女の舌が絡みつくように肌を這う。
つま先からふくらはぎからさらに上へ。
赤く熟れたような舌がちろちろと這って体を嘗め回す。
その舌はスティーブンの好いところを的確に狙ってくる。
舌の淫らな動きにスティーブンは思わず、声を漏らしてしまった。
男として我慢ができるはずがない。
暗がりに浮かび上がる白い女の肌。
女の黒い長髪が白い肌に蛇のように纏わりついていた。
女の舌はちろちろと上へ上へ這っていく。
赤くて小さな女の唇が性器をくわえようとしたとき、スティーブンは女の髪を掴んでそれを止めた。
青い硝子玉のような瞳。
その女はアスカだった。
That's Life!!! 幕間劇 「スカーフェイスの憂鬱」
ベッドの上でスティーブンは飛び起きた。
時計を見ればまだ深夜。
夢の余韻が残る体は汗だくで、呼吸も荒い。
スティーブンは己の見た夢に驚愕する。
まさか、自分が雇う部下と性行為をおこなう夢を見るなんて。
ましては、あの生娘のような女に舐め回される夢。
自分はどれだけ仕事と人生に疲れているのだ。
と、スティーブンは思わず頭を抱えたくなるほどの背徳感をひしひしと感じていた。
しかし、心臓はばくばくと鼓動を打ち、意に反して彼の下腹部は熱くなっている。
「んっ――」
スティーブンの横で金髪の女が呻いて、今、自身が置かれている状況をスティーブンは少しずつ思い出した。
高級ホテルに連れ込んだ適当な女がそこで全裸になって眠っている。
欲望の趣くままに連れ込んだ女と、夢の中でおこなった部下との性行為の始終。
三十路も過ぎた大人の男が性行為を終えた後に、別の女と性行為をする夢を見るという、まるで思春期のような性欲に、己の不甲斐なさを感じながら、スティーブンは熱を持った下腹部を落ち着かせるために、シャワーを浴びるためベッドから降りた。
***
その次の日、アスカに仕事を任せるためにスティーブンは彼女を近くの公園に呼び出した。
するといつものように、待ち合わせ時間より早めに着いて彼女はスティーブンを待っていたが、いつもと様子が少し違う。
ベンチに座るアスカは、腕や足に青痣を作り、擦り傷だらけだった。
仕舞には、左頬にも赤い大きな痣ができているではないか。
その状況から彼女が誰かに殴られたのは、疑う余地はなかった。
「どうしたんだい、それ?」
顔を合わすなり、スティーブンは目を丸くして傷口を指でさした。
腹の虫の居所が悪いアスカはスティーブンに対して口を尖らせる。
「以前、仕事でちょっかいを出した相手がいたのですが、その報復に合ったんです」
アスカが言うには、スティーブンに雇われる前の仕事で、マフィア組織のボスに大怪我を加えたのだが、そのマフィアに報復として、傷だらけのあざだらけにされてきたということらしい。
「君の能力を使えばよかったろうに」
傷だらけの姿でベンチに座るアスカを上から見下ろしながら、スティーブンは思わず口走る。
しかし、彼女の能力は諸刃の剣だ。
きっと能力を使える状況になかったのだろう。
そうだしても、アスカがこんなにぼろぼろになっているところをスティーブンは初めて見た。
少し面白い。
「そんなじろじろ見て、さぞかし面白いんでしょうね」
まるで不貞腐れた子どものように悪態をつきながら、アスカはスティーブンを見上げた。
真っ白い肌に映える痣。
それに吸い込まれるようにスティーブンはアスカの頬の痣を撫でた。
一瞬、痛そうにアスカは身をたじろぐ。
「アスカ、口を開けてみて」
スティーブンに顎を持たれたアスカは、嫌そうに口を開いた。
赤く熟れたような唇。
まるで、夢の中で見たような上から見下ろした光景。
スティーブンの腹の奥がきゅううっと締め付けられた。
そして、それと同時に、夢の中の淫らな彼女とあざだらけの彼女の姿が重なり、夢を見た直後のような背徳感をスティーブンは感じる。
「口の中、切れてる」
と冷たい視線を浮かべ、呟いた。
上から見下ろしながらスティーブンはアスカの口の中を指で弄る。
生暖かい口内の感触と赤い舌。
溢れでる唾液が指を濡らす。
苦しそうにもがくアスカの様は、まるで飼い主に弄り回される子猫のようでとても愛らしく見えた。
ああ、この唇を奪ったら、アスカはどんな表情をするのだろうか。
とぼうっとスティーブンは口の中を弄りながら考える。
「痛い。痛い。スティーブンさん、痛い!」
アスカはスティーブンの手を払いのけた。
「口の中が切れているのが分かっているのに、ひどいです」
「すまん、すまん」
本当に痛かったのかアスカは目尻に涙を溜めて自分の頬を撫でた。
それに対して、言葉では詫びるスティーブンだが、反省しているようにはまったく見えない。
スティーブンはアスカの目線までしゃがみこむと、ベンチに両手をついた。
「で、どうするつもりだい?」
と言って口角をあげるスティーブンにアスカは首をかしげた。
「どうするって?」
「やられたっきりにするつもりなのかい?」
報復として暴力をふられたのならまた暴力を持ってやり返す。
ヘルサレムズ・ロットで生きていくための当然の理論だった。
もし、アスカがやり返しに行くのであれば、手を貸してやる心積もりがスティーブンにはあった。
しかし、アスカはスティーブンの提案に首を横に振って否定した。
「ああ、もういいんです。別に」
アスカはいつもの乏しい表情を変えずにあっけらかんとしている。
「アイツら追いかけても、お金になりませんからね」
そう言って納得しているアスカに対して、スティーブンは心にわだかまりを何故か感じてしまう。
昔、子どものときに感じた漠然的な理不尽さにそれは近いのかもしれない。
理由は分からないが、暴力をふられたことに対して、アスカはよくてもスティーブンには我慢ならなかった。
「ああ、そう」
アスカの言葉に対して、スティーブンは心にない返事を返した。
***
「どーしたの、スティーブン。そのいけ好かない顔がもっといけ好かなくなっているわよ」
とK・Kに怪訝そうに見つめられて、スティーブンは目を丸くした。
それは、イタリアンマフィア『アルバド・ドッチエーリ』の掃討作戦をおこなっている最中のことだった。
ヘルサレムズ・ロットでマフィアが異界人を使って非合法の合成麻薬を作成し、各国に売りさばいているのが分かったのは数日前のこと。
その組織を殲滅するために掃討作戦がライブラで引かれ、スティーブンとK・Kでアジトに乗り込んでいた。
「どちらにしろ、いけ好かないんじゃないのかい?それ」
と苦笑いを浮かべると、K・Kはますます眉間に皺を寄せ舌打ちをした。
「まあ、いいわ。どうでも。アルバド・ドッチエーリのボスを見つけたらインカムで知らせること。いいわね。」
と言うとK・Kは手をひらひらと掲げながらアジトの影に消えていった。
K・Kの言ういけ好かない顔とはなんだろうか。
スティーブンは自分の顎を撫でながら考える。
「いい顔だと思うんだけどなあ、僕の顔。」
スーツのポケットに手を突っ込みながらスティーブンは歩き出す。
イタリアンマフィアとはいえ、所詮は人間の組組織。
ライブラの敵ではなく簡単にスティーブンは、アルバド・ドッチエーリのボスを見つけだした。
しかし、アルバド・ドッチエーリのボスの姿を見つけるとスティーブンは、K・Kとの約束を反して繋がっていたインカムをOFFにし、通信を切断した。
ひとつ、試したいことが彼にはあったのだ。
アルバド・ドッチエーリのボスは機関銃をスティーブンに向けるが、機関銃に怯えることなくスティーブンは対峙した。
「アンタに一つ聞きたいことがあるんだ。アスカって女を知っているかい?」
「は?」
機関銃を向けるボスに対して、スティーブンは満面な笑みを浮かべた。
その笑みに対して、アルバド・ドッチエーリのボスは思わず戸惑ってしまう。
「あ、ああ、知っているさ。あのあばずれ女のおかげで俺の体はこんなになったんだ!」
とボスは自分の両脚を指で指した。
彼の両脚の腿から下は機械仕掛けの義足になっている。
きっとアスカは能力で両脚を再起不能まで追い込んだのだと、考える必要なくスティーブンは理解した。
よく見ると彼の顔も半分焼けとけている。
「それは、大変だ。さぞかし、苦労しているのだろうね」
スティーブンは大げさに驚いて見せた。
「ああそうさ。だが憂う必要なない!ついこないだ報復として、その女をぼこぼこにしてやったところよ!」
エスメラルダ式血凍道
絶対零度の地平
部屋が一気に凍てつく。
アルバド・ドッチエーリのボスの体も顔を残して氷付けだ。
そして、凍てつくのは部屋とボスだけではなく、スティーブンの笑みも凍てついていた。
ああ、そうか、こいつか。
スティーブンは心の中で悪態をつく。
そして、アスカの殴られた頬を見たときの心のわだかまりが再度、燃え出した。
だが今はこのわだかまりの矛先をどこへ向ければいいのか、スティーブンの中ではっきりと分かっていた。
スティーブンは左手で握り拳を作る。
彼の戦闘スタイルは蹴りによる攻撃だが、今はなんだかクラウスのように握り拳を作りたい気分だった。
スティーブンは満面な笑みを浮かべながらアルバド・ドッチエーリのボスの左頬を拳で殴った。
***
「あら、やだ。なあにこれ!」
スティーブンとインカム通信が復帰し、彼の元にやってきたK・Kが悲鳴に近い声をあげた。
部屋はスティーブンの能力で凍てつき、仕留めたボスの下半身は拘束のため凍りついているものの、顔は原型が分からないほどに、ぼこぼこに殴られ腫れ上がっているではないか。
それに対してスティーブンは横で、憑き物が落ちたような爽やかな笑みを浮かべている。
「――・・スカーフェイス、あんた何したのよ」
K・Kはますます怪訝そうな表情を浮かべ、眉間に皺を寄せた。
彼女が感じていたスティーブンに対しての「感じの悪さ」は取れているものの、今度は不自然な「爽やかさ」が心底、気に入らなかった。
「いやあ、K・K。仕事をし終えた後の空気は、最高に上手いね!」
怪訝そうなK・Kに対して、スティーブンは満足げに笑うのだった。
***
『ただ今、中継でお送りしておりますとおり、イタリア最大のマフィア「アルバド・ドッチエーリ」のボスが警察の手によって収監されました』
電気屋のショーウィンドウに飾られているテレビをカップヌードル片手に観ていると、知っている名前にアスカは、テレビ画面に釘付けになった。
アルバド・ドッチエーリといえば、アスカが半殺しにしたイタリアンマフィアのボスが所属している組織だ。
そしてつい数日前にそれを理由に報復された組織でもあった。
スティーブンはアスカに仕返しをしないのかと説いたが、金にならない相手を追ってもどうしようもないと思っていたので、正直、報復にあったことについて、アスカは諦めていた。
しかし、テレビ画面に映るアルバド・ドッチエーリの顔は、彼女の知る面影もなく、ぼこぼこに腫れ上がっていて、なんだか胸が少しスカッとしたように感じた。
「――捕まったんだ」
アスカはカップヌードルの麺をすすりながら呟いた。
次にスティーブンに会ったときに、このテレビの内容を彼に一番に報告しようと心に決めながらアスカはテレビを見つめた。
「スカーフェイスの憂鬱」 了
20171128
Grimoire
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