神々の義眼は、ありとあらゆるものをレオナルドに見せてくれる。
それは時に高度な幻影を見破ることもあれば、過去に目で見た記憶を対象から引き出すこともできる。
血界の眷属の諱名を視認することもできれば、彼らのオーラすら見破ることができた。
レオナルドは目の前に立つ女性に躊躇した。
その女はとてもアスカに似ている。
彼女が白衣を着ていること意外は。
レオナルドの視界から見えるその女は、半透明の姿をしていたが、不思議なことに鋭い視線を向けられると彼女から視線を外すことはできなかった。
女はレオナルドが見ているどんな残滓とも違う。
過去を見せられているというよりは、今ここに彼女が存在しているようにすら見える。
女は指を差し、歩き出す。
まるでレオナルドについて来いといわんばかりに。
この状況下、一人で別行動をするのは命取りだ。
レオナルドは3人の顔を覗いた。
ここで3人に向けて声をあげる気にどうしてもなれなずにレオナルドは、クラウスたちと逆の方向へ足を向けた。
神々の義眼に見る女の後を追って。



That's Life!!!


「スティーブン、レオが居ない」

屋上階に差し掛かったころ、クラウスはレオナルドが居なくなっていることに気がついた。
つい後ろについてきていると思っていた彼が居ない。
スティーブンは辺りを確認するがやはり姿が見えなかった。
この研究所には、どこに居るかは分からない血界の眷属が居るほか、霧と瘴気が深いこの場所は、両目以外常人のレオナルドにとってとても危険な場所だ。
探すべきか、スティーブンはクラウスと目配らせをしていると、アスカは屋上へ繋がる扉を開いた。
扉の向こう側の光景に二人は息を飲む。
まるでその光景は、大崩落の夜だった。
空へ吸い込まれていくように上る車と人。
再構築を続けるビル郡。
当時に戻ってきたような錯覚まで起こしてしまいそうになる。
こんなことがあっていいはずがない。
スティーブンは思った。
この光景は3年前の一度きりでいい。
何度も何度も見るものでも見返すものでもない。
ニューヨークと言う世界有数の大都市が何も言われもなく、消えて無くなった日の光景。
屋上の真ん中で人がひとり、横たわっているのをアスカは見つけた。

「やはり、ここも当時のままでしたか」

アスカはすり潰されたような声で言う。
青い大きな瞳には溢れんばかりに涙を溜めていた。

「ニューヨークが無くなる前日、血界の眷属は、アリシアを取り戻すために私の姉、ルーシーの心臓を引き抜きました。心臓を引き抜かれた姉に人間の形を留めて置くことは難しく、屍喰い化してしまったのです。」

アスカはふらふらと足を歩ませた。

「姉はすばらしい実験体でしたが、わたし以上に実験体でいることに強い抵抗感を持っていました。だからなのでしょね。屍喰い化した彼女は白衣たちを皆殺しにした。」

ここまでに倒れていた遺体は皆、ルーシーが積み上げてきたものです。
アスカは屋上の真ん中まで歩み寄ると足を止めた。
足元には横たわっている一人の幼女の遺体。
幼女の遺体の左胸には白杭が打ち込まれている。

「わたしは姉と約束したんです。どちらかが屍喰い化したら、どちらかがそれを殺すと。」

左胸の白杭をアスカは、涙を流しながら引き抜いた。
アスカの足元に滴る血。
金髪が美しい白いワンピースを着たルーシーは、屋上の真ん中で赤い血を流しながら絶命していた。

「一番、忘れてはいけない瞬間をわたしは3年間もの間、忘れてしまっていたようです。」

と言って涙をぼろぼろと流すアスカの頭をスティーブンは撫でて、抱き寄せた。
どんな言葉を持っても今の彼女にかける言葉は、安易なものに成り下がってしまう。

「大丈夫。君の涙で彼女は報われるはずだ」

クラウスはその幼女の開いたままの瞳を撫でて閉じさせると、十字を空に切った。

「ルーシーの身体では失敗した。何故だと思う?」

突然の、殺気。
そこに闇が居る。
血界の眷属が居る。
スティーブンはアスカの身体を抱きかかえた。
渡すものか。

「アスカ、何故だと思う?」

眷属は静かにアスカに問いかけるが、スティーブンの胸の中のアスカはがたがたと震えて答えない。
そんな彼女をスティーブンは抱きこむと口角をあげた。

「しつこい男は嫌われるぜ」
「人間。最後の問いとしよう。その人形を俺に返してはくれないのか?」

スティーブンは血界の眷属に見せ付けるようにアスカの額に唇を落とすと、声に出さずに口をゆっくりと開いた。

糞くらえ。


***


レオナルドは女の後を追うとある部屋に突き当たった。
その部屋は初めて見る部屋で、アスカの案内では見かけることもなかった部屋だ。
レオナルドがついて来ていることを確認すると、女はその部屋に入った。
自分もその部屋に入れというのか。
レオナルドは大きく深呼吸をし、意を決してその部屋に飛び込む。
扉を開くと眩い光にレオナルドは目をくらましてしまった。
その部屋は室内庭園だった。
太陽の日光を再現した照明に、完璧に調整された温度と湿度。
庭園には観葉植物や薔薇などさまざまな草木が生い茂っている。
その部屋の真ん中のソファにレオナルドが追いかける女が居た。
レオナルドは混乱してしまう。
これは、本当に残滓なのだろうか。
これは。


***


室内庭園の日差しはニセモノ太陽であるけれどとても暖かい。
まるでここが室内であるのかを忘れてしまうほどに。
ソファの上で女は横になる。
アリシア・ベンジャミンはとても衰弱していた。
血界の眷属に永く永く引き伸ばされたはずの命であるのに、彼女は残りの寿命の数を数えることが増えていった。
彼女の衰弱を研究室の誰も気づいては居ない。
我主の血界の眷属すらも。
それでいいと思った。
己の罪深き呪われた人生の最期にお似合いの幕の閉じ方だと思った。
きっと惨めに悲惨に自分は、死ぬのであろう。
アリシアは、肌身離さず持つオルゴールを取り出す。
昔、彼女の母親が子守唄がわりに鳴らしてくれていたオルゴールだ。
あれから母は元気にしていただろうか。
だが、もう今は居ない。
あれから兄は元気にしていただろうか。
だが、もう今は居ない。
あれから父は元気にしていただろうか。
復讐心を抱くにも向かう矛先はもう何処にもなかった。
アリシアは、家を追い出された日の夜を思い出した。
行く当てのない彼女を血界の眷属は見つけてくれた。
今思えば、それはただの化物が女を惑わし地獄へ落としただけのことなのだろうが、彼はアリシア・ベンジャミンに居場所を与えたのだ。
それだけでいい。
それだけで充分な理由だった、彼と共に生きるということは。
血界の眷属の起源を抱きしめてアリシアは、室内庭園のソファに身を預けた。
オルゴールの音色が辺りに鳴り響く。


***


女はレオナルドに一冊の本を差し出した。
それを受け取れと女は無言のまま言うのだ。
レオナルドはこの室内庭園に来てやっと気づいた。
彼女が血界の眷属の偽者を作り出した悪魔、アリシア・ベンジャミンなのだ。
そしてアスカの母親。
きっと彼女は稀代に名を残す悪をなした科学者なのだろうが、レオナルドが見た残滓のどれをとても彼女は、とても悲しみに満ちる女性だった。
何かが彼女を狂わせたのだ。
その何かはレオナルドには分からないが、強く彼はそう思う。
レオナルドは彼女からその本を受け取ると、アリシアは安堵し表情を浮かべ、消えていった。

「この本は――」

受け取った本を開くとレオナルドの両目から勝手に涙が溢れた。
彼の心はただただ悲しかった。
この本はアリシアが血界の眷属へ向ける愛情そのものだった。

「アスカたちの元に戻らなきゃ」

レオナルドはくるりと身を翻すと室内庭園を後にする。
彼が居なくなった室内庭園は、静かに役目を終えたように朽ちて逝った。











第二十二話 「Over shoes, over boots.#3(毒を食(くら)わば皿まで)」
to be continued...







Grimoire .
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -