Grimoire
第五話 Heptameron:ヘプタメロン





「よし、あとは、これと、これな!」

日差しは西に傾きかけている。
セラスとベルナドットは市街地の裏路地に居た。
インテグラルからお遣いという命令を受け取ったベルナドットは無理やり、太陽の日差しを嫌うセラスを連れて街へ繰り出したのだった。
ベルナドットは金と引き換えに受け取った重たい包みをセラスに渡す。
と同時にセラスの悲鳴にも近い泣き声が上がった。

「隊長!いい加減にして下さい!」

両手に抱えきれんばかりの荷物の間を縫って、ベルナドットを睨む。
しかし、ベルナドットは聞き耳を立てる素振りも無く、はははと煙草を咥えながら先に店を出てしまう。

「いいよなー、吸血鬼は力持ちでよ。」

店を出て暫くしてから、ベルナドットは後ろで重い荷物たちと格闘しているセラスを笑いながら言った。
インテグラルのお遣いはどれも重量級の荷物ばかりを受け取りに行くというもので、セラスが抱える荷物のどれをとっても重いものばかりだ。
本来ならば、男であるベルナドットがその荷物を持つべきであるが、相手の女が吸血鬼となればそれは別だ。
吸血鬼の身体能力は人間の比ではない。
しかし、セラスにとっては両手をポケットに突っ込んだまま歩くベルナドットが憎くてしょうがなかった。

「もう!ベルナドットさんも持って下さい!」
「何言ってんだ。俺はか弱いから持てん。」

と胸を張るベルナドットにセラスは肩を落とし、溜息を吐いてみせた。
こんな上司嫌だ、セラスは心の中で嘆くのだった。

「おっつし!あと一軒。よくもまあ、局長もこれだけお遣いを言いつけるよな。」
「暇そうに見えたんじゃないんですか。」
「嬢ちゃん、何か言ったか?」
「ええ、言いましたよ。」

人通りが激しい道路のど真ん中で二人は言い合いを始める。
ヘルシング邸では当たり前の風景だが、街の中でというと話は別だ。
どんっとセラスが行き交う人にあたってしまった。
うわあっと声を上げてセラスの背後で人が倒れる。

「す、すみません。大丈夫ですか?」

とそこには色白のか細い青年が尻餅をついて倒れていた。

「嬢ちゃんがぼっさっとしているからだろ。」

慌てるセラスに口角を上げてベルナドットが言う。
その言葉に余計に慌てたのか、セラスは持っていた荷物を地面に置いて、倒れている青年に手を差し伸べた。

「本当にすみません。わたし・・・」
「いやいや、大丈夫ですよ。」

ひょろひょろとした青年は、まるで女性のような可愛らしい笑みを浮かべて立ち上がった。
その笑顔にセラスもベルナドットも驚いてしまう。

「ぼさっとしていたのは僕の方なんです。英国は初めてで、右も左も分からなくて。」

と言って、少年は律儀にセラスとベルナドットにお辞儀をしてみせた。
その律儀さに思わず釣られるようにお辞儀を返す。
イギリスが初めてという青年は英語こそ話すが、少しフランス人らしい訛りが入った英語発音だった。

「ここはいい街ですね。」

青年はにこやかに言う。
彼の荷物である大きなアタッシュケースを重そうによろけつつも持ち上げると、

「それでは僕はこれで。」

と言ってセラスとベルナドットに背を向け、また雑踏の中に消えていった。

「まるで、風が吹けば飛ばされちゃいそうな人でしたね。」

青年のか細い身体のラインと青白い肌を思い浮かべながらセラスが言った。
何言ってんだ、お前、とベルナドットはセラスに言うが、彼自身もセラスと同じ事を考えていた。
アタッシュケースが重そうに見えたのは、青年がひ弱そうに見えてしまったからかもしれない。
ベルナドットは咥えていた煙草の煙を吐き出すとセラスを置いてまた歩き出す。

「何、たらたらしてんだ!夜になっちまうだろ!」
「あ!待ってください!」

雑踏の中、セラスは荷物を抱えなおすと慌てるようにベルナドットの後を追いかけた。





日が暮れ、空には月が昇る。
たいした用事が無いアスカは、暇を潰すべく、インテグラルの書斎のソファーで寛いでいた。
ふかふかの高級ソファーで新聞を広げ、高級茶葉の紅茶をすする。
それらはアスカにとって、とても心地の良いものだった。
しかし、その横で仕事の書類の処理に追われるインテグラルは、暇を持て余すアスカが目障りでしょうがない。
インテグラルは葉巻を咥えながら横でまるで人間の男のように新聞を広げるアスカを睨みつけた。

「まるで人間のようだな。」
「よく言われる。」

アスカは紅茶を啜りながら何気無く答えた。

「英国もなかなか治安が悪いな。しっかり面倒をみてやれよ。」
「云われなくとも分かっている。」

くくくとアスカは喉を鳴らした。

「先日の事件はこの記事か?まるで吸血鬼ではなく、ただの強盗犯の犯行扱いにされているな。」
「情報操作は必要なことだ。」
「ごもっとも。インテグラル局長殿。」
「・・・貴様、何が言いたい?」

初めてアスカは新聞から目を離し、インテグラルを見つめた。
その瞳は厭らしくにやにやとしている。

「インテグラをからかうのが面白いだけさ。お前は初心だから。」
「アスカ!貴様―――「うちの主をからかわないで貰いたいものだな。」

インテグラルの言葉を遮るようにして、アーカードが口角を上げながら書斎へ入ってきた。
アスカの表情が一瞬、曇り、それから溜息を吐く。
何が面白いのか、アーカードは口元を綻ばせながらアスカと向き合うようにソファーに座った。
長い足を組み、アスカから新聞を奪う。

「お前も存外、初心なのを知っているか?」
「知らないね。そんなこと。」

険悪な雰囲気が辺りに広がる。
これだから、吸血鬼共は、とインテグラルは書類でいっぱいの机の上で頭を抱えた。

「長年、血を吸わぬと吸血鬼であるということを忘れるという。」
「それは私のことを云っているのかい?アーカード。」

まるで人間のようだな。
インテグラルの言葉が脳裏を過ぎる。

「まあ、吸血をしないで居ると人間の匂いが染み付くのは確かかもな。」

とアスカは溜息混じりに紅茶を啜った。
その姿は本物の人間のようで、本当に彼女が言ったとおりに人間の匂いが染み付いてしまっているのかもしれない。
アーカードと似て非なるものが実際にそこに有る。

「ところで、アーカード。お前からここへ来るなんて珍しいじゃないか。」

用も無いのにアーカードがインテグラルの書斎へ訪れる者ではない、ということをよく理解しているインテグラルは不死の王に問いかける。
するとアーカードはにやりとインテグラルに笑って見せると、そろそろだと思ってな、と言った。

「そろそろ?」
「ああ、そろそろだ。」

何が、とインテグラルが続けようとした時、書斎の扉が開き、ウォルターがインテグラルの名を呼んだ。

「お嬢様、お客様をお連れしました。」
「客人?こんな時間にか?」

インテグラルの言葉にウォルターは気まずそうに辺りを気にした。

「お久しぶり、インテグラ。」

ひょっこりとウォルターの後ろから少女が顔を出した。
赤毛が綺麗な髪の少女。
その少女はアスカの主、ウィネ・ド・プランシー本人だった。

「ウィネ!貴様!どういうつもりだ!勝手に吸血鬼を送りつけてきて!」

ウィネとインテグラルは同い年のはずなのに、外見も内面もすべてウィネが年下のように見えてしまう。
がみがみとインテグラルはウィネを叱り付けるが、ウィネ本人はまったく気になどしていないようで、ぱたぱたとソファーに走りよって傍観していたアスカの横に座った。

「海を渡れたみたいね!アスカ。」

ああ、とアスカは口角を上げて答える。
その馴れ合いは女同士のようにはみえず、差し詰め恋仲の男女のような戯れに見えてならない。

「シトリーは見つかったの?」
「それはまだ。」

アスカは紅茶を啜る。

「ウィネ、貴様!少しは私の話を聴け!お前はいつも勝手なんだ!」

がみがみがみがみと説教を続けるインテグラルにウィネは嫌気が差しているように、溜息を吐く。
それがまた気に食わないインテグラルはさらに説教を続けた。

「分かった、分かった、インテグラ。貴女が言いたいことは理解しているわ。」
「ならば、さっさと・・・」

アスカを連れて屋敷から出て行ってくれ、と言うおうとし、それをウィネに遮られた。

「それがまだホテルが決まっていないの。インテグラ、お願い。泊めて。」

はあ!?とインテグラルの気が抜けたような声が辺りに響く。
アーカードがくくくと笑う。
一方、ウィネは童女のような笑みを当たりに振り撒き、アスカに対して舌をぺろっと出してみせた。





日付が変わった頃、やっとインテグラルの仕事も周りの者たちも落ち着いた。
頃合いを見計らったようにウォルターがインテグラルに紅茶を差し出す。
茶葉のいい香りがゆらゆらと揺らぎ、インテグラルはそれを口に含んだ。
いくら幼馴染でもウィネは気が合わないような気がしてならなかった。
明日も明後日もウィネがヘルシング邸に居ると考えると頭が痛くてたまらない。
ウィネがヘルシング邸にやって騒ぎ立てたインテグラルは少々、疲れているようで紅茶を一口飲むと条件反射のように大きな溜息を吐いた。

「お疲れのようですね、お嬢様。」
「ああ。とってもな。まさかアイツまでこの屋敷に泊まると言い出すとわな。」

インテグラルは紅茶をすする。

「ウィネ様がこちらにお見えになるのはもう十年以上ぶり。元気そうでなによりで。」
「彼女の場合、元気すぎるのに問題があるんだ。あのじゃじゃ馬め。」

からからとインテグラルの言葉にウォルターは笑った。
冗談を言ったつもりが無いいインテグラルはムスッと唇を尖らせた。

「ウィネの部屋は?」
「ええ、二階の客間をご案内したのですが、今晩は、自分はアスカと寝るから良いと地下のアスカの部屋へ。」
「・・・・・・吸血鬼に育てられし、娘か。」

カップの中の紅茶が揺らぐ。
インテグラルはそのカップの中をじっと睨んだ。
ウィネに両親は居ない。
父親はウィネがまだ母親の腹の中に居たころに事故で死に、身体が弱かった母親はウィネを産んだ直後に死んだという。

「彼女にウィネと名をつけたのはアスカといいますね。」

母親の腹から赤子を取り上げ、その赤子にウィネと名づけたのはアスカであり、彼女をプランシー家の当主として恥じないように育てたのもアスカだった。

「考えられん、話しだな。」
「だが、実際に現実にそのような者が近くに居る。信じるしかありませんな。」

どんな気分なのだろうか。
吸血鬼が父親、母親代わりというのは。
インテグラルは考えるが、自分には理解しきれないことだと悟る。
彼女にとって吸血鬼は悪しき者であり、いくら近しい存在であるプランシー家であってもヘルシング家のインテグラルには理解できなかった。

「ウォルター。先日、お前に任せたシトリーという吸血鬼についてだが・・・」
「ええ、調べました。」

ウォルターはインテグラルに数枚の書類を提出した。
ぱらぱらとインテグラルはそれを捲る。

「シトリーと云う名の男が英国だけでも5人おります。しかし、吸血鬼となると歴代の文献を調べても該当者はおりませんでした。」
「ほう。」
「ただ、気になることが。」
「何だ云ってみろ。」

ウォルターはインテグラルを真っ直ぐと見つめ、続けた。

「シトリーという名は悪魔の名です。ソロモン72柱の魔神の一柱。60の軍団を支配し、序列12番の地獄の大貴公子であると云われています。」
「・・・シトリー。・・・ソロモン。」
「ええ。しかし、残念ながらシトリーについてはその程度しか。実際の吸血鬼がどこに潜伏しているのか、本当に英国に居るのか、まったくの分からず仕舞いでして。」

インテグラルはウォルターの言葉をじっと聴くと、葉巻を咥えた。
すかさず、ウォルターがライターで葉巻に火をつける。

「悪魔に魂を売りし一族・プランシー家、か。」





「フランスに戻ったらまた書かなければならない。」

夜の闇が深くなった頃、ウィネはアスカの部屋に居た。
ウィネは柩を椅子代わりにして座るアスカの太股を枕代わりにして、床に跪いていた。

「フランスに戻ったらまたあの狭くて暗い部屋に戻らなければならない。」

とても寂しそうな声でウィネは呟く。
アスカの部屋はとても薄暗くランプの明かりがゆらゆらと揺らぐだけであった。
二人の手元足元だけを照らすだけのランプ。
ウィネからはアスカの顔が薄暗くてはっきりと見えない。
しかし彼女にはアスカがとても安らかな表情をしているのを知っている。
母親のような表情を浮かべてくれているのを知っている。

「大丈夫。私がついている。」

ウィネがアスカに抱きついた。
それはまるで子どもが母親に甘えるような動作だった。
甘い香りがアスカの鼻をくすぐる。
処女の女の香り。
ドラキュリーナにとって同性の女の生き血は、とくに処女の女の生き血は生唾を飲み込むほど素晴らしいものだった。
しかし、アスカは必死に、すべての欲求を抑えつつウィネを抱きしめる。

「この世から魔道書なんてなくなればいい。グリモワールなんて無くなってしまえばいい。プランシーなんて要らないわ!」

しくしくとウィネはアスカの胸の中で泣いた。
彼女の孤独、苦痛、望み、すべてをアスカは理解しているつもりだ。
そしてプランシー家のあり方もアスカは心得ている。
プランシー家は末代まで文字を書き続けなければならない。
死ぬまで魔道書を薄暗い部屋の中で書き続けなければならない。
カトリックのために。
キリスト教徒のために。
ウィネは文字の海に溺れている少女そのものだった。

「大丈夫。ウィネ。私はいつだってお前の味方さ。」

ぎゅっとアスカはウィネを抱きしめる。
甘い香り。
その香りは赤子が母親の腹から生れ落ちた時の香りに似ている。
生れ落ちた赤子がわんわんと騒々しく鳴くイメージが脳裏を過ぎる。
それはウィネが生まれた時のイメージだった。
アスカはゆっくりと微笑む。
その笑みはウィネには見えていない。






to be continued...
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