Grimoire
第十二話 Furiae・3:フリアイ・3






「ずっとその十字架を首から下げているのね。」

ああ。

「誰からの贈り物?」

そうなるの、かな。

「誰から贈られたの?」

(暫しの間)

分からない。

(フリアエはアスカを見つめる)

もう顔すら覚えていない。






轟々とそれは燃える。
轟々とそれらは燃やされる。
ずるずるとそれは吊るされる。
ずるずるとそれらは吊るされる。

「今回の裁判で処刑された女たちの数は何人だ。」
「18人でございます。」

司教の問いに審問官は静かに答え、続ける。

「残りの二人は審問中に首を掻ききって死んでおります。」

その言葉に司教はからからと笑い、腹を抱えた。
司教は辺りを見回す。
辺りは広大な荒野だった。
小高い丘がある。
丘には大きな樹が空に向って生えていた。

「処刑が終わったのならば、しばらく晒しておく必要があるな。」

空はどんよりと重く、鉛の様な雲が広がっている。
すでに太陽が昇って数時間が経っているはずだが、辺りは薄暗い。
まるで夜のようだった。

「次ぎの村へ向うぞ。次ぎの街へ向うぞ。」

司教はマントを翻す。

「魔女を狩りに行くぞ。」

ごおおおと地面が揺れる。
先を睨めば、牢獄から煙と粉塵が上がっていた。
何事だ、と神父たちは牢獄へ向う。
司教はただそれを唖然と見つめていた。
黒い、どす黒い影が粉塵と煙の中から出てくる。
蒼く光る二つの目。
恐ろしいほどの殺気と気配に誰もが息を飲んだ。
鬼が居る。
鬼が居る。
誰もが騒ぎ立てた。

「フリアエはどこだ。女共はどこだ。」

鬼は鋭い牙を剥き出しに問いかけた。
とても重苦しい声色だが、よく響く声だった。
鬼は司教の前に立つと、司教に何か差し出した。
赤黒いヘドロがついた重たい物。
ぼたぼたとヘドロが伝い落ちている。

「・・・き、貴様・・・」

誰もが息を飲んだ。

「ジョヴァンニ神父―――!!!」

鬼が差し出す物の正体に気づいた審問官の一人が悲鳴を上げる。
鬼が司教に差し出していたのは審問官・ジョヴァンニの生首だったのだ。
それを鬼は静かに、ただ差し出す。
司教は顔を青ざめたまま、変わり果てたジョヴァンニを見つめた。

「・・・?受け取らないのか。そうか。」

司教の態度に納得した鬼は、どさりと生首を審問台に置くとふらふらと丘を目指して歩いてゆく。
その後姿はまるで幽鬼のようであり、恐ろしく闇が広がっている。
ごろごろと空が喉を鳴らす。
今にも雨が降り出しそうだ。
ジョヴァンニは今回編成された審問官の中でもっとも強い男だった。
しかし、鬼は容易く最強だった男の首を落としてしまう。

「何者なのだ・・・あの吸血鬼は・・・」

司教は鬼を追いかけた。
神父たちが止めても司教は聞き耳を立てることなく、鬼の背中を追いかけた。
鬼はゆらゆらと宙を浮くように歩いている。
司教はそんな鬼を呼び止めた。

「お前の女も、お前が助けようとしていた女たちも、もう居ない。」

鬼が振り返る。
怒りも悲しみもすでに鬼の表情からは読み取れなくなっていた。
ただ、蒼く光る瞳が二つ。
その瞳に睨まれて司教は生唾を飲んだ。
鬼はまた歩き出す。
小高い丘を目指して。
ゆらゆらと歩く。

「もう裁判は終ったのだ!処刑は終ったのだ!」

小高い丘には一本の樹が空に向って生えている。
それは、とてもとても立派な樹であった。
鬼はその樹にたどり着くと樹を見上げ、啼く。

「苦しいだろう。みんな。」

鬼は静かに呟く。

「悲しいだろう。みんな。」

帰ろう。
還ろう。
皆、還ろう。

「熱かったろうに。悔しかったろうに。寂しかったろうに。苦しかったろうに。悲しかったろうに。」

樹の幹一本、一本に吊るされる無数の死体。
それは皆、審問に集められた女共の死体であった。
誰もが黒焦げに焼かれ、顔の分別をつけることはすでにできない。
鬼は震える手で一体の死体に触れた。
その死体もすでに一度焼かれており、生焼きの部分から吊るされて血か体液か分からない液が地面に染みを作っていた。

「・・・フリアエ」

鬼は元フリアエだった黒焦げの身体を樹から降ろし、地面に横たわらせた。
鬼の言うとおりに黒焦げの遺体がフリアエだったというのならば、遺体があの麗しいフリアエだったというのならば。

「すべて燃えてしまった。すべて消え去ってしまった。あの日のように。あの晩のように私はまた独りだ。」

突風が吹く。
幹が揺れると吊るされる遺体も一緒に揺れてしまう。
ざわざわとそれらは揺れてゆく。
まるで遺体が唄を謳っているようだ。

「すべて燃やしてしまおう。すべて燃やして消してしまおう。この苦しみも、この悲しみもすべて燃やして消してしまおう。」

鬼は言う。
それはまるで詩を詠っているようだった。

「私の魂が燃えて消えたように。お前たちが燃えて消えてしまったように。すべてを消してしまおう。」

鬼は振り返る。
そこに司教と神父たちが鬼が囲っていた。
人間と鬼。
人間に殺された人間たちと鬼。
神父たちは白木の杭と銀の聖剣を携えている。

「すべてを消そう。村も、裏切り者たちも、父親も母親も兄弟たちもすべて燃やして消してしまおう。」

一人の神父が奇声を上げて鬼に向けて白木の杭を左胸に打ち付ける。
ぼとぼとと鬼の足元に血が零れた。
どうしてだ、神父が声を上げた。
鬼は静かに左胸の白木の杭を眺めた。
白木の杭は左胸を貫通していた。
左胸の心臓を貫通している。
しかし、鬼は死なない。
吸血鬼は生きていた。

「お前たちもすべて燃えて消してしまおう。消えて無くなれ。私の前から。私たちの前から。」

燃える。
白木の杭が燃える。
神父が燃える。
轟々と紅い炎に包まれて神父は燃えて朽ちてゆく。

「そして、私を燃やしておくれ。」

鬼は灰になり朽ちた神父をただ見つめながら呟いた。
ああ、と司教が嘆く。
吸血鬼のような姿をした、魔女のような姿をした、人間のような姿をした化物がここに居る。





神父・ジョヴァンニは飛ばされて失った左脚を、口角を上げて見つめた。
目の前に化物が居る。
その化物は恐ろしいほどの闇を抱え、恐ろしいほどの殺意を秘めてそこに居る。
すでにジョヴァンニの戦意は失われていた。
左脚は食い千切られ、横腹は抉られてあばら骨が露になってしまっていた。
動くことも出来ない。

「お前は吸血鬼か、それとも地獄の使者か。」

ジョヴァンニは薄ら笑みを浮かべながら問う。
しかし、化物は答えることは無かった。

「言葉も忘れたか。吸血鬼?」

それは黒い塊になってそこに居た。
黒い塊はまさに闇そのものだ。
闇が塊をなしてそこに居る。

「やはり、お前は哀れな化物だな。吸血鬼。」

闇が牙を剥き出しに大きな口を開いた。

「そんなに、悲しいか。そんなに、寂しいか。」

大きな口がジョヴァンニを丸呑みにする。






アスカはフリアエの笑顔が好きだった。
アスカはフリアエの歌声が好きだった。
アスカはフリアエの声が好きだった。
彼女の髪が肌が口元がすべて好きだった。
彼女はまさしく太陽そのものだった。
闇に生きる者にとっての唯一の太陽。
それがフリアエという女神だった。
復讐の女神・フリアイ。






「すべてを燃やす気か。吸血鬼。」

司教は鬼に問う。
辺りは火の海だった。
轟々と辺りは紅い炎をあげて燃えている。
まるで地獄の様な光景。
神父たちが燃えている。
野次馬たちが燃えている。
悲鳴をあげ、絶叫し、死んでゆく。
死んでゆく。
丘の樹を残して炎は辺りを燃やし尽くそうとしていた。

「裁判は我々、カトリックにとって必要なことなのだ。」

司教は鬼に対して声を上げた。
口元を真一文字に閉じ、その言葉にただ耳を傾ける。
すべての感情を失ってしまったような強張った鬼の表情は、まさしく恐怖そのものであり、不死者そのものであった。

「キリストを守るために必要なことなのだ。」

だから我々は貴様に許しを乞おうとは思わない。
所詮、貴様は吸血鬼であり化物であるのだ。
人間と交わろうということが無理なのだ。
人間の在り方に触れようということが無理なのだ。

「お前は化物では無いと云うのか?」

吸血鬼は問う。
とても冷たい声色だった。

「お前は自らが化物ではないと云うのか。」

火の粉が辺りに舞う。
すべてを無に還そう。
炎がすべてを飲み込んでゆく。

「同族を私利私欲で殺すのは人間だけだ。人間だけなのだよ。」

鬼は牙をむき出しにして駆け出す。
司教と一瞬、目が合った。

「そんな人間をお前は化物ではないと云うのか。それは違うな。」

鬼は司教の喉にかぶりつく。
かぶりついた口元から司教の血が噴出し、鬼の身体に雨のように降りかかった。
声にならない声を上げて司教は絶命してゆく。
容易く、まるで虫を握りつぶすかの如くに司教は鬼の中で息絶えていった。
それは、とても簡単な死だった。

「私は化物だ。そして貴様たち人間もまた化物だ。」

鬼は蒼い瞳で睨む。
轟々と燃えてゆく中、天高く掲げられる十字架を睨む。
キリストよ!
主よ!
鬼は叫んだ。
ぼたりと人形のように司教の身体が地面へ落ちてゆく。
燃える。
燃えている。
世界が燃えている。
鬼の中には鬼を殺した残り火が残っていた。
その残り火が燃えているのだ。
轟々と音を立てて、怒りと孤独を含み燃えているのだ。

「これが貴方の正気だというのか。これが貴方の正義だというのか。」

鬼はそこに佇む。
辺りには人の気配は無い。
鬼はいつも独りきりだ。
孤独の中をずっと生きてきた。
長い長い年月の中でそれは、たった一時だけのふれあいであり、一時だけの幸せだったのかもしれない。
しかし、鬼はその一時のふれあいと幸せを炎の中で思い出し、嘆く。
そして啼く。
おいおいと、しくしくと。









すべてを燃やしたよ。
裏切った村も、村の皆も、お前の父親も母親も兄弟も。
すべてを燃やしたよ。
もう何も無い。
もう何も残っていない。
フリアエ。
私はまた独りになってしまった。
私が何者か分からぬまま。



アスカはそこに居る。
荒野にアスカは居る。
東の空が明るい。
太陽が昇ろうとしていた。
黄金の太陽がゆっくりと時間をかけて昇ってゆく。
空を昇ってゆく。
アスカは昇る太陽を静かに見つめた。
ゆっくりと東から荒野が照らされてゆく。
一体、何体の墓標が存在しているのか。
荒野を墓標が埋め尽くしていた。
その墓標が太陽の日差しに照らされて、十字の影をつくって朝を迎えようとしている。

「敵だ。敵が来た。」

アスカは歓喜の声を上げる。
それは狂気の声でもあった。
太陽の元、群をなして使徒は丘へ向う。
アスカを討伐するために。
すでに何人を返り討ちにしてきたか。
何人を何十人、何百人を返り討ちにしてきたか。

「神父だ。神父どもだ。審問官どもだ。私を討伐しようとしているのか。私を殺そうとしているのだろう。」

アスカは一つの墓標に目を向ける。
その墓標はフリアエの墓標であった。

「奴等は未だに女どもを殺している。いったい何百年続ければ気が済むのか。いったい何百人の女共を殺せば気が済むのか。」

それは18世紀中期ごろの話し。

「そして私はいったい何人の神父どもを殺せば気が済むのか。」








to be continued...
Grimoire
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -