早朝、いつものカフェにアスカを呼び出すたびに彼女は一品だけ料理を注文する。
文字が読めない彼女がメニュー表に載っている料理を上から順番に注文するものだから、サンドウィッチやパスタが出てくるのはいい方で、ときどき人間では食べられそうもない料理が出てくることがあった。
注文して提供されるまで何がテーブルに乗るのか分からない彼女のオーダーを観察するのがとても楽しくて、スティーブンはアスカとの朝食がいつの間にか楽しみになっていた。
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That's Life!!! 幕間劇 「可愛い子にはケーキを食べさせろ」
スティーブンがアスカをいつも呼び出すカフェの入り口には、個性的なモニュメントがある。
文字が読めないアスカでもすぐに探せるように選んだ『玄関先にモニュメントがあるカフェ』は大崩落以前からニューヨークでは有名なお店で、崩落後のヘルサレムズ・ロットでもとても繁盛していた。
スティーブンがカフェに到着する頃には、いつもアスカは既にお店に入っているのだが、今日は少し違う。
動物を象っているのか、人間を象っているのか、はたまた異界人を象っているのか、不思議な形をしているそのモニュメントを、これはいったい何だろうとアスカはしげしげとカフェの玄関先で眺めていた。
「見すぎ」
後ろから声をかけるとアスカは、慌てたように向きなおし「おはようございます」とスティーブンに挨拶をした。
「これって何を象っているんですかね」
「さあね。ここがまだニューヨークだった頃は、ライオンを象っていたのだけれど、今となっては、何かは僕にも分からないよ」
と言うとスティーブンはアスカを置いてカフェに入る。
いつもどおりお店は混み合っているが、不思議と落ち着く賑やかさだ。
窓側の席が空いている。
この席は、スティーブンとアスカの特等席だった。
***
さあ、今日は何を注文し、アスカは食べることが出来るのか。
スティーブンは弾む心を新聞で隠しながらメニュー表を必死に眺めるアスカを見つめた。
初めてこの店に二人で来たときはパンケーキ。
この前に会った時は、ハンバーガーを注文していた。
確かその前は、朝食時間に提供できないメニューを注文しようとして断られていたか。
いつの間にか、スティーブンにとってアスカとメニューを眺めるこの一瞬が、日々の激務と苦労を忘れられるひと時となっていた。
「ご注文はお決まりでしょうか」
店員が注文表片手に立っていた。
スティーブンはいつもどおりホットコーヒーを注文する。
「アスカ、君は?」
頬杖をつきながらスティーブンはアスカに言った。
険しい顔をしてアスカはメニュー表の一行を指差す。
「これ、ください」
アスカは文字が読めないのだからその料理が何なのかは知らない。
しかし、スティーブンにはその料理が何なのか分かってしまう。
スティーブンは爽やかな笑顔をアスカに向けながら、心の中で、天を仰いだ。
なんてことだ。
そのメニューは―――
と、心の中で絶句するが、スティーブンも意地が悪くアスカ本人には、あえて伝えない。
彼女と料理のファーストコンタクトをスティーブンは、見たくてたまらないのだ。
注文したホットコーヒーをスティーブンは新聞片手に飲む。
新聞越しに眺めるアスカは、頬杖をついてぼうっと外を眺めていた。
朝の日差しに照らされるアスカの白い肌は、きらきらと透き通って見える。
何を考えているのだろうか。
アスカと目が合った。
スティーブンはにこりと笑顔を作る。
「じろじろなんですか」
「いや、何を考えているんだろうなあって思っただけさ」
スティーブンの笑みにアスカは口を尖らせる。
「おまたせ致しました〜」
店員はアスカの注文した料理を彼女の前に差し出した。
「異界昆虫のベーグルサンドです」
アスカの乏しい表情がますます消えていくのがスティーブンには見てとれた。
残念ながらこの料理はとてもグロテスクで人間が食べるようなものではない。
スティーブンは笑いを堪えるのに必死になりながらアスカを観察しつづける。
すると、じっと料理を見つめていたアスカの視線がゆっくりと正面に座るスティーブンに移った。
「貴方、わかっていましたね」
と睨む。
そのアスカの姿は、まるで子猫がにゃあにゃあと飼い主を威嚇しているように見えて、スティーブンはアスカが愛らしくて堪らなかったのだが、アスカはスティーブンの態度が気に入らず、徐にフォークを持つとその昆虫に向かって突き立てた。
「まてまてまて!!」
慌ててスティーブンはアスカを制止させる。
「注文をしたのはわたしです。食べなければ。」
「いや、食べなくていい。むしろ食べないでください。俺の前では食べないで。」
フォークを昆虫に突き立てるアスカを制止させながらスティーブンは懇願し、それから異界昆虫のベーグルサンドの変わりにB.L.Tサンドがスティーブンの判断によって注文されたのは、言うまでもない。
***
「変なものを注文していたのを分かっていたのになんで黙っているんですか」
スティーブンが注文したB.L.Tサンドを食べ終わるとむすっとした表情を浮かべながらアスカは言った。
「なら、僕が止めていたら、注文メニューを君は変えていたかい?」
その問いにアスカは、一瞬だけ考えるように目を泳がせると「いいえ」と首を振る。
「基本的にわたしは貴方の言葉を疑って聞いていますから、それは難しいですね」
「ひどいことをさらっと言うよね。君は。」
スティーブンは大げさに肩を落としてみせた。
いつものアスカならば、そんなスティーブンの態度など放っておくのだが、やはり今日は少し違う。
「――ケーキをご馳走してくれれば、許してあげます。」
スティーブンの丸くした赤い瞳に、恥じらいつつメニュー表をスティーブンに差し出すアスカが映っていた。
***
ザップのライブラへの出勤時間はいつもバラバラで、出勤時間に遅刻せずに出勤することは奇跡に近いことだった。
しかし、今日はその奇跡が起きた。
むしろいつもより早く出勤してきた。
ザップは事務所の扉をあけるや否やソファに飛び込み、レオナルドにヘットロックをキメる。
「なあ、陰毛頭。聞いてくれよ。俺見ちまった」
「なーに見たって言うんですか。てか、陰毛頭いうの止めてください」
ザップは辺りを見回す。
「・・・スティーブンさん、若い10代くらいの女の子連れてカフェでケーキ食ってた。めっちゃ、ニコニコしながら女の子と食ってた」
「それがどーしたっていうんですか。」
「あんなスティーブンさん見たことねぇよ。」
ザップは高らかに言う。
「あれは、きっと買春していたに違いない!そう、あえて言うなら援助交際!」
「ああん?誰が買春したって?援助交際だって?」
事務室の温度が一気に氷点下に下がったのを感じたのはザップだけだろうか。
彼にヘッドロックをキメられていたレオナルドはそそくさとザップから離れていく。
ザップの肩に腕を回したのは、誰でもない満面の笑みを浮かべる秘密結社ライブラの番頭だった。
「いやー・・・そのー・・・綺麗な笑顔っすね」
「そうかい?ザップ君にはそう見えるのかい?嬉しいね」
ザップにスティーブンの安息のひと時を見られてしまった。
しかも買春だの援助交際だの間違われ、決してアスカとはやましいことはないのだけれど、居た堪れない気持ちが勝って、とりあえずスティーブンはザップを締め上げ、外へ放り出した。
「可愛い子にはケーキを食べさせろ」 了
20171115
Grimoire
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