おもちゃ箱をひっくり返して笑う子どものように、君は笑っていた。
崩れゆく街を背にして、君は笑っていた。
わたしはそんな君を呆然とただただ眺めることしかできなかった。




That's Life!!!



いつもと何かが違う、と感づいたのはスティーブンが自宅のドアノブに手をかけたときだった。
普段と何一つ変わらぬ日常に、一抹の殺気と殺意が忍び混んでいるのに気づかない分けがない。
秘密結社ライブラのメンバーとして活動している以上、命を狙われるのは日常茶飯事であるし、いくら自分が仕事終わりのしがないサラリーマンを装っていたとしても、見る人が見ればすぐに分かる。
本日も荒事をやってのけてきた―――と。
スティーブンは今から起こりうるだろう「面倒なこと」を想像しつつ、気だるそうにドアノブに手をかけた。
数時間ぶりに戻った我が家は、今朝いってきますと出勤したときから何も変わらないように思えた。
まるでモデルルームのように綺麗に整った部屋たち。
ダイニングソファー周りだけ書類で散らかり、そこだけ異様に生活感があるのは、スティーブンがソファ周りでしか生活していないからだ。
それらを見通したとしても、いつもと変わらない家。
しかし、何かが違う。
スティーブンに向けられた殺意の正体に気づくには、そんなに時間がかからなかった。

「お兄さん、ごめんなさいね。貴方を殺せと頼まれたものだから、殺さないといけない。わたしにも生活があってね。」

しんと透き通った声とともに、ナイフを持った女が飛び込んできた。
そのナイフを紙一重で避けると、スティーブンは右足に力を込めて、蹴り上げた。
女は身体を丸くして、蹴りを受け止めるが、衝撃が強すぎて吹っ飛ばされた。
空気がぴりっと冷えていくのが分かる。
エスメラルダ式血凍道。
それに違いない。

「生活?僕を殺すためにいくらで雇われた?」

吹っ飛ばされた女に向かってスティーブンは冷たく言い放つ。
声色は飄々としているが、どこか冷たく怖いものがある。

「少しの間、食いっぱくれない程度、かな」

女が長い黒髪の隙間から口角を上げて笑うのが見えた。

「それじゃあ、安すぎると思うよ」

スティーブンは女に歩み寄ると、握っていたナイフを蹴り上げて取り上げる。
提示された自分の命の金額が想像よりもはるかに安く、スティーブンは大きな溜息をつくと肩を落として見せた。

「・・・確かに。わたしって少し騙されたのかな。」

まあいいや、と女は履き捨てると、スティーブンの蹴りの衝撃などなかったようにすくりと立ち上がってみせた。
スティーブンの影にすっぽりと納まってしまいそうな、小柄な女。
長髪の隙間から垣間見える瑠璃色の瞳がとても印象的な女。
暗がりの中でスティーブンは、やっと女の姿を見た気がした。

「お兄さん。もう、貴方はわたしの術中にはまっているんだよ。」

突然、がくりと膝からスティーブンは崩れ落ちた。

「わたしは特異な体質の持ち主でね、自分の血を猛毒に変えることができるんだよ」

お兄さん、ドアノブを素手で触ったでしょ?
と言う女の言葉に「ああ」とスティーブンは喉を鳴らした。
身体がびりびりと痺れて動きがとれない。
麻痺して動けないスティーブンを横目に女はナイフを拾い上げると、スティーブンの脳天に翳してみせた。
ナイフの刃に苦悶の表情を浮かべる自身をスティーブンは見た。

「最初から毒を仕込んでいたわけか・・・」

苦虫を噛み潰すようにスティーブンは吐き捨てた。
もう少し警戒しておけばよかったのか、しかし想定がつかなかった。
スティーブンは殺気に気づいた数分前からの記憶を振り返っては、容易く術中にはまってしまった自身の愚かさを悔いると同時に、自身の目の前にいる女の存在に口角をあげて笑う。

「お兄さん、死んでよ」

わたしの生活のためにさ。
と言うと急転直下、女は意識を手放した。


****


「わたし、負けた?」

リビングで大の字になって横たわりながら、女はスティーブンを見上げながら言う。
その身体は傷だらけ、アザだらけだ。

「そのようだね。」

スティーブンはそれを上から見下ろしながら言った。
女の言う毒のせいで、スティーブンの身体はまだぴりぴりと麻痺が残るが、秘密結社ライブラの副官と呼ばれるだけはある。
自身の血の性質で毒を抑え込んでいるのだ。
スティーブンは部屋の電気を点けた。
情けない女の姿が露になる。
ホットパンツにスニーカー。
白いTシャツにぼてっとしたパーカー。
その姿はとてもラフな格好で、自身の命を狙っていた者の姿には到底思えない。

「君さ、名前は?」

成熟した女のようにも少女のようにも思えるボロボロの暗殺者にスティーブンは問いかけた。

「アスカ」

アスカと名乗る女は、スティーブンを睨みつけたが、そこにはもう殺気も殺意もなかった。

「わたしを殺すの?お兄さん」

暗殺者が暗殺を失敗したらどうなるか想像は難くない。
アスカは、自分の残りの寿命の長さをひとつ、ふたつと数え始めた。

「君、僕を殺すために雇われたと言ったね。」

誰に?と聞きたいところだったが、そんなことスティーブンにとって、どうでもよくなっていた。

「僕はね、秘密結社で世界平和を目指しているんだ。君の能力は実に面白い。」

まるで、草原をそよぐ清らかな風のような、爽やかにスティーブンは満面な笑みを浮かべた。
しかし、その笑みを目の前にして、アスカは血の気が引いていくのを感じる。
瞳の奥がまったく笑っていないのだ。

「契約金は秘密結社の報酬分と僕のポケットマネーから出す。君の生活の1年いや2年・・・なに不自由なく生活できる程度の金額を出そう。」

スティーブンを殺しにきた暗殺者・アスカは今、自身の人生の岐路に立たされている。
返答を間違えただけで、自身のかけがいのない大切な寿命が決まるのだ。

「僕の私兵にならないかい?」

ここで死ぬか、生きるか。
異世界と現世が交わる異形の都市ヘルサレムズ・ロット。
そこで雇われ暗殺者を生業にしていたアスカの転機が、こんなしがないマンションに転がっていたなどアスカは露と知らなかった。








第一話 「Money talks.(地獄の沙汰も金次第)」
to be continued...





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