Grimoire
第十五話 J.Collin De Plancy・1:コラン・ド・プランシー・1






『1830年4月21日。曇り。本日、討伐隊の拠点地へ着いた。ロワール地方を北へ向った場所に通称・死の丘がある。死の丘とはバチカンの異端審問官たちが勝手につけた愛称らしいが、その死の丘に例の吸血鬼がいるらしい。驚くことにその吸血鬼はドラキュリーナだという。私の興味を引く話ばかりでとても楽しい。』

『1830年4月22日。雨。死の丘へ討伐隊の一部を送り込むことになった。誰もが云う。彼らは帰ってこないだろう、と。片道切符を渡された神父たちの表情はとても暗い。励ましてやりたいが、部外者である私にできることは少ない。私ができることは彼らが帰ってくることを祈るだけだ。』

『1830年4月23日。雨。昨日に続き雨が続く。やはり昨日に送った討伐隊は帰ってこなかった。とても悲しい。だが、バチカンの討伐隊を諸共しないドラキュリーナにとても興味が湧く。どんな女なのだろうか。とんでもない怪物かもしれない。兎にも角にも明日の討伐隊の出陣に私も着いていくことになった。ひょっとしたら今日の日記が最期になるかもしれない。今晩は早めに寝よう。』






炎に包まれながら神父共は死んでゆく。
アスカはそれを呆然と眺めていた。
空の雲はどんよりと重たい。
まるで鉛の空だ。
自分を殺しにきた神父どもに何の慈悲も無く、アスカは炎で燃やし続けた。
この60年間でいったい何人の神父を殺してきたのだろう。
すでに数えることを忘れたアスカには想像もつかないほどの人数だった。

「どいつもこいつも阿呆な奴等ばかりだ。」

アスカは死に逝く神父たちを眺めながら呟いた。
最初のうちは神父殺しも楽しさがあったが、流石に半世紀以上も闘っていれば、楽しさも怒りもどこか遠くへ行ってしまう。
アスカにとって神父殺しは生活の一部と化していた。
最後の一人をアスカは喉に噛み付いて殺す。
まるで獣が獲物を捕獲するようにアスカは喰らいつき、噛み殺した。
ただ死んでゆく神父をアスカは静かに眺め、血を啜る。

「こりゃあ、ひどい。」

そこに神父の生き残りが居た。
バチカンの神父のようだが、討伐隊の審問官たちとは少し服装が違う。
アスカは目を細め、そいつを睨んだ。
その姿は60年前にフリアエを審問にかけた神父・ジョヴァンニにとても似ていた。
思わず、その姿を思い出して目の前の神父に殺意を覚えてしまうほど。
アスカは奥歯を鳴らし、その神父と向き合った。

「アンタが噂のドラキュリーナか。」

男は口角を上げて笑った。
その男は明らかにアスカが今まで殺してきた神父とは違い、ただのバチカンの狗とは思えなかった。
男はコートに手を突っ込んで、白い歯を出して笑った。
何が楽しいのか。
アスカは男を睨む。

「死の丘か。あいつらも良いネーミングを宛てる。こんな丘、俺は初めて見る。」

アスカは吸血鬼だ。
しかも神父たちを無作為に殺す恐ろしい吸血鬼だ。
それなのに、男はどこも恐れる素振りを見せずに、からからと笑う。

「神父共の骸の山に、無数の墓標。本当に死の丘だ。」

男はアスカに構うことなく、笑う。
彼の言うとおりに丘は神父の骸の山と無数の墓標が辺りを埋めていた。
男の笑い顔、笑い声、すべてアスカの勘に障る。
アスカは姿勢を低くし、男に飛びつく。
殺される。
男は悲鳴をあげると、両手を広げてばたばたと宙を掻いた。

「ま、待ってくれ。俺はアンタと闘うつもりはないんだ!」

見てくれ!武器なんざあ、持っていないだろう?
男は必死にアスカを制止させる。
今までに居ないタイプの神父にアスカは拍子抜けしてしまい、困惑した表情を思わず浮かべてしまった。

「自己紹介が遅れた。俺の名前はコラン・ド・プランシー。世界中の逸話を集めている小説家だ。」
「カトリックの神父なのに?」

アスカはコランを睨んだ。
その眼差しはまるで街の端に住み着く野良猫のようだった。

「俺は神父じゃあない。」

その殺意に満ちた眼差しを浴びながらもコランは臆することなく、アスカに対して口角を上げて笑い続けた。

「ここの墓標はお前が?」

無数の墓標はどう考えても人の成せる量ではなかった。
ざっと見ただけで300百以上の墓標が埋められている。
そして、一人ひとりの墓標に一人ひとりの名前が丁寧に刻まれ、手入れされていた。

「666の女たちの墓標だ。皆が魔女と汚名をかけられ、処刑されていった。しかし、実際に超能力を持った人間は半数も満たない。殺された大半がただの人間だった。」

不思議だった。
口が堅く、心を開かないアスカがコランには不思議と語る。
話さなくてもいいことを彼に自然と話してしまう。
そして戸惑う。
危険だ。
それは危険な行為だ。
コランはアスカの話を聴くと、何を思ったのか666の墓標の前に向った。
そして一つ、一つの墓標に祈りを始める。
その姿にアスカは驚く。
魔女裁判を先行して行っていたバチカンがまさか魔女裁判で殺してきた女たちに祈りなど捧げるとは思っていなかったのだ。
神父が魔女に祈りを捧げるなど思っても居なかった。

「どうして・・・」

アスカはコランの背中に戸惑った。
背中を小さく丸めて、コランは祈りを続ける。

「どうしてだ!離れろ!貴様の様なバチカンの狗が、彼女達の前に立つな!!」

この男を、この現状を、すべてを、否定してやりたい。
怒り狂ったようにアスカは、コラン身体を墓標から離そうと手を伸ばて墓標から引き離し、祈りを中断させる。
アスカはコランを睨む。
そしてコランもアスカを睨んだ。
鋭い眼光だった。

「お前がこの墓標を66年間かけて作ってきたのか?」

コランは静かに問いかけた。

「辺りの処刑場を廻り、女たちの遺体を集め、ここに埋めてきたのか?」

今、ここで人間を殺すことなど吸血鬼には容易いことだ。
喉を掻き切って、首の骨をへし折って。
でもそれがアスカには出来なかった。
身体が動かない。
麻痺したような感覚。

「一つひとつの墓標に名を刻み、一つひとつの墓標を手入れして。」

コランはアスカの手を払いのけた。
吸血鬼の手は簡単に宙を掻いた。

「いつまで、こんなことを続けるつもりだ?吸血鬼。」

胸倉を掴まれる。
今度はコランがアスカの胸倉を掴み、振り回した。
呆気にとられたアスカは、久しぶりに地面へ押し倒されてしまった。

「いつまでだ!いつまで殺戮を続ける!」

怒声が辺りに響いた。
コランはアスカの胸倉を抑えたまま、動きも抑え込む。

「よく見ろ!吸血鬼!討伐隊は神父になったばかりの若造ばかりだ。こいつらにお前など殺せるはずがない。それなのに殺戮を続けて、お前の何になる?」
「奴等は未だに魔女裁判を続け、女共を殺している。それが若造であれ、放って置けるものか。」

アスカはコランの怒声に対して淡々と答えた。
胸倉を掴まれてこそいるが、本気で抵抗すれば、コランなど簡単に殺せたかもしれない、しかしアスカの考えの中には彼を殺すなどという言葉は浮かばなかった。
初めて対峙するタイプの人間。

「向ってきたものを殺す、それが誰であれ、何であれ。」

コランは首を横に大きく振る。

「それでは何も始まらないし、終わりもしない。それでは駄目だ!」

言葉を放ったコランは真剣な顔でアスカを見下ろす。
二つの眼光がアスカの身体に刺さり、心臓にちくりちくりと刺さってゆく。
アスカは暴れた。
心が二つの眼光に暴かれる気がしてならなかった。
しかし、そえは肉体的な暴力を振るわれたわけでも、精神的な暴力を振るわれたわけでもない。
今のアスカにはコランに対して恐怖がひしひしと爪先から脳天まで責め上げ、本能で彼から逃れようとしていた。
だが、コランはアスカを力でねじ伏せて地面へ押し戻す。
そしてコランは続ける。

「吸血鬼。最初の数年はどうだか知らんが、すでにバチカンはお前に興味など持っていない。奴等の標的は別にある。それでも、お前はカトリックが滅ぶまで闘うつもりか。」
「ああ、そうだとも。私はここを守らなければならないのだ。ここは魔女の墓場だ。ここは魔女たちが居ることを許された場所だ。だから私はここを守る。」
「現実を見ろ!!」

コランは声を押し出しながら呟く。
その表情はとても切なげであり、とても儚くアスカには思えた。
そしてそんな彼を前にしてアスカも心の中でどうしてだ、と叫び続ける。
アスカの胸倉を掴む手をコランは緩めた。

「吸血鬼。すでに時は刻々と動き流れている。魔女裁判も100年や200年前にくらべ、衰退を続けている。時期に人々の意識から失われることだろう。それでもお前は闘うというのか。それでもお前は戦い続けるというのか。」

俺は許さない。
俺は絶対にそれを許さない。

「それは無意味な戦いだ。死者のために闘っても彼らが報われるはずがない。」

鉛の雲に切れ目が走り、光が漏れている。
それをアスカはコランの向こう側に見た。
とても綺麗な景色だった。

「お前は何のために此処へ来た。何が目的でここへ。」

コランはアスカの問いにやっと胸倉から手を離す。
そして立ち上がり、アスカを見つめた。

「俺はお前をここから引き離しに来た。それは、ここはお前が居続ける場所では無いからだ。」
「・・・何を言って―――」
「魂は呼応する。」

コランははっきりと口を開き言った。
立ち上がった彼はアスカを上から見下げ、アスカは下から彼を見上げる。
彼の背には、神々しいほど眩い日差しが雲の切れ間を縫うように差し込んでいた。

「お前の魂は俺の魂を求めている。お前の魂が俺をここへ呼んだのだ。」

と真剣な眼差しで言ってのけるコランの瞳はどんな者よりも熱い炎を宿していた。
轟々と燃える炎をアスカは彼の眼差しの中に見る。
しかし、アスカは厭厭と首を横に振り、彼の存在と言葉を否定した。
否定しなければならなかったのだ。

「何を寝ぼけたことを。私の魂は200年も前に殺されている。私は不死者だ。魂など宿しては居ない。」
「それはどうかな。」

風が吹く。
それは神風に違いない。

「お前は悲しみ、怒り、死者に対し弔いの念を持っている。それは愛情もに似ているものだ。」

それを魂と呼ばずして、何と呼ぶ。
お前の左胸には冷えた心臓だけではなく、熱を燈した魂を抱えているはずだ。

「選べ、吸血鬼。この地を捨て未来へ賭けるか、この地に留まり過去に朽ちるか。」

彼の背に太陽がある。
神々しいほどの太陽がそこにある。
いつから太陽を見つめることを忘れてしまったのか。
いつから太陽の神々しさを忘れてしまったのか。
それはあの業火に燃やされたあの晩。
吸血鬼は悲鳴にも近い声を上げた。
否定をしなければならない。
彼の言葉を否定しなければ、今までの66年間が報われなくなってしまう。
だが、彼の言葉と眼差しは充分に信頼に値するものだった。
しかし、アスカは吸血鬼だ。
何百人もの人間を殺してきた吸血鬼である。
彼の言葉をそのまま受け入れられるはずがない。

「俺は幼い頃、神父になるのが夢だった。だが、父親に聖書を取り上げられ、代わりに魔道書を持たされた。俺の運命はその時に決まり、その運命は俺の本望となった。」

コランは淡々と続ける。

「俺は神の代弁者でも神の意の代行者でも無い。俺は悪魔の代弁者であり代行者だ。」

アスカは彼の姿に見た。
彼の姿に。
彼の神々しいまでの姿に。

「俺と共に来い。さすれば俺がお前の望みを叶えてやる。そして俺の望みを叶えろ。」

俺の望みは闇を見ることだ。
人間の目では見えぬ闇を。
そして闇の中から真実を見ことだ。

「ならば、お前の望みは・・・?」

コランは問う。
問いの答えにアスカは戸惑い、押し黙ってしまった。
答えはすでに己の中で明白なものであった。
それは、ずっとずっと昔に奥へ仕舞いこまれた望みでもあった。
己の望みを前にアスカは目を閉じて戸惑う。
フリアエ。
歌声。
愛おしい君。
業火。
燃える。
悲鳴。
己を庇う母親。
母親の笑み。
失われた魂。
すべてを取り戻すことができたらどんなにいいだろう。

「答えろ、アスカ!!」

この世の神の存在などアスカは信じていない。
それは一度たりとも、神に救われたことなどなかったからだ。
神はこの世に存在しない。
この世に存在するのは憎悪と悲しみと一握りの愛情であり、それらを産むのも殺すのも人の心だ。
アスカはそれを良く知っている。
だが、もしこの世に神が存在すると仮定するならば。
この男のような者を神というべきなのではないか。
アスカは漠然とする現実を前にただ思った。

「私の望みは、私が願っていることは―――・・・」

風が吹く。
神風がすべてをなぎ倒し地獄の炎すらも消し去ってゆく。

「いいだろう。その望み、俺が叶えてやる。俺がお前を救ってやる。」

コランはアスカに手を差し伸べた。
吸血鬼は戸惑う。
戸惑い、コランの手と彼の瞳を交互に見合った。
この手を取るということはこの地を捨てるということだ。
この地を捨てるということは、今までの66年間を忘却へ捨て去るということだ。
しかし、この先の未来にアスカの望みと、彼女が生きた200年間の答えがあるというのならば。
彼の瞳は自信に満ちている。
アスカはじっと蒼い瞳で男を見つめる。
その男は神父でありながらも神父ではなく、悪魔でありながらも悪魔ではない。

「私の名前はアスカ・レメゲトン。」
「ああ。知っているさ。ソロモンの小さな鍵よ。共に行こう。お前の苦しみも悲しみも憎悪もすべて俺が背負ってやる。お前の生きた200年すべてを俺が背負ってやる。」

アスカはコランの手を取った。
それが始まりだった。
それが終わりへの始まりだった。
彼女はもう一度、人間と交わろうとしたのだ。
フリアエと出会った時とおなじように。

「南仏へは?」
「まだ一度も。」
「そうか。だがすぐに気に入るさ。マルセイユはいい街だ。」

魂は呼応する。
しかしアスカは何故、コランがここまで自分に良くしてくれるのか分からずにいた。





『1830年4月25日。晴れ。これからマルセイユへの帰路へ向う。共に向った討伐隊は居ない。帰りは一人だ。しかし、独りではない。隣には吸血鬼が居る。この世に運命と宿命があるというのならば、彼女の運命も私の運命も宿命という名で交わっているのだ。後悔はしない。すべては魔道書の導きどおりに。』









to be continued...
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