初めてその女を見たとき哀れな女だと思った。
それは彼女が由緒正しき退治屋の末裔であるのに、退治屋としての才能がからっきしに無く、そのくせに己の中に脈々と受け継がれている「退治屋の血」に強く固執していたからだ。
彼女にとって退治屋でいることが唯一のアイデンティティであり、血界の眷属と対峙することが唯一の存在理由のように考えていた。
たが、彼女は退治屋としての素質より、研究者としての素質の方が強く備わっていた。
退治屋として素質が無いと分かって彼女は家に居づらくなり、しばらくして追い出されるように家を出た。
由緒正しき退治屋の血への固執が家族から迫害を受けることによって、嫉妬と憎悪に変わっていったのはすぐのこと。
彼女の生きる理由は、己を捨てた「家」を見返すこと、それだけになっていた。
アリシア・ベンジャミンという女は、そういう哀れな女だった。



That's Life!!!



ヘルサレムズ・ロットの中心点にある虚。
虚から噴出す濃霧の先に異界が存在していた。
スティーブンの運転で車はハイウエイを下っていく。
助手席にはクラウス、後部座席にはレオナルドとアスカが乗っていた。
車が走行すればするほど濃霧は濃くなていった。
アスカの生まれた研究所はこのさらに深い場所にあるという。
バックミラー越しに見たアスカは、いつもと変わらず、涼しい表情を浮かべながら外を眺めていた。
しかし、恐ろしいほどに血の気の引いた青白い肌をしている。
スティーブンは運転席から望む光景が3年前の大崩落当時に酷似していることに気がついた。
この世に終末論というものがあるが、スティーブンたちが見たあの3年前の光景は一種の歴史の終末だったのかもしれない。
人類にとっての日常が終わり、すべてにおいての価値観が変わった瞬間だった。
車の外の風景はまるで3年前の光景だった。

「血界の眷属は、母アリシア・ベンジャミンに血界の眷属の叡智を分け与える代わりに、彼女と彼女の仲間の命の期限を奪いました」

窓の外を眺めながらアスカは呟くように言った。

「命の期限を奪われた彼らにとって、寿命は無く。研究のために永久に生きることを血界の眷属によって科せられました。」
「納得がいかないな。どうして血界の眷属は自身を暴くような研究を人間にさせたのだろう」

契約までして。
とレオナルドは不満そうに隣のアスカに問いかけた。
アスカはうーんと唸りながら首に巻かれた水色のマフラーに顔を埋めた。

「――なんでだろう」

永遠の命を与えながら血界の眷族の研究をさせる。
なぜ、そんなことをしたのだろうか。

「それは、答えはひとつしかないだろ」

運転をしながらスティーブンは口角をあげながら言った。
バックミラー越しにアスカと視線がかさなる。

「愛していたんだろう。その女を」


***


アリシア・ベンジャミンに叡智を与えると、彼女は我を忘れたかのように研究に没頭した。
彼女の仲間らは、自身の命が血界の眷属の生贄になっていると知らされることなく、アリシアの手駒となっていた。

「貴方はなぜ、私に力を与えたの」

アリシアは電子顕微鏡を覗き込みながら言う。
すでに彼女には、血界の眷属を肉眼で見る力は無くなっていた。
だというのに、彼女は血界の眷属の立ち位置、姿が分かっているようだった。
眷属はアリシアをじっと見つめ、彼女の問いに答えるべく思案する。
血界の眷属は彼女を哀れな女だと思っていた。
彼女の行動理念は自身の家族へ向ける復讐心だけだ。
己のちっぽけな自尊心を傷つけられただけで、悪魔に身を売り、復習と言う名の欲望を成就させようとする。
そして、いつか家族が彼女の足元で跪く夢を彼女は夢見る。
血界の眷族はそれが、面白いと思った。
これが人間だと思った。
これこそが彼が求めていた人間だと思った。

「――哀れな吸血鬼」

アリシアは血界の眷属を下に組み敷きながら言う。
彼女の硝子球のような瞳は鈍く燃える炎を宿していた。
その瞳を見て眷属は、自身の口元が緩むのが分かった
彼女は自分に何を与えてくれるのだろうか。

「私、分かっちゃった。アナタのこと。」

床に落ちて開いた機械仕掛けのオルゴールは静かに音色を鳴らす。
そのオルゴールはアリシアの白衣のポケットから落ちたものだった。


***


四人が乗った車が停車する。
深い霧の中そのビルは建っていた。
まるでこのビルの周りだけ空間が切りとられて感じるのは、この辺りだけニューヨークだった頃の街並みが色濃く残っているからだろう。
ここは、アスカという少女が生まれた場所であり、血界の眷属の『偽者』研究がおこなわれていた場所。
人影も無ければ、誰かが生活していた形跡も無かった。
辺りを見回しながらクラウスは口を開く。

「やはりあまり、長居をするべきところではないようだ。」

クラウスの言葉にアスカは静かに頷いた。

「そうですね、ここはほぼ異界側ですから人間である貴方たちは、あまり長居するべきではない」
「何時間?」

スティーブンは腕まくりしながらクラウスに問う。

「3時間がやっとだろう。」

血界の眷属からアスカの心臓を取り返し、偽者研究の資料を回収して戻ってくるまでの限られた時間。
油断も道草もしている場合ではない。
クラウスとレオナルドはビルの入り口に向かって歩みだす。
それについて行こうとレオナルドが足を一歩踏み出したとき、腕の裾を引っ張られた。
振り返ると、アスカの真剣な表情があった。

「レオ君。お願い。これから何を見ても直視しちゃだめだよ」

と言うアスカの身体はがたがたと震えていた。
ビルへ先に立ち入ったスティーブンとクラウスは、建物内の光景に思わず、歩ませるはずの足を思わず止めてしまった。
その光景に二人は一瞬、言葉を失いかけてしまう。
失いかけた言葉の代わりに、奥歯をぎちりと噛んだ。

「なんだよ、これ・・・」

その光景を見て、はっきりと拒否反応を示したのはレオナルドだった。
研究所は血の生臭い臭いが充満していた。
白衣を着た人間が何人もエントランスに倒れている、が誰も動かない。
脈を測らずとも彼らが死んでいるのはすぐに分かった。
まるで獣か何かに襲われたような光景が広がっている。
アスカは凍てついた表情を浮かべたまま、一人の白衣の死体を漁るとカードキーを取り上げ、3人の前に立った。

「時間がありません。行きましょう」

研究所はこのビルの最下部に存在していた。
アスカはカードキーを使い、解錠して階段を下る。
この建物の内部はまるで時が止まっているように、3年前そのままだった。
遺体の腐敗も3年経っているというのにまったく進んでおらず、すべてが当時のまま。
遺体に積もる白い埃だけが、過ぎた年月を教えてくれる。

「クロサキから、姉さんの話はどこまで聞きましたか。」

アスカはカードキーで扉を開けながら、徐に口を開いた。

「クロサキが何を言ったかは分かりませんが、私の姉、ルーシーはとても素晴らしい実験体でした。わたしよりも何倍も血界の眷属に近い存在で、研究所の白衣たちにとっても必要とされる存在でした。」

アスカは倒れている遺体を飛び越えた。
彼女の後をスティーブンとクラウス、レオナルドは追いかける。
深層部に潜れば潜るほど白衣を着た遺体が増えていき、悲惨な光景がさら悲惨さを増す

「血界の眷属の魔術式をDNAに直接焼きこまれると、通常の人間は拒否反応を起こし、死にます。だから、拒否反応を起こさない実験体は稀で重宝されました。わたしやルーシーは受精卵のうちに魔術式を充てられましたから、拒否反応を起こさずに成長できた『稀な実験体』だったのです。」

アスカを追いかける3人は、ある部屋に突き当たった。
その部屋は沢山のテレビモニターとパソコンなどの電子機器が置かれ、机の上には書類や走り書きのメモなのが無造作に広げられていた。
そこは研究室だった。
棚の上には、ホルマリン漬けの瓶が何十本も並べられている。
その瓶の一つには、人の胎児のようなものが入っているものまであった。

「しかし、順調に成長したとしても、いつ人間のDNAと血界の眷属の魔術式が拒否反応を起こすか、可能性は拭いきれませんでした。成長した稀な実験体でも過度の負荷を与えられたことで、拒否反応を暴発してしまう子も多くいました」

アスカは一枚の書類を取り出す。
その書類の表紙には最高機密と書かれていた。

「ニューヨークが崩落する前の日、姉に拒否反応が起こりました」

それを引き起こした原因を作ったのは、血界の眷属。
彼だった。


***


「私、分かっちゃった、アナタのこと」

アリシアは、にやりと口角をあげてからから笑った。
彼女に血界の眷属の姿は見えていない。
血界の眷属をアリシアは、見ることも触れることすらできない。
それなのに、血界の眷属の姿を彼女の二つの茶色い瞳はしっかりと捕らえていた。
白衣のポットからこぼれ落ちたオルゴールの機械仕掛けの音色が部屋中に響く。

「アナタは私が哀れだと思っているでしょうね。だけれどね、私もアナタが哀れだと思っているのよ」

誰にも求められず、誰にも受け入れられず。
この世に存在しているのに、存在していない。
故に孤独。
永遠の孤独。
血界の眷属とはそういう存在だった。

「私はアナタを見つけたわ。そして、アナタも私を見つけた。私たちは似たもの同士ね」

眷属はアリシアの瞳の奥に風を見た。
その風は、遠い昔に嗅いだ草原の草木の香りに似ていた。
その風は、遠い昔に見た夕焼け空の色に似ていた。
彼女の口からこぼれ出す言葉たちは、永久にたゆたゆ眷属の魂を鎖で縛る言霊だった。

「私にアナタの諱名(なまえ)を頂戴。」

と言うとアリシアはゆっくりと頭を落とし、血界の眷属と唇を重ねた。











第二十話 「Over shoes, over boots.#1(毒を食(くら)わば皿まで)」
to be continued...







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