Grimoire
第十六話 J.Collin De Plancy・2:コラン・ド・プランシー・2






父親にずたずたに切り刻まれてしまった聖書を俺は未だに大切に持っている。

神を捨てろ。
主など捨ててしまえ。

と言って彼は俺の聖書をずたずたにナイフで切り刻む。
その背中は振るえ、涙を零しながら聖書を切り刻んでいたのを俺は覚えていた。
それは俺がまだ餓鬼だった頃の話し。
幼かった俺はその時、漠然とした未来と宿命に震え上がることしかできなかった。





「ついたぞ。」

とコランに声をかけられ、アスカは目を覚ます。
気がつけばすでに夜になっていた。
朦朧とする意識の中、アスカはコランを探す。
コランは馬車から先に降り、アスカ側の籠の扉を開いて待っていた。
黒いマントをアスカは引き摺って彼の元へ、彼の差し伸べる手を取る。
するとぐっと引っ張られ、アスカは籠の外へ出た。
マルセイユ。
海に面した港の街。

「マルセイユにようこそ。」

口角を上げて笑うコランの顔をアスカはじっと見つめた。
マルセイユは港によってとても豊かな街だ。
アスカが生まれた北仏とは大違い、ましてはロワール地方とも比べものにもならなかった。
日が暮れ、夜を迎えようとしているのにも関わらず、街の活気は損なわれていない。
それどころか、皆が活き活きとし、誰もが笑顔に溢れていた。

「マルセイユはいい街だろう。吸血鬼には住みづらい街かもしれんが、なに、お前ならすぐに慣れるさ。」
「吸血鬼には住みづらい?」

アスカの問いかけにコランは静かに頷いた。

「金がある人間は道楽を好む。道楽を好む人間は噂話を好む。怪奇事件があればすぐに噂の種さ。だから、誰もが吸血鬼の知識を持ち、弱点の知識を持っている。吸血鬼には住みづらい街さ。」

馴れ馴れしく、コランはアスカの肩に手を掛けた。
アスカはびくりと肩を揺らし、コランを睨んだ。
しかし、彼は未だに口角を上げて笑っている。

「馬車へ戻ろう。俺の仕事場はここらまだ距離があるんだ。」

コランはアスカを吸血鬼としではなく、一人の人間として扱う。
それも一人の女として。
その扱いにアスカはまた戸惑い、ただコランについて行くことしか出来ない。
コランはアスカを連れて、自らの仕事場へ案内した。
その仕事場は街から離れた山の近くにあり、とても静かな場所に建って居た。
一つの家族が充分に生活できるほどの一軒家。
玄関から入れば、応接間があり、リビング、キッチン。
アスカはその部屋を案内されるたびに驚いたように目を見開いた。
コランは最後の部屋を案内する。
地下室だった。
ここが彼云う仕事場であり、アスカが暮らす部屋であった。

「ここが俺の仕事場だ。そして、お前の部屋もここ。」

地下室の仕事場はとても暗く、普通の人間ならば気味悪く近寄りがたい雰囲気に満ち溢れていた。
壁にはびっしりと本棚が並んでおり、とても古い本から新しい本まできっちりと片付けられている。
本棚に入りきれない本は床に積み重なり、埃も少し積もっているようだった。

「お前の柩は明日の晩までに用意させておく。」

コランは適当にソファーの上を片付けると、アスカをその上に座らせた。
その際、ソファーの上に乗っていた荷物は適当に床の上へ。
ソファーに備え付けられているテーブルもとても汚く、食べかけのパンはカビが生え始めている。
テーブルの上に積み重なって置かれている本。
それをアスカは手にとって興味深く眺めた。
それは著者名が彼の名前だったからである。
コラン・ド・プランシー著

「じごく・・・の、じてん?」
「地獄の辞典だ。」

地獄の辞典。
コランは口角を上げて笑う。

「云っただろう俺は小説家だと。魔道書はバチカンのため。小説は大衆の娯楽のため。」

ぱらぱらと彼が書いた本を捲ると、気味の悪い挿絵と文章が羅列され、こんな本のどこか面白いのかと疑ってしまう。
しかし、この本は結構、世間受けが良かったらしくコランは楽しそうに自慢する。
コランは自分の書斎机の椅子に座ると、今度は真剣な眼差しでアスカを見つめた。
その姿にまたアスカは驚く。

「俺はここで昼夜問わず、バチカンのために魔道書を書き綴っている。それが俺の仕事だ。プランシー家の仕事。手の血豆が破れて血が紙を汚そうとも、俺は筆を止めることは許されない。」
「そんなに魔道書はカトリックに必要なものなのか?」
「ああ、必要さ。だが、本当に必要としているのはバチカンだ。」

コランの書斎机の上はとても荒れていた、魔道書と思われる本がたくさん積み上げられ、紙とペンとインクが暴れ回ったようにあちらこちらに散っている。
一体、どんな書き方をしたらこんなに荒れるのか、アスカには想像がつかなかった。

「魔道は悪魔の力を借りて神と同等の力を手に入れる禁術だ。使い方によっては明日ある未来も知ることができるし、世界を滅亡させることも可能になる。」

コランは一冊の魔道書を取り出してアスカに投げる。
アスカはそれを受け取るが、魔道書はとても埃臭く、アスカは顔をしかめた。

「その魔道書はドジアンの書。俺の親父と俺で書き上げた一冊だ。魔道書にはあらゆる魔道の禁術が書かれている。それをまとめられるのはプランシー家だけなんだ。」

悪魔に魂を売った、プランシー家。
呪われたプランシー家。
コランは笑いながら言うがどれも笑える話は一つも無い。

「プランシー家は主に愛を捧げる代わりに、悪魔に魂を捧げ、それが主への忠誠心に繋がると教えられている。」

コランの言葉をアスカは思い出す。
自分の夢は神父になることだと。
彼の夢は主に愛を捧げることだったのに。

「バチカンは魔道の力を欲している。ずっとずっと昔からだ。俺とお前が生まれるずっと昔から。」
「神の代弁者であるはずなのに?」
「代弁者で居るためには力が必要だからな。」

やはりアスカには神父という人間が好きにはなれなかった。
コランの話を聴けば尚更、嫌いになる。

「だからバチカンはプランシー家を欲する。魔道書を扱え、魔道書を綴れるのはプランシーだけだから。」

何を思いついたのか、コランは手を叩いて椅子から立ち上がる。
彼にまたおどけた表情が戻ってくる。
その姿をアスカは呆気に取られながら追う。

「アスカ。文字の読み書きはどの程度できる?」

突然の問いかけにアスカは目を丸くしてぽつりと答えた。

「少し。生活に困らない程度に、少し。」
「ああ!それでは駄目だ。」

コランはまるで世紀末が来たかのように落胆してみせると、アスカの前のテーブルに本棚から引き出した本を積み重ねていった。

「お前はこれから文字の読み書きを完璧にマスターしろ。どんな場所に出ても恥ずかしくないほどの知識を持て。」

それで本を読めということか。
アスカは積み重なる本を眺めつつ思った。

「まずは餓鬼が読む程度の本から。読み終わったら感想文も書け。」
「感想文?ふざけるな!」
「恋文でも俺は構わんよ?」
「お前は本当に阿呆だな!」

アスカの反応にコランはからからと肩を揺らしながら笑った。
その姿にアスカは口を尖らせて怒る。
その姿すらも面白いのか、コランの笑いは一向に落ち着く素振りを見せない。

「アスカ、紅茶を入れてくれ。」
「私は紅茶など飲まん。」
「なら紅茶を淹れる練習だ。」

本当にこの男はアスカを馬鹿にしている。
少なくともアスカはコランよりも年上であり、彼よりも経験が豊富のはずだ。
しかし、それなのに気づけば彼の雰囲気に呑まれてしまっているではないか。
アスカは頭を抱えることしかできない。

「俺に美味い紅茶を淹れてくれ。アスカ。」






『1830年4月27日。くもり。マルセイユに帰還する。マルセイユは吸血鬼には住みづらい街だ。なぜならば、彼らは古い街の繁栄から人間と化物の見境をつけるのが上手いからだ。知識と対処法を心得ている。アスカにそれを教えてやらないと、自由に街も歩けないだろう。しかし、彼女ならば時期に街にも慣れ、大丈夫だろう。アスカはとても聡明な、まるで人間の様な吸血鬼なのだから。』





ピアノの音色でアスカは目を覚ます。
コランから与えられた真新しい柩の蓋を開けて、部屋を覗くと居るはずのコランの姿が無かった。
ピアノの音色につられるようにアスカは柩を出て、部屋を出る。
地下から地上へ昇ると、外は朝だった。
小鳥が囀り、窓の外は薄っすらと霧が掛かっている。
ピアノの音色はリビングからだ。
コランが居た。
朝の気持ちのよい日差しを浴びながら、コランはピアノに向い器用に音楽を奏でていく。
彼にこんな特技があったのかと、音色に耳を傾けているとアスカの存在に気づいたコランが声を掛けた。

「すまん、起こしてしまったか。」
「お前にこんな特技があったのか。」

コランは再び、ピアノを奏で始める。

「昔は作曲家になるのが夢だったんだ。」
「嘘を吐くな。神父だろう。」

奏でながらコランはからからと笑った。
大きな身体には似合わないほど器用にコランはピアノの鍵盤を叩いてゆく。
それが面白くてアスカはじっと鍵盤と彼の指先を眺めていると、視線に気づいたコランが演奏を止め、席を立った。

「座れ。教えてやる。」

アスカの腕を引っ張って、コランは無理やりアスカを椅子に座らせた。
白と黒の鍵盤がアスカの前に。

「私はピアノなんて弾いたことが無い。」
「だから教えてやると言っている。静かに鍵盤と向き合え。」

後ろからコランはアスカの手を取って、彼女の白い掌を鍵盤の上に導いた。
アスカは眉間に皺を寄せながらコランの言ったとおりに鍵盤に向う。
とても可笑しな光景。
吸血鬼が人間にピアノの弾き方を教わるなんて、アスカは夢にも見たことが無かった。

「ここがドで、ここがラ・・・」

とアスカの耳元でコランは真剣な表情を浮かべて教えてゆく。
必要以上に身体同士の距離が近い。
アスカは困惑した表情を浮かべていると、後ろからコランに頭を叩かれた。

「お前は本当に餓鬼だな!」
「お前が近すぎるのが悪いのだろう!」
「意識する方が馬鹿だ。」
「コラン!貴様!私のことを餓鬼と云ったな!?云っておくが私は貴様よりも200歳も年上なんだぞ!」

アスカは鍵盤を叩く。
するととても頭が痛くなるような音がピアノから零れ、何かが割れそうな音を奏でた。
朝に似合わない音楽。

「ピアノなんて止めだ!止め!こんなことをして何になる!!」

ピアノから立ち去ろうとするアスカをコランが腕を掴み、引き止めた。
そして無理やりまた椅子に座らせる。
怒るアスカはコランに牙を見せるが、彼が怖気づくことは無い。

「ピアノを弾けアスカ。」
「厭だね。」
「駄目だ。弾け。お前には道徳が必要だ。」

コランの言葉にアスカは黙り込む。

「大丈夫。俺が教えてやる。」

ぽろん。
ぽろん。
とたどたどしい音色がピアノから零れてゆく。
アスカはコランに従い、ピアノを習い始めたのだ。
お世辞にも美しいとは云えない音色。
それでもコランは楽しそうにアスカにピアノを教えた。

「お前は餓鬼と一緒だ。まだまだ知るべきことが沢山ある。」

コランはアスカのことを餓鬼、餓鬼と云う。
それは今回だけではなく、毎回のことだった。
顔を見合わせれば餓鬼と言う。
アスカの方が何十倍も年上であるのに。
どうしてだ、と問いかけても彼は、どうしてだ、と聴くところがまた餓鬼なんだ、と答えるだけである。
コランはアスカにとってやはり未知な存在であり、何よりも彼をアスカは信頼していた。





『1830年8月29日。晴れ。アスカは焦り始めている。自分の望みをいったいいつ叶えることができるのか。私との約束をいつ叶えられるか、その答えを待っている。しかし、思っていても彼女は口には出すことは無い。何故かと考えたが、やはり彼女は私のことを信頼してくれているのでは、と考える。私も彼女を裏切るつもりは無い。それが契約というものだ。明日から彼女と怪奇事件があった街へ向う。馬車の準備をアスカにさせなければ。』










to be continued...
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