Grimoire
第十三話 Picatrix:ピカトリクス
「私は云おう。貴様に。」
結界内をひしめく食人鬼たちが燃えてゆく。
熱に解けてゆく。
それをシトリーは舌打ちをしながら見つめた。
アスカは口角をあげる。
「お前に私を倒すことはできない。」
急激な速さで傷口が再生してゆく。
溢れた血が身体の中に戻ってゆく。
光る蒼い二つの瞳。
闇がそこに居る。
アスカはにやりと笑った。
「こんなに食人鬼を呼び出して。お前はまったく今まで何人の野郎共を食って来たんだい?」
轟々とアスカの残り火は無数にひしめく食人鬼たちをもやしてゆく。
鴉が鳴く。
かあかあかあとざわめき啼く。
「だが、そのお前の食人鬼どもはもう居ない。」
塵は塵に。
燃えては灰に戻るだけだ。
アスカの炎がすべてを飲み込んでいった。
すべてを灰へ。
「ここからが本番だ。決着をつけよう。すべてを終わりにしよう。お前の絶望、孤独、憎しみ、すべてを私が引き受けよう。」
ぎりぎりとシトリーが奥歯を鳴らす。
漆黒の黒い瞳が痛いほど鈍く輝く。
彼の中にはアスカへの殺意しか存在しない。
アスカを討伐へ向ったときの殺意そのものをずっと秘めて、200年間、今まで生きてきた。
彼はあくまでも異端審問官なのだ。
吸血鬼でありながらも神父なのだ。
自らを異端へ陥れたアスカが憎くてたまらない。
同胞を殺し続けた吸血鬼が憎くてたまらない。
「お前に運命を打破できる意志があるというのならば、私は甘んじて死を受け入れよう。」
アスカは魔方陣を描く。
シトリーは再び舌打ちをし、口笛を吹く。
するとざわざわと無数の鴉が彼を取り囲んだ。
「だが、運命はお前に死を宣告している。お前に宣告された死を打破する意志が備わっているのかな?シトリー・コルボノワール!!」
「・・・またか、まだお前は運命、宿命を信じているのか。それはただの幻想にしかすぎない!」
無数の鴉が一斉にアスカへ向ってゆく。
コルボノワール。
それは鴉。
シトリーが飛ぶ。
剣を持って鴉が舞う。
剣は審問官の証。
「私を殺しにおいで。」
アスカは剣を抜く。
飛ぶ火花。
二人の剣は交わり、アスカの羽が辺りに舞った。
黒い羽が彼らの闘争を彩ってゆく。
「殺してやる。殺してやるよ。お前が殺してきた人間の分だけ殺してやる。」
中段の剣がアスカへ向う。
しかし、アスカはそれを刃で受け止めると跳ね返し、それを下段から切り込んだ。
それをシトリーは身を翻し、避け、アスカの間合いの外へ。
だが再び、間合いの中へと踏み込んでゆく。
構えは下段。
剣が走り、また交わる。
「俺の200年の絶望、孤独、憎しみ、すべてを受け入れてくれるのだろう?受け止めてくれるのだろう。」
アスカがシトリーに力負ける。
一瞬、アスカの身体がよろめいたのだ。
ここだ、と言わんばかりにシトリーは口元を綻ばせ、アスカを蹴り飛ばした。
「運命?宿命?それが何だ。それは幻想だ。お前は此処で死ぬ。それは俺がここで貴様を殺すからだ。」
剣を持ち替え、シトリーは剣をアスカの胸めがけて投げた。
鋭く尖った剣はそのまま吸い込まれるようにして、アスカの左胸に突き刺さり、アスカの身体を持っていくように廃墟ビルの壁に突き刺さった。
飛び散る十字の血。
ごぼっとアスカは血を吐いた。
ぴくりとも彼女は動かない。
「お前は此処で死ぬんだ。死ぬんだよ!!!」
ねえ、アスカ。知っている?この花の名前。人は一人では生きていけないわ。群れないと生きていけないのよ。貴女の嫌いな群れでないと。その文字はねえ、こうやって書くのよ。貴女は貴女よ、誰が何と云おうとも。アスカ、だから笑って。
―――100年間だ。100年間、吸血の欲求を我慢し、100年間に渡って出現する72の悪魔の名を司る吸血鬼共を殲滅し続けろ。そうすれば、お前は魔女になれる。―――人間に戻ることができる。
光る二つの蒼い瞳。
伸びる、アスカの腕。
その腕はシトリーの首元を捕らえた。
シトリーは目を見開き、絶句する。
闇がそこで蠢いているのだ。
がたがと脚が振るえ、がちがちと歯が鳴る。
「私は死なん。私は死ねない。」
アスカの腕を貫く剣がみるみるうちに灼熱の熱で解けてゆく。
銀の聖剣が溶けてゆく。
「・・・お前は何なんだ。お前は・・・」
アスカのもう一本の腕がシトリーを掴み、そのまま壁に押し付けた。
また腕が伸びる。
また腕が。
闇がシトリーの五体の自由を奪ってしまう。
アスカの足元に魔方陣が生まれ、粉塵が舞った。
ぐるぐると魔方陣は回転を始め、輝き始める。
アスカは笑った。
高らかに。
そして尖った牙を剥き出しに。
闇がシトリーの目の前に居る。
それはどんな暗闇よりも暗い闇。
絶望と恐怖と憎しみの闇。
「お前に私は倒せない。」
がらがらと笑い声は醜く変わり、狂気に駆られるアスカの表情はとても恐ろしく醜悪なるものに変わっていた。
アスカは声を上げる。
それは己が渇望する望みへの大きな一歩だ。
「さあ、私のヴェルドレよ!!!私をサバトへ連れて行っておくれ!!!」
その姿はもはやアスカではなく、この世の者とは思えないほど醜き者。
しかし、それが彼女の復讐と渇望。
運命。
宿命。
それはただの戯言にしかすぎない。
しかし、シトリーは自らの足元の道かが途切れたのを悟った。
「―――この化物が・・・」
暗転。
「それでも、アスカはお前の下僕だろう!?お前はあの女に育てられたのだろう?なのに、お前はその女を殺すというのか!?」
インテグラルはウィネの胸ぐらを掴み、怒鳴った。
まるで鬼の様に怒鳴り散らすが、ウィネは平然とインテグラルを睨み続けた。
とてもおとなしそうな女が秘める強い信念。
ウィネはゆっくりと口を開いた。
「ならば、インテグラ。貴女に聞きましょう。もし、貴女の下僕が貴女を裏切るようなことがあったら、どうする?」
ちらりとインテグラルはアーカードを見つめた。
彼が王立国教騎士団を裏切るようなことがあったら。
万に一つもありえないことではあるのだが、可能性がゼロとも云えない。
彼は500年もの間、生きてきているのだから。
「貴女の吸血鬼が王立国教騎士団を裏切るようなことがあったら。きっとインテグラル。貴女は貴女の力を持って、その謀反に対して報復するでしょう。アーカードを力をもって制するでしょう。」
淡々とウィネは言った。
ずっと彼女は考え、巡らして来たのだろう。
今日という日のことを。
「インテグラル。貴女の力は王立国教騎士団だ。しかし、わたしには力が無い。吸血鬼の謀反に報復する力など無い。何故ならば、わたしはただの物書きだから。」
胸ぐらを掴むインテグラルの手が緩んだ。
「でもわたしだって死にたくないわ。わたしは生き延びなければならない。プランシーのために。死にたくないの。だから貴女に縋っている。わたしの唯一無二の存在に。貴女は私が唯一、アスカに対抗できる最後の切り札。」
ウィネは古い日記を取り出してインテグラルに差し出した。
とてもともて古い日記だ。
「コラン・ド・プランシーの日記よ。彼がこの世を去るその日まで書かれている。」
古い日記はとても分厚く重たい。
しかし、100年前の日記がそこにある。
悪魔に魂を売りし者の日記がそこに。
「そして、彼女の望みすべてが書かれ、コランがアスカに残した予言の真意が書かれている。」
「アスカはこの日記の存在を知っているの?」
ウィネは首を横に振る。
「知らないわ。彼女は知らない。」
ふっとウィネの顔色が曇りとても寂しそうな表情をしたのをインテグラルは見過ごさなかった。
「それでも、アスカが仕えているのはコランであって、わたしでは無いわ。」
そしてその表情はまた血気盛んなものに戻り、強く瞳を輝かせて続ける。
「アスカは必ずわたしを殺しに私の前に現れる。それが彼女の望みを叶える鍵だから。だけれど、わたしは彼女を倒さなければならない。それがたとえ、わたしを育てた女だとしても。」
ウィネはもう一度、インテグラルに日記を差し出した。
「インテグラル。わたしは死にたくない。だから、お願い。わたしの力になって。」
差し出される日記。
それを受け取れることの意味を知っているインテグラルは受け取ることができずに、ウィネを睨んでいた。
受け取れば、きっと悲劇しか待っていない。
だが、吸血鬼を見過ごすわけにもいかない。
どうすれば。
インテグラルは差し出される日記を前に、思案する。
燃えている。
すべてが燃えている。
結界が崩れようとしていた。
炎の真ん中でアスカは薄ら笑みを浮かべ、佇んでいる。
シトリーはもう居ない。
鴉はもうすべて燃えて消えてしまった。
次だ。
次ぎ。
アスカは笑う。
からからと。
「もうすぐ。もうすぐだ。」
to be continued...
Grimoire