That's Life!!!



闇に潜む影は懐かしむようにオルゴールの音色をただただ聴いていた。
機械仕掛けの音色は淡々と同じメロディを繰り返す。
半音外れたその音色はどこか寂しく、どこか冷たい。

「すべてを隠そう。だれにも見られない場所に。すべてを隠そう。だれにも感じられない場所に。すべてを隠そう。」

影は丸く蹲るとオルゴール箱蓋をパタリと閉じ、また別の影へと同化していった。


***


翌朝、スティーブンが出勤した後、家政婦であるミセス・ヴェデットがアスカのためにゲストルームと日用雑貨を繕ってくれた。
ウェデットは、アスカが昨日まで着ていた洋服をすべて洗濯機に放り込むと上機嫌に自身が持ってきた洋服をアスカにあてた。

「旦那様に数着洋服を用意しとくように言われていまして。」

しかし、ウェデットが用意した洋服はどれもアスカが好むジャンルとかけ離れていて、少し躊躇してしまう服ばかりだった。
ウェデットの好意を否定することも出来ず、言われるがまま、渡されるまま着せ替え人形のように洋服を着る。

「サイズも調度いいようですね・・・!」

鏡を前にしてウェデットは感嘆の声をあげた。
真っ白なワンピース。
腰周りの風通しに少し戸惑いっているとウェデットはアスカの肩にぽんと手を置いた。

「初めてなんですよ。旦那様が女性を家に泊めるのは」

何故、ウェデットが上機嫌なのか分かった気がした。

「女性って――。わたしも一応、貴女と同じように彼に雇われている身なんですよ!」
「そんな謙遜して。あんな上機嫌の旦那様はじめてです。」

ウェデットの良からぬ想像をアスカは否定すべく、訂正しようとするが、余計に想像を膨らませる種になってしまい、アスカはますます頭を痛めてしまう。
どうしたものかと肩を落としていると、改めて鏡に映る自身の姿に目をやった。
真っ白なワンピース。

「それでは、わたしは各お部屋の掃除と洗濯をしてきますから、アスカ様はリビングでお休みになっていてください」

とウェデットは満面の優しい笑みを作ってアスカに言った。
しかし、彼女はスティーブンの家政婦であるが、アスカの家政婦ではない。
慌ててアスカはウェデットの後を追う。

「わたしも貴女と一緒の彼に雇われている身です。掃除も洗濯も手伝います。それに様付けもいいです。」

アスカの言葉にきょとんと驚いた表情をウェデットは一度浮かべるが、アスカの真剣な表情に根負けしたように、じゃあ少しだけと微笑んだ。


***


やっと見つけたのだ。
『偽者』
あれは女王蜂と同じ類だ。
無自覚に人間でも化物でも、とにかく他者を魅了して跪かせて喰い潰すそれだ。
だが、そうだと知っていてもその力は魅力的だ。
自身が血界の眷属だとしたらなおのこと、その魅力は二倍にも三倍にも増す。
誰にも渡したくない。
この感情すらすでに魅了されているのかもしれない。

「俺のモノにしなければ」

眷属は苛立ったように爪を噛んで震える。
それは麻薬が切れた中毒者のようにも思えた。
アスカの腹を掻ききった夜を思い出す。
その妖艶な姿は『偽者』に相応しい姿だった。

「俺が見つけたのだから、俺のモノだ」
「違うよ」

突然の気配に眷属は辺りを見回す。
そこに年老いた異界人がいた。
暗がりの中でその姿ははっきり見えないが、老人は確かにそこにいる。

「おぬしのような、度し難く低俗な眷属にアレは相応しくない。」

それは一瞬だった。
眷属は老人の首を持つと地面に体ごとたたきつけ、押しつぶした。
しかし、異界人である老人は怪我一つせず、眷属を睨み続ける。

「不思議には思わんのかね。なぜ、偽者としての生れ落ちた忌み子がこの数年、誰にも、どの血界の眷属たちにも気づかれずに生きてこられたのか」
「まさか・・・!」

老人は口角をあげて笑った。

「アレがこの世界に生れ落ちた瞬間から、誰かが隠匿していたのさ」

眷属が老人に押し負け、それどころか首元を掴んだ指先から灰へと朽ちていく。

「哀れだな。我、同士よ。アレに手を出したときに貴様の運命は決まっていたということよ」

老人が歯をむき出して笑う。
それは吸血鬼そのものの牙だった。

「よくも『俺』の宝物を暴いてくれたな。その罪は重いぞ。小僧。」

瞬く間に眷属の体は朽ちてゆく。
最後に眷属が見た風景は、真っ赤な翼を持つ幽鬼に喰いつかれる瞬間だった。
オルゴールが鳴る。
機械仕掛けのとても単調な寂しい音楽。
年老いた異界人は、静かにその音色に耳を傾けた。
足元には灰の山。

「大丈夫。すべて隠せばいい。今までやってきたのだから、もう一度。もう一度。」

老人は影へと消えた。


***


「痛っ」

ウェデットと一緒に夕食の準備をしていたら包丁で手を切ってしまった。
血がポタリと滴り落ちる。
大変!とウェデットはアスカの手をとると流水に傷をあてた。

「すみません」
「後は私がやりますから、アスカは座っていて」

手際よくウェデットはアスカの指に絆創膏を貼って手当てをしてくれた。
台所から追い出されたアスカは、しょうがなくウェデットが良く見えるダイニングテーブルまで移動し、彼女の料理する姿をぼうっと眺めることにした。
窓の外には夕焼けが広がっている。
彼女に貼ってもらった伴奏を剥がした。

「もう、傷が治っている」

つい数分に切った切り傷がもう痕も残らず治っていた。
以前よりも数段と治りが早くなっている。
自身が意図する以上の場所で何かが変わり始めているという漠然的な、一抹の不安にアスカは追われ、自分の唇を噛んだ。


***


歓楽街。
雑踏を尻目にスティーブンはベンチに腰掛け、人を待っていた。
待ち合わせ時間ぴったりに相手はやってきた。
スティーブンと背合わせに反対側のベンチに相手は座る。
待ち合わせ相手とは、情報屋だった。

「アンタに言われたように現在、このヘルサレムズ・ロットに在住している人間で、生物学および遺伝子工学の研究者をさがしてきたよ」

と言うと情報屋は後ろからスティーブンに書類が入った封筒を渡す。

「武器産業従事者2名、医薬品産業従事者4名、大学関係者1名、医者2名、その他3名。だが、そいつらが今もこのヘルサレムズ・ロットで生きている確証はないけどな」

スティーブンは情報屋から受け取った書類に目を通す。

「大崩落以前からのニューヨーク在住者をさがしているんだろ?大崩落で大部分のニューヨーカーが死んだって話だ」
「おい。」

情報屋が見たスティーブンの眼差しは身も毛もよだつ程、冷たい眼差しをしていた。

「無駄口はやめた方が利口だぞ。」

スティーブンは、その情報屋に対価として小切手を渡すと足早にその場を後にした。
どうも、ご贔屓に、と情報屋は嫌味っぽく、この場を去るスティーブンの背中に吐きかけるのが聞こえた。


***


スティーブンが自宅に戻ると部屋はとても静かで、真っ暗だった。
家政婦のミセス・ウェデットはもうとっくに帰宅してしまっている時間だ。
リビングへのドアを開けると、ダイニングテーブルの頭上だけの照明で、アスカは待っていた。
広い真っ暗な部屋に一部分だけ、スポットライトのように彼女が居るところだけ明るい。

「アスカ」

リビングの全照明のスイッチを押しながら、ダイニングテーブルの端っこに座って両手で顔を覆い俯いているアスカを呼んだ。
すると肩をびっくっとさせてアスカが顔をあげる。
寝ていたのか、考え事をしていたのか、気のないような表情を一瞬浮かべたが、そこに居るのがスティーブンだと気づくと慌てたように立ち上がった。

「おかえりなさい」
「ただいま」

ダイニングチェアにジャケットをかけながらスティーブンはアスカに歩み寄る。
ウェデットが用意したのだろう。
初めてアスカがスカートを着ているところをみた。
女性らしい白いワンピース。
それはアスカにとても似合っていた。

「ウェデットさんが夕飯の準備をして下さっています」

ダイニングテーブルには夕食分の皿とフォーク・ナイフが二人分並んでいる。

「料理、温めなおしますね」
「え、君、料理できるの?」

スティーブンの質問にアスカは言葉を詰まらせ、動きが止まる。
彼女の食生活がカップヌードルとカップヌードルで出来上がっているのを知っているスティーブンは苦笑いを浮かべた。

「・・・ウェデットさんに温め方を教わりました。」
「いいよ。僕がやるよ。君は座っていて」

アスカをダイニングチェアに座らせるとスティーブンはエプロンをかけてキッチンに立った。
なんでもそつなくこなすスティーブンに感心して見惚れているとあっという間にテーブルの上に料理が並んでいた。

「そんなに僕ってかっこいい?」

料理を並べながらスティーブンは口角をあげて、にやりとしながら言った。

「何を寝ぼけたこと言っているんですか」
「だって、あまりにも君が僕を見つめてくるものだから、ついね。つい。」

スティーブンはアスカの頭を撫でると、エプロンを外し、アスカと対面するように自身もチェアに腰掛けた。

「ウェデットの料理は下手なレストランいくよりも上手いんだ。食べようじゃないか」

硬かったアスカの表情が少し緩んだようにスティーブンは感じた。


***


夕食を終え、スティーブンが皿を洗っているとアスカがバルコニーに出ているのが見えた。
スティーブンのマンションの夜景は、この場所がヘルサレムズ・ロットだということを忘れさせるほど輝いて見えた。
アスカを追うようにスティーブンはバルコニーへ向かう。
そよ風に靡く長い髪と白いワンピースがとても心象的に見える。

「そんな格好で外に出ると風邪をひくよ」

返事はない。
スティーブンは溜息を一つ吐くと、ブランケットを彼女の肩に羽織らせようと手を伸ばす。
が、その手が思わず止まってしまった。

「アスカ」

表情は硬く強張ったまま。
だけれど、その大きな瞳には涙を浮かべ、頬を伝わせていた。

「すみません。なんだか勝手に涙が出てきて―――」
「アスカ」

涙を拭おうとするアスカの手をスティーブンは止めた。

「君に聞きたい事がある」
「・・・内容しだいで、お答えしましょう」

スティーブンの真っ直ぐな眼差しに、涙を見られたくないのかアスカは顔を俯かせる。

「眷属と応戦しているとき、なにがあった。僕のいないところで奴は、何を話した」

涙が溜まる大きな瞳をアスカはスティーブンに向けた。
何か言いたげに口を開くが、噤んでしまう。
アスカは苦悶の表情を浮かべると、スティーブンの手を振りほどいて、逃げた。
それをスティーブンは追いかける。
広いバルコニーとはいえ、マンションの一室だ。
すぐに追いついてしまう。
スティーブンはバルコニーの壁に追いやると、アスカが逃げられないように両腕を壁についた。
スティーブンに追いやられ、影にすっぽりと入ってしまったアスカは、どうしようも出来ずに、ぺたりと床に腰を下ろす。
その姿は少し震えているようにも見える。
アスカの視線まで、スティーブンは壁に手をついたまま床へ膝をつけた。
涙をぼろぼろと溢すアスカの瞳と対照的に、スティーブンの少し怒っているよな、真っ直ぐとした視線が重なる。

「眷属と応戦した夜から君の様子が少しおかしいから、何かあったんじゃないかって」

アスカは口を噤んだまま。
喋るどころか涙がどんどんと増して溢れ、零れていく。

「アスカ。君、まさか、記憶を―――」

取り戻し始めているんじゃないのか。
それを遮るようにアスカは両手を伸ばし、スティーブンの口を覆った。

「わたしという存在は、良くない存在なんです。誰でも構わず、惑わす存在なんです」

涙をぼろぼろ零しながらアスカは、叫ぶようにいった。

「だから、貴方にも悪い影響を与えているかもしれない」

細い腕で必死にスティーブンを遠ざけようとする姿。
泣きながら遠ざけようとする姿。
スティーブンは、顔を歪ませていく。

「それに、傷だってすぐに治ってしまう。包丁で切ってしまった指の傷だってもう痕すら残っていない。お腹の怪我だって・・・」

アスカはスティーブンを押しのける。

「こんなの、普通じゃない。わたし、きっと人間じゃないんです。化物なんです」

貴方に狩られる方の立場なんです。
スティーブンはアスカに覆いかぶさるように、抱きしめた。
胸の中でアスカは逃れよと暴れるが、抑え込むように力いっぱい抱きしめる。

「どうしてですか。どうしてこんなに施しばかりわたしにするんですか!おかしいじゃないですか」

スティーブンは答えない。
その代わり、アスカの小さな身体を強く抱きしめた。

「どうしてですか。どうしてキスをしたんですか!おかしいじゃないですか。」

病室でされた口づけ。
アスカは幾度と否定しようとしたが、レオナルドに言われたとおり、やはりあれは紛れもない口づけだった。
アスカは考えれば、考えるほど頭が混乱し、涙が溢れるのを止められない。

「おかしいです。こんなの。」
「アスカ」

スティーブンは顔かおを上げ、アスカの顔を上から見下ろした。
笑みを作ろうとしているのに、どうにも上手くいかず、スティーブンの顔には様々な感情が入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
スティーブンは自身の手の甲でアスカの涙を拭う。

「君を愛しているから、と言えば納得してくれる・・・?」

初めて見るスティーブンの表情にアスカは固まる。
年甲斐にもなく、まるで母親に許しを請う少年のような表情に驚く。

「愛している人を救いたいと思うのは、おかしいことかい?」

アスカの身体を抱きこむとスティーブンは彼女の唇に自身の唇を重ねた。
以前よりも彼女を求めるように。
彼女の存在を求めるように。
口づけを交わす。
バルコニーの一角で二人の影が重なった。










第十話 「All covet, all lose.(全てを欲しがると全てを失う)」
to be continued...




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