その部屋の朝は街の喧騒から遠く離れたようなとても静かな朝を迎える。
大きな一枚張りの窓の外はいつもどおりの多種多様な文化でごった返すヘルサレムズ・ロットの街並みが広がるが、ベッドルームとシャワールームしかないこの部屋は、ヘルサレムズ・ロットと不釣り合いなほど殺風景で生活感は感じられない。
まるで世界から隔離され、孤立してしまっているかのようだ。
窓から朝日が差し込む。
濃霧越しの日差しはきらきら輝いてとても美しい。
朝日を背中に浴びながら、アスカはベッドに腰をかけて正面に立てかけてある姿見を静かに見つめた。



That's Life!!!



「やあ、待った?」

スティーブンに二人が待ち合わせ場所と決めたカフェに、アスカが呼び出されたのは、早朝のことだった。
いつもどおりにアスカが先に到着し、いつもどおりに後から爽やかな笑顔を浮かべてスティーブンがやって来る。
スティーブンは到着するや否や流れるようにコーヒーを二人分注文すると、頬杖をついてアスカに笑顔を作って見せた。
泥の匂いと硝煙の香り、少しだけ汗の香りがする。
スティーブンが仕事を抜け出してこのカフェに来ているのは明白であった。

「君に仕事を頼みたいと思って」

と言うとスティーブンはアスカの返答を待たずして、仕事内容を説明しだす。
一通りアスカは説明を聞き終えるとスティーブンをひどく睨んだ。

「――子どものお遣いですか。」

スティーブンから受けた説明は、封書を所定の場所まで届けてほしいという誰でもできる仕事だった。
不満げなアスカにスティーブンは作った笑顔は崩さない。

「こんな仕事で申し訳ないが、頼めるのが君しかいなかったんだ」

上司からの依頼を断る選択肢などないのはアスカ自身、そしてスティーブンもよく分かっている。
だからこそスティーブンはアスカに笑顔を向けたままなのだ。

「私兵として雇ってもらってますが、貴方の言う私設部隊とも合流すらしていない。」

交わした雇用契約書すら本物か疑わしい。
アスカはスティーブンに対して堰をきったように不平不満を垂れ流した。


***


スティーブンに言われた場所へ封書を届けるために、アスカは街を歩いていた。
封書と一緒に渡された地図には、スティーブンの気遣いなのか、文字が読めないアスカのためにイラストも交えて描かれていた。
目的地はアスカが想像するに霧が深い場所。
渡された封書がただの手紙でないのは容易に察しがついた。
近道をするために、路地に入ったらアスカの足元に男が倒れていた。


***


「うわあああああ!!!」

悲鳴とともに起き上がるとそこは公園のベンチの上だった。
記憶を辿るに確か自分は路地に居たはずだ。
路地で因縁をかけられた異界人に殴られていたはずだ。
レオナルド・ウォッチは混乱する中、記憶を遡る。
なぜ、自分はここに居る。
辺りを見回すとレオナルドと一緒にベンチに腰かけるパーカーを着た色白の女と目が合った。

「やっと起きた」
「貴女は?てか、僕は?」

状況が読めず、混乱するレオナルドと正反対に女は至って冷静だった。

「わたしが裏路地に入ったら君が泡吹いて倒れていた。それで、あまりにも可哀そうに思えたので、安全な場所までつれてきたの」

気分はどう?
そう言って女は笑みを作った。

「あ、ありがとう」

混乱するレオナルドと対比するように公園は、異界人の子どもたちがボールで遊んでいたり人間の子どもたちが遊具で遊んでいたり、まるで平和だ。
自分が異界人に殴られていたこと、そして気を失ってしまっていたこと、混乱する頭で考えれば考えるほどレオナルドは落胆してしまう。

「ひどく、やられてたみたいだけど。大丈夫?」

女がレオナルドの顔を覗き込んでくる。
彼女は本当に心配しているようで、レオナルドは慌てて落胆していた視線を元に戻した。

「助けてくれてありがとう。僕はレオナルド・ウォッチ。君は?」
「アスカ」

アスカと名乗った女は、腰まである黒髪をゆらゆらと風になびかせ、組んだ足に頬杖をついた。
アスカは徐にパーカのポケットに手を突っ込むとレオナルドに手を差し出した。

「これ、返しておくよ」

財布にスマートフォン、そしてデジタルカメラ。
アスカが差し出したのはすべて絡まれたときに取り上げられたレオナルドの私物だった。
それをレオナルドに返すということは、彼女がレオナルドを殴ったチンピラたちから取り上げたのだろうか。
私物を前に錯綜する状況をレオナルドは頭の中で整理をするのだが、それをアスカの声が中断させた。

「キミ、写真を撮るんだね」
「こう見えても一応、新聞記者のはしくれなんだ。」

『記者』という言葉をきいて、アスカが瞳を輝かせて身を乗り出した。
突然、レオナルドの前に異性の顔が近付いて、レオナルドは思わず顔を赤くして身を仰け反らしてしまう。

「ねえ、キミは人間だよね?」
「へ?」

拍子抜けしたようなレオナルドの声に対して、アスカは嬉しそうに続けた。

「わたしに読み書きを教えてよ」


***



早朝、スティーブンと別れてから数時間が経っていた。
アスカは両手で重そうにアタッシュケースを持って大通りを歩いている。
すると彼女の歩く速度と同じ速さで横に黒塗りの車がぴたりと張り付いた。

「御苦労さま」

黒塗りの車の運転席から顔を出したのはスティーブンだった。
アスカがスティーブンから任された封書を所定の場所へ持って異界人から封書と引き換えにアタッシュケースを渡された。
アタッシュケースの中身がすごく気にはなるが、きっと開いては駄目なのだろうと容易に想像はできた。
車が停車する。
アスカはスティーブンにアタッシュケースを差し出した。

「中身は見ていません」
「うん。いい判断だ」

と言うとスティーブンはアスカに笑顔をみせる。

「どうした?朝よりも機嫌がよさそうじゃあないか」

思いもよらない言葉にアスカは一瞬、驚いてみせた。

「―――そう、見えますか?」

アスカの問いにスティーブンは頷いてみせた。
今日一日の出来事をアスカは思い返す。
スティーブンから任された仕事は最低だったが、今日はそれ以上の収穫が大いにあった。
新聞記者となるレオナルド・ウォッチとの出会い。
彼はアスカに文字の読み書きを教えてくれるという。

「今日は貴方のおかげでとてもいい日になりました」

ありがとうございます、とアスカはスティーブンに頭を下げると、彼を置いてすたすたと大通りを歩き、雑踏に消えていった。
そのさまをスティーブンはひとり茫然と車から顔を出して眺めるのだった。










第五話 「The early bird catches the worm.(早起きの鳥は虫を捕まえる)」
to be continued...





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