堕罪
最終話 罪と罰・下



堕罪
第九話 罪と罰・下

風が吹く。
伊賀の里の緑深い森。
ざざん、ざざん。
森の海。
アスカが隣で風を身体いっぱいに浴びる。
好きだと思う。
薬師六丸は好きだと思う。
この場所も、
この里も、
アスカも、
アスカの隣に居ると言うことも、
すべてを好きだと思う。
このまま、時が止まればいいのに。






   * * *





「・・・六丸?・・・・・・六丸!!ああ!!!」

自分の胸の中で息を引き取る六丸を私は、力いっぱいで抱きしめた。
どうしてだ。
どうして。
本当は私が殺されるべきだったのに。
目の前が揺れる。
溢れ出す、涙が。
私は生まれて初めて、泣いた。
ひのえが死んだ時でさえも、泣けなかったのに。

「・・・アスカ。」

慶次様が私の名前を呼ぶ。
苦悶の表情を浮かべる彼の顔には、身体には、六丸の紅い返り血を浴びていた。
紅く汚れた手が握っていた超刀を離す。

「・・・俺は・・・」
「慶次様。」

彼が私の横に跪く。
揺らぐ瞳。
私はその眼差しから目を離すことができない。

「貴方は何も悪くない。」

私の手で、彼の顔につく返り血を拭き取ってやる。
そうするとより一層に慶次様の瞳が大きく揺らいだ。
まるで捨てられた子犬のように。

「悪いのは私。私は一生、罪を背負って生きてゆく。里を壊してしまった罪。ひのえを殺してしまった罪。六丸を壊してしまった罪・・・・・・」

胸の中の、六丸の身体が、みるみるうちに冷たくなってゆく。
その感覚は私の初めての殺しを思い起こさせ、私に現実をつきつけてゆく。
もう、私は現実からは逃げない。
もう、二度と。

「そして、貴方にこんなことをさせてしまった罪。」

抱きしめられた。
力いっぱい、慶次様に。
私の傷口が傷む。
だけど、心の奥がとても暖まっていくのを感じた。
心の奥の凍てつたものが、解けてゆく。

「・・・アスカ・・・。」

涙が頬を伝う。

「慶次様。」

私は意識を手放してゆく。
胸の中の六丸の遺体も手放したように。
私は堕ちてゆく。
罪と罰の海に堕ちてゆく。





   * * *





桜。
咲き踊る、桜。
そこに女が立っている。
ひのえが立っている。

「アスカ。」

ひのえが私の名を呼ぶ。

「アスカ。」

桜。
咲き踊る桜。
そして、散りゆく桜。

「      」

ひのえ。
ひのえ。





   * * *





目を覚ます。
すると見慣れた四角い木造の天井が目に飛び込んだ。
私の自室だ。
身体を動かそうとする。
すると全身を激痛が走った。
激痛にどうしようもなく、私は自由が聞く目で辺りを見回す。
何も変わりない風景。
殺風景な部屋。
夢を見た。
夢を。
桜の木下、ひのえが立っていた。
きっとあの桜の木は、伊賀の里。
神殿の枯れ果てた桜の木。
枯れたはずの桜の木が咲いて居た。
そして、ひのえ。
彼女が最後に何を言ったか、思い出せない。
何を私に話しかけたのか。

「アスカ、目を覚ましたのですね。」

気がつけば、私の枕元にまつ様が私を見下ろしていた。
とても優しい笑みを浮かべている。

「まつ様・・・私・・・」
「アスカ。」

まつ様は私の言葉を遮るように、私の名前を呼んだ。
すべてを悟り、知っているような彼女の表情と声色。

「驚きました。夕食時に貴女が居なくて、どうしたかと思っていたら、慶次が気を失って、傷だらけの貴女を背負って戻ってくるのだもの。」

と言うとまつ様は、水桶で手ぬぐいを絞ると、私の顔を拭き始めた。
ひやりとした冷たさが心地よい。
その心地よさに半分、気持ちを預けてしまう。

「詳しいことは聞きません。」
「え?」

私の熱で温まってしまった手ぬぐいをまた水桶に戻す。

「何があったのか、詳しいことは聴かないことに致します。」
「どうして・・まつ様・・・!」
「どうしてって・・・」

まつ様は困ったようにはにかんで見せると、ぐっと手ぬぐいを絞る。
水が滴る音。

「人には話したくないことの一つや二つは御座いましょうに。」

障子越しの日差しがまつ様を美しく象る。
それはとてもきらきらと輝いていて、美しい。
私はそんな彼女を眺めてしまった。

「でも、アスカ。」

まつ様のまっすぐな眼差しが私を射抜く。
息を飲んでしまうほどの、眼差し。

「命を無駄にしてはなりません。これは主君からの命。」

伸びる、彼女の白い手。
その手に撫でられた頭はとても心地よい。
どんな傷口でも、まつ様の手に掛かれば、すぐに治ってしまいそうだ。

「犬千代様からの命、で御座りまする。」
「・・・まつ様。」

撫でている手が止まる。

「ありがとうございます。」

私は触れたままのまつ様の掌にすべてを預けることにした。
心の、ありとあらゆるものすべてを。
私はこの人の、この夫婦の、前田家の家臣なのだから。

「こら、慶次。そろそろ顔を出しなさい。」

と突然、まつ様が障子越しに声を上げる。
しかし、返事は無い。
何事か、と私はまつ様の顔色を伺っていると、まつ様は溜息を一つ吐いて、肩をおとして見せた。

「貴女が倒れて、ここで眠っている間、ずっと慶次が付っきりで居たんですよ。」

障子の向こう側に何かが居る気配がした。
影が揺らぐ。
小さな影。
夢吉の影。

「なのに、部屋にも入ろうとせずに。ずっと障子越しに・・・―――」

私は身体を起き上がらせる。
全身に激痛が走り、小さく呻くがお構い無しに布団から抜け出した。
しかし、上手く手足が動かなくて前のめりに倒れこんでしまう。
何故。
何故。
どうして。
まつ様は私を抱え込むと、障子越しに居るだろう、慶次様に声を上げた。
だが、やはり返事は無い。

「・・・慶次・・・様?」

抱えられながら私は呟く。
私は、貴方を。
貴方を。

「・・・慶次様!!」

障子が開く。
開かれた障子の間から差し込む日差しが眩しい。
まつ様が私の背中をさらりと撫でた。
慶次様。
彼がそこに立っている。






   * * *





アスカがこの障子越しに眠っている。
気を失った彼女を家に連れ戻し、手当てをしている際もずっと、遠くでしか見つめることしかできなかった。
結果がどうであれ、俺は、彼女の親友を殺してしまったのだ。
俺の罪。
俺の罰。
瞳を閉じる。
瞼の裏側に彼女の涙があった。

「こら、慶次。そろそろ顔を出しなさい。」

先ほどから部屋に入ったまつ姉ちゃんが俺を呼ぶ。
アスカが目覚めたようだ。
死んでもいいぐらいの傷を負っていた彼女が、目を覚ましてくれたことに安堵を覚えるが、自分が彼女にどの面を下げて会えば良いのか分からない。
何と声をかけて良いのか分からない。
障子越しにどさりと音がする。
まさか彼女が倒れたのではないかと思って、障子にてを掛けようとするが、駄目だ。
障子を開くことができない。

「・・・慶次・・・様?」

アスカが俺の名を呼ぶ。
か細い、今にも消えてしまいそうな声だ。
勇気が欲しい。
今、ここで障子を開いてアスカを抱きしめることのできる勇気が。
ねねの時、俺は見ていることしか出来なかった。
その二の舞はもう嫌だ。
だから勇気が欲しい。
アスカを抱きしめたい。
アスカを。

「・・・慶次様!!」

心よりも身体が先に動いていた。
障子を開き、俺はアスカを見下ろす。
包帯で身体中を巻かれた彼女が、震える瞳で俺を見上げる。
まつ姉ちゃんに抱かかえられたアスカは無理な身体を引き摺って、俺の名を呼ぶ。

「アスカ・・・」

勇気が欲しい。
俺は部屋に入れずに佇むことしかできなかった。





   * * *





静寂。
無言。
近いようで遠い、互いの距離。
私は布団の上で正座になり、慶次様は部屋の敷居の向こう側。
自室に入ってこようとはしなかった。
二人でどのくらいの時間をこうやって過ごしたのだろう。
慶次様の足元で夢吉がじゃれている。
私がそれを目で追っていると、慶次様は静かに口を開いた。
まつ様が部屋から立ち去って初めての会話。

「よかったよ、無事で。そのまま安静にしていれば、時期に今までどおりに仕事が出来るって。」

と口元を綻ばせて彼は言うが、声色も表情もとても重く、暗い。
それとは対照的に夢吉は元気よく動き回り、差し込む日差しは眩い。
対照的なその二つがとても印象的で、布団の上で私は慶次様の姿をただ眺めた。

「それと、アスカ。これ、」

慶次様は自分の懐から小太刀を取り出し、私の前に差し出す。
小太刀。
私の小太刀。
六丸の最期の姿が脳裏を過ぎる。

「とりあえず、薬師の遺体は利たちに見つからないように、隠しておいたよ。でも、小太刀はアンタの物だろう?アンタに返さなければって思ってさ。」

二人の丁度、真ん中に置かれた小太刀。
その小太刀は太陽の日差しを浴びて、きらきらと装飾を輝かせていた。
美しく輝く装飾がとても不気味に思えてならない。
この小太刀はいったい何人の者を斬ったことか。
この小太刀はいったい何人の返り血を浴びたことか。
小太刀から視線を上げて、慶次様を見つめる。
すると彼も私を見つめていたのか視線が重なり、彼は慌てて視線を逸らした。
静寂。
無言。
静か過ぎて耳鳴りがする。
耳が痛い。

「・・・ごめんなさい。」

静まり返った中で私が言葉を放つと、慶次様は顔を上げ、私を見つめた。
今度は私が目線を逸らしてしまう。

「何故、謝る?」
「だって、貴方にとんでもないことをさせてしまったから。」

私は貴方に人を殺させてしまった。
だから謝るのだ。
ごめんなさいと。

「本当はあの場所で死ぬべき者は私だった。それなのに・・・・・・」
「違う!!」

声を張り上げた慶次様に驚いて顔を上げると、気がつけば彼は私の直ぐ側に居た。
敷居を越えて、部屋の中へ。
両肩をぐっと持たれ、引き寄せられる。

「俺はアンタを守りたいと思った。アスカを守りたいと。」

彼の瞳の中に私が映る。
私はどう、彼に映っているのだろう。

「アスカを死なせたくなかった。」

抱きしめられた。
いったい何度、彼にこうして抱きしめられたのだろう、と頭の遠くの方で考える。
季節はずれの桜の香り。
慶次様は桜の香りがする。

「ごめんなさい。」

胸の中で私は言うと、彼が背中を抱き寄せる。
ぎゅっと、これ以上、重なり合うことなどできないくらいに。

「・・・・・・アスカ、もう謝るな。」






   * * *





アスカを抱きしめる。
それも痛いぐらい。
自分の胸の中でひたすら謝り続ける彼女を、とにかく黙らせたかった。
もう謝らないでくれ。
謝られた俺はどうすればいい。
彼女の罪をどう罰すればいいというのだ。
アスカは充分なほどに罰を受けてきたはずなのだ。

「・・・・・・アスカ、もう謝るな。」

彼女を抱きしめれば、殺した六丸の返り血の感触を思い出す。
生温かい温度。
紅。
俺は彼女を守りたいと思った。
死なせたくなかった。
でもあの時、六丸を斬ったことが本当に正しかったことなのか、今でも分からない。
しかし、俺は彼女を守るために彼を斬ったのだ。
アスカが俺を見上げ、その瞳に俺が映っている。
今の彼女の瞳に俺がどのように映っているのだろうか。
とその目に食い入るように見つめていると、アスカが俺の頬を撫でた。
色白の血の気の引いた掌。
ああ、俺は。
何て駄目な男なのだ。
彼女の瞳に映る俺を見つめながら、自分を恥じる。
生まれた肉欲をどうすることもできない。
こんなにも、彼女を愛おしいと思う。
アスカを愛している。
アスカを。
冷たい指先が俺の目じりをさらりと撫で、その指先は俺の唇を撫でた。
はじける心臓。
身体が一瞬にして強張り、腹の奥が熱を帯びる。
アスカの瞳が細く三日月を描く。
それは柔らかい笑みだった。





   * * *





重ねた唇。
もはや互いの肉欲を止めることなどできない。
絡める舌に水音が鳴る。
歯の割れ目をなぞり、下唇を甘噛みする。
息をする間も与えないその行為に、身体の五感が麻痺していった。
しかし、麻痺した感覚はまるで互いに飽和してくようで、心地よく感じてしまう。
離れたくないし、離したくない。
もっともっと、近づきたい。
もっともっと、側に居たい。
舌を絡め合わせるたびにぴりぴりとした刺激が無性に愛おしく、
どちらのさえも分からない唾液すらも愛おしく思えてしまう。
もはや、末期だ。
この衝動をどうすることもできない。
二人は残された理性の中でそう思わずにはいられなかった。






   * * *





青い空。
眩いほどの太陽の日差し。
私はそれを仰ぎ見る。
負った傷はだいぶ良くなり、自由に外を歩けるようになった。
包帯も外し、瘡蓋が腕から脚から見え隠れしている。
風が吹く。
叢の草を揺らし、それはまるで海の波のようだ。
ぱちり。
ぱちり。
火が煙を上げ、もくもくと煙は青空へ昇ってゆく。
私はその火と煙を静かに眺めた。
この煙の中に六丸が居る。
右手で握る小太刀に力が入った。

「アスカ。」

私の横で同じように火を眺めていた慶次様が私の名前を呼ぶ。
静かな昼下がり。
こうして薬師六丸の火葬を行うのだ。

「大丈夫?」

慶次様は私の顔を覗きこむと、心配そうに言う。
ぱちり、ぱちり、と火の粉が上がり、煙が上がるが、その煙があまにも非情で、どこか虚しい。

「六丸は最期に、私に自分を許せ、といいました。」

黒く、もくもくと上がる煙は天に届く。
親友、薬師六丸が天国へ昇ってくれと煙を見つめながら切実に願う。
私は極楽浄土などに昇ることは願わない、望まない。
だからせめて、六丸だけでも、連れて行ってやってはくれないだろうか、と。

「本当に許して貰いたいのは私だというのに・・・。」

慶次様が私の左手を握りしめた。
静かに私も彼に握り返す。
それが私と彼との距離。
近くて、でもまだ遠い私と彼との距離。
私は空を見上げる。
青い澄み切った空。
そして天へ昇る、もくもくとした煙。
ぱちり。
ぱちり。
火の粉が上がる。

「アスカ、笑って。」

と言う慶次様の言葉に、私は彼と顔を見合わせた。
罪と罰と共に私は生きてゆく。
今まで犯してしまった罪と共に。
そして与えられた罰と共に。
残された小太刀は私の罪と罰の証。
記憶を風化させないための、私の過去が造った証。
この小太刀を一生、自分の手元に置いておくことにした。
六丸とひのえの影を我が胸の中に一生、住まわせることにした。
私は彼に身体ごと向けると、静かに俯き、顔を上げる。
走る風。
揺らぐ叢。
笑って。
私は静かに、慶次様のために笑みを作る。
顔いっぱいの、心からの笑みを。





   * * *





桜。
咲き踊る、桜。
そこに女が立っている。
ひのえが立っている。

「アスカ。」

ひのえがアスカの名を呼ぶ。

桜。
咲き踊る桜。
そして、散りゆく桜。












堕罪 完



Grimoire
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -