堕罪
第四話 伊賀の里・上


(貴女に縛られるのならば、それで私はいいと思った。それが私の幸せだった。)


伊賀流の里は、元服の頃を迎えると、忍者を志す男女はある儀式を行わなければならない。
その儀式を行わなければ、忍びとして認めて貰うことができないからだ。
今まで訓練してきたのちの卒業試験、と言ったところか。
どんなものかと言うと、男女問わず、元服を迎えた忍びの卵たちは集められ、五人一組に組まされる。
そして行うのは、殺し合い。
同じ釜の飯を食ってきた仲間同士の殺し合いであった。
力の格差など関係ない。
生き残った数人だけが伊賀の忍びとして里に受け入れられる。
一般的に考えてそれはとても、狂気に満ちた思想であり、習慣であった。
しかし、伊賀の忍びは傭兵集団。
求められた国に主従関係なしで、金銭的な契約おこない、戦や契約によっては、しばしば同郷の者同士の殺し合いも行われる。
だから冷徹ともいえる心を養わなければならない。
仲間であっても、殺せなければならないのだ。
そのために、元服の頃を迎える忍びの卵たちは、狂気ともいえる儀式を行わなければ、ならないのだ。
鬼の様な集団。
それが伊賀流忍者たちだ。

「終了だ。」

広い野原の中、白髪交じりの年老いた男は言う。
青々とした叢が風に流れるように靡く。
空は橙色に焼け、太陽は沈もうとしていた。

「・・・今年は四人だけか。」

辺りを見回しながら男は言った。
叢の中、佇む少年少女が四人。
そんな彼らが青い叢の中では異様に目立っている。
風で叢が靡く。
佇む少年少女の足元には幾重にも重なる死体が転がっていた。
死体の年頃はどれも佇む少年少女と同じぐらい。
しかし、とても酷く切り刻まれ、顔や体の原型を留める骸は多くなかった。
佇む少年、少女を見ても、誰も無傷という者は居ない。
皆、自分の物、他人の物と分からない血が前身を染めるように付着していた。

「これにて元服の儀は終了とする!!」

風に白髪を靡かせながら男が声を上げる。

「―――解散!!!」

今年の元服の儀が先ほど、行われたばかりなのだ。
同じ釜の飯を食った仲間であっても、同情も愛情も、慈悲すら無い者たちが生き残った。
仲間に流す涙すらない。
自分が生き残るために、仲間を殺したのだから。
殺し合いをさせ、今年の生き残りは四人。
男三人に、女一人。
その中に四柳アスカが居た。
今年最高の忍者と言われた四柳アスカ。
生き残ることは、この里の誰もが予想されていた。

「ご気分は?」

呆然と立ち尽くすアスカに笑顔で話しかける男が一人。
彼の体はもちろん血に汚れ、
笑顔ですら血と泥で汚らしいものへと変わってしまっていた。

「流石、生き残るとはな。」

と言うと男はアスカに手を差し出した。
アスカはその手をきつく握る。

「それは、こっちの台詞だよ。六丸。」

アスカは笑わない。
笑えないのだ。
喜怒哀楽のすべての感情を教えられずに育ってきた。
だが、薬師六丸と握手を交わしたとき、六丸には笑っていたように思えた。

「お前と殺し合いをすることにならなくて、よかったよ。」

アスカは自分の本心を零し、握った手を離した。
薬師六丸とは幼馴染であった。
小さな里であり、誰もが顔見知りの仲であったが、友人が少ないアスカにとって六丸は、親友という仲に近い知人だった。
六丸はアスカの言葉に、汚れた笑みを浮かべ、
仲間だった友人の骸を軽く蹴った。

「これで俺たちも伊賀流忍者ってわけか。」

蹴り上げた彼の表情はとても、生きていた友を見つめる瞳ではなく、壊れた人形を見る瞳だった。





   * * *





伊賀の里にはあともう一つ、可笑しな風習があった。
それもとても恐ろしいもの。
伊賀の里には霊山がある。
その霊山には鬼が住まうと固く信じられ、里のものは誰一人と疑うものは居なかった。
否、疑うものはいたのかも知らない。
信じるように強要されていたのだ。
霊山に住まう鬼を静めるために生贄として女を一人、霊山のふもとに供える必要があった。
それが里に言われる『姫』という存在。
姫という存在は伊賀の里が生まれた時から存在し続け、霊山のふもとにある神殿に強制的に住まわされる。
姫となった女はその神殿で一生を終えるまで幽閉され、生きてゆくのだ。
そして幽閉されつつ生きながらえた姫の一生が終わる時、新たな姫が神殿へ生贄として幽閉される。
そうして生贄と姫と言う風習は今もなお続いていた。
元服の儀が終わって三日後、アスカは里でもっとも権力を持つ、服部氏に呼び出された。
集落でもっとも大きな屋敷に向うとアスカは、服部の自室へ向かった。

「アスカ、お前を呼び出したのは他でもない。お前にしかできぬ、任務だ。」

何故、呼び出されたか分かっているな、と服部は続ける。

「姫の護衛任務を言い渡す。これからは、お前の力は姫のためだけに、仕えるのだ。」

姫の護衛。
生贄の女の護衛は名だけであり、
ほとんどは、姫の身の回りの世話係であった。
しかし、それは表の仕事。
裏の仕事は姫が神殿から逃げ出さないように監視する仕事である。
里でもっとも有能な忍びが就く任務。
アスカは静かに頭を下げる。
自分の忍びとしての人生は姫のためにある、と顔も知らぬ姫を思いながら、静かに頭を下げた。

「・・・・・・承知しました。」

運命の歯車がくるくると回り出す。





   * * *





霊山のふもとの神殿は、小規模の造りをしている。
神殿の姫の護衛に勤める忍びの過半数が女であり、男は少ない。
アスカは神殿に入所してすぐに、姫と会う機会があった。
姫の身の回りの世話と教育係を一手に請け負ったのだ。
神殿でもっとも大きな部屋に姫は住まう。
太陽の日差しをたくさん浴びる部屋であり、臨む風景が一番美しい部屋でもある。
そんな一番美しい部屋に、アスカは足を踏み入れた。
着込んだ着物は忍者衣装とはほど遠く、女としての着物。
青々とした畳が目に沁みる。
畳の網目が妙に綺麗にはっきりと見えてしまう。

「貴女が新しい、忍者さん?」

小鳥が囀るような声だった。
アスカは静かに顔を挙げ、声のする方を見た。
心臓が強く脈打つのを感じる。
瞳孔が開く。
それを一目惚れといえば、一目惚れかもしれない。
やはり、私の命はこの人のためにあるのだ。
アスカは改めて自分を悟る。

「四柳アスカです。」

忍びの里に生まれながら、唯一忍びでない伊賀の人。
それが姫と言う存在。

「わたしは、ひのえ。」

笑顔を作ってひのえは言うが、
付け加えるように、わたしには名前など必要ないのだけれど、と言った。
その言葉はとても寂しく、冷たく感じる。
彼女の閉鎖された世界がそうさせているのだ。
アスカはひのえの足元に跪く。
するとひのえの細い指がアスカの頭を撫でた。

「あの桜、いつ咲くのかしら。」

部屋からは中庭を望むことが出来る。
その中庭には立派な桜の木が一本、植えられており、桜の花の蕾をいくつもつけていた。
ひのえはその桜の木を言っているのだ。
いつ、咲くのかと。

「あと二、三日もすれば咲き始めるでしょう。」

アスカは桜の木を眺めながら答える。

「貴女は知らないでしょうけど、あの桜の木は本当に綺麗な花を咲かすのよ。」

ひのえも桜の木を眺めながら言う。
考え深く言うその横顔に映る感情を読み取るように、アスカはひのえを見つめた。

「綺麗な、綺麗なさくら色の花。」

しかし、ひのえの横顔は読み取れるほどの感情は込められていなかった。
そしてアスカはそれが何を示しているのか、
少しずつ悟り始める。

「桜の花が綺麗なさくら色に染まるのは、桜の木下に死人が埋まっているからと言うけれど・・・・・・」

この人は、
すべてを諦めている。
すべての事柄を諦めている。

「きっとこの桜の木は、わたしたち姫の心を喰らってさくら色の花を咲かすのね。」

生きてはいるがまるでひのえは、死人のようだ。
死んでいる。
彼女の心は、すでに死んでいるのだ。
閉鎖した姫という存在が、ひのえを殺しているのだ。
アスカは静かに、静かに、ひのえの腿の上で泣いた。





   * * *





通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ

気がつくといつも、ひのえはこの唄を口ずさむ。
小鳥が囀る声で唄う。

「姫。」

アスカが呼ぶとひのえは折り紙を折る手を止めた。
そして唄も止まる。
彼女の周りにはいくつもの折り花が散らばっている。
赤、青、黄、緑、紫・・・
色とりどりの折り花が。

「そろそろ、折り紙の時間は止め・・・」
「アスカ、」

ひのえの大きな瞳が突然、アスカに向き、アスカは驚いて身を引いてしまう。
空に昇るのは月。
中庭の桜の木は満開に咲いていた。

「わたしにはね、貴女と同じ歳頃の弟が居るの。」

アスカは静かにひのえの隣に座った。

「会ったことは無いのだけれど・・・きっといい子のはずよ。」

自分の同じ歳となると、アスカは考えた。
自分が元服の儀を行った中で、殺した仲間の一人の中に姫の弟が居たのではないかと。
しかし思い当たる人間は居ない。
だが、自分が殺した人間で無い確証はどこにもなかった。
姫と言う存在は世間をまったく知らない。
ひのえはきっと元服の儀すら、詳しく知らないだろう。

「貴女にそっくりの。」

ひのえの満面の笑みがアスカの心を傷つけてゆく。
彼女の閉鎖された世界が、垣間見られるときだから。
そしてアスカはそんな彼女を監視という名で縛り付けているのだ。
彼女の閉鎖された世界は、アスカが作り上げているのに等しい。

「この子の七つのお祝いにお札を納めにまいります。」

綺麗な折り花を簪代わりにアスカの髪に差す。

「アスカは綺麗なのだから、もう少し着飾ってもいいかもね。」
「そんなこと、忍びには必要・・・―――」
「必要あるわ。貴女は女だもの。」

女だから。
女だから、着飾る、色気づく、恋をする。
そんな思想を持っている伊賀の人は、姫だけであろう。
この人は忍びでもなく、ただの女なのだから。

「あら、アスカ。」

突然、ひのえはアスカから離れ、縁側から外を覗く。

「お客さんのようよ。」

塀の向こうに人が立って、こちらを眺めていた。
薬師六丸だ。
六丸が居た。
すると丁度よく、部屋に侍女が入ってきた。

「アスカ。貴女に客人が訪れていますよ。」

ひのえの大きな瞳がアスカを捕らえた。
そして小さく微笑む。
アスカはひのえに一礼すると、侍女と入れ替わるように部屋を出た。
その後ろ背中を眺めながら、ひのえは侍女に問う。
この侍女もアスカと同じ身分の者。
忍びだ。

「アスカ、アスカは、いいわね。」
「いいと、申しますと・・・?」
「アスカは頭もいいし、忍びとしても、里では同じ歳の敵は居ないでしょ?そして何より、アスカには、自由があるもの。いいわね。アスカは。」

ひのえには永遠に外を自由に歩き回るなどの自由は、無い。





   * * *





神殿の門を出ると六丸がアスカを待っていたかのように、立っていた。
アスカが六丸に会うのは久しぶりだ。
アスカは神殿に仕え、簡単には里に下れなくなったし、
六丸は忍びの激務をこなすようになったからだ。

「あれが、世に言う姫か・・・?」

と六丸は塀の向こう側のひのえを眺めながら言った。
どうやら六丸は姫の存在を知りながら、今までその目に留めたことがなかったようだ。
伊賀の忍びの大抵が六丸と同じことを言う。
生贄である姫の存在は知りつつも、それを生で見る者は少ない。

「ああ。」
「・・・・・・」
「どうした?」

突然、黙った六丸の顔をアスカは覗き込む。

「・・・・・・いや、綺麗な人だと、思って。」
「ああ。綺麗な人だ。身も心もすべてが穏やかで、澄んでいる人だよ。」
「・・・・・・」

何か言いたげに六丸は口を開くが、アスカを見つめてその口を噤む。

「今日、ここへ来たのは他でもないんだ。」

アスカは六丸を見つめた。
いつもどおり、感情など無い瞳で。

「これから傭兵として出兵することになった。」

またひと戦起こる。
六丸は吐き捨てるように言った。
その瞳は忍びと思えぬほど、寂しそうだ。
そんな瞳を見つめながらアスカは親友を失うのが、怖いとも感じた。

「今までの仕事とは違って、当分、この里には戻ることができないし、アスカには合えない。」

木々がざわめく。
風が吹いたのだ。
もう夏も近い。

「また、戦か・・・・?」

アスカが問いかけると、六丸は顔を歪めて笑った。
アスカは戦を知らない。
忍び同志の格闘は知っていても、戦での闘い方を知らない。
それはアスカが神殿へ仕えるからであるし、ひのえの監視にすべてを捧げているからでもあった。
里の外の世界も知らない。

「戦はどこでも起こっているさ。今も。」
「戦乱の世。」
「早く、終わってもらいたいものだね。」
「・・・・そんなことになったら、忍びは仕事を失うぞ?私は戦場で戦いたい。」

そして忍びとして、主君のために死にたい。
アスカの忍びとしての願い。

「なら、俺は・・・」

六丸は今一度、神殿を見上げた。
神々しい神殿は、森の深緑の中でも、とても眩しかった。

「俺はアスカのように、一生をこの神殿で仕えたいものだよ。」

「・・・死ぬ時は、姫のために。」

この時の六丸の真意をアスカが知るのはこの先のことである。





   * * *





それから何度アスカは、中庭の桜が満開に咲くのを神殿の中で見とどけたか。
桜が咲き、
散り、
また桜が満開に咲く。
姫の心を喰らいながら。






(その女の心は死んでゆく。桜の木と共に。)




続く
Grimoire
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