Grimoire
第二話 The Black Pullet:黒い雌鳥




「おはよう。インテグラ嬢。」

吸血鬼、アスカ・レメゲトンは眠気眼のまま柩から半身だけ起こして、インテグラルにあいさつをした。
挨拶をされたインテグラルは葉巻を咥え、煙を立ち込めさせながらアスカを睨む。
アスカを疫病神と言い切ったインテグラルにとって、柩の訪問者にはすぐにでも帰ってもらいたいものだった。
たとえ、それがウィネの願いであったとしても。

「うん。おやすみ、インテグラ嬢。」

とインテグラルの内心など知らぬ顔で、アスカはもう一度、柩の中に戻ろうと横になる。

「待て!貴様!寝るなっ!」

イギリスとフランスではあまり時差は無いものの、海を渡って来たアスカには少々、疲れが溜まっているようで、いくらでもアスカは寝られる気がしてならない。
それをインテグラルが止めるものだから、アスカは嫌味に大きな溜息を吐いて、起き上がってみせた。
しかしまだ柩からは出ていない。

「どういうつもりで、イギリスまで来た。此処まで来たんだ!?」

鬼の形相でインテグラルはアスカを問い詰める。
その姿に呆気にとられるのはウォルターとセラスである。
アーカードはやはり楽しそうに一部始終を眺めていた。

「そうがみがみ云わんでくれよ。ウィネから連絡は受けているだろう?」
「ああ。お前がここに来た、今さっきにな!」

がみがみと怒鳴り散らすインテグラルにアスカはまた溜息を吐くと、今度こそ柩から外へ出た。
すらりとした体型にインテグラルとさほど変わらない身長。
ゆるゆるとウェーブのかかった金髪。
やはりアスカは美しい女である。
立ち上がり、一歩足を進めようとすると横で眺めていたアーカードが腕を引っ張り引き止めた。
引き止めた腕をアーカードは自分の体へ引き寄せると、手の甲に唇を落とし、赤い舌で手の甲をぺろりと舐めた。

「まずは仏国のドラキュリーナが海を渡れた奇跡に感謝をしようではないか。」

アーカードは己が握る腕の主を見つめた。
とそこには冷たい眼差しでアーカードを見つめているアスカが居る。

「・・・まさか、苦手な海を渡ってまで、私に会いに来たのか?」

ぱっちん、とアスカは腕を掴むアーカードの手を払いのけた。
首から腰まであろう十字架の首飾りが揺れる。

「戯け。アーカード。たとえ100年間、人の血から遠ざかろうとも私の力は、弱まりはしない。そして、貴様にも用は無い!」

思ったとおりの反応が帰ってきたのだろう。
アスカの反応にくくくと喉を鳴らすと、アーカードは満足げに口角を上げて見せた。

「ならば、アスカ。答えてもらおう。私の質問に。」

葉巻を咥えながらインテグラルが仁王立ちの状態でアスカに問いかけた。
アスカは思い出したようにインテグラルへ向き直ると、アーカードに向けた眼差しとは正反対の眼差しを向けた。

「シトリーという吸血鬼を捜している。この2、3日の間にイギリスに入っているはずだ。イギリスで吸血鬼といえば、王立国教騎士団が一番だろう。だからインテグラに会おうと思ってここへ来た。」

アスカは怒るインテグラルを諭すように話すと、インテグラルの書斎の椅子にどかりと座って見せた。
長い足を使って椅子をぎしぎしと鳴らし、ゆらゆらと左右にゆらしてみせる。
自分のデスクを取られたインテグラルは眉間に皺を寄せながら、アスカに歩み寄った。

「悪いがシトリーという吸血鬼は知らん。情報も此処にはない。」

椅子に座るアスカを見下ろしながらインテグラルは放つ。
その言葉にアスカは軽く落胆したのか、肩を落として見せた。

「そーかあ。残念だ。」

気の無い返事を返しながらアスカはまた椅子をぎしぎしと鳴らす。

「その男に会ってどうするつもりだ。」

関を切ったようにウォルターが問いかけた。
その問いに一番の笑みがアスカの顔に浮かぶ。
白い肌にほのかに赤く染まる頬。
屈託の無い、幼女のような笑みがそこにある。

「どうするのかって?そりゃあ、わざわざ苦手な海を渡ってイギリスまで来たんだ。会って、こんにちは、お茶して、さようなら、って云う訳にはいかないかもな。」
「・・・殺すのか。」

ウォルターの言葉にアスカはわざと溜息を吐いてみせた。

「それって殺して欲しいってこと?」

そして自然と口角が上がる。

「アスカ様のこと。所詮、ろくでもないことを考えているのだろうと思いましてな。」
「そのろくでもないことを生業にしているのは貴様たちだがな。」

アーカードの含み笑いだけが辺りに響く。
その笑い声の主をアスカは、ぎろりと睨んだ。

「兎にも角にも、私のカンオケをインテグラに預けるから。」

簡単にアスカは言ってのけるが、吸血鬼が自らのカンオケを他人に預けるということは、安息の地を、命を、預けるのに等しいことである。
インテグラルにもそのカンオケを預かるという重みは重々に分かっていた。
だからアスカの一方的な願いに納得もいかないし、二体目の吸血鬼など欲しくもなかった。
もともとフランスのプランシー家の吸血鬼、イギリスのヘルシング家が預かる理由も無い。

「なあに、5日もしないでシトリーは見つかるさ。見つかれば、すぐにおさらばするさ。インテグラ。」

インテグラルの苛立ちの不安に気づいたのか、アスカは満面の笑みを作って云ってみせた。
その口ぶりは本当にすぐにアスカは、フランスへ戻るつもりのように感じられてしまい、インテグラルはただ黙り込むことしかできなかった。
何故かアスカの言葉には他人を黙らせる術があった。
それはアーカードと差して変わらぬほど、生きているからかもしれない、とインテグラルはアスカを見つめながら思った。






吸血鬼は暗闇を好む。
深い深い漆黒よりも深い闇を好む。
一先ず、ヘルシング邸の地下の空き部屋に居候することになったアスカは、自らの柩をセラスと共に運んでいた。
アスカが柩の頭の部分を持ち、足元の部分をセラスが抱える。
アーカード以外の正統な血族の吸血鬼を間近に見るセラスにとって、アスカはとても興味深く、同時に恐ろしくもあった。
おっかなびっくりアスカの後ろを歩くセラスは、アスカのすらりとした後姿を眺めながら彼女は何物なのだろうと思った。
先ほどの会話を始終聞いていたといえ、分からないことばかりだ。
とそんなことを考えているとアスカからセラスに声をかけた。
アスカの声かけに驚いて、セラスは自分でも恥ずかしくなるほど拍子抜けした返事を返す。

「貴女、アーカードに吸血されたんだって?」

横目でアスカはセラスを捕らえながら問いかけた。
セラスもこくりと頷く。
するとアスカは、アイツは何を考えているんだか、と小さく呟いた。

「あ、あの。アスカさん。アスカさんはフランスの吸血鬼なんですよね?」
「プランシー家の吸血鬼。」
「プランシー家?」

セラスが問うとアスカは突然、歩むのを止めて立ち止まった。
突然のことで、思わずセラスは前へ躓いてしまう。

「フランスのコラン・ド・プランシーの由緒正しい名家よ。私はそこに憑いているの。」
「・・・マスターと同じように?」

アスカは首を横に振る。

「古い家に憑く幽霊と同じように、よ。」



インテグラルは葉巻を圧し消しながら大きな溜息を吐いた。書斎には彼女とウォルターだけが残っている。
これからどうしたものか、とインテグラルは疫病神と罵ったアスカという吸血鬼の存在に頭を抱えていた。

「困ったものだ。面倒なのが一人増えてしまった。」

頭を抱えるように椅子に座るとインテグラルは、今にもこの世が終わってしまうような気分になってしまう。
椅子の上でうな垂れていると、ウォルターが小さな笑みを作って、弱るインテグラルを哀れんだ。

「まあ、ウィネお嬢様も直ぐにこちらに向われるといいますし、そう落胆なさらくても。」
「分かっている。ウォルター。しかし・・・覚えているか?ウィネとアスカが以前、私がまだ幼かった頃だ。イギリスにやってきた時のことを・・・!」

と言いながらインテグラルは自らも二人が以前にイギリスにやって来た時のことを思い出していた。
何か思い出したのか、ウォルターも苦笑を浮かべてしまう。

「ウィネは普段どおりに破天荒極まりなかったし、アスカも・・・アーカードを止めるのに苦労したな。」

インテグラルもウォルターもきっと同じシーンを思い浮かべているのだろう。

「・・・さっさとウィネに迎えに来てもらって丁重にフランスへ戻ってもらうか。」

今すぐにでも、とインテグラルは電話の受話器を持ち、ウィネへ電話をかけようとダイヤルを押す。
ダイヤルを押しながら思い出したのか、インテグラルは押す手を止めた。

「ウォルター。シトリーという吸血鬼を知っているか?」

いいえ、とウォルターは答える。

「・・・アスカはそいつを探しているという。何故だと思う?」
「さしずめ、プランシー家の吸血鬼同士の闘争でしょう。」

フランスで取り逃がして、イギリスまで追ってきたといったところでしょう、とウォルターは続けた。
ウォルターの言葉にインテグラルも有り得るな、と思った。
アスカのことだ、追ってイギリスまでやって来たと言われても納得してしまう。

「ウォルター。仕事だ。過去にシトリーという吸血鬼の目撃情報が無いか調べて欲しい。」

止めていた電話のダイヤルを押す手をインテグラルはまた進め始めた。
シトリーという吸血鬼を早く見つけられればアスカはすぐに帰るといっているし、インテグラル自身もシトリーという吸血鬼が気になってしまった。
アスカが求める吸血鬼とはどのような男なのだろうか、と。
仕事を任せられたウォルターは手を胸に当て、一礼する。
とぅるるると電話はウィネを呼んでいる。
もう一度、ウィネと電話が通じたのは日付が変わった後のことだった。





「幽霊・・・?」

アスカの言葉にセラスは首をかしげた。
セラスにとって人間に仕える吸血鬼はアーカードしか見たことが無く、アスカのように幽霊のように憑くという吸血鬼を見るのは初めてで、セラスにはアスカの言葉が理解できずに居たのだ。
アスカはまた歩き出す。
セラスもまた慌てて歩き出した。

「さっき、アスカさんは100年間、血を飲んでいないっていいましたよね?」

セラスは続けてアスカに問いかけた。
アスカは歩きながらもこくりと頷いた。

「私、まだ血を飲んだことがなくて。出来れば飲みたくなくて。飲まなくてもいい方法があるのなら教えて貰いたいんです。」

ひょっとしたらアーカードのように怒られるかもしれない、罵られるかもしれない、とセラスはびくびくさせながらアスカに問う。
しかし、アスカはセラスの言葉にからからと笑ってみせた。

「いいことを教えてあげる。セラス嬢。」

前を先に歩むアスカの背中が揺れている。

「人が人でなくなる理由は、化け物になるという理由一つだけではないわ。」

アスカは前を見たまま、続ける。
表情は見えないが、セラスにはアスカが笑っているように思えた。

「人は痛みを忘れた瞬間に人ではなくなる。肉体的な痛み。精神的な痛み。それらを痛いと感じなくなった瞬間に人は人ではなくなる。たとえ、身体は生身の人間であったとしても。」

「人間はどうやって痛みを癒し、闘い続けるか考える種族。痛みを痛いと感じなければ、癒し闘うなど考えられない。となると人間は人間と呼べなくなってしまう。つまりだな。逆を辿れば、たとえ化け物だとしても、痛みを痛みと感じることができ続ければ、人間であるのかもしれないってこと。」

アスカが振り返る。
やはりセラスが思ったとおり、口元には笑み浮かんでいた。

「残念ながら、今の貴女には吸血を我慢することなどできないわ。吸血鬼にとって吸血は生理的欲求。たとえ吸血鬼といえども、生理的欲求を抑制するのは我慢しかないもの。ましては、今、貴女は吸血鬼として生まれたばかりの赤子の様なもの。赤子が母親からの母乳無くして生きていけるかしら。」

セラスはアスカの言葉に首を横に振る。
生まれたばかりの赤子が母親の母乳から逃げるということは死を意味している。
ならば、アスカは我慢してきたのだろうか。
100年間もの間。
セラスは自分がアスカに否定されたと分かると、肩を落とした。

「・・・吸血をすることを痛みと考えられているうちは、貴女は人間なのかもしれない。」

アスカは笑みを崩さず、後を歩むセラスに向い、私の部屋はここなかな?と問いかけた。
インテグラルがアスカに支給した部屋はアーカードの部屋と反対方向のはるかに遠い部屋だった。
セラスと部屋が近い。
肩を落とすセラスがアスカに頷くのを確認すると、アスカは支給された部屋の扉を開いた。

「・・・アスカ、待っていたよ。」
扉を開くと、窓一つ無い部屋がそこにある。
部屋には簡易な家具と机と椅子しか無く、生活感は何一つも感じられない。
扉をあけたまま、アスカが動かなくなってしまったので、セラスが思わず前を覗き込んでしまった。

「マスター・・・!」
「アーカード・・・貴様!」

アスカの部屋でアスカを出迎えるべく、アーカードが椅子に座り不敵な笑みを浮かべて待っていた。
自らの主が居るのでセラスの声は明るいが、アスカにとっては嫌な吸血鬼なのでみるみるうちに顔が引きつってゆく。
部屋の入り口でアスカが踏みとどまっていると、アーカードからアスカの元へ歩み寄ってきた。
すたすたと歩み寄るアーカードにアスカは後ずさりしたいが、後ろにセラスと柩があるために逃げることができない。
それが分かっているアーカードは口角をあげると、あっという間に柩に手を掛けてアスカに覆いかぶさるように見下ろした。
ただならぬ雰囲気に居づらくなったのはセラスである。
主であるアーカードは今にもアスカを取って喰いそうであるし、アスカも今にもアーカードと一戦交えそうなほど睨みつけている。

「婦警。もういい。もう戻れ。」

困り果てたセラスに気づいていたのか、またはセラスの存在が要らなくなったのか、アーカードが云う。
あ、そうですか、と居づらいこの場から逃げ出す絶好のチャンスにセラスは柩を床に置き、そそくさと逃げ出してしまう。

「こら、待て!セラス!私を置いていくな!」

セラスの背中に声を上げるがもう遅い。
アスカはアーカードの手中に収まったまま身動き一つ取れない。

「カンオケを中に入れるか?それとも、先に私に血を吸われるか?」
「カンオケを先に中に入れる!血も吸われない!」

覆いかぶさるアーカードを払いのけるとアスカはずるずると柩を部屋の中に引き摺って入れた。
部屋の扉が閉まる。
アーカードが締めたのだ。
「吸血鬼同士で血を啜りあって何が楽しい?何に興奮しろと?ふざけるのも大概にしろ。」

持ち運んだ柩を整えながらアスカは眉間に皺を寄せて言った。
暗がりの中でも白いアスカの柩は灯りも無いのに薄っすらと輝いて見える。
背後に気配を感じる。
アスカは慌てて向き直ると、正面に紅があった。
アーカードだ。

「ほお、私は楽しいがな。お前のその白い首筋に牙を立て、苦しみ、悶え喘ぐアスカの姿を見るのは、いくら吸血鬼の血は反吐の味がしようともとても興奮する。」

金髪を掻き分けてアーカードがアスカの白い首筋をゆるりと撫でた。

「変態が。」
「ふん・・・、貴様も大概変態だがな。」

ぎろりと睨むアスカに対して、アーカードは何を考えているか分からない視線をアスカに向けていた。
自分の首筋に触れるアーカード手を払いのけようとするが上手くいかない。
逆にアーカードに手を握られて引き寄せられてしまう。

「先ほどセラスに面白いことを言っていたな。人は痛みを忘れたら人ではなくなる、と。」
「盗み聞きか・・・?」
「ならば、私もお前も、生れ落ちた瞬間から人では無くなっていたということだな。否、腹の中に居たときから人ではなかったのか・・・?」
「もはや、遥か昔のこと。それに貴様に私の何が分かるというのだ。」

抵抗するアスカを力ずくで押さえつけ、引き寄せた手を指をぴちゃぴちゃと舐める。
まるでその姿は狼が獲物を貪り食うような姿だ。

「何も分からない。だから私はお前に惹きつけられるのだ。お前の闇に惹きつけられるのだ。100年間、吸血を拒み続けているドラキュリーナ。」

アスカの闇。
アスカの過去。

「お前は何者だ?お前の闇はいったい何なのだ。」






to be continued...
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