Grimoire
第三話 Grimoire of Honorius:ホノリウスの書





アスカがイギリスに着いた翌日の夕刻だった。
昼間、柩の中で眠り続けたアスカは初めて、ヘルシング邸の中を散策した。
数年前、まだインテグラルが幼かった頃とそれよりもずっと昔に二度だけ、アスカはヘルシング邸を訪れたことがあった。
その頃と何一つ変わらないヘルシング邸はアスカを少し懐かしくもさせる。
インテグラルの書斎へ向うと何か騒がしかった。
書斎には葉巻を咥えるインテグラルとウォルター、セラスが居た。
アスカは何食わぬ顔で、書斎へ入る。

「騒がしいねえ。」

ぎろりとインテグラルが睨む。
殺伐とした雰囲気から王立国教騎士団の任務が帝国から下っていることは察しがついた。

「誰だ?アンタ?」

横から気だるい声。
ベルナドットだった。
思わず、アスカはベルナドットに対して睨んでしまう。

「お前こそ、誰だ?」

重苦しい空気に気づいたセラスが慌てて、二人の間に入った。

「わわわ!アスカさん。こちらはピップ・ベルナドットさん。ワイルドギースと云う傭兵部隊の隊長さんです。」

とセラスは引きつった笑顔をアスカに向け、今度はベルナドットにも向けた。

「こちらはアスカ・レメゲトンさん。フランスのプランシー家に仕えている吸血鬼です。」

吸血鬼?疫病神だろう?とインテグラルが口を挟む。

「・・・まあ、今、ちょっとばかりヘルシング邸に居候させてもらっている。よろしくな。間違っても敵と間違えないように。」

とアスカは白い肌を赤く染めた頬に笑窪を作りながら、ベルナドットに向い手を差し伸べた。
ベルナドットも今まで観てきた吸血鬼とはまったく違う、喋り口と態度に唖然としながらも、握手を交わした。

「嬢ちゃんみたいな吸血鬼も居るもんだと思ったけれど、アンタみたいな奴も居るんだな。十字架を首から下げて歩く吸血鬼なんて、初めてだぜ。」

煙草を咥えながらもベルナドットは鼻を掻きながら言った。
アスカの首から下げられている十字架が揺れている。
インテグラルがコートを羽織った。
その姿を見てセラスも荷造りを済ませる。

「どこかへ行くのかい?」
「吸血鬼が現れた。ここ数日の間に騒ぎを起こしている奴だ。今からそいつを殺りに行く。」
「ほお。」

ばんっとインテグラルは机を叩いた。
そして葉巻を灰皿に押し消す。

「何をぼさっとしている!貴様も行くんだよ!!」
「へ?」

何を言っているのか理解しきれないアスカは、目を丸くして驚いてみせた。

「騒々しい騒音から安眠を守り、太陽の日差しから身を守ることのできる恩を貴様に差し出したのにも関わらず、恩を返そうとは思わんのか?」

インテグラルは自分の粒化銀弾頭が込められた拳銃を差し出した。
マテバ社のリボルバー。

「イギリス人は頑固者ばかりで困る。」
「フランス人は皮肉屋が多くて困るな。」

リボルバーがアスカの手にずっしりと重く圧し掛かる。

「オーダーはオンリーワン。サーチ・アンド・デストロイ。見敵必殺だ。」

アスカはその拳銃を受け取ると、懐に仕舞い込んみ、口角を上げた。

「了解した。」






アーカードは?
奴はもう先に向っているはずだ。
なら先にもう殲滅しちゃっているかも。
・・・ならいいが。
奴の気分次第、てか。
ウィネと連絡が取れた。
早くて明日の夕方、遅くても明後日の夜にはイギリスへ到着するらしい。
ほう。
アイツは何をやっているんだ。たかがイギリスまで飛ぶのに時間が掛かりすぎだろう。
今、彼女は小説を執筆しているんだ。すぐに手放しにはできない。
吸血鬼が単身、苦手な海を渡って英国にやって来ているのにもかかわらず?
プランシー家にとって小説を書くことが宿命みたいなものだからな。お前たちヘルシング家が吸血鬼狩りに宿命を感じるように。
オカルト小説が?
たかがオカルト小説、されどオカルト小説だよ。あの小説がなければカトリック教は既に100年前に死んでいる。
コラン・ド・プランシー、地獄の辞典。
まあ、コランにしてみたらカトリックもプロテスタントも関係なかったみたいだがな。





王立国教騎士団が向ったのは市街地から遠く離れた街にひっそりと佇む、美術館であった。
小さいとはいえ沢山の古美術が展示され、数十人の客も入っていたという。
美術館運営中の吸血鬼襲撃。
目的こそ分からないが、中に居ただろう客と従業員の生息は絶望的だろう。
インテグラルはウォルターが運転する車から降りると、先に居た警察官から中の状況を伝達された。
指揮権が王立国教騎士団に移った今、インテグラルにすべてが委ねられている。

「マスター・・・居ないみたいですね。」
「居た方がいろいろと面倒だ。」

辺りを見回してもセラスが言うとおり、アーカードの姿が見えないが、アスカにとってはいろいろと絡みたがるアーカードが居ない方が好都合であった。
セラスはアスカの言葉に思わず、苦笑いを浮かべるがアスカは至って平然としていた。

「インテグラ、中の様子は?」

戻ってきたインテグラルに中の様子を問う。

「期待はしていなかったが、やはり最悪だ。客と従業員合わせた33人。すべて中の吸血鬼によって食人鬼化が確認されている。」
「ほう。中の吸血鬼は?」
「一体のみ。できるな?」

アスカがにこやかに微笑んだ。
その笑みはとても美しい。
しかしどこか狂気を含んでいた。

「セラス、今回は待機だ。」
「え?」

思いも寄らないインテグラルの言葉にセラスは声を上擦らせた。

「今回はフランスの吸血鬼の力を確認させてもらおうか。ウィネが来るまでアスカ、貴様はヘルシング家の吸血鬼なのだからな。」

アスカは仕舞い込んでいたリボルバーを取り出すと、装弾数を確かめて、器用にくるりと扱って見せた。

「弾は必要か?」
「装弾数6発。充分だろう。」
「オーダーは?」
「ああ、分かっている。」

心配そうにしているセラスに気づくとアスカはセラスにウィンクしてみせた。
そしてくるりとセラス、インテグラルたちに背を向ける。

「見敵必殺。」

食人鬼が溢れ、吸血鬼が待つ美術館の中にアスカは入っていく。
その後姿を見つめながら、まるで遊びに入るみたい、とセラスは思った。
自らの主とは似て非なる姿をセラスは見た気がしたのだ。






食人鬼の扱いも吸血鬼の扱いもアスカは心得ているつもりだ。
少なくとも自分も吸血鬼であるし、何より、アスカ自身もフランスで何体か吸血鬼を殲滅してきたからだ。
美術館に入るなり食人鬼に襲われた。
リボルバーを使わずに、相手を殲滅していく。
死んでいった者のためにも殲滅していく。
返り血を浴びる。
食人鬼のヘドロの様な返り血を。
汚れたくないな、と感じたアスカはそれを避けるべくひらりひらりと舞うように、相手を殲滅しつつ、返り血を避けた。
酷いにおい。
まるで鼻がもげそうだ。
アスカは広い講堂に出た。
美術館で最も広い部屋のようだ。一枚の絵が飾られている。
アスカはまるでその絵に惹きつけられるように、絵の前に立ち止まった。
背後を食人鬼に取られる。
アスカはすかさず、その食人鬼の腹に拳を入れ、心臓を捻り潰した。
食人鬼が足元に転がってしまったが、猫の様な鋭いアスカの眼差しは絵に向かったままだった。
天窓から満月が見える。
満月だった。

「・・・ここに居たのか。」

アスカはただ絵を見上げた。
呟いた言葉には驚きの意も含まれている。
静かだった。
気づけば食人鬼は殆ど殲滅してしまっていた。
インテグラルのリボルバーを使うことなく。

「ここに、お前は居たんだね。」

ぶらりと力なく揺れる腕には返り血がひたひたと滴り落ち、足元には血溜まりが出来ていた。
アスカは静かに絵画のタイトルパネルを指で撫でた。
その指先はとても優しく撫で、パネルを見つめる目は誰に向けるもの以上に優しく、色っぽかった。

「許しておくれ。見つけるのが遅くなってしまった。でも私はここでお前を見つけたのだ。今こうして私は見つけたのだ。」

アスカが見上げる絵画。

「しかし、まだ待て、麗しの君よ。私にはまだそこへ向う資格が無いのだ。無い、のだ・・・。」

いやらしい笑い声が辺りに響く。
ねちねちとした笑い声にアスカは嫌気を感じ、その声の主を睨んだ。

「名画、黄道十二宮の天使。フランスで描かれた絵であるが、一度、消失したと思われていた。しかし、50年ほど前にイギリスにて発見された。作者は不明。」

そこには男が居た。
美術館を襲った吸血鬼だ。
男はアスカから間合いを取りながらも近づく。
貴様、アスカは声を上げた。
その声に吸血鬼は思わず、足を止めて立ち止まった。

「貴様、名は?」
「何を言って・・・」
「名は何だと聞いているのだ!!」

黒い気がアスカを包む。
吸血鬼は一歩後ずさりをしてしまうほどの気。
上着の内ポケットから一冊の本を取り出す。
古い、とても古い本だった。

「・・・アスモデウス。」

アスモデウスと名乗る吸血鬼はアスカの只ならぬ雰囲気に顔を引きつらせ、一歩、一歩と後退していく。
ぱらぱらぱら
アスカは本を捲っていく。
ぱらぱらぱら
ぱらぱら・・・

「アスモデウス・・・!そおか・・・」

眼光が鋭く光る。
本をぱたりと閉じる。
と暫くして押し殺していた笑いが込み上げて止まらなくなってしまった。
からからと笑う。
高らかに笑う。
楽しくて、喜ばしくて、溜まらない。
笑っていた。
アスカは笑っていた。

「見つけたぞ。見つけた!見つけた!やっと!何十年ぶりか!貴様で、70体目!!70体目だ!」

長く研ぎ澄まされた爪が天窓の月光によって光る。

「・・・吸血鬼!?」
「いかにも。私は吸血鬼。」

一歩、一歩、アスカはアスモデウスと距離を縮めてゆく。
じりじりと縮めてゆく。
アスモデウスはアスカを前に身動き一つ出来ずに居た。
足が震えて動けない。

「我が名は吸血鬼、アスカ・レメゲトン。・・・これより、狩を開始する。」






「今宵は満月か。」

インテグラルの横にアーカードが立つ。
アスカが潜入してから一刻ほど経つが、美術館も辺りもおかしなぐらいに静まり返っていた。

「アーカード!貴様、今まで何をしていたのだ!?」

先に襲撃現場へ向っていたアーカードであるが、一刻以上も遅れてインテグラルの元へ着いた。
本来ならば、アーカードが美術館へ潜入するはずだったのだ。
遅れてきたアーカードは詫びる素振りも見せずに、にやりと笑って見せた。

「アスカは中へ?」
「ああ。」

インテグラルはまっすぐとアスカが潜入したはずの美術館の正面口を睨んだ。
そろそろ外へ出てきてもいいはずだ。
本来の殲滅戦ならばもっと騒々しくてもおかしくないはずであるが、あまりにも静かでインテグラルもまさか、とアスカを心配してしまう。
だが、アーカードはそんなインテグラルの気を知っているのか、居ないのか、からからと笑って見せた。

「アスカが心配か?」
「まさか。彼女もまた吸血鬼だ。百年以上も生きているドラキュリーナだ。」
「その通りだ。我が主。彼女は強く、恐ろしい。そろそろ出てくるぞ。」

とアーカードが確信にも似た言葉を発した瞬間、ばりんっと正面玄関のガラスが割れ、何かが吹っ飛んできた。
セラスの足元へそれは転がる。
ひいっとセラスが小さな悲鳴を上げた。
吹っ飛ばされてきたのは、首の無い胴体だけの死体だった。
察する必要も無く、それは吸血鬼の胴体であった。
玄関で人影が揺れる。
アスカが出てきた。
石畳を革靴でこつこつと鳴らしながら。

「・・・アスカ・・・!」

こつ、こつ、こつ、こつ、
アスカはインテグラルの元へ石畳の階段を降りてゆく。
血に塗られた両手には綺麗に装飾される御盆を抱えていた。
御盆から血が滴り落ちる。
ぽつぽつと。
御盆の上には飛ばされた吸血鬼の生首が苦悶の表情を浮かべながら、置かれていた。
アスカはそれが御盆から落ちてしまわないようにそうっと運んだ。
こつ、こつ、こつ、こつ、こつ・・・
足を止めるとアスカは、インテグラルの元へ跪き、生首が乗る御盆を差し出した。
吸血鬼の今にも零れそうな眼球がインテグラルを睨む。

「インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング殿。我が武勲を御近付きの印としてお受け取り下さい。」

さあ、とアスカは生首を差し出す。

「貴様、何を考えて―――」

インテグラルの言葉を遮るようにアスカは懐からリボルバーを取り出し、それもまたインテグラルに差し出した。
拳銃をインテグラルは受け取る。
受け取った拳銃は、未使用のまま装弾数6発が込められたままだった。

「お返しします。ヘルシング卿・・・。」
「貴様・・・」

インテグラルはアスカが差し出す御盆を払いのけた。
がらがらと御盆は音を立てて転がった。
生首が近くの叢へ放り込まれてしまった。

「貴様、私を舐めているのか!?ふざけるな!何もこんなことをさせるために潜入させたわけではない!!!」
「貴女こと我々を舐めているのではないか?インテグラル、否。ヘルシングよ。」

アスカは立ち上がり、いつもの笑みを浮かべた。
透き通った屈託の無い笑みを。

「プランシーの人間を舐めたらいかんよ。ヘルシング。プランシーもまた狩人なのだよ。」

と言ってアスカは口角を上げる。
インテグラルは出かかるさまざまな罵声を腹の奥へ飲み込むと、アスカと真正面から向き合った。

「・・・フランス人は皮肉屋ばかりで困る。」
「なら、イギリス人は頑固者ばかりだな。」

月が昇る。
満月が昇っている。
血のにおいがする。
吸血鬼の夜がそこにある。





71番目の命。
72番目の命。
もう、時間が無い。
奴は俺の命を狙っている。





to be continued... Grimoire
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -