堕罪
第八話 罪と罰・中



夢吉の痛いような叫び声。
俺はやはり、夢吉を置いて京へ戻ることできずに、彼の後を追っていた。
すると飛び込む声。
今までに聞いたことも無い、夢吉の声だった。
俺は慌てて辺りを見回す。
叢の草が風に靡く。
さわさわと。

「・・・・・・アスカ!」

そこに忍者衣装のアスカが居た。
様子がおかしい。
アスカは地面に蹲ったまま動かない。
草を掻き分けてアスカの元へ駆け寄るが、そこにアスカを佇みながら見下ろす男が居た。
痛む手の甲。
もう手当ても済んで、痛みも忘れていたはずなのに、忍者に傷つけられた手が痛んだ。
薬師六丸。
その忍び。
俺はアスカと薬師の間を分けは入る。

「その女を助けるつもりか・・・?」

薬師は呟いた。
地面に蹲るアスカは俺が近づいても、身動き一つしない。
それどころか、身体中は傷だらけで、辺りは血溜まりが出来ていた。
夢吉が擦り寄り、肩に乗る。
俺は最初から夢吉の言うとおりに、アスカの元へ戻っていればよかった。

「アスカ!!おい!しっかりしろ!」

アスカは黙ったまま。

「・・・・・・先ほど、苦無で胸を貫いたばかりだ。」
「お前!!!」
「俺はその女を憎く思う。」

薬師は静かに言った。
闘気も殺気も微塵も感じない。
抜け殻の様な姿。

「この女は、我らの里を潰し、姉上を殺したのだ。」

アスカを抱きしめる。
身体いっぱいに。
死ぬな。
死ぬな。
死ぬな。

「すべては復讐のために、俺は生き続けた。アスカを殺すためだけに。なのに、どうしてだ。どうして、こんなにも虚しい。どうして、こんなにも、悲しくなる。」

アスカが俺の中で呻いた。

「・・・慶次様?」

青白い顔がこちらを見上げる。
まだ生きている。
まだアスカは生きようとしている。
死なせはしない。

「前田慶次。武器を持て。アスカを救いたければ、俺を殺せ。」

と言うと、薬師は身を屈めて、構える。
息を飲む。
闘気も殺気も無い、この男にあるのは、
この男を戦いへと駆り立てるものとは。
超刀に手を伸ばす。
すると胸の中のアスカが俺の腕を掴んだ。

「・・・お待ち下さい・・・慶次様・・・」

虫が鳴くような、搾り出した声。

「彼は、私の親友。私の罰・・・」
「大丈夫。アスカ。殺したりはしないよ。」
「違う!・・・慶次様。」
「・・・・・・俺は死んだりなんかしないよ。」

アスカを強く抱きしめる。

「俺はアンタを守りたいんだ。」

アスカをゆっくりと地面へ戻す。
夢吉が肩からアスカの元へ降りる。

「夢吉。アスカを頼むよ。」

超刀を肩に背負う。
ずっしりとした重さ。
嫌いじゃない。

「・・・伊賀の忍びは戦の道具。伊賀流忍者、薬師六丸。忍んで参る。」

俺は超刀を低く構えた。





   * * *





これは昔の記憶だ。
いつの記憶かは分からない。
だが、昔の記憶ということは確かだった。
幼い少年と少女。
緑が濃い森の中、二人は居た。
森一番の高さの樹を昇る。
その樹をするすると身軽に二人は登ってゆく。
頂上から臨む辺りは思った以上に高い。

「すっごいなー。」

少年が声を上げる。

「アスカも見てみろよ。」

とアスカと呼ばれる少女は、促されるまま、辺りを見回した。

「森が、皆、私よりも下に居る。」

頂上から見回す辺りは、まるで森の海のようだった。
緑は風が吹くたびに波のように靡く。
ざわざわと葉が揺れる音は、さながら波の音のようだ。

「よく、こんな場所、みつけたな。六丸。」
「ああ。ここは誰も知らない場所。里の大人たちだって、知らない場所なんだ。」

六丸と呼ばれた少年は満面の笑みをアスカに向ける。

「アスカ、ここは俺とお前の秘密の場所。」
「秘密の場所?」
「隠れ家にしよう。」

風が吹く。
ざざざっと森の海は小波を打つ。

「そんなもの、勝手につくったら服部様に怒られてしまう。」
「大丈夫だよ。アスカ。」

六丸の笑みは壊れない。

「ここは秘密の場所なのだから。」

六丸の笑みはアスカの心の不安を安らげてくれる。
緊張を緩めてくれる。
アスカはこの笑みが好きだと思う。
自分には無いものだから。
だから好きなのだと、思う。

「隠れ家、秘密基地。」

アスカは、唱えるように呟いた。
ざざざざん。
風が吹く。
波が打つ。
葉が揺れる。
森が揺れる。
二人の秘密の場所。
伊賀の里の平穏な日々。





   * * *





薬師六丸が見た姫の死は、
己の姉の死でもあった。
伊賀の里は死に、生き延びた忍びたちも殆どが死んでいった。
すべては四柳アスカのせいだ。
彼女が姫を連れて逃げなければ、
彼女が里を抜けなければ、
伊賀の里は、織田軍の伊賀攻めを返り討ちにできたかもしれない。
と六丸は思い、今日と言う今まで生きてきた。
だが、六丸は四柳アスカに再会し、彼女を傷つけても、心が満たされることはなかった。
ましては、虚しくなっていく一方であり、こんなことをしても失った者は戻っては来ない、という考えが頭の中を駆け巡るばかりであった。
自分は彼女へ復讐するためだけに、泥を舐めて、人間の姿と心を捨てて生きてきたというのに。
どんどん、悲しくなっていく。
前田慶次が超刀を振るう。
それを六丸は上手く避け、反撃を食らわすが上手くいかない。
この慶次という男。
アスカを守りたいと言った。
彼女を守りたいと。
超刀の刃が六丸の右腕をかする。
一瞬にして右腕が痛みと熱さで感覚を失う。
しかし、六丸はそんなことも気にせずに、身を後ろへ退けた。
己も思っていた。
アスカを守りたいと。
アスカに対する憎悪と交互に、六丸はアスカを大切にしたいと思っていた。
それは親友へ与える感情とはまた別の感情である。
自分はいつから間違えてしまったのか。
自分はあの晩、アスカが里を抜ける晩、
姉上よりも、アスカのことを考えて里へ戻った。
里から出ることが許されないアスカに、里の外の話しをしてやろうと、土産話をたくさん抱えて里に戻ったはずだ。
なのに、どうして。
自分はひょっとして。
六丸は思う。
姉上のことなど、本当はどうでもよかったのではないか。
アスカが里を裏切り、自分を裏切ったことに憤慨していたのではないか。
自分の心の真意に気がつくと六丸は居た堪れない気持ちにどんどんなっていく。
何故、俺を裏切り、里を捨て、姉上を殺したのだ。
そして裏切られた俺はこんなにも醜い姿と心になり、裏切ったアスカはこんなにも美しい女になっている。
俺は何のために存在し、生きているのだ。
俺は何者なのだ。
俺は
俺は

「アスカ、俺は何者なのだ。」

もはや、六丸は自分が生きているのか、死んでいるのかさえ、分からない。





   * * *




薬師六丸という男は泣きながら闘っていた。
俺が超刀を振るう。
六丸はそれを身軽に避けていくが、その際も大粒の涙を流していく。
こんなに悲しい戦いは始めてだった。
刀を振っても、振っても、虚しさが心を締め付ける。
俺にはアスカや薬師の言う、過去の出来事には関係ない。
だけど、この二人の姿に俺と秀吉の影を重ねてしまう。
さながら、アスカが秀吉であり、薬師が俺と言ったところ。
ねねがアスカが愛した人、ひのえ。
刀を持つ手に無駄な力が入る。
俺はアスカを守りたいと思う。
アスカを。
刀を持つ手に無駄な力が入る。

「アスカ、俺は何者なのだ。」

薬師が呟く。
何度も、何度も。
アスカに答えを乞うように。
この男、復讐することをすでにもう、望んでは居ないのではないか。
本当は復讐などどうでもいいのではないか。
俺は超刀を捨てて、薬師の腕を掴み、荒々しく叢へ叩きつける。
成す術もなく、簡単に薬師は叢の上で仰向けになった。
腕を掴み、喉を掴む。
この男を殺したくない。
アスカのためにも、
薬師六丸、この男自身のためにも。

「アスカ、答えてくれ。俺は何者なのだ。」

虚空を見つめていた薬師の眼球はアスカへ向う。
アスカは傷だらけの重たい身体を、地面に引き摺ってにじり寄り、六丸の指先に触れた。
するとぴくりと薬師の身体が跳ねる。
小さくアスカは呻くと薬師の頭を抱え込むように、抱きしめた。
俺はゆっくりと薬師から手を離す。

「・・・六丸、お前は私の罰。」

と言うアスカの表情は分からない。
ずっと彼女は上から薬師を見下げ、長い髪がその表情を隠してしまっているからだ。

「そして、私の親友だ。」

初めて聴くアスカの優しい声に俺は目を見開き、一部始終を凝視しる。
透き通った澄んだ声。
まるでその声色は母親の声色だ。
薬師がアスカの頬へ手を伸ばす。

「・・・親友・・・」

ぽた、ぽ、た
薬師の頬にアスカの流す血の滴が落ちてゆく。
じっと薬師はアスカを見上げていると、静かに口角を上げて笑った。

「前田慶次。」

ぎろりと、その眼差しが俺に向く。

「俺を殺せ。」

何を言う。
何を。
俺は声を上げた。
薬師に怒鳴る。

「アンタはアスカにとって必要な人間だ。」

ここで殺すわけにはいかない。

「何を言う。前田慶次。」

薬師はまたアスカの頬を撫でた。
その手つきはとても優しく、愛おしい人を大切にしている素振りだ。

「この磨がれた歯を見ろ。まるで狼の牙ではないか。」

アスカが薬師をまたきつく抱きしめる。

「この長い爪を見ろ、まるで鷹の爪ではないか。」
「何を言っているんだ。」
「この心を見ろ。俺を見ろ。まるで、」

薬師はアスカを押し退けて、また立ち上がる。
アスカが切なそうにその姿を追う。
彼女のこの姿。
一生、忘れられることはないだろう。
薬師は言った。
声を張り上げて。

「まるで、この姿は鬼の姿ではないか。」

風が吹く。
突風。
ざわざわと叢は波を打ち、風が抜けてゆく。

「俺はアンタを殺せない。」
「何故。」
「アンタはアスカにとって必要な男、だからだ。」
「ならお前はどうだ。」
「え?」

薬師は両手を広げて駆け抜ける風を受けとめた。
その姿にまだ見ぬ、昔の彼の姿を思い浮かべる。
人間が出来ている男だ。
俺などよりも何倍も。

「お前はアスカの何なのだ。お前はアスカにとって、必要な男ではないのか?」

答えに詰まる。
俺は彼女にとって必要な男なのだろうか。
利の家臣であった女とはいえ、面識を持ったのはほんの数日前だ。
まだ俺は彼女の何にも成れて居ない。
まだ、何にも。

「お前はアスカを守りたいと言った。」

アスカに目を向ける。
彼女は俯いたままだ。
泣いているのかもしれない。

「お前は今、アスカを守っている。俺から。俺からお前はアスカを守っている。」

俺はどうしたらいい。
どうしたら。

「俺は今やただの脅威でしかないのだ。アスカの命を奪うための脅威。」
「何を言って―――!」
「よく考えろ。俺はアスカを殴り蹴り、傷つけている。俺がアスカにとって必要な男だと本当に思うか?」

俺は超刀を握りなおす。
いつしか俺の目は、薬師から離れなくなっていた。
腕が震える。
手が震える。

「・・・慶次・・・様!!!」

掠れた声でアスカが横で声を上げた。
血を吐いたのか、小さく咳き込む。
しかしそんな姿も俺は見られずに居た。
今は薬師しか見ることができない。

「俺を殺せ。」
「厭だ。」
「なら、俺はアスカを殺すぞ。」

薬師は苦無を取り出す。

「俺は憎くて、憎くてたまらない。里を壊し、姉上を殺したアスカを。俺を裏切ったアスカを。」

苦無を薬師はアスカへ振りかざす。
それは条件反射だ。
俺は踏み出し、超刀の刃を薬師の喉へ突き立てていた。
柔らかい感触。
刃を通して感じる紅い熱。
と同時に左半身に熱すぎる熱がかかる。
それが血だと気がつくのに時間は掛からない。
風が吹く。
何故。
何故だ。

「今の俺は・・・ただの・・・アスカの復讐者でしかない・・・・・・親友ではないのだ。」

薬師の手から力なく苦無が地面へ落ちる。
落ちた苦無は地面へ突き刺さり、薬師はどさりと後ろへ倒れこんだ。
俺はそれをただ、見つめことしかできなかった。






   * * *





痛さよりも、熱さよりも、寒さが薬師六丸を襲う。
目の前が紅い。
死ぬとはこいうことか。
薬師六丸は自分の最期を悟る。
前田慶次が顔を真っ青にさせて、六丸を見下ろしている。
それを霞みゆく視界でぼうっと眺めた。
視線をゆっくりとアスカへと移す。
アスカは重たい傷だらけの身体を持ち上げて、六丸の横に駆け寄った。
アスカの白い手が六丸の頬に触れる。

「何故。どうして。お前は・・・」

呟くようにアスカは言う。

「アスカ・・・覚えているか・・・?」

六丸の脳裏に浮かぶ、伊賀の里の森。
緑深い森には大きな大樹がある。
そこは二人の隠れ家であり、幼き頃はよくそこで遊んでいた。

「伊賀の・・・里の、森・・・」

虚ろな六丸の視線は、目の前のアスカでも慶次でもなく、伊賀の里の森を見つめていた。
戻れる者ならば、あの頃に戻りたい。
戻って、もう一度、やり直そう。
六丸は森を見つめながら思った。

「ああ、覚えているとも・・・」

アスカが六丸を抱きしめる。

「・・・まだ、あの、大樹の隠れ家・・・残っているのだろうか・・・」

六丸は手を伸ばす。
伊賀の里の大樹に触れるように。

「もう・・・ずっと、ずっと、あの場所には戻って・・・いないから・・・」
「許してくれ。六丸。あの頃の私には、ああすることしか、出来なかったのだ。」

アスカは六丸を抱きしめながら、何度も必死に呟いた。
許してくれ、
許してくれ、と。

「私には、私には・・・・・・六丸、許してくれ。」

伸びる、六丸の手。
その手はアスカの髪を撫でる。
アスカの髪は昔から変わることなく、綺麗な色艶をしていた。

「・・・・・・アスカ」

六丸は柔らかい笑みを作る。
その笑みは、アスカが昔、見た笑みだった。

「アスカ、俺を、許してくれ・・・・・・――――」







続く
Grimoire
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