ブラッドベリ総合病院の処置室にアスカは担ぎ込まれるとその場に一緒に居たスティーブン、レオナルド、クラウスの3名は小さいルシアナたちによって廊下へ閉め出された。
赤いランプの点いた処置中という文字をスティーブンはぼうっと見上げる。
彼女に渡してたGPS付の携帯電話を彼女は、結局家に置きっぱなしで外出したらしい。
しかも日の暮れた夜。
朝の出勤時に約束したことが何ひとつも守られていないことにスティーブンは幾分かショックを受けた。
まるで飼い猫に引っかかれたような、淡い落胆。
それに似ていた。

「まさか、レオナルドとアスカが知り合いだなって知らなかったな。」
「それは、僕も一緒です。」

敵意丸出しで返ってきたレオナルドの返事に、スティーブンは面食らう。

「アスカ、きっと死ぬつもりで居たんだと思います」

レオナルドは悔しそうに言った。

「スティーブンさん」

スティーブンがレオナルドに持つイメージは、特殊能力こそ持つが、他人との争いだとか揉め事と疎遠で虐められる一辺倒の男。
それが、自身に詰め寄るほどに相対するレオナルドに、スティーブンは驚いて見せた。

「僕、彼女に助けて貰った変わりに、文字の読み書きを教えていたんです。文字が読めなくて不便だし、『あくどい上司』に騙されそうだからって」

レオナルドはピザ屋の制服のポケットから書類を取り出すとスティーブンにつきだした。

「血界の眷属に追われる前、アスカにこれを渡されて、自分の代わりに読んで欲しいって頼まれたんです。」

彼女を弄んでいるのなら、あまりにも可哀想だ。
とレオナルドはさらにスティーブンの胸の下あたりにその書類をつきだす。
雇用契約書。
アスカと初めて出会った夜に交わした契約書だ。
しまった――という気の抜けた顔をしたスティーブンにレオナルドは余計、腹を立たせたのか、眉間に皺を寄せてぎりぎりと睨んだ。

「―――これの中身は、アスカは知って・・・」
「もちろん、知っていますよ!僕だって事情がちゃんと分かっていれば、フォローできたかもしれませんが、急に渡されて読まされたものだから!」

なんてことだ!と気の抜けた声を出したいとスティーブンは心の中で叫ぶ。
この場にレオナルドとクラウスが居なければ、スティーブンは頭を抱えて床へ倒れこみたかった。
最初の出来心がここまで尾を引くと思わなかった。
まさか、アスカが後生大事にスティーブンとの契約書を持っていると思わなかった。
彼女に仕事はそれなりにさせていたが。
上司と部下との関係を彼女はすごく意識していたようだったが。
考えれば考えるほど、当時の出来心とそれを放置し続けた自分の愚かさをスティーブンは悔やんだ。

「それを知って彼女はなんて?」
「大笑いしていました。スティーブンさんならやりかねないって。けれど、泣いてもいました。」

処置室のランプは未だに赤いまま。

「アスカはきっとこの書類を僕に読ませる前から死ぬための心積もりはあったはずだ。だけれど、アナタのいいかげんな書類で余計にアスカを悲しませた。」

レオナルドの言葉が何よりもスティーブンの小さな心臓を痛めつけた。



That's Life!!!



ルーシーはいつもアスカの先を行く存在だった。
それ彼女がアスカより先に生まれたせいなのか。
顕微鏡に覗き見られた中で生まれた姉妹に、姉妹の優劣の概念があるのかは、定かではない。
アスカと同じ年であるはずなのに、ルーシーは5歳の幼女のような姿をしていた。
まるで天使のような幼い姿には似つかわしくない暴言をルーシーは、アスカに吐き捨てる。
失敗作だの馬鹿だの、無能だの。
まるで世界を恨むような、漠然的な苛立ちをルーシーはアスカに向けるのだった。

「ねえ、失敗作。馬鹿で無能な貴女に唯一できることを教えてあげる」

ルーシーはいつものようにアスカを見下しながら言う。
身長差なんてあってないようなもので、まるで悪魔のような威圧感をルーシーは持っていた。
大きな瞳をぎらぎらとさせながらルーシーは言う。

「それは、あたしを殺すこと」

最初で最後のルーシーがアスカに頼んだお願いだった。


***


目を覚ますと最初に天井が目に入った。
次に目に入るのは自分の腕に繋がる輸血液とベッドの柵。
馴染みの光景に、プレイしていたゲームがある日突然、強制的にスタート地点へ戻された気分。
それに似ていた。

「ああ、生きてる」

アスカは、落ち込みながら呟いた。

「ああ、生きてる、じゃあないだろ」

満月の月明かりが差し込む病室にスティーブンが居たことに声で初めて気がついた。
ジャケットを脱ぎ、ネクタイまで外したとてもラフな格好で彼は病室に立っていた。
疲れているのか少しやつれたようにも見える。
スティーブンはアスカのベッド前まで歩み寄ると大きな体で、アスカを上から見下ろした。
その視線はとても冷たく彼が怒っているのが手に取るように分かった。

「スティーブンさんとレオ君、知り合い・・・同僚だったんですね。あの赤い大きな人はクラウスさんなのかな」

彼の気を知ってか知らずか、アスカはつい数時間前に起きた出来事を思い返しながら言った。
その間、上から見下ろすスティーブンと目を合さない。
アスカのふてぶてしい態度にスティーブンはさらに腹が立ったのか、眉間に浮かべた皺がさらに濃くなった。

「携帯を持ち歩けって言ったろ。日か落ちてから出歩くなとも言った。何も約束を守れていないじゃないか」

スティーブンは説教をするようにアスカに言うが、彼女にはちっとも響いていないように見え、その態度に大きな溜息をつくとスティーブンは、ベッドの柵をおろして、アスカが横になるベッドに腰を掛けた。

「嘘の雇用契約させておいて、約束なんか言われたくありません」

視線を外したままアスカから搾り出された言葉は、スティーブンを拒絶する言葉だった。
素直に謝れば良かったのかもしれないが、いろいろな言い訳を飲み込んでスティーブンは押し黙った。
すると堰を切ったようにアスカは口を開いた。

「どんな気分でしたか。貴方の嘘に弄ばれているわたしは、面白かったですか?」
「アスカ」
「文字も読めない女なんて、騙すの簡単ですものね」
「アスカ」

スティーブンは差しのべた手の甲でアスカの頬を撫でた。
すると強張ったアスカの身体が落ち着いたように緩んでいくのが分かった。

「アスカ、すまなかった。許してくれとは言わないし、思わないよ。だけれど君に嫌われたくはないと思う。」
「・・・意地悪を言い過ぎました」

と言うとアスカは小さく肩を落とした。

「でも、さすがにレオ君に契約書を読んで貰ったときは、少し、ほんの少しだけ悲しい気持ちになりました」

アスカは小さく引きつった笑いを作って見せた。

「わたし、スティーブンさんの家を飛び出したとき、本当はもう貴方の元には戻らないって決めていたんです。」
「何で?」

スティーブンの真っ直ぐな赤い瞳アスカは、目を奪われた。
いつの間にかアスカは彼から視線を外すことが出来なくなっていた。

「きっとわたしは貴方の目の前で醜いものになってしまう。それが厭なんです。」

近いようで遠い彼らの距離に満月の光が窓から差し込む。

「だから、俺に何も言わず家を飛び出したの?」

スティーブンの言葉にアスカはこくりと頷いた。
いつのまにかアスカの大きな瞳には下を向けば溢れそうなほど涙が溜まっていた。
そのアスカの姿をスティーブンは鼻で笑うと、大きな両手でアスカの頬を挟んで、まっすぐと前を向かせた。
そして、鼻と鼻が重なるくらいにスティーブンはアスカを引き寄せる。
彼の瞳にアスカの姿がはっきりと映りこんでいた。

「僕は君に愛されていたんだね。凄く嬉しい」

と言うとスティーブンは満面の笑みを作った。

「レオナルドから聞いたよ。最後に会うのがレオでよかったって言ったじゃないか。凄く悲しかった。僕は君に必要とされていないんじゃないかって。」

スティーブンの大きな手に包まれた顔をアスカはぶんぶんと横に振った。
するとアスカの瞳からぼろぼろと涙が溢れ出した。

「そんなことあるわけないじゃないですか・・・わたしは貴方を傷つけたくないって心に決めて家を出たんです。そんな中、貴方を見かけたら、わたし、」

決心だとかいろいろなものが音を立てて崩れてしまう。
ただの弱い人になってしまう。

「――『助けて』って言っちゃうじゃないですか」

それは魂の叫びだった。
スティーブンはアスカを覆いかぶさるように抱きしめた。
アスカは涙を流しながらスティーブンの体温を感じる。
とても冷たい口ぶりをする男なのだけれど、抱きしめる体温はとても心地よかった。
甘い香りと男の香りがまざってアスカの頭をふわふわとさせる。

「アスカ、君はなにも心配しなくていい。血界の眷属が現われたのならば、俺やライブラが君を守る。」

だから、
スティーブンは埋めていた顔をアスカに見せる。

「もう死んでもいいなんて思わないでくれ」

打ちひしがれて捨て身になる君をもう見たくない。
スティーブンは苦しそうにアスカに言った。


***


スティーブンに腕を引かれ、同じベッドの中に引き込まれた。
輸血液の針のせいで身動きが上手く取れないことをいいことに、スティーブンはアスカのベッドに潜り込んでいる。

「あの、ここ、わたしのベッドなんですけれど」
「いいじゃない。たまにはさ」

と言うとスティーブンはじゃれるように布団の中でアスカの脚へ自身の足を絡ませた。
そして小さな彼女を引き寄せると短くなったアスカの髪を愛おしそうにスティーブンは撫でた。

「他の人や先生に見つかって怒られます」
「いいよ。僕は見つかっても。」

アスカが何を言ってもスティーブンは聞く耳を持たないようだ。
布団の中の篭った熱に、アスカは顔をほてらせて赤らめる。
胸の中のアスカに満足したのかスティーブンはあっという間に、ベッドの中で寝息を立て始めた。
アスカはその彼の寝息を子守唄に瞼を閉じるのだった。










第十五話 「Love begets love.(愛は愛を生む)」
to be continued...




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