堕罪
第七話 罪と罰・上



過去は必ず、己の心を傷つけるために、ふらりとやって来る。
太陽の日差しが眩しい。
朝食の時間を終え、私は侍女として次の仕事を行う。
洗濯物を干すのだ。
いくらまつ様が家事一手を行いたがる人とは言え、この前田家の侍女や下男たちを含めた洗濯物を一人で行うのは、無理と言うもので、私も手伝う。
白く目に沁みる洗濯物たちを丁寧に私は干してゆく。
すると足元に夢吉がいた。

「あら、夢吉。貴方のお友達は?」

と私は気前よく問いかけると、夢吉は私の肩へ登った。
すると夢吉の感触で昨晩の出来事が鮮明に思い浮かぶ。
慶次様に抱きしめられたこと。
自分の弱いところを彼に曝け出したこと。
それは私にとってとても恥ずかしいことに思えて、できれば無かったことにしてしまいたかった。
新しい洗濯物に手をかけ、干す。
でも過去は消えないものであり、無かったことにするなど出来るはずが無い。
彼の温もりがまだ身体に残っている。
私は肩を落として、溜息を一つ吐いてしまった。
と突然、夢吉が私の肩から降り、鳴き出した。
何事かと目を見開くと、中庭に植えられている木の根元に、文が落ちていた。
それは行為的に、そこに置かれているのであり、誰かがわざと此処へ置いたことは確かだった。
その文がどんなものか、すぐに分かる。
私はその文を拾い上げると、迷いも無く開いた。


申の刻、
昨晩の逢瀬の場で待つ。
ひとりで来られよ。
武具を持ち、
殺意の念を持ち、
心して、
来られよ。


その文の差出人は誰でもない。
薬師六丸の物だ。
決着をつけなければ、ならないのか。
親友だった男に対して、己の罪たちに対して、
決着をつけるときが来たのだ。
私は今まで、過去が自分を追いかけてくるものならば、逃げればよいと思ってきた。
逃げても、逃げても、追いかけてくる過去に、
ついに私は、追いつかれてしまったのだ。
もはや、逃げ切れない。

「夢吉よ。」

私は足元で私を見上げる夢吉に言う。

「何故、私は、私として生まれてきてしまったのだろうか。」

もっと別の人間として生まれてくれば、
こんな辛い想いなど、しなくて済んだものを。
瞳を閉じれば、慶次様の温もりと、
慶次様のとくんとくんと脈打つ心音が聞こえてきた気がした。





   * * *





「こら!夢吉!何処に行ってたんだよ!」

正午を過ぎた頃、やっと自分の元から居なくなっていた夢吉が戻ってきた。
どこに行っていたのか。
俺は大きな溜息を一つ、夢吉に吐いて肩を落として見せた。
すると夢吉は俺の気持ちを知ってか知らずか、何食わぬ顔で俺の肩まだで登ると、
一声鳴いた。

「待ってたんだぞ。夢吉。」

そう、待っていたのだ。
夢吉が俺の元へ戻ってきたら出発するつもりだったのだ。
支度はできた。
あとはこの地。
利の地である能登を出るつもりだ。
利の目もまつ姉ちゃんの目も今なら掻い潜れる自信がある。
いつもと変わらない家出。
いつもと何一つ変わらない。
このまま屋敷を出て、街に出る。
そこで馬を買って能登の領地を駆け、
京の都を目指す。
京までの道のりは俺の道だ。
何も按ずることは無い。
だが、今回は妙に胸に何かがひっかかる。
いつもと変わらない家出なのに。
夢吉が鳴いた。
と同時に肩の上で跳ねる。

「どうしたんだよ、夢吉。」

肩で跳ねる夢吉に溜息混じりに言った。
胸の中で引っかかる何か。
それは紛れもなく、アスカのことであり、昨晩のことを思い出す。
彼女の過去、言葉、抱きしめた温もり。
それは否応無しに俺の中に入り込んで、離れることは無い。
彼女は泣いていた。
心の中で、泣いていた。

「俺もどうしたんだよ。」

一人の女にこんなに入れ込んだのは初めてだった。
ねねのことがあってから、できるだけ他人との距離に気をつけていた。
近すぎず、遠すぎず、互いの心を踏み入ることのない距離。
それなのに気がつけば、アスカの存在が自分の心の中に大きな存在として、居座っていたことに改めて驚く。
心の中の存在に一度、気づいてしまうとどうしようもなく、心の中に得体も知れない感情が芽生えてしまい、自分でも対処に困るほどだ。

「どうしたんだって、俺はさ!」

天を仰ぐ。
雲ひとつ無い晴天。
穢れ無きその空に俺は心の中で舌打ちをする。
もう、ここに居るのはやめよう。
能登を出て、京に戻り、今までのような暮らしに戻ろう。
そうすれば、今の心の悶々とした感情も消えて、いつものような自分に戻れるのだろ。
俺は夢吉を肩に乗せ、歩き出す。
目指すは京の都。
能登は俺の居るべき場所ではないのだ。





   * * *





軽量に特化している忍者衣装であるはずなのに、身に纏うと重く感じる。
それは己の罪と罰の重さである。
ひと目に触れぬよう、屋敷を出て昨晩の逢瀬の場所へ向う。
薬師六丸との逢瀬の場所へ。
日は傾き始めている。
申の刻。
彼はここへやって来る。
流れるように風が吹く。
さらりと髪を靡かせて走ってゆく風は、どこか戦場に吹く風に似ている。
握る小太刀。
紅く染まる小太刀の刃はひのえの血肉の味をも知っている。
私がもっとも愛した人。
私がこの手で殺してしまった人。

「・・・姫は伊賀の里の宝であった。」

一番の風が辺りを走る。
突風。
揺らめく叢の中、
薬師六丸は立っていた。
磨かれた牙を剥き出して彼はにやりと笑う。
私が知っている彼の姿など、もうどこにも無い。
今の姿はまるで、狂気に駆られた鬼のよう。

「今の俺は貴様を殺すために存在している。」
「・・・六丸。」
「伊賀忍者たちの仇、姫の仇、ここで討ち取らせてもらうぞ。」

昔のように微笑む彼はどこにも居ない。
昔のように手を差し伸べてくれる彼も居ない。
すべては私が壊したのだ。
あの日、里を抜けた私が、親友である六丸の心も壊したのだ。
六丸から手裏剣が放たれる。
横に飛び跳ねてそれを避けるが、

「甘いわ!!四柳アスカよ!」

速い。
脇腹を蹴り飛ばされ、吹っ飛ばされる。

「まさか、平和呆けをしたのではあるまいな?」

体勢を整え、倒れこんだ身体を起き上がらせる。
唇を切ったのか、鉄の、血の、味が口の中に漂う。
六丸は静かに私に向き合うと薄っすらと笑みを浮かべた。

「小太刀を俺に向けろ、四柳アスカ!ここで決着をつけようではないか。元服の儀でつけることの出来なかった、決着を。」

六丸。
六丸。

「貴様の天武の才、この俺が打ち砕いてやるわ!」

六丸が姿勢を低くして踏み出す。
私は自分の故郷を潰し、そこに住まう仲間を潰し、そして親友の人生と心を潰し、愛する者のために、と思い生きてきた。
ひのえのために、すべてを捨てて、すべてを壊して、生きようと思った。
六丸から放たれる手裏剣。
身体を捻り、避ける。
彼の二打目の攻撃。
拳を放つ腕を掴み、彼の身体を背負い飛ばす。
それと同時に器用に身体を捻り、六丸から放たれる無数の棒型手裏剣。
しまった、避けきれない。
手裏剣は吸い込まれるように私の腕に、腿に、刺さる。

「・・・・っく。」

走る熱い痛み。
垂れ流れる血。
苦痛に狭くなる視野を辺りに向ける。
と視界を阻む、六丸の姿。
彼が正面から飛び掛る。
身体が軋むような悲鳴をあげた。
腹に命中する拳。
私はなす術も無く、また吹っ飛ばされて地面に叩きつけられる。

「あれから毎晩夢を見てきた。」

鉛のように重い身体。
地面から起き上がることができない。
溢れ出す紅い血と鉄の臭い。
己のものだと分かっていても、それは五感を狂わせる。

「・・・お前がこうして俺の足元で這い蹲るのを。」

手裏剣が刺さったままの腕を六丸は拾い上げると、手裏剣を引き抜いた。
裂けるような痛み。
吹き出る血。
ぽたぽたと紅は滴を落とす。

「しかし、これで終わりではあるまいな?味気ないぞ。」

腿に刺さる手裏剣も六丸は引き抜く。

「・・・っぐっ!」

どんなに痛くても私は声をあげない。
どんなに辛くても。
この痛みは私の罰の痛みであり、
ひのえがアタシに与える痛み。

「・・・何故、啼かぬ。叫ばぬ。」

六丸がぽつりと言う。
霞む眼差しで私は六丸を見上げた。
彼の足が私の顔に向う。
蹴り上げられた顔に鈍い痛みが走った。
次に腹が蹴られ、背中を踏まれる。
五感が麻痺した今、痛みも何も感じない。
ただ、身体が熱いだけ。

「・・・啼け、叫べ、喚け、そして俺に跪け!!」

首元を掴まれ、持ち上げられる。
霞む眼差しが六丸を捕らえる。
変わり果てた親友の姿。
絞まる首。
六丸。
六丸。
私の唯一無二の親友よ。

「詫びろ、貴様がしてきた失態を。里を潰し、姫を殺したことを。俺から姉上を奪ったことを詫びるのだ!!!」

振り飛ばされる。
上がる砂埃の中、私は六丸を見上げた。
姉上?

「貴様を簡単には死なせやしない。弄って、弄って、弄り殺しにしてくれる!」





   * * *





前田邸を出て間もなくの頃だった。
突然、夢吉が俺の耳を噛んだ。
大げさに痛がってみると、それを完全に無視して夢吉は俺の肩から降りて、俺をまっすぐと見上げる。
夢吉が何を言いたいのか、理解できた。
行くな、といいたいのだろう。
戻ってアスカにもう一度、会って話せと。

「でもなー、夢吉。」

俺は彼女とこれ以上、触れ合いたくないのだ。
夢吉が俺の直足袋を噛みながら、来た道を戻ろうとする。
思いも知れない夢吉の行動に目を見開いてみると、夢吉は一声、甲高い声で鳴いた。
俺は戻りたくない。
今、戻っても理由も無く苛つきを憶えるだけだ。
夢吉を振り払って俺は京への道のりを急ぐ。

「行くぞ!夢吉!」

歩み出した俺に夢吉がついて来ているものだと思って声を上げる。
しかし、振り返ってみると、夢吉はどこにも居ない。
風が吹く。
突風だ。
俺は独り、遠くに微かに見える前田邸を見つめた。
夢吉はアスカの元へ戻ってしまったのだろう。





   * * *





わたしにはね、貴女と同じ歳頃の弟が居るの。


会ったことは無いのだけれど・・・きっといい子のはずよ。


貴女にそっくりの。


「刀を抜け!アスカ!」

それはもう、忍びと忍びの戦いではなかった。
腹を蹴られ、背中を踏まれる。
私はただ自分の身体を庇うことしかできず、闘う術は無かった。
ひのえには弟が居た。
私と同じぐらいの年頃の。
それが誰だか私は知らない。

「・・・ろ、く・・・六丸っ・・・」

言葉を発すれば血の味がする。

「いつも、いつも、いつも、お前ばかり。」

言葉を発した私が気に入らないのか、六丸は私の頭を踏みにじる。

「貴様さえ居なければ、俺が常に、どんなことにも、一番で居られたのだ。」

滴が頬に落ちる。
雨か。
否、違う。
六丸は泣いていた。
大粒の涙を零して。

「貴様さえ、お前さえ居なければ、里一番は俺で、姫の元にも俺が居られた。」

私と同じ年頃のひのえの弟。
それは、
ひょっとして。

「俺が姉上を守ることができたのだ!」

六丸。
私はもう一度、口を開く。

「ひのえの弟は、お前だったのか・・・?」

ひのえの姿が脳裏を過ぎる。
自分の姿さえも知らない弟のことを、楽しそうに話す彼女の笑み。
外の世界すら、詳しく知らない彼女に希望を与えつづけた弟の存在。
それが、
親友、六丸だったとは。

「そうだとも。」

蹴り飛ばされる。
かさかさと叢の草が肌を刺す。

「里の姫、ひのえは俺の姉上さ!」
「六丸・・・!!!」

私は身を起こす。
六丸が滲み寄るように、じりじりと迫る。
彼の目は狂気に満ちている。

「もう、死ね。」

六丸が苦無を振りかざす。
殺される。
私は己の愛した人を殺し、その愛した人の弟に殺されるのか。
それが定めなのだとしたら、仕方が無い。

「あっぐ!!!」

上がる悲鳴。
私の悲鳴ではない、六丸の悲鳴。
彼の右手には猿。
否、夢吉が噛み付いていた。

「夢吉!」

慌てて、振り払われ、飛ばされる夢吉を抱きとめる。
なぜ、ここに夢吉が。
夢吉は私の手の中で一声、上げると気を失ってしまった。

「この、猿が!」

私は夢吉を深く、深く、抱きしめた。
そして憤慨する六丸を睨む。
私はこんなにも小さき者に、命を助けられたのか。

「何だ?アスカ?やる気か?」

私は夢吉を抱いたまま、小太刀が転がる六丸の向こう側まで走る。
ここで死ぬ訳にはいかない。
助けられたこの命、死ねない。
死にたくない。
ならば、小太刀を握れ。
小太刀で闘え。

「ああ!」

しかし、小太刀に手を伸ばすが、届かずにまた蹴り飛ばされる。
ずざざと地面に転がる。
だが、胸の中の夢吉には傷一個も負わせるつもりは無い。

「無駄な足掻きを。人の命を奪っておいて、自分の命には固執するのか?腐った奴よ!!」

私は起き上がる。

「黙れ!何も分かっていないのは六丸、お前だ!あの晩、伊賀の里は、姫の暗殺を企てていた。里は姫を殺そうとしたのだ!」
「戯け!そんなもの、嘘に決まっている。」
「嘘ではない。六丸。私は姫を救うために、里を抜けたのだ!」

六丸は苦無をまた振りかざす。
身を捩り、それを避けるが、身体に走る激痛。

「何を救うためだ!結果的に、貴様は姉上を殺しているではないか!!」

脳裏に過ぎる、ひのえの最期。
小太刀の刃先は吸い込まれるようにひのえの胸を貫く。
小さくひのえの口からは呻き声が零れ、ひのえの綺麗な着物はみるみるうちに紅い鮮血により、変色していった。
鮮やかな紅が目に沁みる。
ひのえの小さな身体は地面に吸い込まれるように倒れ、そして這うように広がる紅。
その始終は私の脳裏から離れることは無い。

「どんな因果があろうとも、貴様は、姉上を殺したことには変わりない。」

六丸は怒声を上げる。
目の色も狂気に満ちている。
しかし、彼は泣いていた。
大粒の涙を零して。
零しながら、私を殺そうとしている。

「死を持って、償え、アスカ!!!」

彼の苦無が私の中に吸い込まれる。
痛みは無い。
熱いだけ。
苦無が、
彼の憎しみが、
私の罪と罰が、
胸に刺さる。








続く

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