堕罪
第二話 復讐者


前田の家は武家の、しかも一国一城の主とは思えないほど、平穏としている。
それはきっと主である利家様とまつ様の人柄が成しえる技であり、家臣たちも不満なく暮すことができた。
平穏というものは人を馬鹿にするものだが、この場所に居ると、それもいいと思えてしまえるほどだ。

「まぁ、犬千代様ったら。」

私の前で正座するまつ様が、中庭で駆け回る利家様に対して声を上げた。
利家様は昨晩連れ帰った慶次様に悪戯をされ、慶次様を追い掛け回しているのだが、
まつ様には利家様しか見えていないらしい。
そんな彼女を眺めつつ、私は手元の小刀でまつ様の綺麗な髪を切りそろえる。

「アスカ、ご苦労さまでした。京都は遠かったでしょうに。」
「しかし、これも仕事のうちですから。」
「慶次めはもう少しここに縛り付けておくつもりでござりまする。」

慶次様の名前を聞くだけで、寒気が走った。
生理的に受け付けないとはこう言うことをいうのか。
京の都から戻る時に言われた言葉を思い出す。


アスカは恋をしたことがないだろう?顔に出ているよ。


恋、愛、
本当に人間に必要だというのだろうか。
必要ない。
特に忍びである私には、必要ないことなのだ。
でも
それを慶次様に言われ、むかむかと苛立つ。
心の中で私は自分を笑った。
過去はもう忘れたつもりだったのに、と。

「おー、まつ。髪を切っているのか!」

庭で走り回っていた利家様が縁側から覗く。
本当によい、夫婦だ。
利家様はまつ様の髪を見るために、縁側から中に上がり、まつ様の横に座る。
いつもどおり利家様はほとんど裸の格好で、寒くないのかとこちらが心配してしまう。

「どのくらい切るつもりなのだ?まつ・・・もしかしてバッサリといくつもりなのか?」
「いえいえ。毛先をアスカに揃えて頂いているだけでござりまする。」
「アスカ、そうなのか!?」

心配そうに利家様はまつ様の手を取りながら言った。
髪を切るだけでどうしてここまで、不安になれるのか、おかしくなる。

「ええ。毛先を切りそろえるだけですよ。」

と言ってやると利家様は本当に安心したようにまつ様に満面な笑みを浮かべた。
その時、丁度逃げていた慶次様が中庭に戻ってキョロキョロと辺りを見回していた。
私がそれに気がつくと、利家様も気がつき中庭の慶次様に向かって怒鳴った。

「こら!慶次!お前、また悪戯をしただろが!!?」
「う、うわ!利!!!」

その慶次様の驚きはすばらしく、ここに利家様が居るとは気づいていないようだった。
またここから利家様と慶次様の追いかけっこが始まるのは言うまでにも無く、まつ様を置いて利家様は中庭に飛び込んだ。
それを唖然と見つめていると、まつ様が私の手を引っ張った。

「アスカの髪も、とかして差し上げましょう。」

と言われるがまま、今度は私がまつ様の前に座らされてしまった。
正座をして座ると、まつ様は結んであった私の髪を梳き、とかしはじめる。
まつ様の長い指が髪に絡む感覚がどこかもどかしく、歯がゆい。
でもその感覚はどこかで感じたものであり、懐かしい。
どこだったか。
この懐かしい、と思えるこの感覚は。
どこで感じたのか。
今となってはもう、思い出すことすら許されない。

「アスカも綺麗な着物や、お洒落をしたいとは思わないのです?」

突然、問われたことに驚き、私の身体は固まった。
そう言えばこの言葉、慶次様にも言われた。

「どうなされました?」

顔を覗かれ、私は首を横に振る。

「・・・忍びですから。」
「忍びである前に、アスカは女なのです!着飾りたいと思うのは当たり前のこと。」

当たり前のことと言われても、私は生まれて今まで着飾ったことがなかった。
忍びが着飾る必要は無いし、着飾っても意味を成さない。
だから生まれて二十二年間、美意識を持ってこなかった。
まつ様に手鏡を差し出された。
綺麗な装飾が成されている手鏡。
その手鏡をかざすと、まつ様は私の横に顔を出して鏡を覗いた。

「こんなに綺麗な顔立ちをしていらっしゃるのですから、自信を持って。」

鏡で見る自分の顔はまるで別人のように思える。
表情は硬く、まるで人形のよう。
それを綺麗というのだから、分からない。

「慶次も意中の人が居れば、流れることもせずに前田に留まってくれるでしょうに。」

髪を梳かしながらまつ様は呟くように言った。
だが、彼には意中の人が居るはずだったが。
京の都で見た彼の目つき。
女の向こう側に大切な者を見る目つき。
大切な人がいるという証拠だ。

「慶次様にもいらっしゃるでしょう?意中の人ぐらいは。」

と私は言ったが、まつ様は何も答えずに髪を梳かし続ける。
そしてポツリと虫の鳴く声で言う。

「・・・あの子も色々と背おられているのでございます。」


あのように笑っていても
心は過去を想ったまま。
泣いているのです。


私が彼のことを嫌っている理由が見えてきた。
きっと私は慶次様と似ているのだ。
似ているから誰に構わず、愛だの恋だのを訴える彼が、気に食わなかったのだ。
慶次様も分かっているし、知っている。
この世が愛や恋と言う名では決して治まらないことぐらい。
知っているからこそ、彼はそれに頼りたいと思ってしまう。
知っているからこそ、私はそれを否定したいと思う。





   * * *





通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細通じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ


アスカ、アスカは、いいわね。

女は言う。
白と赤と青と緑の折花を玩びながら。


アスカは頭もいいし、
忍びとしても、里では同じ歳の敵は居ないでしょ?
そして何より、貴方には、
自由があるもの。
いいわね。アスカは。





   * * *





少し悪戯したぐらいで、何で利はこうも追いかけてくるのだろう。
彼には寛大な心も必要だ。
と俺は追いかけてくる利から逃げながら思った。
アスカに京都から連れ戻されてから、まつ姉ちゃんのお説教に加え、外出禁止令が出てしまい、敷居から出ることが許されなくなってしまった。
その腹いせとは何だが、利に悪戯を今日だけで3つも仕掛けている。
利から逃げていると中庭に出た。
中庭からまつ姉ちゃんの自室が見え、そこでまつ姉と、
アスカが居た。
まつ姉ちゃんに髪を梳かされているアスカは、思った以上に綺麗に見える。
やはり見込んだとおり、と言うべきか。
まるで妖艶な人形のようだ。
色が透き通るほど白く、鼻筋も通っている。
猫の目のような大きな彼女の瞳が閉じた。
だが、どんなに綺麗でも、アスカのあの瞳は好きになれなかった。
自分の心の底を見透かすような大きな瞳に嫌悪感を、どうしても感じてしまう。


恋に恋してどうなさるのです?


アスカの言葉が頭の裏側を打った。
俺はどの女の人も大切にしてきているつもりだし、その向こう側に、
その女達の向こう側に、
ねねを見てきたつもりはない。
だが、ねねが自分の心から消えたこともなく、忘れたことが無いことは事実だ。
それをアスカに見透かされてしまい、戸惑ってしまう。
彼女は俺のどこまでを見透かしたのだろうか。
心の奥深くまで、
見られたくないところまで、
透かすように見られてしまっているのだろうか。
突然、肩に乗る夢吉が鳴く。
何事かと思っていると、

「けーいじーーーーーー!!」

後ろから首根っこを掴まれ、よろけてしまった。
そして俺は今、利から逃げていたと言うこと思い出した。
振り返ると自信満々に笑みを浮かべる利が居た。

「利!!?」
「やっと捕まえたぞ!慶次!某は、某は、某は!!!!」

甥の俺よりも元気で、子どものように騒ぎ回る叔父を目の前に俺は溜息を吐いた。
ひょっとしたら、俺の気勢はこの人譲りなのかもしれない。
ちらりとまつ姉ちゃんの自室を覗く。
すると楽しそうにまつ姉ちゃんは会話をしていた。
きっと一方的な会話だろうと、察しはつく。
だって、アスカはじっと鏡を見つめたままだから。
その視線に気づいたのか利は声を上げた。

「おお!慶次、見惚れていたのか!」
「見惚れていた!!?」
「ああ。まつに。」

今さらまつ姉ちゃんに見惚れるはずがないだろう!と言いたくなるが、アスカに気を取られていたのは、理由は違うが事実だ。

「なら、アスカ・・・か。」

一人で納得しながら利は言う。
訂正する気が失せながら俺は、溜息を零す。
すると利は急に真剣な顔になって、感慨深そうにアスカを見つめた。
今、彼女はまつ姉ちゃんに髪を結んで貰っているところだ。

「あれでもアスカは、よく喋る方になったんだぞ。」

利が俺の肩に手を回す。

「最初、この前田軍に来た時は、まったく喋らなくてな。ま、某とまつの愛情で今では冗談を言えるぐらいなったんだが。」

「今も表情は強張ったままだ。」

忍びに表情は必要ないと言う。
俺は表情豊かで多弁な男の忍びを知っているが、
アスカは、感情は必要ないと言う。

「どうやら、信長公と出会う前は、相当ひどい仕打ちを受けていたらしい。拾われた時も死に掛けていたって話しだし・・・」

まつ姉ちゃんの自室で正座するアスカがこちらに気がついた。
否、その眼差しはすでに気づいていたという眼差しだ。
牡丹鼠色の鋭い瞳がこちらを向いた。

「まぁ、犬千代様!!どうなされましたか?こら!慶次!また犬千代様に何かしたのではないでしょうね!?」

その視線を遮るようにまつ姉ちゃんが縁側に身体を乗り出した。
まつ姉ちゃんは利のことしか見えていないんだから。
今、捕まえられているのは俺だって言うのに。

「利、鼻の下がまた伸びてるよ。」
「なぬ!!?」
「犬千代様!!!こら!慶次!おかしなことを言うではありません!」

慌てふためく利を指差して笑いながら、俺はまつ姉ちゃんの自室の中に居るアスカを見つめた。
何を考えているのだろう。
自分こそ、
彼女こそ、
心ここにあらずでは無いか。
まつ姉ちゃんと利を見つめる彼女の瞳は、
どこか遠く、過去を見ていた。





 * * *





夕食の時間を終えると、突然、暇になった。
まつ様は利家様にお酌を始め、私は侍女としての役目を終えた。
能登の夜は深く、空には月が昇っている。
自室で私は緋色の着物から忍者衣装に着替えてゆく。
着ていたものを一つ一つ丁寧に畳みながら。
軽量・通気性抜群はずの忍者衣装が重く感じるのは、
己の罪の重さを現せているのか。
それとも、浴びた血の重さか。
そして私は静かに前田家の門を出た。
外套を持たず歩く道は恐ろしく暗い。
闇に身を引き込まれてしまいそうになる。
いくら夜眼が効くとはいえ、夜の闇は深すぎた。

「通りゃんせ 通りゃんせ ここはどこの 細通じゃ 天神さまの 細道じゃ・・・・・・」

過去が足に絡みつく。
人は過去からは逃げられない。
逃げ切れない。
そして足を私は止めた。
広い野原だった。
月が私を照らしている。

「ちっと通して 下しゃんせ・・・・・・?」

私が歌っていたのに合わせて、闇の中から男が言う。
とても低い声だった。
そして私は答えた。

「御用のないもの 通しゃせぬ・・・――――よく、前田領地に入れたじゃないか。」

闇の中から男が出てくる。
この声。
この顔。
この姿。
私が、私で、あり続けるために、
過去は必要以上に私を追いかけてくるのか・・・?
闇から出てきた男は歯を見せて笑った。
白い牙の様な歯を出して。
そして言う。

「当たり前じゃないか。俺は復讐者。どんなことだってする。」

「裏切り者のお前を殺すためならばな。」

男の忍者衣装が月明かりに照らされる。
どこにも属さない忍者衣装。
主従関係を結んでいない証拠だ。
それもそのはずだ。
この男、
薬師六丸の里は、
伊賀流忍者の里は、
もうすでに存在していない。
信長公に滅ぼされている。



「久しいな。四柳アスカよ。」





 * * *





どうしたらこの前田の領地からこっそりと抜け出せるだろうか。
否、この本家から抜け出せるだろうか。
そんなことを考えながら庭先をうろうろとしていた。
空に昇る月に都の夜を馳せるが、今のこの状況をどうにか打開しないと。
まつ姉ちゃんと利が酒を飲んでいる間が、最大の転機だ。
とその時、肩に乗る夢吉が突然、肩から飛び降りて走り出す。

「夢吉!!?」

追いかけるが、夢吉は本家の敷居から出てしまった。
まつ姉ちゃんには外出禁止令が出ているが、夢吉が敷居から出て行ってしまったため、追いかけなければならない。
なんと言っても夢吉は俺の友達だからな。
辺りを見回して俺は本家の外へ出た。
夢吉が先を走る。

「待って!夢吉!!おい!」

追いかけるが、なかなか追いつかない。
気がつけば野原に居た。
前田領地の野原。
と闇の中で揺らぐ陰が二つ。
俺はそこを凝視した。
追いかけていたはずの夢吉が肩に登った。
肩に登る夢吉がめずらしく震えている。
月が影を照らした。
そこに居るのは、
アスカと忍者衣装の男。
男と女が夜会うとは、恋仲しかないが、
アスカ達の雰囲気はとてもそういう風には見えない。
しいて言えば、敵。
今から一戦交えようとする敵同士。

「喧嘩かー?夢吉。」

と震える夢吉を撫でながら俺は言った。





   * * *





黒い影のように薬師六丸は笑った。
伊賀流忍者、薬師六丸から目を離してはならない。
忍びには忍びの闘い方がある。
私は六丸を睨みつけた。

「邪魔者が居るみたいだな。」

六丸が獣のような牙を剥き出しに言った。
邪魔者?
六丸の視線の先を見つめる。
すると、そこには、

「慶次様!?」

慶次様がなぜ、こんな場所に。
こんな本家からも離れた野原に、と私は絶句する。

「アスカ!!!」

慶次様が叫ぶように声を上げた。
瞬時に私は自分の置かれた状況を理解する。
―――しまった。

「殺しがいがない。」

六丸の体が迫る。
彼の手に刀が握られていた。
その刃が私に向けられている。
避けようとするが、避け切れない。
するとその時、身体を後ろへ引っ張られた。
そして闇深い視界の中に慶次様の姿写りこんでくる。
否、視界いっぱいに慶次様の腕の中に引き込まれてしまう。

「・・・―――慶次様!?」

と同時に上がる紅い血しぶき。

「いでぇ!!」

六丸の刀が慶次様の手の甲を切り裂いたのだ。
しかし、慶次様は怯むことなく六丸を蹴り飛ばした。
私はただその一部始終を呆然と見つめていることしかできない。
蹴り飛ばされた六丸の周りに土埃が上がる。

「何者だ?アンタ。」

今までとまったく違う、押し迫るような声で慶次様は言った。
体勢を整えた六丸はもう一度、斬り込もうと体を低く構えるが、
何を思ったのだろうか。
両肩をゴキゴキと鳴らしながら、身を引いた。

「アスカ、アスカ、覚えているかい?」

六丸が言う。
私の瞳は六丸から離れない。
彼の背に月が昇る。

「この刀、覚えているかい?」

と六丸は月にかざす様に握っていた刀を私に突き出した。
小さな刀だ。
攻撃よりも、守備的な使い方に適した刀。
小太刀。
私の刀。

「この刀で我らの姫は死んだ。」

六丸は刀をそのまま地面に突き刺した。
その目はまるで鬼の目。
悪しき者の目。
そして尖った歯を持つ口は言う。

「お前が殺したのだ。」

慶次様に強く引き寄せられた気がした。
彼の胸に身体が吸い込まれていく感覚で、私は我を保っている。
温かい大きな手が私の冷たい肌に意志を留まらせてくれたのだ。
小太刀の刃が月光に照らされ、輝いた。
ああ。
ああ。
私は逃げた。
過去から逃げ続けた。
でも、
でも、
過去は私を追い続けるのね。
罪人を追い続けるのね。
それもしょうがない話だけれども。

「アスカ、アスカ、忘れてはいけないよ。我らは復習者だ。」

と言い残すと六丸は姿を消した。
残されるは六丸が地面に突き立てた小太刀だけ。
私の小太刀。
私達の小太刀。
慶次様の手の甲には大きな傷が出来ていた。
その傷から溢れるように零れる、紅き血。
紅い血が私の白い肌に、ポツリポツリと痕を残してゆく





続く

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