顔と身体が火照り、粘っこい唾液が口の中で絡みつく。
頭の思考速度がだんだんと落ちて、何も考えられたくなっていく。
ふわふわとした不思議な感覚に意識をとられながらアスカは、ライブラ事務室のテーブルに頬杖をついてぼおっと窓の外を眺めていると、レオナルドがアスカの顔を覗き込んできた。

「アスカ、大丈夫?」
「へ」
「熱でもあるんじゃない?」

レオナルドに勧められるがまま、アスカは体温計で熱を測ると電子表示に「38.7度」と高熱を示す温度が表示されていた。
生まれてはじめて見る体温にアスカは、体温計の電子表示を怪訝そうに見つめていると、慌てたようにレオナルドがギルベルトを呼びに走り回り、その姿に気づいたチェインがふわりとアスカの横に佇むとアスカの小さな顔にマスクをかけた。

「ひょっとして、はじめてでしょ」

血界の眷属の能力として自己再生能力に富んでいたアスカも、血界の眷属との主従関係から解放された今はただの怪我の治癒が少し早い人間だ。
今、己の身体になにが起こっているか理解できないアスカは、赤く火照った顔に熱の篭るふやけた眼差しをチェインに向けた。

「アンタ、それ風邪っていうの。さっさと家に戻って寝ときなさいよ」

と言うとチェインはアスカの額を指で小突いた。
細い指で軽くチェインに小突かれたはずなのに、衝撃が頭の中で渦を巻いてしまい思わずアスカは頭を抱えてしまった。

「うぅぅぅ、チェインさん。ひどい」

生まれてはじめてアスカは風邪をひいた。


That's Life!!! 番外編 「rest in peace」



「送っていこうか?」

チェインとレオナルドに帰宅を強く勧められたため、家に戻ろうと事務所の外の駐輪場から自転車を引き抜いていると、後ろから声をかけられ、アスカは振り返った。
そこには、したり顔を浮かべるスティーブンが車の鍵をちらつかせながら佇んでいた。
その姿にアスカは力なく溜息をつくと、自転車をひきずり自宅の方角へ身体を向ける。

「・・・大丈夫です。ひとりで帰れます」

とアスカは心配するレオナルドやチェイン、ギルベルトに返した返事と同じ返事をスティーブンにも返した。
しかし、その言葉とは裏腹にアスカの力のない歩みと背中をスティーブンは見つめていると、自転車を引くアスカの進行方向がずるずると斜めに寄っていき、たちまちブロック塀と自転車に身体を挟まれて動けなくなってしまう。

「ほら言わんこっちゃない」
「大丈夫なんです」
「駄目」

自転車のハンドルに手をかけたままブロック塀に寄りかかるアスカをスティーブンは、抱き起こすといつもより熱くなっているアスカの身体に驚いた。
熱があがっているのではないか、とスティーブンに思わせるほどアスカの身体は洋服越しでも分かるほど火照っていた。
額に浮かぶ汗でアスカの黒い髪が束を作って、顔に絡んでいる。
そんな額をスティーブンは指先で掻き分けながら、アスカの頭を優しく撫でた。

「生まれてはじめての高熱はツライだろ」

マスクで顔の大半が隠れてしまっているが、彼女の浮かべるふやけた眼差しで、アスカがどれだけツライのかスティーブンには容易に想像できた。
苦しそうに肩で息をするアスカのマスクを外せば、どろどろに蕩けそうなアスカの表情が露になる。

「ここなら誰にも見られない。もっと僕に甘えて」

アスカの耳元でスティーブンが呟くと苦しそうにアスカはスティーブンの厚い胸板に顔を埋めてきた。
弱っているアスカにつけ込むようでスティーブンの小さな良心が微かに痛むのだが、好いている女がこうやって甘えてくれるとなると素直に嬉しい。
そう思えば、たちまち顔が綻んで、スティーブンは鼻歌を唄いながらアスカの身体を抱き上げると自身の車の助手席にアスカを乗せた。


***


スティーブンの運転でアスカを乗せて、アスカの住むアパート前に連れていくと、そこでもアスカはやせ我慢をするようによたよたと車から降りようとドアに手をかけた。
しかしそのあまりにも力の無い姿と危なっかしさに、スティーブンの手が交差するようにアスカの腕へ伸びた。

「まったく、意固地は嫌われるよ」

と言うとスティーブンはアスカの背中に腕を回すと、アスカの身体を引き寄せる。
ふわりとアスカの身体はスティーブンの胸に吸い込まれるように抱きしめられた。

「・・・わたしのこと、嫌いになるんですか?」

スティーブンの心の中を一度は覗いて知っているはずなのに、アスカはその彼の胸の中で弱々しく問いかける。
それは子どもが甘えるような声色で、スティーブンはアスカの言葉を鼻で笑うとぐったりとしたアスカの身体を抱きかかえた。

「意地悪なことを言うなよ」
「・・・すみません」

おずおずとアスカは身を預けるように、スティーブンの首に腕を回すと熱でうな垂れる顔を見せまいと埋めて隠してしまう。
スティーブンは「よいっしょ」とアスカの身体を改めて抱きなおすとアパートの中に入っていった。
アパートの吹き抜けのエントランスまでアスカを抱えて歩いていると、スティーブンの肩に顔を真っ赤にして埋めていたアスカが微かに顔をあげた。

「わたしの部屋、6階なんですよ。重くて抱えてなんて無理ですって」

6階建てのアスカの住むアパートにエレベーターは無く、永遠と階段が最上階まで続いており、その最上階にアスカの部屋はあった。
普通に上るだけでも慣れていない人間には重労働であるのに、小柄なアスカであるとはいえ、大人を抱えて登るのは到底できるはずがない。
しかし、アスカの言葉にまったく耳を傾けないスティーブンはアスカを抱えたまま階段を登ってしまう。

「僕がこうしたいのだから、いいんだよ。」

階段を登りながらスティーブンはアスカの身体を抱きしめる。
こんなに弱々しいアスカを見るのは初めてで、最初はもの珍しく思えたが、今はどうも気がかりでしょうがない。
自身の仕事を半ば放り出してでも、スティーブンはアスカを部屋へ送ってやりたかったのだ。
スティーブンがすいすいと階段を登っていく合間も、アスカは自分の行き場もない重みを気にしてか、腕の中で息を殺してスティーブンにしがみついていた。
しばらくして6階建ての階段を登りきった頃には、鍛え上げられた肉体を持つスティーブンだとは言え、アスカを抱えながら息を切らせていた。
アスカから部屋の鍵を受け取ると、器用にアスカを抱えたままスティーブンはドアを開いて、アスカをベッドへ寝かした。
古いベッドがぎしりと軋む。
ベッドに手をついて見下ろすアスカは、苦しそうに微かに膨らむ胸元を上下させながら息をしていた。
とろんと熱で蕩けたアスカの眼差しはベッドの上で見つめていると、情事に及ぶそれを連想させてられてしまい、スティーブンは思わず息を飲む。
汗ばむ額に手のひらを添えれば、ライブラ事務所に居たころよりも確実に体温はあがっているようだった。

「・・・つめたあい」

と徐にアスカはスティーブンの手を取ると満足げに、自身の頬に大きな手を押し当てはじめるではないか。
突然のアスカの行動にスティーブンは思わず、驚いたように躊躇してしまうが、気持ちよさそうに自分の手のひらで涼むアスカを見ていると腹の奥が疼いて、スティーブンはアスカの頬と首筋を大切そうに撫でた。
すると飼い主に気持ちのいいところ撫でられた子猫のように、アスカは表情を緩めた。
熱の篭った湿ったアスカの眼差しがスティーブンに向けられる。

「アスカ、舌だして」

朦朧とした意識の中、アスカは赤く熟れた舌をちろりと揺らす。
汗ばんだ肌と呼吸をするたびに激しく上下する胸元。
スティーブンはアスカの頬に手を添えながら、ベッドの上で上から覆いかぶさるように、アスカの舌に自身の舌を絡めて掬い取った。


***


夢を見た。
この夢の中ではアスカは幼かった子どもの頃の姿をしていて、暗闇の中で佇んでいた。
アスカが大事そうに抱える人形は、アリシア(母親)からプレゼントされたものだ。
黒い影がアスカの腕を掴む、腿に絡む、黒髪を引っ張る。
この影の意味を知っているアスカはじっと強張った身体をさらに強張らせた。
それでも硝子球のような大きな青い瞳は鋭く冷たい輝きを放ち続けている。
当時のアスカは今よりもはるかに血界の眷属に近い『偽者』という存在だった。
そんなことを思い出させる悪夢をアスカは熱にうなされながら見続けた。


***


夢から覚めると要るはずの無い男が、自身のベッドに腰掛けていたので慌てて起き上がったが、起き上がった勢いで脳が揺れて鈍い鐘を突いたような痛みで目が眩む。
体温は幾分か下がったのか、眠る前よりもはるかに身体は軽い。
アスカは鈍く痛む頭を抱えながらベッドに腰掛ける男に声をかけた。

「何故、貴方がここに?仕事は?」

ベッドに腰掛けていたのはアスカの上司にあたるスティーブンだった。
事務所のレオナルドたちに高熱があるアスカの身を按じて帰らされた後に、駐輪場でスティーブンと会話した後から記憶が朧げであまり覚えていない。
彼に車に乗せられて自宅まで送ってもらったことや、抱きかかえられた感触は覚えているのだが、それすらもなんだが夢心地な記憶で、定かではなかった。
確かアスカが布団に入って眠りに入るときにスティーブンは、仕事に戻ると言って部屋を出て行ったはずだ。
スティーブンが関わる仕事はどれも重要で責任が重いものばかりなのだから、アスカはもう仕事にもどったきり、ここへは戻ってはこないと思っていた。

「1件、仕事を終わらせて戻ってきたところだよ」

アスカがあれこれと記憶を巡らせているとスティーブンは窓の外を指で指しながら言った。
窓の外のヘルサレムズ・ロットの街並みは夜に耽っていて、すでに真夜中であることは確かだった。
スティーブンの仕事を1件終わらせて戻ってこられるほど、アスカは長時間眠っていたということになる。

「まず、君は体温計を買うべきだね。測りたい時に測れないのはとても不便だ」

と言うとスティーブンはアスカの額に手を当てた。
冷たい手のひらが心地いい。

「まだ熱があるな」

洋服を着替えさせられていることにアスカは気づいて思わず赤面させた。
しかし、スティーブンはそんなことお構いなしに話を続けた。

「あと、キッチン付きの部屋に住み替えるべきだ。君が寝込むたびに、共同キッチンで他人と料理するなんて僕は嫌だからね」

と言うとスティーブンは、アスカの目じりに浮かんでいた涙の後を親指で拭った。

「アスカ。昔から風邪ってものにかかると不思議に怖い夢を見ると相場は決まっているんだ」

仕事を終えて眠っているアスカの様子を見るためにスティーブンが部屋へ戻ってみると、アスカはひどくうなされていた。
大汗と涙を浮かべながらうなされていたものだから、起こしてやろうか悩んでいるうちにアスカは自ら目を覚ましたのだ。
表情を歪ませて見ていた悪夢を思い出そうとするアスカを遮るように、スティーブンはもう一度、アスカをベッドに横たわらせた。

「生まれてはじめての高熱はどうだい?」
「最悪です」

幾度となく弾けそうな理性を押し留めながらスティーブンは、まるで子どもをあやすようにアスカを一度寝かしつけようと、顔にかかるアスカの髪を手の甲で掃った。
すると気持ちよさそうな表情を浮かべてアスカは目を細めた。

「スティーブンさん」

布団の中からアスカは白くて小さい自身の手のひらをスティーブンに差し出す。

「眠りにつくまでの間でいいので―――」

手を握っていて。
と些細な願い言うアスカに、スティーブンは胸の奥を締め付けられながら、それでもどうにか応えてやろうと、熱で火照った手のひらを自身の冷たい手で握り返した。
それに安心したようにアスカはもう一度深い眠りにつく。
次に目覚めればきっと高熱も下がっていることだろう。
スティーブンは握るアスカの手ひらを再度、指を絡めるように握りなおした。
安らかに眠る彼女と彼女の見る夢を守りたいと心に秘めながら。










「rest in peace」 了
20180123



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