秘密結社ライブラが入る高層階ビルで構成員たちが帰ってしまった深夜、スティーブンは一人残り、パソコンに向かっていた。
漏れる大きな溜息。
パソコンの画面にはNot Foundの文字。

「見つからない、か」

ヘルサレムズ・ロットを除く全世界の戸籍謄本、銀行口座を含む個人情報を検索してもアスカと思しき人間を見つけだすことが出来ずにいた。
大崩落から以前の記憶が無いというアスカという女は何者だろうか。
スティーブンの元でよく働く彼女は何者なのだろうか。
さまざまな人種、経歴を持った人間が流れてくるヘルサレムズ・ロットだが、アスカという特異体質、能力を持つ人間はスティーブンらの業界では目立つ方だろう。
それなのに、崩落前のニューヨークを探した、アメリカ、イギリス、ロシア、日本、オーストラリア、中国。
さまざまな国の情報を覗き込んでもアスカという人間が分からずにいた。



That's Life!!!



アスカの仕事ぶりはすこぶる良い。
と拳銃片手で人間に扮した異界人の頭蓋を吹き飛ばすアスカの後姿を眺めながらスティーブンは思った。
彼女の能力は自身の血液を毒へ変質させて、毒殺もしくは相手の行動を奪う能力である。
血液からなる毒は、自然界に存在する毒から化学兵器級の毒まで作ることが可能のようで、自然死に見せかけることも、相手の肉体を強力な毒素で溶かしてしまうことも可能だった。
アスカ自身、暗殺業を生業にしていたためか火器の扱いもそれなりに出来て、何食わぬ顔でホットパンツの腰から自動式拳銃を取り出したときは、すごく驚いた。

「そんなに、人のことジロジロ見て何か用ですか。」

一仕事終えたアスカがスティーブンの元へ戻ってくる。
返り血を少し浴びたようで、頬に異界人の血液が付着していた。
アスカのような年頃の子が暗殺を生業にしないと生きていけない街。
スティーブンはアスカが少し哀れに思え、可哀想だなと感じた。
とはいえ、彼女に殺しの仕事を与えているのはスティーブン自身であるのだから咎められて、訴えられるのはスティーブンだ。
そう考えているうちに、ほとんど無意識にアスカの頬の返り血をスティーブンは自身の手で拭っていた。
すると、びっくりしたようにアスカが飛んで仰け反った。
顔はほんの少し赤らめている。

「何をするんですかっ――!」
「悪い、悪い。血がついていたものだから、ついね」

疲れているんですか、もうここを離れましょう。
とアスカはスティーブンを置いていくように歩き出す。

「僕って信用されてない・・・?」
「ええ。まったくもって信用に値しない上司ですね」

きっぱりと断言するアスカにスティーブンは思わず苦笑いを浮かべてしまう。
彼女の言う信用とはなんだろうと考えつつ、スティーブンは車にエンジンをかけた。
助手席にアスカを乗せて。


***


車を発進させてしばらくしてスティーブンは空き地に車を停車させた。
そして慣れたように座席シートを倒すと体を倒して足をハンドルに放り投げた。
絞めていたネクタイも緩める。
てっきり街に戻って解散するのだろうと思っていたアスカは、スティーブンの一連の動作に呆気に取られてしまっている。

「何をしているんですか。スティーブンさん」
「もう、限界だ!ここ数日ずっと徹夜なんだ。寝かしてくれ!!」

まるで役者のように大手を広げて言うスティーブンにアスカは、大きな溜息を吐いて見せた。

「――わかりました。好きにしてください。」

と言うとアスカはシートベルトを外して、助手席のドアを開けて車から降りてしまう。
スティーブンは腕で手を覆い、腕の隙間からアスカの動きを瞳で追った。
車から降りて彼女だけ歩いて帰ってしまうかもしれない。
しかし、そんな不安は不要だった。
やはり彼女は仕事が出来る。
アスカは車から降りると、運転席の横でスティーブンに背を向けて立ち始めた。

「アスカ、君はさ、記憶を取り戻したいと思わないの?」

閉めていた窓を開けてスティーブンは寝たままアスカに問いかけた。
いつかアスカに一度聞きたいと思っていたことだった。

「寝たんじゃないんですか」

目をあわすことなく、アスカは静かに答える。
スティーブンからは彼女が今どんな表情をしているのかは、暗くて見えない。
近くて遠い距離。
スティーブンは黙って車の天井を見上げた。

「記憶。最初は思いましたよ。取り戻したいって」

アスカの声は子どものようにも聞こえるし、妖艶な成熟した大人の女性の声にも聞こえる。
それがまた彼女の存在をあやふやにしているように思えた。

「でも途中から考えるのをやめました」
「どうして?」
「覚えていなくてもいい記憶ってあると思うんです。忘れてしまってもいい記憶。自分の失くした記憶がもしそういうものだったら・・・」

アスカが横目でスティーブンを見つめるのが分かる。
二人の目が合った。
スティーブンはアスカのその表情に息を飲んだ。
それは、始めてみるアスカの表情だった。

「少し、饒舌になりました。もう貴方は寝てください。私はここに居ますから」

それっきりアスカは何も喋らなくなった。


***


徹夜続きというのはどうやら本当だったらしく、スティーブンはすぐに眠りに落ちてしまった。
寝息が聞こえる。
ヘルサレムズ・ロットの夜はとても暗く深い。
アスカはスティーブンが眠る車の全方位に気を配りつつ、スティーブンの言葉を思い出していた。
自身の記憶。
異界人・モロスに記憶を取り戻したいと泣いて喚いたことがあった。
そのとき説得された言葉が『その記憶が忘れてしまってもいい記憶だったら』というものだった。
アスカはモロスの言うとおりだと思った。
そう思うようにした。

「本当に嫌な上司。」

スティーブンはどのくらいアスカの心情を見抜いているのだろう。
彼の笑みの裏に何を思っているのか、アスカは読み取ることが出来ずに居た。
突然、凄まじい殺気に包まれる。
アスカの意識が無理やり剥がされ、嫌でも殺気の先へ意識が集中し、身体が麻痺したように動けない。
横目でスティーブンを見つめるが、彼は気づいていないようで車の中で寝息を立てたままだ。
しかしその殺気は確かにそこにいる。

「初めて見た。これはレアものだね」

と殺気は嬉しそうに言った。










第六話 「One cannot put back the clock.#1(時計は逆には戻せない)」
to be continued...




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