじたばたと足をばたつかせて、逃れようとするが、アスカの力ではどうにもならない。
だが、アスカは口角をあげた。

「近くに来てくれてありがとう。」

自身の首を掴む眷属の腕をつかんで握った。

致命的な毒 Lv.2

掴んだ場所から眷属の腕が瞬く間に溶けて落ちていく。
首を拘束する腕が緩んだ瞬間、アスカは眷属から距離を置き、首にぶら下がった眷属の腕をアスカは掴んで捨てた。
だが、そうしている間にも溶け落ちたはずの眷属の腕はみるみるうちに再生している。

「もっとその顔を見せておくれよ。」

眷属の紅い瞳がアスカを再度捕らえた。


***


これが夢だと思った。
早く目覚めなければ、大切な何かを奪われると思った。
だから、死ぬほど重い体を起きあがらせて、無理矢理に夢から覚めた。
スティーブンが目を覚ますと悪夢を見ていたためか、身体中から汗が吹き出て頬を汗が伝う。
辺りは、耳が痛くなるほど静まり返っている。
アスカの姿が無いのに気づくまでスティーブンは、時間はかからない。
そして感じる違和感。
この違和感にスティーブンは心当たりがあった。
魔術式結界が張られた後に感じる時空間の歪みによる違和感。
自身の心臓が大きな音を立てて弾むのが分かる。
頭の奥で警戒音がわんわんと鳴っている。

「アスカ・・・」

車を降りると何者かの血痕が辺りに広がり、まるで一本道のように道筋を作っている。
スティーブンはその血痕を追った。

「遅いぞ。ライブラ。」

その血痕の先に男が佇んでいた。
頭の中の警戒音の理由が分かった。
男が血界の眷属だと気づくのに時間はかからない。

「お前が寝ている間に、お前の女は虫の息だ。」

眷属の足元には血溜まりがある。
真っ赤に広がる血溜まりの中に、真っ白の腕が力無く転がっている。

「お前が殺したのかな?」

と薄ら笑みを浮かべる眷属に対して、スティーブンの中の何かが壊れた音がした。
スティーブンを囲む辺りが一瞬にして凍結していく。
木々が凍り、草が凍てつく。
吐く吐息も白い。

エスメラルダ式血凍道 絶対零度の剣

眷属は口角をあげて笑いながら受け流す。
しかし、スティーブンは眷属を視線から逃さない。

絶対零度の槍

蹴りを入れながら眷属の後ろで自身の血で塗れのアスカがスティーブンの目に入った。
アスカは大の字で横たわり、背中には大きな血溜りができていた。
血の気が引いた真っ白の肌がスティーブンの脳裏に焼きつく。

「よそ見をするな、人間。」

スティーブンの体がぶっ飛ばされ、木の幹にたたき付けられた。
口の中が鉄の味がする。
口を開けば血がごぼりと吐き出た。
眷属はスティーブンを背中から踏み潰し、上から見下げ、言う。

「哀れだな、人間。お前にこの俺は滅せまい。」
「――うるさい」

地面に押し付けられながらもスティーブンの目は死んでいない。
獲物を屠るかのような鋭い視線を眷属に向けたまま。
しかし、その姿がまた面白いのか、眷属は鼻を鳴らした。

「人間というものは、とても脆い。こうやって踏みつければ容易く倒れる。」

眷属は血溜りのアスカを見つめた。

「これからあの女の周りには血界の眷属たちが集まるだろうさ。もう見つけられてしまったからな」
「――何を・・・」
「スティーブン・A・スターフェイズ。命が惜しければ、あの女を捨てることだ。人類にあの女は荷が重い。」

あの女は偽者(フェイカー)だ。
と眷属は言い残すと姿形をぷつりと消した。
もう気配の跡形もなく、辺りにはスティーブンと横たわるアスカが残るだけ、静まり返っている。
スティーブンは痛む体を引きずりながら、アスカに駆け寄った。

「アスカ。すまなかった。」

血溜りの中のアスカの手がぴくりと動いた。
まだアスカの息はある。
彼女は生きている。

「今、病院につれていく――」

アスカを血溜りからすくいあげるようにスティーブンはアスカを抱き起こし、血が止まらない腹に手を当てた。
生暖かいアスカの血でスティーブンの大きな手が濡れていく。
すると、アスカはうっすらと瞳をひらいてスティーブンを見つめたのが分かった。

「――・・・わたし、負けちゃい・・ました?」

初めてアスカと出会った夜を思い出す。
あの時と状況はかけ離れているはずなのに、変わらないアスカの眼差しがそこにあった。
その瞳は、自身のありとあらゆるものを諦めている瞳だ。

「・・・スティーブン、さ、ん――?」

その瞳にスティーブンは堪らなくなって、黙ったままぼろぼろの体でアスカを抱きしめた。










第七話 「One cannot put back the clock.#2(時計は逆には戻せない)」
to be continued...




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